鎌倉府の金沢文庫に位置する親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン、シエルリント女学薗から程近くの森の中、夜の闇に紛れるように二人の女性が佇んでいる。
上弦の月は深夜の西の空に没しようとし、雲間から樹々の間に射し込む光は星々の明かりのみとなりつつあった。
女性は二人とも漆黒の衣に身を包み、数メートルの距離を置いて向かい合っていた。
一人はこれから夜会にでも赴こうかと見紛うようなロングドレス、もう一人は中世の魔女が着ているような、足首までを覆う丈の長いローブを纏っている。
先に言葉を発したのは『魔女』の方だった。
目深に被ったフードの奥の双眸が妖しく輝き、対面に立つ年上の女性の顔を興味深げに見やった。
「貴公から私を呼び出すとは、珍しいこともあるものだ。
余程重大な要件ができたと見える」
「あなたも知っているでしょう、先日発表された防衛軍の作戦計画を」
「無論、知っているとも。
私もいつ貴公――『御前』に連絡を取るべきか思案していたところだった」
そう言って、『魔女』すなわちシエルリント女学薗の生徒会長である蓬莱玉は、『御前』こと白井咲朱に一歩近づいた。
「数ヶ月前、防衛軍は新たに開発した対ヒュージ用の新兵器を用いて、関東平野北部に位置するヒュージネストの一つを討滅することに成功した。
作戦の詳細は明らかにされていないが、戦力の中心は防衛軍の機甲部隊、ただしネストへの新兵器の投下はリリィによって実行された。
その実績を踏まえ、今般の作戦は最終的な攻撃までを全て防衛軍の戦力で遂行することを目的とする――軍の広報機関はそう喧伝している」
咲朱は先刻承知とばかりに頷いて、蓬莱玉に応じる。
「軍の戦力だけでヒュージネストを討滅できれば、ネスト攻略に投入できる戦力が格段に増強される。
その核心となる攻撃手段は、前時代の旧式兵器――ICBMを頂点とする弾道ミサイルだということね」
「弾道ミサイルの弾頭に対ヒュージ用の新兵器を搭載して、遠距離からヒュージネストに対して攻撃を行う。
これまでであれば、ネストとラージ級以上のヒュージに対しては、通常兵器での攻撃は効果が無かった。
たとえ核兵器を使用しても、アルトラ級やネストの構造体を完全に破壊することは叶わなかった」
過去にユーラシア大陸と北米大陸の一部で、無人地帯に存在するヒュージネストに対して、戦術核および戦略核兵器による攻撃が試みられたことはある。
その結果、一定程度の破壊効果は認められたものの、攻撃目標となったネストそのものは健在であり、その主であるアルトラ級ヒュージも生存していることは確実であると判断された。
ヒュージネストとアルトラ級が完全に消滅するまで、繰り返し核攻撃を行うことも一度は検討の俎上に載せられた。
しかし、それは大国間の全面核戦争と同じく、膨大な量の放射性物質を大気中に巻き上げて死の灰を撒き散らし、地球に核の冬を招来することと同義だった。
そのため、核ミサイルによるヒュージネストとヒュージへの攻撃は無期限に封印され、ICBMを始めとする各種射程距離の弾道ミサイル群は無用の長物と化した。
「核ミサイルから核弾頭を取り外し、代わりに対ヒュージ用の新兵器を弾頭部分に搭載する。
これなら既存の兵器システムを流用できて、近距離での戦闘も必要無く、兵力の喪失も回避できるというわけね。
でも、G.E.H.E.N.A.ならともかく、よくそんな兵器が軍に開発できたものね」
咲朱の発言に対して、蓬莱玉は首を横に振って否定の意を表した。
「その新兵器を開発したのは防衛軍ではなく、岸本教授――岸本・ルチア・来夢の父親だろう。
彼は元々ルドビコ女学院のラボに研究者として在籍し、ヒュージ出現以前の生態系を回復するための研究を進めていた。
だが、途中からガーデンの干渉によって、彼は強化リリィの実験に参画するよう強制された。
そして最終的にはそれが発端となり、ルドビコ女学院のガーデンそのものを崩壊させる内部抗争へと発展した。
その後、彼は身を隠して国内外を転々とし、一時は人造リリィ計画にも関わっていた。
私の見立てでは、彼がヒュージの生命活動を停止させるような、何らかの化学兵器や生物兵器のようなものを考案したのではないかと考えている。
彼のこれまでの研究実績を考えれば、最も防衛軍の新兵器に近い分野の研究を積み重ねてきたのだから」
「元は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの研究者だったから、ヒュージに関する研究のとびきりのエキスパートというわけね。
G.E.H.E.N.A.はヒュージと強化リリィの研究については世界一の組織だけど、軍との関係については表立って情報を耳にしないわ」
「ヒュージとの戦いでは脇役に甘んじているが、軍には軍の権益というものがある。
安易にG.E.H.E.N.A.の関係者を招き入れて、主導権を握られるような事態は避けたいのが本音だろう」
「その軍が、G.E.H.E.N.A.から離反した研究者の技術を用いて、対ヒュージ用の新兵器を実用化しようとしている。
G.E.H.E.N.A.にしてみれば、いかにも面白くない話に違いないわ。
そこのところはどう考えているの?」
ちらりと咲朱は蓬莱玉の顔を覗き見たが、当の蓬莱玉自身は我関せずの素っ気無い態度を示すのみだった。
「どう考えている、の主語がG.E.H.E.N.A.なら、面白くはないが手出しはできないというところだろう。
これまで対ヒュージ戦闘において端役の存在だった軍が、リリィと同等の力を持てる可能性が出て来たのだ。
これを邪魔する勢力があれば、軍は全力を挙げて潰しにかかるだろう。
一応は民間の組織である反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとは違い、一国の正規軍に対して妨害工作や破壊活動を行えばどうなるか。
いかにG.E.H.E.N.A.の過激派でも、そこまで愚かではなかろう」
「では、あなた自身はどう考えているのかしら?
