果てしないヒュージとの戦いを終わらせ、リリィが自由に生きられる世界を創る――しかも、ヒトを人工的にリリィとして進化させることなく。
岸本教授の言葉は確信と決意に満ちており、結梨の心には、その先を聞いてみたいという思いが湧きあがった。
「教授はどうやってそれを実現するつもりなの?私、知りたい」
「この計画は個人としてのリリィに対するものではない。
もっと大掛かりで、これまでよりも遥かに大規模な設備と人員、予算が必要になる。
特に理論段階の次の開発・検証のステージでは、とても私一人の手には負えない。
――だから、私はこの計画を私以外の人間に委ねることを決めた」
岸本教授の表情は、ようやくそれまでの重苦しいものから脱して、彼本来の希望と理想と――そして、ほんの少しの野心を、その整った顔立ちに浮かべていた。
だが、一方の結梨は、岸本教授の返答に一抹の不安を抱いていた。
「教授の研究は秘密にしておかなくていいの?
そのことをG.E.H.E.N.A.……の過激派に知られたら、邪魔されるんじゃない?」
「隠していても、いつかは過激派の知るところとなるだろう。
それに、いつまでも私だけが情報を抱え込んでいては、ルドビコの時のように多くの人が計画を巡る陰謀に巻き込まれ、命を落とすことさえある。
この計画によってヒュージとの戦いが終結すれば、G.E.H.E.N.A.が実験体のヒュージを保有する根拠は失われる。
また、全てのリリィが武装解除される可能性とともに、リリィに対する強化実験も全面的に禁止されるだろう。
過激派はそれを危惧し、かつてのルドビコで行われたように、実験体のヒュージや隷下の強化リリィを使って、妨害工作を仕掛けてくることが予想される。
計画を阻止しようとする過激派との争いによって、リリィや教導官に再び何人もの犠牲者を出すことになるだろう。
その事態は何としても避けなければならない。
そのためには、いっそ彼らが容易に潰すことのできない組織へと、計画そのものを移してしまえばいい――そう私は考えた。
そうすれば、もし私の所在が過激派に露見して、私を拘束したり殺害しても、もう計画が止まることはない。
そこから先は計画の移譲先とG.E.H.E.N.A.過激派との、硬軟織り交ぜての闘争が繰り広げられるだろう」
岸本教授が計画を移したという組織はどこなのか、結梨はすぐには思いつかなかった。
計画を委譲した先の組織というのは、百合ヶ丘や御台場のような反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンではなさそうだが、それならば一体どこへ?
結梨が首をひねって考え込んでいると、その様子を見ていた岸本教授が回答の端緒を口にした。
「一柳君は防衛軍の石川さんという人を知っているだろうか?」
(石川さん……葵のお父さんのことかな)
結梨が岸本教授に確認の言葉を口にする前に、彼は「石川」なる人物について語り始めた。
「防衛軍の対ヒュージ戦略部門のトップに石川精衛という人がいる。
後で私から連絡を取って君のことを伝えておくから、彼に会って直接話を聞くといい。
私は計画の基本的なコンセプトと、それを実現するためのコアとなる理論を彼に提供した。
順調に計画が進んでいれば、今は実験と検証の初期段階にあるはずだ」
「今、計画の内容を教授に教えてもらうことはできないの?」
「計画のハンドルを握っているのは、今は石川さんであって私ではない。
だから、計画の内容については、この場では話せない。
その代わりに、私が石川さんを選んだ理由を話そう」
教授はソファーから立ち上がり、ドアと反対方向の部屋の奥へゆっくりと歩いていった。
そして窓際で立ち止まると、じっと窓の外を見つめたまま結梨に語りかけた。
「……計画は私一人の力では到底実現できない規模のものだ。
だが、G.E.H.E.N.A.穏健派の組織力に頼れば、いずれ過激派が嗅ぎつけて計画を捻じ曲げられるか、さもなければ関係者ごと抹殺されるかのどちらかだろう。
だから、私はG.E.H.E.N.A.以外の組織に計画の協力者を探した。
無論、生半可な組織ではG.E.H.E.N.A.過激派の干渉や妨害があった場合、それに対抗することはできない。
結果として私が協力を求めたのは、防衛軍内部の反G.E.H.E.N.A.主義――とりわけ過激派に対して否定的な派閥だった。
その代表格が石川さんだったというわけだ」
「葵のお父さんなら知ってる。
ルド女の指令室を調べに行くときに、葵と一緒に話を聞いたから。
指令室の中を調べるのは、途中でやめることになったけど」
結梨の言葉を聞いた岸本教授は、驚きとあきれた感情がないまぜになった表情で、結梨の顔を見つめた。
「あの部屋に入ろうとしたのか……
だが、運よく中に入れたとしても、機密データは削除されているか、機器そのものが物理的に動作しないように処置されているはずだ。
見た目には正常でも、おそらく内部の基板や記憶装置は取り外されているだろう」
「指令室の中を調べても、G.E.H.E.N.A.が悪いことをしてた証拠は見つからない……」
