晴れ渡った蒼穹に白い綿菓子のような積雲が幾つも浮かび、それらはゆっくりと西から東の空へと流れていく。
雲を移動させている西風は、横須賀基地のある陸上では、三浦半島から東京湾へと吹き抜ける毎時数メートルの風向を示していた。
防衛軍の次なる対ヒュージネスト討滅作戦は、かつて米軍が日本国内に内密で構築した弾道ミサイル発射設備を利用するものだった。
それらの設備は国内各地に存在する米軍基地の敷地内地下に築かれ、外見上は単なる駐車場や幅員の広い道路にしか見えなかった。
今回の作戦の舞台となった旧米海軍横須賀基地に於いてもそれは例外ではなく、現在もなお複数の長距離弾道ミサイルが常時発射可能な態勢で発射命令を待ち続けていた。
ヒュージ出現後の世界に於いては、陣営の東西を問わず、軍の最優先攻撃目標は敵国の大都市と軍事施設からヒュージ及びヒュージネストへと変わった。
皮肉にもヒュージの出現によって、国家間の戦争は地球規模でその発生を完全に停止した。
その代わりに、戦争に投入されるべき各国軍事力のリソースは、その殆ど全てが対ヒュージ戦闘へと全面的に振り向けられることとなった。
だが、核弾頭を搭載した弾道ミサイルの使用は、ヒュージへの一定の打撃力と引き換えに地球環境の極端な破壊をもたらし、自らの攻撃によって人類とその社会を滅ぼすことは確実だった。
そのため、発射装置に据え付けられたミサイルの弾頭からは核が撤去され、最低限のメンテナンスを維持した状態で、いつ果てるとも知れない永い待機の眠りについていた。
ここ横須賀基地でも、米軍の人員は僅かな数の保守要員を残すのみであり、発射命令発令時のオペレーションは防衛軍に委任された状態となっていた。
もっとも、核弾頭を撤去した弾道ミサイルなど、その重量分だけの極めて限定的な質量兵器に過ぎず、戦略兵器としては全く重要性を失っていた。
その空になった弾頭部分に、今は対ヒュージ用のマギ代謝阻害ナノマシンを充填した格納容器が搭載されている。
攻撃目標は小笠原諸島の洋上に位置する中規模のヒュージネスト、発射予定時刻は数十分後に迫っていた。
外見上は平素と全く変わらないように見える横須賀基地だったが、2キロメートル程の距離からそれを見下ろす高台に、一隊のレギオンが待機していた。
彼女たちの大半は百合ヶ丘女学院の特務レギオンであるLGロスヴァイセの隊服を着ており、二人だけがそれと異なる服装をしていた。
一人は相模女子高等学館の青い制服を着たリリィ、もう一人は御台場女学校の標準制服を身に纏っていた。
二人とも分離させたトリグラフを両手に携えているが、御台場の制服のリリィはそれに加えて、第4世代の精神直結型CHARMであるエインヘリャルを装備している。
LGロスヴァイセと二人のリリィは、作戦中に外部からの妨害や攻撃を受けた場合、それらの敵を排除し、基地を防衛することが任務として課せられていた。
相模女子の青い制服のリリィ、つまり石川葵が、隣りに立つ御台場の制服を着た結梨に話しかける。
「ここからだと、全然何も変化無いように見えるわね。
どこにミサイルの発射台があるのかさえ分からない」
結梨も葵と同じく目を細めて2キロメートル先の基地を眺めていたが、やはり発射口らしきものを見つけることはできなかった。
「発射台って地面の下に隠してあるんだよね?
発射の時は地面のどこかにある扉が開いて、その下からミサイルが飛んでいくって、ロザリンデは言ってた」
「私も昔の映像資料を見てみたけど、世界中の軍事基地にあんな仰々しいものを造っていたなんて。
――それも一度使えば人類が滅びるかもしれないものを」
「でも、今はもう使うことはなくなったんでしょ?」
「ヒュージを滅ぼす前に、自分たちが滅びてしまっては本末転倒だからね。
その代わりに対ヒュージ用のナノマシンを弾道ミサイルに積んでネストを討滅する――この作戦が成功すれば、戦術自体にはリリィの力は必要なくなる。
防衛軍としては名誉も予算も人員も、これまでとは比べ物にならないほど手に入るようになるわ。
加えてリリィの負担や損耗も、その分だけ減らせるとなれば、誰も反対する者はいないでしょうね。
――ヒュージがいなくなって困る者を除いては」
いかにも含みのある言い方を葵はして、少しだけ眉をしかめてみせた。
そして、少し肩の力を抜いて気分転換するように、ふーっと深呼吸をした。
「それにしても、お父さんがあんな事を考えていたなんて、想像もしてなかったわ。
この数ヶ月、あちこち飛び回って全然捕まらないと思ってたら、裏で色々と根回しをしてたなんてね」
「葵のお父さんが考えてるとおりなら、この作戦がうまくいけば……」
「うまくいけば、誰も犠牲にせずヒュージのいない世界を創ることができる――といいんだけどね。
まずは目の前の任務を遂行することに集中しないと。
あっちで待機してる百合ヶ丘の特務レギオンも、同じこと考えてるのかしら」
葵の視線の先を結梨が目で追うと、20メートルほど離れた場所で並んで立っているロザリンデと碧乙の姿が視界に入った。
果たして、その二人が話している内容も、その根本においては葵と結梨のそれと同じだった。
ただし、彼女たちは結梨たちより歴史や政治についての知識を蓄えている分、幾分か物事を俯瞰的に理解しようとしていた。
