シエルリント女学薗の大図書館「ビブリオテカ」の中に入った結梨の視界には、100メートル近く先まで閉架式の書架が整然と立ち並んでいる。
「ここ、図書館なの? すごく広い……」
書架に埋め尽くされた広大な屋内空間に戸惑ったように、結梨は蓬莱玉に尋ねた。
蓬莱玉は隣りに立つ結梨の顔を見て満足げに頷くと、自身が持っていたタブレット端末を結梨に手渡した。
「そうだ。せっかくの機会だ、知りたいことがあるのなら、ここで調べていけ。
反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンでは入手できない情報が存在するだろうからな。
今は館内を貸し切りの状態にしてある。
好きなだけ書架に収められている書物を渉猟するがいい」
「本当にいいの? 後で蓬莱玉が怒られたりしない?」
「構わん。閲覧できるのは私の権限で許可されている範囲だけだからな。
ただし、内容を紙に書き留めることはするな。
知ったことは全てお前の頭の中に記憶しておけ」
「分かった」
「とは言え、この図書館に収蔵されている文献の大半は、マギについての理論的な研究論文だ。
反G.E.H.E.N.A.主義者が憎んで止まない、リリィの強化実験に関するものはほとんど無い――少なくとも、私が閲覧を許可されている範囲では。
お前の欲している情報と合致する可能性は低いかもしれないが、それでも構わないか?」
「うん、ありがとう。
でも、どうして蓬莱玉は私にこんなことをしてくれるの?」
「――率直に言えば、これはお前に対する私個人の実験だ。
お前に我がガーデンが所有している情報を与え、その結果、どのような変化がお前に起こるのかを観察する」
「その実験をシエルリントのガーデンが認めたの?」
「そうだ。投薬や物理的な施術は、お前の心身に不可逆の悪影響を及ぼす恐れがある。
それに、お前と同じ能力を持つ人造リリィは、今のところ再現不可能だ。
さっきも言ったように、コアとなる技術を開発した研究者が失踪したそうだからな」
「……」
「それゆえG.E.H.E.N.A.としても、今お前を傷物にするわけにはいかないのだろう」
蓬莱玉はそう言うと、身を翻して図書館の入口へ向かって戻り始めた。
が、何かを思い出したように一度立ち止まると、振り返って結梨の顔を見た。
「私の内線番号を教えておくから、食事や飲み物が必要なら備え付けの電話で連絡するがいい。
入口の前まで道川深顯に届けさせよう」
蓬莱玉は自身の内線番号を口頭で結梨に伝えると、また後で来る、と言い残して去って行った。
蓬莱玉が立ち去った後で閉ざされた図書館の扉を、結梨は少しの間見つめていた。
「私が知りたいこと……ここでしか知ることができない情報……」
そして何かを決心したように、手近な席に座ってタブレット端末を操作し始めた。
蓬莱玉が「ビブリオテカ」に戻ってきたのは、六時間近くも経過して日付が変わろうとする深夜だった。
入口のロックを解除して館内に入った蓬莱玉が目にしたのは、机の上にうず高く積み上げられた様々な厚さの書籍や学会誌の数々だった。
その机に突っ伏すような姿勢で椅子に座っている、シエルリントの黒い制服を着た結梨の姿があった。
蓬莱玉は眠っている結梨に静かに歩み寄ると、そっとその肩に手を当てて軽く揺すった。
それに反応して、結梨の頭がゆっくりと持ち上がり、すぐ傍に立っている蓬莱玉の顔を見上げた。
「ん、私……」
瞼をこすりながらあくびをかみ殺す結梨に、蓬莱玉はそれまでと変わらぬ口調で状況を説明する。
「さすがに疲れたか。目当ての情報は見つかったか?」
「難しくてよく分からないけど、関係がありそうなものは全部目を通したつもり」
「そうか、それなら良しとしよう。
……だが、すまないが時間切れだ。
お前を別の場所に移送するよう、ガーデンから命令が出た。
これから御台場の制服に着替え直して、移送用の車両に乗り込んでもらう」
そう言った蓬莱玉の手には、結梨が着ていた御台場女学校の標準制服があった。
「私、どこに連れていかれるの?」
「行き先は私にも知らされていない。
おそらくは、いずこかのG.E.H.E.N.A.ラボである可能性が高い」
「そうなの……」
「本当に逃げなくていいのか? 今が最後のチャンスだぞ」
G.E.H.E.N.A.がその戦闘能力を恐れて、積極的に手出しできなかった人造リリィが、思わぬ形で手元に転がり込んできたのだ。
しかも抵抗することなく武装解除に応じて、今は丸腰の状態だ。
この絶好の機会を見逃して解放する手は無いと踏んだのだろう。
蓬莱玉は結梨がシエルリントのガーデンから逃亡しようとしても妨害しないつもりだったが、やはり結梨に逃亡の意思は無かった。
「うん、逃げない。
もう少しG.E.H.E.N.A.のこと調べてみたいから」
きっぱりと言い切る結梨に、蓬莱玉は肩をすくめて苦笑した。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か。
見かけによらず大した度胸だが、今のお前は徒手空拳の丸腰だ。
裏付けとなる武力は存在しない状態なのだぞ」
「一応、大丈夫なように考えてはいるんだけど……」
何やら含みを持たせた結梨の言い方に、蓬莱玉は何かを察したようだった。
「……お前、何がしかの隠し玉を持っているな?
