エレンスゲ女学園の付属ラボでの数日間の休養を経て、結梨は本来の所属ガーデンである百合ヶ丘女学院に無事戻ることができた。
当初、エレンスゲの高島八雲校長から『北河原ゆり』を「保護」した旨の連絡を受けた百合ヶ丘では、結梨を人質として何らかの取引や交渉を迫られるのではないかとの懸念を抱いていた。
だが、その心配は杞憂だった。
高島校長が必要と認めた数日間の休養期間の後、結梨の身柄は鎌倉府との国定守備範囲境界付近で、百合ヶ丘から出向いた出江史房と秦祀によって引き取られた。
その時の結梨の様子は健康そのもので、数日前に『御前』と一対一の戦いをしてマギを使い果たしたとは思えない回復ぶりだった。
ただ一点、その戦いで着ていた服がひどく傷つけられたため、結梨はエレンスゲの制服を着ていた――その姿を見た二人の生徒会長は、複雑な表情をその顔に浮かべた。
とかく良からぬ噂の絶えないエレンスゲから、史房と祀は一刻も早く結梨を取り戻したかった。
結梨に同行していたエレンスゲの女性教導官に対して、二人はごく形式的に礼を述べ、祀が結梨の身体を自分の後ろに隠すようにして引き取った。
一方のエレンスゲの教導官も高島校長から指示を受けていたのか、余計な事は一言も口にしなかった。
教導官は必要最低限の伝達事項だけを事務的に述べ、結梨を史房と祀に預けると、すぐにその場を立ち去ってエレンスゲに戻っていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、祀は結梨を庇うように立ちつつ、周囲の警戒を怠らなかった。
(これまでの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの動向を見れば、気を抜くことなんて絶対にできない。
今は何もしていなくても、次の瞬間には態度を豹変させるかもしれないもの。
結梨ちゃんを人質に取られたり、エレンスゲの内部抗争に巻き込まれるなんてことになったら、救出のために特務レギオンを出撃させるかもしれなかったのだから)
高島校長と対面で会話した結梨と違って、祀と史房は高島校長の人格や思惑までは知る由も無い。
ルド女の旧体制が事実上崩壊した今、東京エリアにおいて、エレンスゲ女学園は過激派寄りの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン筆頭となっている。
そのエレンスゲに対して、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの雄たる百合ヶ丘女学院が、最大限の警戒を払わねばならないのは当然だった。
「そんなに悪い人には見えなかった」という結梨の言葉に対しても、日々ガーデン内外の権謀術数に頭を悩ませている史房や祀には、容易に信じられるものではなかった。
「結梨ちゃんはまだ子どもだから、人を疑うことを知らないのよ。
エレンスゲの高島校長だって、ひょっとしたら、とんでもない腹黒校長かもしれないわ。
そうね……さしずめ結梨ちゃんを懐柔しておいて、いざという時は自分の味方として戦力にする腹積もりかも」
「祀さんが言うと説得力があるわね」
史房は軽口のつもりで言ったが、果たして祀は図星を指されたのかどうか、いかにも不本意だとばかりに渋面を作って抗議した。
「史房様、こんな時に冗談はお止めください。
私は無闇矢鱈に敵を作りたいわけではなくて、行きがかり上どうしても、そのような状況になってしまうことがあるだけで……」
「あなたとLGエイルの事情は私も理解しているわ。
でも、百合ヶ丘のレギオン間で派閥争いをしていては、G.E.H.E.N.A.に付け込まれる隙を作ってしまう恐れもある。
自分たちの勢力拡大をあまりに優先して希求するのは、褒められたものではないわね」
最上級生の生徒会長として史房は祀に釘を刺した後、百合ヶ丘のガーデンへ戻るよう祀と結梨に促した。
「今は学内政治の話などしている時ではないわ。
早く百合ヶ丘へ戻って、確認や報告をしなければいけないことが山ほどあるから。
結梨さん、夢結さんのお姉さんとのことや、エレンスゲでのこと、詳しく聞かせてもらうわよ」