「人類は初めて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である――」
ロザリンデが基地を遠望しながら誦んじてみせた言葉に、碧乙は腕組みをして記憶を辿ろうとする。
「それ、世界史の講義で聞いたことがあるような気がします。
確か百年以上も昔の戦間期の、政治家か軍人が書き記した本の内容だったような……」
「今はそのシステムを流用して、人類は自分たちの天敵を滅ぼそうとしている。
道具というものはその合目的性――それが持つ意味の解釈によって、存在の仕方を変えるということ。
そして私たちリリィも、ヒュージが存在しない世界では、自ずと世界の中での位置づけに根本的な変化を余儀なくされるわ」
「そこまでの見通しを含めての防衛軍の計画、いえ、正確には石川司令官の構想でしたね。
世界中のヒュージとネストを討滅し、その後の世界でリリィが戦争に動員されないようにする……どちらか一方だけでも夢物語のようですが、本当にできますかね」
「防衛軍がやたらこの計画を大々的にアピールしていることに、『敵』が乗ってきてくれればね」
ロザリンデはそう言って、ぐるりと周囲の景色を見回したが、今の所は特に状況に変化は見られなかった。
「当たり前ですが、この作戦自体は『人間』しか知らないものです。
ヒュージが偶然にこのエリアに出現する可能性はゼロではありませんが、確率上はごく僅かです。
もし、作戦のタイミングに合わせてヒュージが出現するようであれば――」
「何者かが人為的にヒュージを出現させたと見てほぼ間違いないわ。
そして、そんなことができる主体は、これまでの異常なヒュージの出現パターンを鑑みれば……伊紀、どうしたの?」
不意にロザリンデと碧乙の傍に駆け寄ってきた伊紀は、二人に向かって緊張した面持ちで連絡する。
「基地に設置されている大型のヒュージサーチャーに反応があったと、たった今、連絡が入りました。
ヒュージ反応は葉山方面から毎時30キロメートルで接近中。
早期警戒中のドローンからの観測では、ギガント級1体を含む総数80体ほどの群れとのことです」
それを聞いた碧乙は、待ってましたと言わんばかりに得物のアステリオンを握り直し、にやりと笑った。
「来た来た。ギガント級なら相手にとって不足無し。
いつもG.E.H.E.N.A.の強化リリィを相手にしてばかりだと、ノインヴェルト戦術の使い処が無くて腕が鈍ってしまうもんね。
たまにはギガント級の一つも倒して、レギオンの格付けアップに王手を掛けておかないと」
「とは言っても、出現したギガント級が特型なら、マギリフレクターを使ってくるかもしれません。
その場合は、一度しか使えないノインヴェルト戦術ではギガント級は倒せません」
「……うーん、それならあんまり気乗りしないけど、あれしかないかなあ……」
隣りに立つロザリンデと碧乙の視線が合うと、ロザリンデは小さく頷いて伊紀に指示を出す。
「伊紀、バックアップとして後方で待機中のLGシグルドリーヴァに連絡を。
二個レギオンでの多重ノインヴェルト戦術を仕掛けるわ」
「分かりました。作戦上の必要から隊長の捺輝様に出動を要請します」
伊紀は自分の携帯通信端末を取り出して、手早くLGシグルドリーヴァの遠野捺輝に回線を接続した。
捺輝はLGロスヴァイセからの出撃要請を受諾し、直ちに自分たちのレギオンを合流させることを回答した。
それを受けて、ロスヴァイセのリリィたちは合流予定地点への移動を開始する。
一方、結梨と葵はロスヴァイセのリリィたちと行動を共にせず、西へ向かうロスヴァイセとは逆の方向へ――すなわち横須賀基地のある東へと戻るよう、ロザリンデから指示を受けた。
「ヒュージの出現は想定の範囲内よ。
出現したギガント級が本命なら、ロスヴァイセとシグルドリーヴァが多重ノインヴェルト戦術でギガント級を討滅するわ。
でも、もしギガント級を含むヒュージの群れが陽動であり、囮だった場合は、『本隊』が基地のミサイル発射施設を狙ってくるはず。
だから、あなたたちは基地の近くに戻って、基地施設の直掩に回ってちょうだい」
「うん」
「分かりました」
結梨と葵は簡潔に返事すると、すぐに走り出し、東の方角へ向かって全力疾走で高台を駆け下りていく。
二人の後ろ姿はたちどころに見えなくなり、それを見届けたロザリンデたちはシグルドリーヴァのリリィたちと合流すべく、西の方角へとレギオンの移動を開始した。
横須賀基地から約200メートルの地点に達した結梨と葵は、足を止めて基地の様子を確認した。
基地の敷地内に変わった様子は見られず、特に異状なく発射開始までの準備が進んでいると思われた。
「このまま何事もなく発射が完了すれば、それはそれでいいけど……」
基地の建物群を見ながら呟く葵の制服の袖を、結梨が引っ張った。
「どうしたの?」
葵が結梨の方を見ると、結梨は葵とは反対方向の、基地から延びる道路の先を凝視していた。
「だめみたい。ロザリンデや葵のお父さんが考えてたとおりだった」
やり場の無い沈痛な表情を浮かべる結梨の視線の先には、CHARMを携えた二人の女性が立っていた。
それが白井咲朱と戸田琴陽であることは、遠目であっても葵にも判別できた。
「葵、行こう。咲朱を止められるのは、私たちしかいないから」
避けては通れない運命を前にして、結梨は再び白井咲朱と戦う覚悟を決めた。