エレンスゲ女学園の高島八雲校長が、百合ヶ丘女学院に連絡を入れた時刻から遡ること約一時間。
エレンスゲの序列2位レギオンであるLGクエレブレは、二手に分かれてガーデンから約1キロメートル離れた有栖川宮記念公園の中を捜索していた。
隊長である松村優珂は副隊長の牧野美岳とともに公園の北側に、そして1年生の賀川蒔菜と森本結爾は南側に展開している。
「緊急の出動命令なんて珍しくないけど、ヒュージの出現じゃなくて捜索・探索の任務とはね」
日は既に沈み、樹木が生い茂る広い公園の中は、夜の闇に覆われつつある。
美岳は池の上に架けられた古い石橋の上から周囲を注意深く見まわし、少し離れた所にいた優珂に話しかけた。
「しかも任務の詳細については説明なし。
現地で何らかの異状が認められた場合は、即座に報告するようにとの達しだった」
美岳から十メートルほど離れた池の岸辺に立っていた優珂は、視線を木々の間に向けたまま美岳に答える。
「命令は教導官からではなく校長の直命でした。
つまり、私たち以外にはこの件に関して情報を知らせたくないということです」
「つい先日も、西村教頭が更迭されたばかりだからな。
他にも良からぬ事を企てている輩が、エレンスゲに潜んでいないとも限らない。
だから迂闊に情報を出すことは極力避けたいのだろう」
「ひょっとしたら、校長自身も状況を把握できていないんじゃないですか?」
「それはまだ何とも言えないな。
……ここから見える範囲では特に変わったことは無さそうだ。
もう少し先へ行ってみよう」
美岳と優珂は用心深く歩を進め、御料池から梅林へと移動を始めた。
数分歩いたところで、二人は道の先に一つの人影を目敏く見とがめた。
警戒感を露わにして、美岳が女性と思しき人影に声を掛ける。
「そこの女、その場を動くな。
少し尋ねたいことがある。
ここで何をしていた?」
夜の公園で女の一人歩きとは、いかにも不用心だが、普段ならリリィが誰何するほどの事でもない。
だが、今の自分たちは校長から直々に命令を受けて、この一帯を探索している。
目の前に立つ女性が「異状」な何かである可能性は否定できない。
黒いドレスのような服を着た長身の女性は、ゆっくりと優珂と美岳の方を振り返った。
「それはこっちが尋ねたいわ。
気がついたら、こんな何処とも知れない公園の中にいて――」
女性の顔を見た優珂と美岳の表情が凍りつく。
その顔は、以前LGクエレブレが護衛していた移送列車を襲撃したリリィと同じものだった。
まっすぐな長い黒髪と鍛え抜かれて均整の取れた身体、そして何よりも野心と自信に満ち溢れた鋭い眼光を忘れようはずもない。
「……なぜお前がここにいる、『御前』」
美岳は猫が全身の毛を逆立てるようにティルフィングを正面に構えた。
『御前』はいかにも詰まらなさそうに美岳の顔を見て、こう言った。
「だから、それは私の方が聞きたいって言ってるじゃない。
あの時、互いのCHARMがぶつかり合った瞬間に光が溢れ出て、次の瞬間には周りの景色が一変していたのだから」
「『あの時』って何よ。
詳しく話を聞かせてもらうから、私たちとガーデンまで同行してもらうわよ」
美岳と同じく優珂もマルテを構えて『御前』に詰め寄ろうとした。
『御前』はその手にCHARMを持っておらず、丸腰の状態だった。
対して、優珂と美岳はリリィとして完全武装の状態にある。
今、高島校長に連絡を入れている余裕は無い。
悠長に電話などしていたら、目の前にいる『御前』に逃亡される隙を与えることになるからだ。
優珂と美岳はじりじりと『御前』との間合いを縮め、彼女の退路を断とうとする。
「二人がかりで徒手空拳の私を捕らえようと?
どうぞ、やってみなさい。
ヒュージの姫でもないただの強化リリィが、私に敵うとは思わないけど」
「……減らず口を叩く。
今度こそあんたをとっ捕まえて、洗いざらい正体を白状してもらうわ」
優珂は言い終えると同時に、美岳とタイミングを合わせて『御前』に斬りかかった。
同刻、公園の南側では1年生の賀川蒔菜と森本結爾が、草むらに倒れていた一人の少女を発見していた。
「おーい、生きてる?
