離れの武器庫からCHARMを取り出した結梨と咲朱は、敷地の中の広大な庭に移動した。
庭は全体として日本庭園の趣を醸し出していたが、よく観察すると、それは戦闘訓練に適するように樹木や庭石が遮蔽物として各所に配置されていた。
日頃は咲朱と琴陽が、この数百坪はありそうな庭を訓練の場として使っていることが窺われた。
太陽は既に西に傾き始め、黄色味を帯びた午後の日差しが周囲を照らしている。
結梨と咲朱は十メートル程の距離を置いて対峙している。
結梨の手には借り物のトリグラフ、咲朱の手には手慣れたティルフィングR型がそれぞれ握られている。
リリィとしての強さによって自らの希望を通さんがため、今から二人は手合わせならぬ果し合い――すなわち私情による決闘を始めようとしていた。
両者の中間に審判として立つ琴陽は、興奮を表情に出さぬよう抑えつつ、状況を改めて説明する。
「ガーデンや戦場など、公の場でリリィ同士が戦えば、それは重大な処分の対象になります。
ですが、ここは白井建設の所有する私有地。
中で何が行われようとも、それが犯罪行為でない限りはお咎め無しです」
「刑法には決闘罪というものが存在するはずだけど、それには該当しないのかしら」
「該当すると思います」
咲朱の指摘を琴陽はあっさりと認めたが、すぐに説明を補足した。
「ですが、お二人は単なるリリィではなく、その力の強大さゆえに超法規的措置の対象になりうる存在です。
仮に今から行われる戦いが官憲の知るところとなっても、必ず政治的・軍事的な方面から圧力がかかり、決闘罪は適用されないでしょう。
ですから、咲朱様も結梨さんも、気兼ねなく全力で戦っていただくことができます」
琴陽は元ルドビコ女学院の風紀委員とは思えない発言をしたが、当人は至って涼しい顔で二人に決闘開始前の確認をする。
「お二人とも、何か先に言っておくことがありましたら、どうぞご発言をお願いします」
先に発言したのは咲朱の方だった。
分離させたトリグラフを両手に持って立つ結梨に、咲朱は宣言するかのように言葉を告げる。
「決闘の結果、私が勝ったらあなたは防衛軍の計画には今後関わらない。
あなたが勝ったら私は防衛軍の計画を妨害しない、もちろんあなたの行動にも干渉しない……で間違いないかしら」
結梨は咲朱の顔を見つめたまま、こくりと頷いた。
「うん、それでいい。
戦い方は射撃なしの斬撃だけ。レアスキルは……」
結梨が口ごもると、咲朱は余裕の態度で無制限のレアスキル使用を認めた。
「二つでも三つでも、それ以上でも、好きなだけ使っていいわよ。
この決闘は、結果次第で世界の未来に決定的な影響を与える。
だから、お互いに手加減なしの全力で勝負しましょう」
「分かった。もし咲朱を傷つけてちゃったらごめん」
「この私に攻撃を当てるつもりでいるなんて、随分と自信をつけたみたいね」
「一柳隊と咲朱が戦った時、最後に梨璃が咲朱に一撃を当てたって……」
それを聞いた咲朱の美しい顔が屈辱に歪む。
「あの時の私はどうかしていた。
あのリリィの力を侮っていたのか……カリスマ、いえラプラスの力を。
――違う、私があんな小娘に後れを取る筈は無い。
次に会った時には、二度と私に歯向かう気が起きないよう、私の力を完膚無きまでに思い知らせてあげるわ」
「梨璃には手を出さないで。
私が勝ったら、梨璃に関わらないって約束して」
だが、咲朱はその点に関しては、結梨の要求を受け入れる意志は持ち合わせていなかった。
「残念ながら、この決闘での約束は防衛軍の計画に関する事だけ。
それ以外の事は、また別の戦いで話をつけましょう」
これ以上の話は無用とばかりに、咲朱はティルフィングを構え直した。
それに応じて、結梨も両手に持ったトリグラフを中段の位置に構えて、体勢を幾分低くする。