「そうだ。当然、悪事の証拠は念入りに隠滅されている。
正攻法でG.E.H.E.N.A.を糾弾するための物証を集めるのは、非常に困難だ。
私の計画は、そうした一般的な方法ではなく、最終的にはG.E.H.E.N.A.という組織自体が不要の存在になることを目指したものだ」
岸本教授はあくまでも、計画の具体的な内容をここで説明する気は無いようだった。
話の区切りをつけるように、岸本教授は窓際を離れて再び結梨の前に歩いてきた。
ソファーに座っていた結梨に立ち上がるよう促し、ドアの方へ導きながら言葉をかける。
「私がルドビコやイルマ女子のようなガーデン、あるいはグランギニョル社といった企業に在籍して研究してきたのと同じく、君とて百合ヶ丘女学院という名の、れっきとした組織に身を置く人間だ。
『御前』のように完全なフリーのリリィとは違う。
君はひとまずは所属元である百合ヶ丘女学院に戻り、ガーデンとしての今後の対応を協議することになるだろう」
「また葵のお父さんのところへ行くことになるのかな?」
「百合ヶ丘のトップは石川さんとも懇意にしていると聞いている。
私の計画では、ごく少数の極めて能力の高いリリィの支援が、途中の段階から必要になってくる。
百合ヶ丘が判断を誤らなければ、君が計画に関わることにGOサインを出すだろう。
――ガーデンの結論が君の未来にとって良きものであることを願っている」
「ありがとう。岸本教授の計画が成功したら、教授は来夢に会えるようになる?」
「おそらくは」
「私、やってみる。もうヒュージと戦わなくていい世界をつくるために」
結梨は岸本教授と握手を交わして別れ、隣りの別室で待機していた篠田澪瑚教導官を呼びに向かった。
篠田教導官と一緒にイルミンリリアンラボからイルマ女子のガーデンへの連絡通路を戻る途中で、結梨は篠田教導官から話しかけられた。
「北河原さんは百合ヶ丘から御台場へ一時編入中と聞いたけれど、百合ヶ丘にも疑似姉妹制度のようなものがあるのでしょう?
イルマでは『冠輝の誓い』というのだけど。
あなたも誓いを交わした相手がいるのかしら」
プライバシーに関わることゆえか、篠田教導官は岸本教授の話題を出さないように配慮していた。
結梨は小さく首を横に振って、篠田教導官の質問に否定で答えた。
「ううん、私のお姉さんみたいなリリィはいるけど、まだ私にはシュッツエンゲルはいないの」
「いずれは、そのリリィとシュッツエンゲルの関係になるつもりなの?」
再び結梨は否定の返事を篠田教導官に伝えなければならなかった。
「……それはできないの。
そのお姉さんリリィは私と同じ学年だから、私はシルトにはなれないし、今は会うこともできないの」
「そうだったの。それは残念ね」
気遣いの言葉をかける篠田教導官の視線には、それだけではない湿度の高い感情が込められていた。
「北河原さん、もっとあなたのこと知りたくなったわ。
この後、生徒指導室で話を聞かせてくれないかしら」
「うん、いいよ」
篠田教導官の求めに結梨が素直に応じようとした時、いかにもわざとらしい咳払いの音が前方の通路から聞こえてきた。
二人が視線をそちらの方に向けると、御台場女学校の制服を着た一人のリリィが腕組みをして立っていた。
そのリリィはいかにも含むところのある目つきで、篠田教導官の顔をまっすぐに見据えている。
「予定より面会の時間が長引いているようなので、応接室を出てラボに向かっていたところでしたの。
ちょうど岸本教授とのお話が終わったようで、何よりですわ。
さあ、さっさとガーデンに戻りますわよ、ゆりさん」
言うが早いか、燈は足早に歩み寄ると、結梨の手を取って元来たイルマ女子のガーデンがある方へどんどん歩き始めた。
有無を言わせず結梨を伴って視界から消えていった燈の後ろ姿を見送って、篠田教導官は舌打ちをしたい気分を抑え込んでいた。
(勘のいいリリィね。私のことを知っていたのかしら。
せっかく二人きりで『色々と』教えてあげようと思ってたのに……)
一方、篠田教導官の妖しい個人指導から結梨を免れさせた燈は、これをどう説明したものかと頭を悩ませていた。
(あの教導官はそちらの方面に手が早いと評判なので、お気をつけなさい――と言って結梨さんに理解できるかどうか……
ここは「時間の都合で迎えに来た」ことに徹するのが上策ですわね)
そんな篠田教導官と燈の思惑など知る由もない結梨は、早く百合ヶ丘に連絡してガーデンに戻る準備をしようと、気ぜわしく考えるばかりだった。
市ヶ谷の防衛軍本部へ出向くよう、百合ヶ丘のガーデンから結梨に指示が出されたのは、結梨が燈とともにイルマ女子を訪問して数日の後だった。
この先の展開は、岸本教授の計画を軸として、少しずつエンディングへ向かっていくことになります。(あと何話必要かは分かりませんが)
その前に、次回は番外編としてアサルトルベルムの二次創作を投稿してみる予定です。
(アサルトルベルムは楓さんと葵ちゃんが聖メルクリウスへ進学する世界線のストーリー。
次回投稿予定の二次創作では結梨ちゃんも登場します)
上手くいったら不定期で細々と投稿できればいいな……くらいの感じです。