「うん。私もこれからどうしたらいいか、みんなに話して相談したい」
百合ヶ丘女学院に戻るまで、結梨は両脇を史房と祀に守られて、あれこれと今までの出来事を二人に説明したのだった。
約一時間後、無事に百合ヶ丘女学院に戻った結梨には、最初に入念なメディカルチェックを受けるように指示が出された。
『御前』である白井咲朱との戦いによる心身への影響、その後に続く空間座標の転移、更にはエレンスゲ女学園の付属ラボでの「休養」。
それらのいずれか、あるいは全てが、結梨の心と体に何らかの変化を及ぼしているか否か。
それを確認することが、百合ヶ丘のガーデンとして為すべき最優先の事項だった。
数日間に渡って、結梨の心身の状態について徹底的なメディカルチェックが実施された。
その結果、身体及び精神の健康状態は問題なし、外科的な施術及び投薬の痕跡も確認されなかった。
また、結梨本人の証言によれば、現在のG.E.H.E.N.A.は結梨に対して、原則として不干渉の方針を取っている。
このことからも、エレンスゲのガーデンは結梨を実験材料あるいは政争の具とすることなく、いわば厄介事を抱え込まぬよう身柄を解放した――そう百合ヶ丘のガーデンは判断した。
心身の無事が確認された結梨は、再び東京の御台場女学校へ戻り、LGコーストガード預かりのリリィとして、ガーデン防衛の通常任務を再開した。
それと並行して、百合ヶ丘女学院から強化リリィ救出の要請が入れば、LGロスヴァイセのリリィとともに作戦に随時加わり、各地のG.E.H.E.N.A.ラボに囚われている強化リリィを次々と助け出していった。
無論、防衛軍が進めているマギ代謝阻害ナノマシンによる新戦術の計画についても、結梨の作戦参加の方針に変更は無かった。
だが、防衛軍内部での進捗状況によるものか、新たな作戦の連絡は百合ヶ丘女学院へ届かない状態が続いた。
そのような日々が二ヶ月に差し掛かろうとした或る日、防衛軍の石川精衛司令官から一通の連絡が百合ヶ丘女学院にもたらされた。
それは停滞していたかに見えた新戦術の計画に関するもので、結梨とLGロスヴァイセに作戦への協力を要請する内容だった。
ただちに百合ヶ丘のガーデンで理事会が招集され、防衛軍への協力が多数決により全会一致で可決された。
その決定は百合ヶ丘女学院から御台場女学校へと通知され、指定された日時に市ヶ谷の防衛軍本部へ赴くよう、結梨に伝えられた。
「ノインヴェルト戦術によらないヒュージネストの討滅……防衛軍はそんな計画を進めているのですね。
そう言えば、数ヶ月前に防衛軍が戦略的にあまり重要でないネストを一つ、討滅したという情報がありました。
戦術の詳細については公表されておらず、その後は防衛軍によるネスト討滅の続報はありませんでしたから、あまり気に留めていませんでした」
LGコーストガードの控室で、隊長の弘瀬湊は結梨から防衛軍の作戦への参加予定を伝えられていた。
湊自身の認識では、防衛軍が開発中の新戦術はまだ実戦検証が始まったばかりであり、ノインヴェルト戦術に代わってヒュージネスト討滅の主役となるには、順調に進んでも数年あるいはそれ以上の時間が必要だろうと考えていた。
その認識を裏付けるかのように、返ってきた結梨の言葉は確信に満ちたものではなかった。
「これが成功すれば、いくつものレギオンが命がけでネストを攻めなくても、防衛軍の戦力中心でネストをやっつけられるの。
ただ……」
「ただ、何かしら?」
「今のやり方だと、ネストの真上からフィニッシュショットの砲弾を撃ち込まないといけないの。
それができるのは縮地S級が使えるリリィだけだから、そんなに早く次々にネストをやっつけていくことはできないの。
だから、防衛軍がたくさんの戦力を作戦に参加させても、ネストをやっつけていくスピードはあまり変わらないかもって思う……」
「そうだったのですか。
ですが、ノインヴェルト戦術にしても、戦術が確立してすぐに普及したわけではありません。
それまでのデュエル戦闘中心の戦術から、チームワークを中心に据えた集団戦術への切り替え、マギスフィアのパス回しとフィニッシュショットの命中精度……