両者が臨戦態勢に入ったことを悟った琴陽は、二人の間合いから離れるべく無言で後退した。
決闘開始の合図は必要無いと言わんばかりに、咲朱は結梨に先制攻撃を求めた。
「好きなタイミングで仕掛けていいわ。
遠慮せずに私を殺すつもりで攻撃しなさい。
手加減して勝てるほど私は甘くないわよ」
そう咲朱が言い終わった刹那、結梨の姿は咲朱の視界から消えた。
一瞬の間も置かず結梨の姿は咲朱の背後に現れ、その背中にトリグラフの刃を振り下ろす。
だが、その第一撃を咲朱は難無く正面で受け止めた。
体捌きによって身体を反転させたのではなく、縮地によって、その場で瞬時に身体の向きを入れ替えたのだ。
「躊躇無く背後から攻撃するなんて、それでこそ特務レギオン預かりだった甲斐があったというものね。
勝つために戦法を選ばない戦い方、両手にそれぞれ携えた得物……宮本武蔵の五輪書でも教科書にしたの?」
冗談めかして言う咲朱だったが、結梨は文字通りの真剣勝負で、持てる力の全てを出し切らないと咲朱には対抗できないと覚悟していた。
「私は私の全力で咲朱に勝つ。
ヒュージのいない世界をつくるために」
咲朱がリジェネレーターのブーステッドスキルを持っていることを、結梨は情報として知っていた。
一柳隊との戦いで梨璃から腹部に一撃を受けた咲朱は、その後すぐに傷を回復させて戦場から去って行ったと。
攻撃が当たっても咲朱を死なせることは無い――その確信が、結梨の躊躇無き攻撃の後ろ盾となっていた。
結梨は攻撃を受け止められた後も動きを止めず、縮地を連続して発動し、更にゼノンパラドキサS級も同時に使用して咲朱に連撃を浴びせた。
その攻撃の悉くを咲朱は受け流し、あるいは回避して反撃の隙を窺う。
「今、私がどんな気持ちか分かる?結梨」
「分からない。私には咲朱の気持ちは分からない。
ヒュージを従えて、力でみんなを支配しようなんて」
「今の私はあなたにとても共感しているわ。
それが何故だか分かる?」
「分からない。咲朱と私が目指してるものは違う」
「目的は違っても手段は同じ。
あなたも私と同じく、言葉ではなく力によって、自らの望みを叶えようとしているからよ」
「私の力はヒュージと戦うためのもの。
リリィと戦うための力じゃない。
咲朱とだって戦いたくない」
「世界からヒュージがいなくなれば、人間同士で戦争する時代へと逆戻りするだけ。
当然、リリィも決定的な戦力として戦場に投入されるでしょう」
「私はリリィ同士で戦うなんてしたくない」
「この状況でそれを言うの?
この戦いを挑んできたのはあなたの方よ」
「咲朱が私の言うことを聞いてくれないから……」
「私には私の正義があるわ。
私たちはお互いに、それぞれの理想と正義に基づいて生きようとしている。
言葉で相手を説得できなければ、力の優劣こそが勝者を決める。
実にシンプルで分かりやすい方法だと思うわ」
結梨の攻撃を見切った咲朱は防御から攻撃に転じ、双方の攻防が入れ替わった。
結梨はゼノンパラドキサS級の能力で、咲朱の攻撃を紙一重で避け続ける。
ティルフィングの切っ先が結梨の身体の至る所を掠め、一撃ごとに服に小さな裂け目が刻まれていく。
しかし、結梨の動きは恐るべき精妙さでコントロールされ、咲朱の攻撃は結梨の身体そのものに命中することは無かった。
その間にも、咲朱は結梨に己の信条を言葉で投げ続ける。
「世界から全てのヒュージを滅ぼしたとしても、その先に待っているのは人間同士の戦争よ。
ヒュージに殺されていた人間が、同じ人間に殺される世界へと変わるだけ。
それよりもヒュージを道具として使い、社会の統治に利用する方が賢明な選択だと思わない?」
「思わない。
ヒュージの姫だけが世界を自分たちの好きなようにできるなんて、おかしいよ」
