結梨たちが市ヶ谷の防衛軍本部にて、石川精衛から対ヒュージ用ナノマシンの説明を受けた日から数日の後。
鎌倉府の百合ヶ丘女学院で、見慣れない形の物体が校庭の隅を運搬されていくのを、王雨嘉は目撃した。
物体はダークグリーンの帆布で覆われ、正確な形状は不明だが、人の身長を大きく超える横長の何かであることは分かった。
百合ヶ丘女学院の制服を着た二人の生徒が、それぞれに物体の両端を抱えて、いかにも重そうに歩を進めていく。
雨嘉のいる教室からは100メートル以上の距離が離れているため、生徒の顔立ちまでは判別できなかった。
だが、背格好や髪形などから、雨嘉は二人の生徒が誰であるか、すぐに特定できた――彼女のレアスキルである「天の秤目」を使わなくとも。
時刻はまだ始業の一時間近く前、教室の窓辺で雨嘉と並んでその様子を見ていた郭神琳は、興味深げに雨嘉に囁いた。
「シートをかけて中身が見えないようにされていますが、あれは大型のCHARMですね」
「そうなの?」
「はい。おそらく工廠科で開発していた新型CHARMの試作機でしょう。
これから校外へ搬出して、実地検証のための試運転でもするんじゃないですか」
「確かに、あれを運んでいるのはミリアムと百由様だけど、あんな大きいCHARM見たことないよ」
「ですから、私は新型のCHARMと申し上げましたよ、雨嘉さん。
もちろん私も確実な情報を持っているわけではありませんが、百由様ならどんな突飛な機体を開発しても不思議ではないと思いませんか?」
「それはそうだけど……それでも、ちょっと大きすぎるっていうか、長すぎると思う。
あんなの、接近戦じゃ取り回しが悪くて使えないよ」
「その点については雨嘉さんのおっしゃる通りだと思います。
あのCHARMは遠距離での戦闘に特化した機体かもしれません」
「ブレードモードに変形しない、シューティングモード専用の機体……御台場女学校にそんなCHARMを使うリリィがいるって聞いたことはあるけど」
「LGロネスネスの1年生、今村
彼女の使用CHARMであるケラウノスは、ブレードモード無しの3段変形仕様で、短距離での連射、中・遠距離での狙撃、高出力砲の各モードに分離合体できる構造になっています。
つまりケラウノスは全ての状況下において、シューティングモードのみで対応することを想定した射撃特化型の特殊なCHARMであり――」
神琳の話が横道に逸れ始めたので、雨嘉は校庭の隅を運ばれていくCHARMらしき物体に話題を戻すことにした。
「じゃあ、あのCHARMも射撃専用の変形しない機体なの?」
「射撃専用かもしれませんし、そうではないかもしれません。
そもそも、あの厳重に布に覆われた物体が、本当にCHARMなのかどうかも定かではありませんし。
真相を知りたいのなら、ミリアムさんか百由様に直接聞いてみるしかありませんね。
もっとも、開発中の機体について、あのお二人が簡単に話してくれるとは思えませんが」
「そうやって神琳はいつも煙に巻く。
そういうの、あんまりよくないと思う……」
少し恨めしげに雨嘉は神琳を見やったが、神琳はいつものように涼しげな顔で雨嘉に微笑みかけた。
「いつまでもここから見ていると、ミリアムさんと百由様に気づかれてしまうかもしれません。
場所を変えましょう、雨嘉さん。
お主ら、早朝の教室で不埒な行いをしていたのではあるまいな――なんて言われたくありませんからね」
ミリアムの口調を真似て、神琳は左手首の腕時計をちらりと見た。
「そろそろカフェテリアが開く時間です。
そちらでお茶でも飲みながら戦術論の課題を進めましょう」
神琳は雨嘉の手を取って教室を出ていこうと促し、雨嘉はそれに従って踵を返した。
窓辺を離れる際に雨嘉は振り返り、窓の外の遠くを運ばれていくCHARMを今一度見返した。
その時、ミリアムと一緒にCHARMを抱えて運んでいた百由が、こちらに気づいて片目を閉じてウィンクした――ように雨嘉には見えた。
百合ヶ丘女学院から搬出されていく大型のCHARMらしき物体を、雨嘉と神琳が目撃した一週間後、関東平野北部のとある遊水地では、防衛軍の機甲師団が展開を始めていた。
かつて河川増水時の氾濫に備えて造成されたその遊水地には、今は巨大な竜巻のような構造体が聳え立っている。
