ギガント級との戦闘から離脱し、横須賀基地へと辿り着いたLGロスヴァイセの三人のリリィを前にしても、白井咲朱は彼女たちの存在など歯牙にも掛けてはいなかった。
「私の負け?
たかが特務レギオンの強化リリィが三人増えたところで、私に敵うとでも思っているの?」
「……」
挑発めいた咲朱の問いに、ロザリンデたちは押し黙ったまま咲朱を睨んでいる。
三人の視線を正面から受け止めて、咲朱は手柄を自慢するかのような口調で事実を告げる。
「それに、基地の設備は私が既に破壊したわ。
弾道ミサイル本体が損害を受けたか否かにかかわらず、もう発射は不可能よ」
咲朱は後ろを振り返り、未だに黒煙が立ち上る基地の敷地内を眺めた。
ギガント級出現の時点で、基地要員は全員が地下深くの対爆シェルターに避難している。
基地の中では、動くものの姿は何一つ見えず、ただ破壊の跡だけを咲朱や結梨や葵たちの前に晒すのみだった。
風はこれまでと変わらず、西から東へと、すなわち陸側から海側へと緩やかに吹き続けている。
「風向きが変わらないうちに、ここから離れる方がいいんじゃなくて?
もし私の攻撃で弾道ミサイルが破壊されていたら、弾頭に搭載されている『何か』が外部に放出される可能性があるわ。
私の見立てでは、その『何か』はヒュージに対する毒ガスや細菌兵器のようなものだと考えているのだけど、どうかしら?」
視線をロスヴァイセの方へ戻し、咲朱は再び余裕に満ちた表情で質問した。
咲朱の攻撃した箇所はミサイルの発射設備から外れていたと、ロザリンデは基地へ向かう途中で防衛軍から連絡を受けていた。
だが、建物や道路の破壊状況を鑑みれば、ミサイルが無事であっても作戦の続行が不可能なことは、誰の目にも明らかだった。
溜息に似た吐息をついたロザリンデは、覚悟を決めたように咲朱の目を正面から見つめて口を開いた。
「ミサイルの弾頭に搭載されているのは、生体内におけるマギの代謝を阻害するナノマシンよ。
正確には、搭載されているのはナノマシンを超高圧で充填した格納容器と言うべきだけど。
そのナノマシンは、マギ粒子を取り囲んで覆うように凝集する性質を持っている。
マギと生物細胞との接触を遮断し、細胞がヒュージ化することを防ぐと同時に、既にヒュージ化した細胞へのエネルギー供給を不可能にする機能があるわ」
「……ふうん、そんな小賢しいものを作っていたのね。
そのナノマシンとやらがマギの代謝を阻害するのなら、当然リリィの能力にも致命的な影響を与えるはず。
この世界からヒュージと共にリリィの力が失われてしまうのは、人類にとって大いなる損失だと思うけど」
「世界からヒュージがいなくなったら、リリィがリリィでいる必要もなくなる」
突然、咲朱とロザリンデの会話に結梨が割って入った。
「だから、ヒュージのいなくなった世界――私はその世界をまだ知らないけど――そこでリリィも普通の人になって生きればいい」
それが決して咲朱に受け入れられることのない考えだと分かってはいたが、結梨はそう言わずにはいられなかった。
それに対する咲朱の返事は、やはり否定そのものだった。
「私はそんな世界を望んではいない。
あなたたちがヒュージをこの世界から絶滅させようとするなら、私はこれからも何度でも作戦を妨害し、防衛軍に計画の遂行を断念させてみせる。
何なら、今この場で私と戦って、実力行使で私を止めてみる?
増援も来たみたいだし」
挑戦的な目で、咲朱はロザリンデたちLGロスヴァイセのリリィ三人を見回した。
結梨と葵を含めて五人がかりでも、咲朱と戦って勝つことはできない――ロスヴァイセのリリィ三人は、彼我戦力差を見誤ることは無かった。
「いいえ、私たちはあなたと戦わない」
ロザリンデの言葉に、咲朱は一瞬きょとんとした顔になった後、嘲笑をその唇に浮かべた。
「……特務レギオンのリリィらしからぬ発言ね。
進む道に立ち塞がる者があれば、躊躇せず武力をもって押し通る――そういう気概の持ち主だと思っていたけど、とんだ腰抜けなのね」
咲朱の挑発的な言動にも、ロザリンデは感情的に反応することは無かった――碧乙と伊紀は眉をぴくりと動かしてCHARMを握っている手に力が入ったが、ロザリンデは二人を制して言葉を続ける。
「私たちがあなたと戦わないのは、もう私たちの誰も、あなたと戦う必要は無くなったからよ」
「ますますもって意味不明ね。
私はあなたたちが参加している防衛軍の計画を妨害すると言っているのに、私と戦わない、戦う必要が無いですって?
もったいぶった言い方をして、人を煙に巻こうとしているのなら――」
咲朱がティルフィングを振りかぶろうとした時、ロザリンデは表情を変えないまま、咲朱に今起きている状況の本質を告げる。
「あなたは目の前の戦闘に勝利した。
でも、戦略においては敗北した――私が言いたいのはそれだけよ」
「私が戦略で敗北した?負け惜しみを言っているの?