「マギとヒュージの出現は世界の運命だった。
そして、ヒュージの姫はその運命に選ばれた存在。
人類にとっての天敵であるヒュージですら、ヒュージの姫には下僕も同然。
世界の運命から与えられた力で世界を変え、自らの理想を実現する。
これこそ世界の意志そのものだと私は思うわ」
咲朱の言説は留まるところを知らず、尚も結梨に浴びせ続けられる。
「マギとヒュージの両方を操れるヒュージの姫こそが、運命に選ばれた存在。
そして私はヒュージの姫の頂点に君臨するリリィ。
私の邪魔をすることは、世界の運命に背くこと。
世界はヒュージの姫を盟主とし、ヒュージをコントロールすることによって秩序を維持する。
ヒュージの姫は人類の上位種として、人類を超越した存在として、ヒュージ出現後の世界における生態系の玉座に収まるのよ。
それを全部ご破算にして元の木阿弥なんて、そんな愚行を認めるわけにはいかないわ」
咲朱の一撃を正面から受けて止めて、結梨の身体は大きく体勢を崩して傾いた。
咲朱はそれを見逃さず容赦の無い追撃を繰り出し、ティルフィングの長い刀身が結梨の身体に迫る。
だが、結梨はすぐさま縮地で十数メートル後方へ瞬間移動し、咲朱との間合いを取って息を整える。
半ば苦し紛れに結梨は咲朱に尋ねた。
「咲朱はG.E.H.E.N.A.と協力してるの?」
「いいえ。でも、G.E.H.E.N.A.は実験体のヒュージを次々と絶え間なく開発し続けている。
それは結果として、私の手足として使役できるヒュージが増えていくことになる。
私にとってはこの上なく好都合な状況だから、G.E.H.E.N.A.にはこのままヒュージの研究に邁進してほしいのよ」
「でも、G.E.H.E.N.A.の実験でたくさんのリリィが傷ついて、中には死んでしまうリリィだっている。
そんなことは私たちの力で終わらせないといけない」
「さっきも言ったように、ヒュージとマギは世界の運命が生み出した存在よ。
人類はその運命に抗い、マギの力を利用してヒュージに対抗してきた。
ギガント級が出現した時は、ノインヴェルト戦術を編み出すことによって対抗できたわ。
でも、複数回のノインヴェルト戦術が全く通じないヒュージが現れた時、リリィはそのヒュージに対抗できるかしら?
ヒュージの進化と種の固定が次第に進みつつあることは、東京エリアを中心に各地で確認されているわ。
一方、各ガーデンは自分たちの国定守備範囲を防衛することに汲々として、ヒュージが支配する地域の解放へ投入できる戦力は以前より限定されている。
今のままでは、ヒュージの進化にレギオンの戦術が対応できなくなる日が、いずれ訪れる。
その時、ヒュージの姫の力が無ければ人類は生き残れず、ヒュージに滅ぼされるでしょう」
「そんなことは……」
結梨は咲朱の言葉を何とか否定しようとしたが、咲朱は最早聞く耳を持っていないようだった。
「結梨、あなたはヒュージの姫ではないけれど、ネストのマギを自分のものとして操り、ヒュージの姫と同じく、ヒュージの跋扈する世界に適応した新しい人類。
だから、人造リリィであるあなたとヒュージの姫は共存できると、私は思っているわ」
「私はヒュージがいる世界より、ヒュージのいない世界で生きたい」
「進化がもたらす生存競争と淘汰こそが生物の本質。
ホモサピエンスが旧人に取って代わったように、人もまたその摂理から逃れることはできないわ。
あなたはヒュージと戦って生き残るために生み出された人造リリィ。
その事実を認めず、力無き現生人類と馴れ合うような、愚かな選択をするべきではないわ」
「世界からヒュージがいなくなったら、リリィの力は必要なくなる。
リリィもリリィじゃない人も、みんな同じになる」