直径・高さともに100メートルを優に超えるその構造体は、曇天無風の天候下で一種の前衛芸術のモニュメントのごとく、異様な存在感を放っていた。
それはヒュージネストと呼称される構造体で、中心部にはアルトラ級のヒュージが女王蜂のように棲息し、ギガント級以下のヒュージを絶え間無く生み出している。
人類とヒュージの戦いは、アルトラ級を倒すことによるネストの討滅が戦略的な目標となっている。
過去数ヶ月の間に、佐渡ヶ島や由比ヶ浜など幾つかのネストが討滅されており、直近の戦況は人類側がやや優勢で推移していた。
しかし、数年前にそれまでは存在しなかったギガント級が突然に出現したように、全く新種のヒュージがいつ現れないとも限らない。
従って、ヒュージの変異や進化を未然に防ぐためにも、その源となるネストの討滅が、戦略的に最重要の攻略目標であることに変わりは無かった。
そのヒュージネストの南方向から展開する防衛軍の機甲師団は、その大半が戦車のみの部隊であり、随伴歩兵や自走砲などは含まれていなかった。
それは明らかに火力と防御力に重点を置いた編成だったが、防衛軍の陸上戦力の限りを尽くしても、対抗できるのはミドル級までだった。
ラージ級以上のヒュージに対しては、55口径120mm滑腔砲の徹甲弾および成形炸薬弾のいずれも、ラージ級やギガント級の体表面を貫通することはできない。
それゆえ、ネストの討滅に当たっては、真打ちとなるリリィによって複数の外征レギオンを展開し、アルトラ級以下のヒュージに総攻撃を加えるのがセオリーだった。
だが、今日この戦場に展開しているレギオンは、わずか1個部隊に過ぎなかった。
しかも防衛軍の機甲師団の両翼外側に二手に分散しており、通常であればネスト討滅の戦力としては全く不足している状態だった。
その二手に分かれた片方の半個レギオン部隊では、ロザリンデ・フリーデグンデ・オットーと彼女のシルトである石上碧乙が言葉を交わしていた。
「お姉様、防衛軍の戦車部隊は、今回の作戦について事前に説明を受けているんでしょうか?」
「どうかしらね。ナノマシンの開発については、防衛軍の内部でも極秘扱いのはず。
画期的な新兵器を実戦に投入して、大規模な外征レギオンの展開無しにヒュージネスト討滅の戦術を確立する、くらいの説明は作戦前にしてあるかもね」
「戦略的にあまり重要でない僻地のネストを選んで、実戦検証の最初の目標とする……妥当な判断だと思いますよ。
ちょうど周囲は無人の放棄地で、ほとんど人も住んでいない所だから人目につきませんし」
ロザリンデをはじめLGロスヴァイセのリリィ9人と結梨、そして石川葵の計11人は、作戦の責任者である石川精衛から既に内容の説明を受けていた。
この作戦については、ナノマシンの使用によるリリィへの被害を避けるため、投入するリリィの戦力は最小限に留める。
そのために、防衛軍の部隊は陽動として最前線に展開して、ヒュージをネストからおびき出し、あたかも戦車部隊が主戦力であるかのように見せかける。
ラージ級以上が出現した場合は、両翼外側に布陣しているLGロスヴァイセのリリィが攻撃を加え、その動きを足止めする。
ネストから出て来たヒュージを南側に展開する防衛軍の戦車部隊に引きつけ、その隙に反対側のネスト北側から、本命の攻撃部隊のリリィが突入する。
その本命の攻撃部隊とは、つまり――
「できるだけ少人数での攻撃が望ましいとはいえ、あの三人で大丈夫でしょうかね?」
「三人とも実力については心配無用ね。
むしろこちら側で防衛軍に死傷者を出さないように、私たちが援護する方が骨が折れるかもしれないわね」
「ごもっともです。
それにしても、作戦の秘匿性がらみで私たち特務レギオンにお呼びがかかるのは分かるとして、石川司令の御息女が参加しているのは理由があるんでしょうか?」
「対ヒュージ用ナノマシンは一歩間違えると、リリィの能力喪失という決定的な被害を与えてしまうものよ。
だから運用にあたっては細心の注意を払うとともに、私たちから信頼を得るために葵さんをこの作戦メンバーに加えたんじゃないかしら」
「それはまあ、私たちだって、もしナノマシンが体内に入ってしまったらリリィ廃業ですからね。