それも、丸腰の状態からでも敵地を脱出できるだけの」
「……」
表情を変えず、黙ったままの結梨。
それを見た蓬莱玉は、これ以上の詮索は無用と判断したのか話を切り上げた。
「……好きにすればいい。それもお前の選択だ。
私は私の好きにさせてもらう」
結梨が御台場女学校の制服に着替え終えると、蓬莱玉は結梨を伴って「ビブリオテカ」を出た。
関係者以外は通行できない特殊通路を進みながら、蓬莱玉は自分のすぐ後ろを歩く結梨に、振り向かずに話しかけた。
「お前は世界で最も理不尽な運命の下に生まれたリリィであると同時に、世界で最も特別な力を持って生まれたリリィでもある。
それならば、お前はお前自身の持つ力で自らの運命を切り開くがいい。
今の私がお前にかけられる言葉はこれくらいだ」
少しの間を置いて、蓬莱玉の背中に結梨の声が返ってきた。
「ありがとう、きっと無事に帰ってみせるから。
またシエルリントに来ることができたら、もっとお話ししようね」
二人が長い通路を抜けた先に、来賓用のエントランスが現れた。
そこで出迎えたのは、黒十字マディック隊の隊長である道川深顯だった。
「お待ちしておりました、『北河原ゆり』様。
ここから先は、私が移送用の鉄道車両までご案内いたします。
どうぞ、私の後について来て下さい」
箝口令を言い渡されているためか、心なしか深顯の表情は緊張していた。
「よろしく頼む。私は『ビブリオテカ』に戻って机の上を片付けておく」
蓬莱玉はそう言うと、結梨に簡単に別れの言葉をかけて去って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで、結梨と深顯は黙って蓬莱玉の背中を見送っていた。
結梨と別れて「ビブリオテカ」に戻ってきた蓬莱玉は、結梨が机の上に積み上げたままの各種の文献を一瞥した。
一番上に積まれている学会誌を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていく。
その指が止まり、蓬莱玉は特定の箇所に視線を走らせる。
間もなく手にしていた学会誌を机の上に置くと、別の著書を持ち上げてその背表紙を見た。
その行為を何度か繰り返し、やがて確信を得たかのような表情で、蓬莱玉は独り言を呟いた。
「決してお前を謀ったわけではないのだが……これで私の推測が裏付けられた。
感謝するぞ、一柳結梨」
満足げな様子で書籍を机の上に戻した蓬莱玉は、意識を切り替えるようにポケットから通信端末を取り出した。
(――さて、お前はああ言ったものの、万が一の事があっては取り返しがつかない。
石橋は叩いて渡らせてもらうぞ)
蓬莱玉は慣れた手つきで手元の端末を操作して、相手先との回線を接続した。
「私だ、久しぶりだな。
……まあ、そう邪険にするな。
実は、少しばかり興味深い話があってな。
貴公の耳に入れておく方が適切かと一考した次第だ。
無論、貴公がそれを望まぬというのであれば、要らぬ世話は焼かぬことにするが――」
電話口でしばらく何者かとのやり取りを交わした後、蓬莱玉は相手が自分の意向を受け入れたことに感謝の言葉を述べて、通話を終了した。
深夜、金沢文庫近傍の車両基地で、結梨は深顯と別れ、窓の無い移送用の鉄道車両に一人で乗り込んだ。
それから数十分が経過した頃、一隊のレギオンが現場に現れた。
列車はまだ発車予定時刻を迎えておらず、車両基地で停車中の状態だった。
レギオンの隊員は全員がエレンスゲ女学園の制服を身に纏い、CHARMを携行している。
隊長と思しき一人のリリィが、隣りに立っている隊員のリリィに声をかける。
「この車両が都内の目的地に到着するまで護衛せよ。
極秘任務につき、積載物についての情報は非公開。
――どうせ例によって碌でもないものを積んでるんでしょうよ」
「実験体の特型ヒュージか、新開発のブーステッドCHARM……そんなところか」
「こんな運び屋みたいな任務、ヘルヴォルにやらせておけばいいのよ、この間みたいに」
「列車の上で忍者のコスプレみたいなカスタマイズ戦闘服を着ていたという、あの件か。
全くふざけた連中だ。
だが、今回の護衛任務がヘルヴォルではなく、このクエレブレに命令されたということは……」
「あいつらの目には絶対に触れさせたくない何かを運ぶから……か」
「校長は私たちにも詳細を説明しなかった」
「知らない方が幸せ、ってことなんでしょうね。
さて、一体どこに何を運ぶのやら……」
エレンスゲ女学園の序列2位である松村優珂は、同じLGクエレブレに所属する副隊長の牧野美岳に肩をすくめてみせた。
美岳はそれには応えず、窓の無い車両の内部を透視するかのように見つめていた。
結梨をその中に乗せた移送用の列車は、あと少しで定刻どおり車両基地を発車しようとしていた。