両者の主張はいつまでも交わらず、業を煮やした咲朱は妖艶な微笑を浮かべて結梨を見た。
「――今、素敵な考えを思いついたわ」
「えっ?」
「夢結の代わりにあなたを私と同じにするのもいいかも、って」
「私を、夢結の代わりに……」
結梨が咲朱の言葉の意味を解釈するより早く、咲朱はティルフィングを構えて結梨の胸に狙いを定めた。
「大丈夫、即死しないように急所は外してあげるから」
「……」
「私を蘇らせたラボに連絡すれば、すぐに迎えをよこすでしょう」
咲朱の頭の中で目まぐるしく段取りが組まれていくのが、結梨には見て取れた。
「死亡確認後の蘇生が成功すれば、あなたもヒュージを操れるようになるし、あらゆるブーステッドスキルも付与できる。
施術の結果次第では、不老不死のヒュージの姫として生まれ変われるかもしれない」
「ヒュージの姫になんかなりたくない。
私は人だから、他の何にもなりたくない」
咲朱は結梨の言葉に耳を貸さず、瞬時に距離を詰めて結梨に襲い掛かった。
咲朱の攻撃は一段と激しさを増し、結梨は防戦一方に追い込まれた。
それだけではなく、咲朱の太刀筋には、それまでは無かった明確な殺意が込められていた。
一度死んだリリィをヒュージの姫として蘇らせる、その有言実行を体現すべく、咲朱は自分を殺す決意を固めた――そう悟った結梨は、持てる力の全てを一度に解放する決断をした。
その場合、マギを使い果たすまでの時間はごく僅か。
だから、次の一撃に全てを賭けなければならない。
結梨はゼノンパラドキサS級とフェイズトランセンデンスS級を同時に発動し、分離させた二刀のトリグラフで同時に、かつそれぞれが別々の軌道で咲朱に斬りかかった。
二種類のレアスキルの同時発動によって、結梨のトリグラフは限界を超えて加速した。
その速度は音速の数十倍に達し、周囲のマギインテンシティとの相乗効果により、多重次元屈折現象を発生させた。
二つに分離したトリグラフから、四つの異なる太刀筋が上下左右から咲朱に殺到する。
それらの斬撃のタイミングは完璧に同一であり、時空の歪みによって通常ではありえない攻撃となって咲朱の身体に襲い掛かった。
「――っ!」
結梨が同時に繰り出した四つの太刀筋を見極めるため、咲朱はこの世の理S級を発動する。
更に重力操作のブーステッドスキルを極限まで解放し、極小時間のみ存在するマイクロブラックホールをトリグラフの予測軌道上に出現させた。
これらのレアスキルとブーステッドスキルの複合使用は、結梨の太刀筋の軌道を、事象の地平面において捻じ曲げることを目的としていた。
これによって咲朱は結梨の必殺の斬撃を受け流し、マギを使い果たした結梨を返す一撃で仕留めんとした。
両者の解放したマギは臨界点を遥かに超え、それぞれのCHARMがぶつかり合った瞬間、異常な量の蒼白い光が溢れ出て周囲を埋め尽くした。
結梨と咲朱を中心として、薄暮の周辺一帯が白昼の何十倍もの明るさで照らし出される。
両者の戦いを十メートル程の距離で見守っていた琴陽は、その余りの眩しさに視界が漂白されて何も見えなくなった。
(何かが爆発したのではないようです……爆風も爆発音も破片の飛散も無い……マギの純粋な反応によるこれほどの発光……こんな現象は経験したことがありません)
膨大な光の奔流のみが空間を支配し、琴陽はその渦中にいるであろう結梨と咲朱の安否を確認することなど到底不可能だった。
ようやく数十秒後に琴陽の視界が回復し、彼女の両目が開かれた時、その視界には誰の姿も捉えることはできなかった。
「……一体、何が……お二人は……」
目の前の地面には、著しく損傷しマギクリスタルコアの砕け散ったティルフィングとトリグラフが転がっている――それだけが琴陽が目にした戦いの痕跡だった。