新しい戦術が一般的なものとして広く普及するには、相応の時間が必要となります。
一朝一夕に出来上がるものではない以上、目先の状況に一喜一憂するべきではありません。
時間はかかっても、一歩ずつ確実に前に進んでいくことを目指すべきです」
これまでにLGヘオロットセインツを経てLGコーストガードへと、リリィとして数多の戦闘を重ねてきた湊は、結梨とは違っていささかも気落ちしていないようだった。
「……ありがとう、湊。
私、少し焦ってたみたい」
湊の言葉に、結梨は肩の力が抜けたように少しだけ微笑み、防衛軍本部への訪問及び作戦参加への申請書類を、湊に手伝ってもらいながら作成していった。
一週間後、LGロスヴァイセ主将の北河原伊紀と一緒に防衛軍本部を訪れた結梨は、司令官室のドアを開いたところで石川葵の姿を目にした。
司令官室の中には葵一人が来客用のソファーに座っていて、部屋の主である精衛の姿は見えなかった。
葵は以前と同じく、負けん気の強そうな自信に満ちた笑顔を結梨と伊紀に向けて、軽く手を振った。
「二人とも、久しぶりね。元気だった?」
結梨の隣りに立っていた伊紀は、礼儀正しく会釈をして葵に挨拶を返す。
「お久しぶりです、葵さん。
ようやく次の作戦が決まったようで……」
「散々待たされたものね。
てっきり計画が頓挫して、これっきりになっちゃうのかと思ってたわ」
「葵は作戦のこと、お父さんから聞いてないの?」
結梨の問いかけに、葵は多少芝居がかった調子で肩をすくめて見せた。
「全然。連絡を取ろうとしても捕まらないのよ。
いったいどこを出歩き回っているのやら。
忙しいのはいつものことだけど、最近はちょっと度を越えてるわね」
結梨と伊紀が葵と並んでソファーに座り、精衛の秘書が淹れた紅茶を飲みかけた時、制服を着た壮年の軍人が姿を現した。
「三人とも、随分ご無沙汰にしてしまって済まない。
言い訳になってしまうが、今後の計画について色々と軍の内外で根回しが必要で、それに手間取ってしまった」
精衛の釈明に葵は遠慮なく、わざとらしく溜息をついた。
「国内だけじゃなく、海外も方々飛び回っていたみたいだけど、そんなにあちこち根回ししないといけなかったの?」
「その辺りの事情については後で話そう。
今日の本題は、ナノマシンの新戦術計画がようやく次の段階に進めるようになったことだ」
「やっと動いたのね、計画が。
それなら、手っ取り早く本題に入りましょう。
作戦内容の説明をお願い」
葵に促されて、精衛は三人と向かい合う形でソファーに腰を下ろし、軽く咳払いをしてから話を始めた。
「では、来るべき次の作戦について説明しよう。
前回のマギ代謝阻害ナノマシンの実戦検証では、ヒュージネストの直上からナノマシン弾頭を搭載した砲弾を発射し、ネスト内部へ直接ナノマシンを撃ち込んだ。
作戦は成功し、マギ代謝阻害ナノマシンがヒュージネスト及びヒュージに対して、完全に有効であることが証明された。
だが、この戦術は縮地S級のレアスキルを保有する極一部のリリィによってのみ可能となるものであり、著しく汎用性を欠いている。
そこで今回は、前回とは異なる戦術でヒュージネストの討滅を試みる」
「それって、どんな方法なの?」
「防衛軍が保有する弾道ミサイルによるヒュージネストへの攻撃を実行する。
これはヒュージ出現以前の時代に、国内各地の米軍基地に秘密裏に構築されたICBM発射施設を利用するものだ。
ミサイルには核の代わりにマギ代謝阻害ナノマシンを充填した特殊弾頭を搭載する。
作戦の概要は機密部分を除き、事前に一般に公表される予定だ。
LGロスヴァイセ・『北河原ゆり』・石川葵には、ガーデンを通して本作戦への参加を要請済みだ」
精衛の発言を聞いた葵は呆気に取られた表情で、彼の顔をまじまじと見つめた。
「防衛軍の地上部隊と私たちじゃなくて、弾道ミサイルでネストを攻撃?
それじゃ私たちリリィは作戦に参加して何をするの?」
精衛は一瞬黙った後、決然とした口調で三人のリリィに命令を伝えた。
「君たちにはネストへの攻撃ではなく、ミサイル基地の警備及び防衛を担当してもらいたい。
そして作戦を妨害する『何か』が出現した場合、それを排除することが君たちの任務となる」