百合ヶ丘の霊園で、待ち合わせの相手である北河原伊紀を前に、楓・J・ヌーベルは伊紀の視線を真っ向から受け止め、見つめ返した。
数秒の後、ふと伊紀は楓から視線を逸らして、近くにある一つの墓を見た。
その墓の周りには、幾つもの献花や供え物が置かれている。
それらを見ている伊紀から言葉が発されるまで、楓は無言で待っていた。
伊紀は視線を墓から楓に戻して、尋ねた。
「以前、一柳結梨さんの身柄を巡って、彼女に対する捕縛命令を、政府が防衛軍に発したことは覚えていますか?」
「もちろん、忘れるはずもありませんわ。
今更この場で、当時の状況を逐一振り返る気にはなりませんが」
「結梨さんは戦闘中に特型ヒュージの爆発に巻き込まれ、以後行方不明のまま――公式には『missing in action』の扱いになっています。
もっとも、ほとんどのリリィは結梨さんが戦死したと思っているようですが」
「普通のリリィなら、あの爆発に巻き込まれて生きているとは思えませんわ……」
楓はそこで言葉を途切れさせた。
「普通のリリィなら……そうでしょうね」
伊紀の言葉を反芻するように、楓は半ば独り言のように呟く。
「確かに、結梨さんは普通のリリィではありませんでしたわ……普通のリリィでは」
様々な思いが去就しているのか、表情を曇らせる楓。
その楓に、伊紀は話を切り替えるように、少し声を大きくして呼びかける。
「楓さん、LGロスヴァイセでは、あの時に出現した特型ヒュージ――ハレボレボッツがG.E.H.E.N.A.の実験体だったのではないかと考えています。
政府機関の官僚は査問委員会での議論に敗北しました――彼らはG.E.H.E.N.A.の息が掛かった傀儡だったと思われますが。
その結果を見て、G.E.H.E.N.A.は『鳴かぬなら殺してしまえ』とばかりに、実験体の特型ヒュージを百合ヶ丘に差し向けたのです。
結梨さんともども、この百合ヶ丘女学院を灰燼に帰すために」
「それが特務レギオンの見立てた筋書きというわけですのね。
いかにもG.E.H.E.N.A.のやりそうなことですわ。
でも、あの特型ヒュージがG.E.H.E.N.A.の手によるものだという証拠はありますの?」
「……ありません。あくまでも当時の状況からの推測です」
苦々しい表情で呟く伊紀の顔を見て、楓はさもありなんとばかりに頷いた。
「でしょうね。私たちも東京でエリアディフェンスが崩壊した後に現れたエヴォルヴという、あまりにも厄介な特型ヒュージに遭遇しましたわ。
ですから、その辺りの事情は察しがつきますわ」
「ですが、私たちを滅ぼそうとした犯人を野放しにしておくわけにはいきません。
今もなおロスヴァイセは、ガーデンからの指示で調査を継続しています」
「未だに当時の情報を執念深く集め続ける――それ自体は事の重大さを鑑みれば、さほどおかしなことではありません。
……ですが、私には他に決定的な理由がありそうにも思えますわ。
わざわざ私をこの場に呼び出したのも、何かしらの必然性があってのことではありませんの?」
「どう思われるかは楓さんの自由です。
私が口出しすべきことではありません」
楓は伊紀の言葉に引っかかるものを感じて、探りを入れてみることにした。
「何か特別な情報を掴んでいますのね、百合ヶ丘のガーデンと特務レギオンは」
「それは……」
「端的に申し上げて、それは結梨さんの生死に関係していますの?」
今度は楓が結梨の墓を見やりながら、伊紀に問いかけた。
「……」
「いかがですの?LGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀さん」
しばしの沈黙の後、伊紀はできる限り抑揚を抑えた声で、楓に答えた。
「――そのお墓の下には誰も眠っていません。
今の私に言えるのは、それだけです」
「今の伊紀さんには、そこまでしか話す権限が無いというわけですのね。
構いませんわ。それを聞けただけでも、今日ここに来た甲斐はありましたもの」
そこで楓は一旦言葉を切って、伊紀の顔をやや挑戦的な目で見つめた。
「……それで、私に尋ねたい事とやらの本題は何ですの?」
楓の視線を受け止めた伊紀は、結梨から話題が外れたことにほっとして、己の本分に戻ることにした。
「以前、グランギニョル社に岸本という名前の日本人が、研究員として在籍していました」
楓は黙って伊紀の言葉の続きを待っている。
それに促されるように、伊紀は更に説明を続ける。
「彼はかつて教授としてルドビコ女学院およびルドビックラボに在籍していた人物で、LGアイアンサイドの岸本・ルチア・来夢さんの父親でもあります」
