伊紀が特別寮のロスヴァイセ専用ミーティングルームに入ると、碧乙がソファーに座って本を読んでいた。
ロザリンデと結梨の姿は見えず、二人はまだ来ていないようだった。
「お姉様、遅くなってしまって申し訳ありません」
「私もさっき来たところだから、気にしなくていいわよ。
でも、伊紀が私より後に来るのって珍しいわね」
「実はここに来る途中で、亜羅椰さんと話し込んでしまって……」
それを聞くと、碧乙は血相を変えてソファーから立ち上がった。
「伊紀、今すぐにあなたのCHARMを準備しなさい、B型システムも込みで。私も一緒に出るわ」
「何をなさるおつもりですか、ものすごく嫌な予感がします」
「決まってるでしょ、化け猫退治よ。いくらあの猫娘が化け物じみた強さでも、私のファンタズムと伊紀のインパクタースタイルがあれば確実に勝てる」
「待ってください。リリィ同士の私闘にB型兵装なんて使ったら、間違いなく無期限停学処分になってしまいます。
それに亜羅椰さんとは今の関係を保つことで平和裏に話をつけることができたので、ご心配には及びません」
伊紀が先程のいきさつを一通り説明すると、碧乙はようやく納得してソファーに座り直した。
「うーん、まあそういうことなら当分は様子見でもいいか……」
不承不承という感じで碧乙は亜羅椰のことを一旦考えの外に置いた。
「そう言えば、ロザリンデ様と結梨ちゃんは、昼間はどこで過ごされているんですか?
全然お姿を見かけませんけど。」
「空き時間はガーデンの裏山の超奥深くでビシバシ訓練してると聞いているわ。
ヒュージ警戒区域の真っただ中だから、人に見られる恐れは無いとのことよ」
「まるで鞍馬山の天狗ですね」
「いや、どちらかというとピッコロと悟飯じゃない?」
「そういう特殊な予備知識が必要な例えはお控えください、お姉様」
「で、その訓練メニューを記した冊子をロザリンデ様に見せてもらったんだけど、大体こんな内容だったわ」
伊紀の指摘を特に気にする様子もなく、碧乙は制服のポケットから一枚のメモ用紙を取り出すと、それを伊紀に手渡した。
伊紀が視線を落としてその文面を見ると、次のような事が書かれてあった。
・近接対人格闘時における遮蔽物利用テクニック
・通信途絶時のガーデンへの帰還シーケンス
・食料の現地調達、生水の安全な濾過
・GPS故障時の現在地確認手段
・不整地・傾斜地での野営・ビバーク……等々
「何ですか?これ。ロザリンデ様は結梨ちゃんを防衛軍のレンジャー隊員にでもなさるおつもりですか?」
伊紀は目を丸くして顔を上げ、碧乙の方を見た。
「ロザリンデ様の訓練表にはこの何十倍も項目があったけど、とても書ききれなかったからこれだけしか書いてないけどね。
この内容からすると、ヒュージよりもG.E.H.E.N.A.を相手にすることが主になる可能性を、ロザリンデ様は考えておられるんでしょうね。
それにガーデンの外で不測の事態に巻き込まれた時の対処とかもあるでしょうし」
「確かに私たちのレギオンは対人戦闘メインの部隊ですが、結梨ちゃんの場合はそれ以上の何か尋常ではない環境下で行動することが想定されているようですね」
「その辺のことについては、ロザリンデ様が来られてからお尋ねするようにしましょう。
それはそうと、先日、史房様と祀さんが結梨ちゃんのところに面会に来られていたけど、お二人とも結梨ちゃんに頭を下げて感謝なさっていたわ。
ということは、つまり今、百合ヶ丘のリリィでは実質的に結梨ちゃんが陰のナンバーワンということ……!」
「それは話が飛躍しすぎているのでは……」
「そしてその結梨ちゃんを預かっている立場のロスヴァイセは、陰から院政を敷き、このガーデンの実質的支配者となる……!」
「あの、それってほとんど悪の組織の発想ですよ。
速攻で一柳隊かアールヴヘイムあたりに成敗される展開しか思い浮かびません」
「言われてみると、自分がミネバ様を操るハマーン様みたいに思えてきたわ。
ノインヴェルト戦術で成敗されるのは御免だから、その代わりに祀さんに毎日昼食をおごってもらうくらいで我慢しておくことにするわ」
「私は無性に祀様に同情したくなってきました。とても他人事とは思えません」
伊紀が諦め顔で溜め息をつくと同時に、ミーティングルームのドアが開く音がした。
「お待たせ、いま訓練から戻ったわ」
碧乙と伊紀がそちらに視線を向けると、結梨を背中に背負ったロザリンデが入口に立っていた。