危険な作戦に自分の娘を赴かせることで、同じ戦場にいるリリィの信用を得る――なかなか気苦労の多そうな立場ですね、石川司令官は」
碧乙は肩をすくめておどけた仕草をし、葵たち三人が布陣しているであろうネストの向こう側を仰ぎ見た。
防衛軍とLGロスヴァイセが展開しているネスト南側と反対の北側では、北河原伊紀、石川葵、一柳結梨の三人のリリィが岩陰から様子を窺っていた。
周囲は開けた平野で、背の高い雑草の間に幾つもの巨岩が転がり、それらを遮蔽物として三人は身を隠していた。
ヒュージネストまでの距離は約1000メートル、予定通りなら間もなく反対側に布陣している防衛軍の戦車部隊がネストに砲撃を開始する時間だった。
やがて遠くから、風に乗って重く破裂するような砲撃音が響いてきた。
「始まったわね。
せいぜいネストからヒュージを一匹でも多くおびき出してもらわないと」
岩陰からわずかに顔を出して前方を見ている葵がつぶやいた。
「お父さん、じゃなかった、石川指令から通信が入ったらネストへ向けて前進。
ネストの周りに残っているヒュージがいたら、それらを掃討しつつ予定された距離までネストに接近。
ネスト中心部へのフィニッシュショットはゆりが撃つ、その馬鹿でかいCHARMで」
「うん、わかってる。このCHARMで、あのネストをやっつける」
エインヘリャルを装備した結梨は、足元に全長3メートル弱の大型CHARMを横たえていた。
それはかつて百合ヶ丘女学院で1機のみ試作された高出力砲をベースにした機体であり、一週間前に雨嘉が教室の窓から目撃した物体の正体だった。
その大型CHARMは機体全体を高出力砲より小型化した上で、外部電源不要の実体弾仕様とし、砲撃に特化した大口径CHARMとして全面的に再設計されていた。
「ところで、まだ聞いてなかったけど、そのCHARMは何ていう名前なの?」
葵に尋ねられた結梨は、そう言えばまだ聞いていなかったと、伊紀の方を振り返った。
「えっと、何だっけ?伊紀」
「正式な機種名はまだ決まっていません。
碧乙様は勝手にⅤ2アサルトバスターキャノンと呼んでいましたが」
「ぶいつーあさるとばすたーきゃのん……かっこいい名前」
目を輝かせる結梨とは対照的に、葵はやや不服そうな表情だった。
「長いわね」
「はい、ですから私は単にバスターキャノンと呼んでます」
「縮めてみたところで全然CHARMっぽいネーミングじゃないわね。
アサルトバスターはともかく、Ⅴ2って何の意味があるの?」
「おそらく碧乙様は昔のアニメか漫画作品を元ネタに……」
「何ですって?」
「いえ、何でもありません。気にしないでください」
思わず聞きとがめた葵に、伊紀は慌てて手を振った。
小型化したとはいえ、機体の全長は2メートルを優に超え、3メートルに迫るものだ。
結梨はエインヘリャルを装備した上に、更に自分の身長の2倍近い長さの大口径CHARMを携えてネストに攻撃を仕掛けるのだ。
「もうすぐ連絡が来るかな……CHARMを再起動しなきゃ」
結梨は再起動してマギを通した大口径CHARMを持ち上げようとした。
その姿を見た葵が、伊紀に問いただす。
「ちょっと待ってよ。
ゆりの腰の周りに四つか五つ装備してるユニットもCHARMでしょ?
ゆりは二種類のCHARMを同時に使えるの?」
「使えるみたいですね」
「みたいですね……って、簡単に言ってくれるわね。
それって『円環の御手』が使えるってことよ。
しかもこんな特殊極まりないCHARMを、2機も同時になんて」
「ゆりちゃんは特別なリリィですから。
私たちにはできないことが当たり前にできるんです」
胸を張って自慢げに言う伊紀だったが、葵はまだ目の前の現実に面食らっていた。
「本当に簡単に言うのね。
以前のルド女の指令室捜索の件といい、お父さんがゆりに声をかける理由がよく分かったわ」
あきれた様子で葵が腰に手を当てた時、ポケットの中の通信端末が振動を始めた。
葵はすぐに端末を取り出して、司令部からの命令を受信する。
ごく短いやり取りで葵は回線を閉じ、結梨と伊紀の方を見て決然と言った。
「これより目標のヒュージネスト本体に攻撃を仕掛けるわ。
二人とも、用意はいいわね」
結梨と伊紀が頷いたのを見るや否や、葵は先陣を切って岩陰から飛び出し、前方のヒュージネストへ向かって疾走を始めた。