「来夢さんには既に何度も東京でお会いしていますわ。
確か梨璃さんと同じカリスマ持ちだと記憶していますが」
「では、来夢さんが『極めて特殊な強化リリィ』であることはご存じですか?」
「ええ、それとなく認識はしておりますわ。
もちろん、個人のプライバシーに関わることですので、あまり根掘り葉掘り聞くわけには参りませんが」
「岸本教授は、来夢さんが『極めて特殊な強化リリィ』になった原因に関与していた可能性があります。
――そして、結梨さんが『人造リリィ』として生まれることになった原因にも」
「……それが、グランギニョル社トップの娘をここに呼び出した理由ですのね。
ようやく腑に落ちましたわ。
結梨さんの件については、グランギニョル社は共犯者も同然の立場ですものね」
「いえ、そこまでは……」
「経緯がどうであれ、あの一件でグランギニョル社は、倫理的に許されざる行いをしてしまった――それは事実ですわ。
リリィの損耗を避けるために、ヒュージ幹細胞から人の遺伝子を抽出し、戦死しても惜しくない戦力としての人造リリィを生産する。
当の人造リリィにしてみれば、たまったものではありませんわね。
遺伝子情報的にも外見的にも、普通の人間と何ら変わらないのに、ただ兵器として戦うためだけに生まれさせられるなんて。
どこかの外国の紛争地域で戦わされる少年兵と同じ――いえ、それよりもっと救いの無い、人間の罪深さを思い知らされますわ」
その計画に自分の父親が加担していた――楓の心はその事実から目を背けることはできなかった。
「いいでしょう。私の力でお役に立てるのであれば、協力は惜しみませんわ」
楓から肯定的な答えが返ってきたことに、伊紀は心の底から安堵した。
「ありがとうございます。
私たちは今、岸本教授の行方を捜して調査を続けています。
楓さんには、グランギニョル社を通して彼の消息を確認していただきたいんです」
「承知しましたわ。
ですが、あなたたちは何のために、岸本教授という人物の行方を知ろうとしていますの?」
「ヒュージとの戦いを終わらせるためです」
あまりにも簡潔に即答した伊紀に、楓は思わず口笛を吹いた。
「これはまた大きく出ましたわね。
岸本教授なる一個人に、それほどのことができると?」
「彼はルドビコ女学院の岸本・ルチア・来夢さんの父親です」
「……」
「そしておそらくは、結梨さんを生み出した人物でもあります。
これが何を意味するか、楓さんほどの人なら想像がつくと思います」
「……仮に岸本教授の行方を突き止めたとして、彼の協力を仰ぐつもりですの?百合ヶ丘は」
「まだそこまでは分かりません。
彼の人柄や思想など、調べなくてはならないことは沢山ありますから」
岸本教授についての情報は、中原・メアリィ・倫夜と白井咲朱の発言、それに結梨がシエルリントで読み込んだ岸本教授の文献から、ある程度はまとまりつつあった。
しかし、直接彼と会った者は百合ヶ丘にはいない。
最終的には結梨またはロスヴァイセの誰かが、岸本教授と面会し、彼の真意を確かめる必要があった。
「伊紀さんのご要望は確かに承りましたわ。
さっそく父に連絡してみますので、私は先にガーデンの自室に戻らせていただきますわ」
ではごきげんよう、と優雅に手を振って、楓は足早に霊園を去って行った。
楓の姿が見えなくなるまで、伊紀はその後ろ姿を見送った。
そして、「その下には誰も眠っていない」と自分で言った結梨の墓の前で、伊紀は静かにひざまずいて祈りを捧げた。
楓からの連絡は、ロスヴァイセのリリィたちが考えていたよりも、ずっと早く返ってきた。
それは伊紀が楓に調査を依頼してから三日後のことだった。
伊紀が、彼女にしては珍しく、足音を響かせてロスヴァイセの控室に駆け込んできた。
控室の中では、ロザリンデと碧乙の二人がソファーに座って、資料の書類に目を通していた。
結梨は校医でもあるシェリス・ヤコブセン教導官の医務室で、定期的なメディカルチェックを受けているため不在だった。
ロザリンデと碧乙の姿を確認した伊紀は、息を整える時間も惜しんで、肩を上下させながら二人に報告する。
「たった今、楓さんから連絡がありました。
岸本教授はグランギニョル社を去ってから約1ヶ月後に、日本に帰国しています」
伊紀の報告を聞いた二人は、一様に安心した表情を見せた。
その後で、ふと碧乙が何かに気づいたようにロザリンデに尋ねる。
「でも、教授がフランスを出国して日本に帰国していると、どうやってグランギニョル社は突き止めたんでしょうか?