G.E.H.E.N.A.の総本山であるシエルリント女学薗の生徒会長様は」
「私はこの件についてどうするべきかという考えは持っておらぬし、何もせぬよ。
私はただ、この世界がどう変わっていくのか観察し、その意味を考えたいだけだ。
防衛軍の新兵器が実用化され、遠くない未来にヒュージとネストが全て討滅され、その結果、人間同士の戦争が再び始まるとしても――
それは人類が背負い、克服しなければならない運命だからだ」
「まるで宗教家か哲学者のような物言いね。
あなただって、戦力として人間同士の戦争に駆り出されるかもしれないのに」
「それについてはあまり心配しておらぬ。
その防衛軍の新兵器とやらは、ヒュージだけではなくリリィに対しても有効ではないかと思っているのでな」
「何ですって?」
思いもよらない蓬莱玉の発言に、咲朱は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
蓬莱玉は咲朱の反応には興味を示さず、探偵のように手を顎に当てながら、自らの考えを説明する。
「おや、ヒュージの姫ともあろう者が、気がついていなかったのか?
ヒュージはマギを生命エネルギーの源として活動している。
リリィの能力もヒュージと同様にマギに由来するものだ。
ヒュージの生命活動を停止させるということは、マギをエネルギー源として利用できなくすることと同じ。
新兵器がそのような効果を有するものであれば、それはヒュージのみならずリリィにも有効だと考えるのが自然ではないか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。
来夢の父親や防衛軍は、何を考えてそんなものを実用化しようとしているの?」
「軍にしてみれば、全てのヒュージとネストを討滅することが最優先の目標だ。
新兵器の効果がリリィにも及ぶとしても、ヒュージとの戦いを終わらせるためには、なりふり構わず事を進めるだろう。
私が軍の責任者であっても、そう判断するに違いない」
「何てこと……そんな事態になったら、私は目指している『高み』に上れなくなってしまう。
従えるべきヒュージが世界から存在しなくなり、ヒュージの姫としての力も失われてしまうかもしれない……
――そんな未来、認めるわけにはいかない」
無意識に両手を固く握りしめた咲朱を見て、蓬莱玉は眉をひそめて問いただす。
「貴公は自分の力で軍の計画を頓挫させる気か?
そうなれば、貴公は人の身でありながら人類の敵として生きていくことになるのだぞ」
「私はヒュージの姫の頂点に立つ存在。
そしてヒュージと共に存在することを運命づけられたリリィ。
ヒュージのいない世界でただの人間として生きるよりも、ヒュージの跋扈する世界で支配者として君臨する未来を、私は望む」
覚悟を決めたかのように咲朱は宙の一点を見つめ、それまで正対していた蓬莱玉に背を向けて歩き始めた。
「今日は良い話を聞かせてくれてありがとう、蓬莱玉。
おかげで自分の手で時計の針を先に進める決心がついたわ」
次第に遠ざかっていく咲朱の後ろ姿に向かって、蓬莱玉はそれまでより語気を強めて言葉を投げかける。
「貴公が自らの意志で決めたことなら口出しはせぬ。
絶大な力を手に入れたことも、それを手放すことが出来ぬのも、貴公自身が背負った運命だ。
それを失っては生きている価値が無いと思うもののために、人は命を懸ける。
貴公が悔いの無い選択をすることを、私は他の何にも増して尊重しよう」
たとえその選択の先に待ち受けるものが、殆どの人類にとって重く苦しみに満ちた運命であったとしても――
蓬莱玉はその言葉を飲み込んで、咲朱の姿が樹々の間に見えなくなるまで、視線を咲朱の背中から外さなかった。
白井咲朱と蓬莱玉の密談から数日後、奇しくもシエルリント女学薗の南南東5キロメートルに位置する旧米海軍横須賀基地に於いて、防衛軍のヒュージネスト討滅作戦が開始された。