……呼吸と脈拍は正常。気を失ってるだけか」
「ヒュージに襲われたんでしょうか。
着ている服があちこち切り裂かれてボロボロですね」
「でも、身体には傷が一つもついてない。
仕掛けられた攻撃を全て紙一重で躱してる。
それに、この服の裂け方はヒュージの攻撃でできたものじゃない」
「よく見ると、確かにCHARMで攻撃されたようですね」
結爾は意識を失っている少女の右手を見た。
その中指には見慣れた指輪が嵌められている。
「この子はリリィですね。
私服を着ていることから、休暇中に戦闘に巻き込まれた……というよりは何者かに襲われたと考えるのが妥当でしょう」
蒔菜はリリィの少女を抱き起しながら、結爾に答える。
「その場合、襲撃者は一般人じゃないね。
別のリリィに襲われたか、もしくはリリィ同士で戦闘になった。
――まるで先日の私たちとヘルヴォルのように」
蒔菜の言葉を聞いた結爾は、苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「ろくでもない事を思い出させないでください。
とはいえ、他のガーデンでリリィ同士が戦うなんて、寡聞にして存じませんが」
「他所のガーデンがどんなお家事情を抱えているかなんて、外側からは分からない。
事実、ルド女はガーデンの体制が維持できなくなるほどの大規模な事態に発展して、その結果ガーデンは崩壊した。
御台場女学校だって、G.E.H.E.N.A.の関係者が教職員として入り込んで、色々と掻き回したそうじゃないか」
「それらの事件がどれもG.E.H.E.N.A.絡みというのが、何とも頭の痛いところです」
「まあ、あたしらはG.E.H.E.N.A.の兵隊じゃなくて、あくまでエレンスゲ女学園のリリィであり、もっと言えば高島校長という個人の腹心でもある。
あの人の本当の望みは、もしかすると――」
「それ以上は止めましょう。
校長のお考えは私たちが詮索すべきことではありません」
すかさず結爾が釘を刺すと、蒔菜は苦笑いして肩をすくめて見せた。
「そりゃそうか。
校長には校長なりの深謀遠慮があって、あたしたちにあれこれ指示を出してるわけだからね」
蒔菜はリリィの少女を背負うと、器用に自分の胸元のポケットから通信端末を取り出した。
「まず隊長に連絡しないとね。
……あれ?優珂、電話に出ないな」
通信端末の小さな画面を見て蒔菜が訝しむ。
「何らかの理由で電話に出られない状況なのかもしれません。
直接このリリィを連れて隊長の所へ向かいますか?」
「いや、先に校長に連絡して指示を仰ぐ。
優珂と美岳先輩の確認はその後」
蒔菜はそう言うと、高島校長の直通番号を端末から発信し、今度はすぐに回線が繋がった。
「LGクエレブレの賀川蒔菜と森本結爾です。
探索対象の場所で意識不明のリリィ一名を発見しました。
CHARMは持っておらず、何者かに攻撃を受けたような衣服の損傷が多数あります。
また、別行動の松村優珂隊長、牧野美岳様とは連絡が取れない状態です。
この後の行動について指示を願います」
短いやり取りの後、蒔菜は通話を終えて結爾を見た。
「すぐにこのリリィを保護してエレンスゲに戻るように、だって」
「優珂さんと美岳様はどうするんですか?」
「このリリィの保護が最優先、二人の状況については引き続き、通信による連絡を試みるようにと――」
蒔菜がポケットに戻した端末が振動を始め、着信を知らせた。
結爾が蒔菜の胸元のポケットから端末を取り出し、電話に出ると優珂の声が耳元に飛び込んできた。
「蒔菜、今どこにいるの?
こっちには絶対に来ないで。
できるだけ目立たない経路を通って、この公園から今すぐ離脱しなさい」
「優珂さんですか?結爾です。
そちらの状況を――」
「以前に移送列車を襲った『御前』というリリィがいたのよ。
美岳先輩と二人で捕らえようとしたけど、金縛りみたいな妙な技を使ってきて、まんまと逃げられてしまった」
苦々し気な優珂の様子が電話越しに伝わってきたが、二人とも無事であることが分かって結爾は安堵の息をついた。
「私たちは意識不明のリリィ一人を発見しました。
何者かに襲われたか、交戦したものと思われます。
校長先生からは、このリリィを保護して、エレンスゲに戻るように指示を受けました」
「すぐにそうして。
この公園に留まっていると『御前』と鉢合わせする可能性があるから、私たちのいる北側とは反対方向へ離脱して」
「分かりました。直ちに移動を開始します」
「私たちは『御前』の逃走経路を追跡するわ。
エレンスゲに戻ったらクエレブレの控室で会いましょう」
優珂との通話を終えた結爾は、リリィを背負った蒔菜のポケットに端末を戻して耳元で囁く。
「例のヤバいリリィが現れたそうです。
私たちは一刻も早くこの場を離れて、エレンスゲに戻りましょう」
「それが良さそうね。
ここから出口までは50メートルちょっとだから、さっさと見通しのいい道路に出てガーデンに撤収っと」
結爾のファンタズムで行く手に危険が無いかを確認し、二人は一目散に六本木のエレンスゲ女学園へと戻るべく、公園を後にした。
結梨が目を覚ました時、最初に視界に入ったのは見知らぬ白い天井だった。
以前にも、目覚めた時に白い天井を見た記憶があるが、それは百合ヶ丘女学院の病室で、今の自分が見ている天井とは異なるものだった。
(ここ、百合ヶ丘じゃない……私、どこにいるの?)
百合ヶ丘の病室で目覚めた時と同じく、身体はまともに動かせない。
結梨の身体は窓の無い個室のベッドに横たわっていたが、力が入らず身体を起こすことはできそうになかった。
(身体の中のマギが無くなってる。咲朱と勝負した時にマギを全部使っちゃったから)
首や手を動かす程度はできたので、結梨は枕元に置かれているナースコールのようなボタンを押してみた。
一分ほどが経過した頃、病室のドアが開かれてスーツ姿の女性が姿を現した。
白衣を着ていないので医師でないことは明らかだったが、教導官というよりは理事長然とした堂々たる雰囲気を漂わせている。
女性は落ち着いた態度で結梨の顔を見ると、肩の荷が一つ下りたように僅かに微笑んだ。
「お目覚めのようね。気分はいかがかしら?」
「……ここ、どこなの?」
結梨の質問に、女性は軽く咳払いをして説明する。
「ここは六本木にあるエレンスゲ女学園の関連施設です。
あなたはここから1キロメートルほど離れた公園の中で、気を失って倒れていたの。
その場にいたエレンスゲのリリィがあなたを発見・保護して、ここへ運び込んだ……これで納得してもらえたかしら」
「……あなたは誰?」
目の前の女性を信用してよいものかどうか迷っている結梨は、質問をもう一つ重ねた。
その質問を待っていたかのように、女性は結梨の目を興味深げに見つめて答えた。
「私はエレンスゲ女学園で校長を務めている高島八雲です。
ようこそエレンスゲへ、『北河原ゆり』さん」