そんな調査能力が一民間企業にあるんですか?」
「世界有数のCHARMメーカーであるグランギニョル社のことだから、フランス政府や軍にも当然何らかのチャンネルを持っているのでしょう。
岸本教授がそれほどの重要人物なら、もし偽名でパスポートを使用していても、内務省や軍の情報部が本気になれば、本人の特定は可能だわ」
「今更ながら便利なものですね、国家権力というものは」
「それが国民の抑圧や圧政に利用されると、悲惨な事態を引き起こす諸刃の剣なのだけれどね」
ロザリンデの話が横道に逸れかけていることに気づいて、伊紀はすかさず説明を挟み込む。
「ただ、帰国後の消息はグランギニョル社では確認できないとのことです。
本社があるフランスとは違って、日本支社の調査能力には限界があると」
「ありがとう、帰国していることが分かっただけでも大きな成果だわ。
でも、グランギニョル社がG.E.H.E.N.A.に先んじて、岸本教授の帰国を知りえたかどうかは分からない。
G.E.H.E.N.A.だって岸本教授の行方を調べているはず」
「フランスにも、G.E.H.E.N.A.の組織はパリをはじめ各地に存在しています。
日本のように、政府内に親G.E.H.E.N.A.主義者が入り込んでいれば、彼らも岸本教授の行方を知ろうとするでしょう。
事によると、岸本教授が日本に帰国している情報を、私たちよりも先に掴んでいるかもしれません」
「そうなると、次は岸本教授が日本国内のどこにいるか――それを調査する段階に移行するわけね」
「帰国後の足取り、それをどうしても知る必要がありますね。どうしたものか……」
顎に手を当てて考え込む碧乙に、伊紀が再び情報を追加して説明する。
「楓さんによると、帰国した際の航空便までは特定できているということです。
つまり、岸本教授が利用した空港とその日時は分かります。
それなら、空港の監視カメラの情報から、該当する人物がいるかどうか確認できるかもしれません。
それができれば、付近の駅や街頭の監視カメラの情報と照合して、教授の足取りがつかめる可能性があります」
「それは私たちだけの力では実現不可能だわ」
碧乙は肩をすくめてお手上げのポーズを取った。
隣りでそれを見たロザリンデは、少し悪戯っぽい表情で碧乙と伊紀に提案する。
「では、私たちも国家権力をあてにしてみましょうか。
理事長代行に連絡して、内務省と防衛軍の反G.E.H.E.N.A.派閥に協力を要請、情報提供してもらうよう求めましょう」
「いかにも昔のスパイ映画みたいな展開になって来ましたね。
私たちは引き続き、手元にある資料の洗い直しを続ける……でいいでしょうか」
碧乙の確認にロザリンデは頷き、自らは高松咬月に連絡を取るべく、携帯電話型の通信端末を制服の胸ポケットから取り出した。
百合ヶ丘女学院に一人の訪問者が現れたのは、その数日後だった。
正門の前で、その場にいた百合ヶ丘のリリィに、訪問者は尋ねた。
――1年生の北河原ゆりさんはいらっしゃいますでしょうか、と。