私は今日の作戦を完全に失敗させたのよ。
これからも何度でも作戦を妨害して、その全てを遂行不能へと導いてあげるわ」
「『これから』は無いのよ、『御前』……あなたは自分の手で時計の針を最後まで進めてしまったから」
「何を分からないことを。
私が防衛軍の弾道ミサイル発射を阻止したことが、どうして時計の針とやらを最後まで進めることになるのよ」
ロザリンデは表情を押し殺して、感情を露わにせず、意志の力のみで精神の動揺を制御して説明を始める。
「決定的な妨害が入らない場合、防衛軍は漸進的にヒュージネストの討滅を進めていく予定だったわ。
計画が順調に進めば、今後5年から10年ほどの期間で、地球上のヒュージネストを全て討滅できると予測されていた。
でも、計画そのものが頓挫しかねないレベルの妨害工作や破壊活動が発生した場合には、軍は決定的な手段でネスト討滅のプロセスを前倒しすることを決めていた」
「……あなた、何を言ってるの?」
ロザリンデの言葉に一抹の不安を覚えた咲朱が、怪訝そうにロザリンデの顔を見るが、ロザリンデはそれを意図的に無視して説明を続ける。
「今日あなたが作戦の中心になっていた横須賀基地を攻撃した結果、基地の設備は重大な損害を被り、作戦の実行は不可能となった。
ヒュージの姫の頂点に立つ『御前』が今後も作戦を妨害すれば、同じことが繰り返される。
だから、ナノマシンを搭載した弾道ミサイルによるヒュージネスト討滅の計画は、現時点をもってプランBへと移行する――そう防衛軍は判断するでしょう」
「――待ちなさい。
防衛軍が事前に発表した作戦内容では、プランBの存在なんて一言も触れられていなかったわ」
咄嗟に咲朱はロザリンデに対して疑問を投げかけたが、それに答えたのはロザリンデではなく、一歩後ろに控えていた碧乙だった。
「戦闘や戦術が第一級の実力でも、それに溺れていては戦略面で足元を掬われるってこと、教えてあげるわ。
さあ、耳をかっぽじって、ロザリンデお姉様のお話をよく聞いておきなさい」
「碧乙お姉様が自慢げに言うことでもないと思いますが……ロザリンデお姉様、お話の続きをお願いします」
得意満面で胸を張る碧乙を伊紀が控えめにたしなめ、ロザリンデに説明の続きを促した。
それに応じてロザリンデは咲朱に質問を投げかける。
「この横須賀基地が、元々米海軍のものだったということは知ってるわね?」
「それがどうしたっていうのよ。
さっさと話を進めなさい」
「かつて日本には非核三原則という安全保障上のルールが存在し、国内に核兵器を持ち込むことは禁止されていた。
でも、米軍はそれを無視して、秘密裏に日本各地の米軍基地に核ミサイルの発射装置を建造し、核弾頭の搭載が可能な数百キロトン級のICBMを多数配備していた。
この横須賀基地から小笠原諸島のヒュージネストへの攻撃も、当時造られた発射装置を利用して実行される予定だった。
それがヒュージの姫である『御前』の攻撃によって基地の一部が破壊され、弾道ミサイルの発射は阻止された。
――この事実が意味するところが、あなたに分かるかしら?」
「防衛軍のネスト討滅計画が、過去の核ミサイル発射設備を利用しているってことでしょう?
それがいったい何だというの?」
「ヒュージ出現以前の時代に、世界には安全保障上の決定的なシステムとして、戦略核兵器による相互確証破壊という概念があった。
敵国から核兵器による攻撃を受けた場合、直ちに同じく核兵器による全面的な報復攻撃を実行する――この横須賀基地も当然、その相互確証破壊システムの一端に位置づけられていたわ」
いつの間にか咲朱のすぐ隣りに移動していた琴陽が、得体の知れない不安に襲われながら咲朱の手を握っていた。
「咲朱様、私たちは……」
琴陽はすがるような目で咲朱の横顔を見つめたが、咲朱は唇を噛みしめてロザリンデの顔から視線を外そうとしない。
「ナノマシンを搭載した弾道ミサイルによるヒュージネスト討滅作戦においては、敵となる存在は国家ではなくヒュージとヒュージネスト。
防衛軍は米国を始めとした弾道ミサイルを保有する国々に協力を求め、相互確証破壊のアルゴリズムに変更を加えて計画の一部に組み込んだ。
そしてこの横須賀基地は今日、ヒュージの姫である『御前』の攻撃によって甚大な損害を被り、ヒュージに対する全面的な報復攻撃を実行する要件が満たされた」
「……この基地から弾道ミサイルを発射することは当分の間できないわ。
復旧には少なくとも数か月を要するはずよ」
「さっき言ったでしょう、かつて米国は日本各地の米軍基地に核ミサイルの発射装置を建造したと。
――ご覧なさい、あれがその証拠」
ロザリンデは後ろを振り返って、遥か遠く北北西の地平線を仰ぎ見た。
咲朱や結梨たちもロザリンデの視線を追ってその方角に目を凝らす。
彼女たちの目に入ったのは、距離にして50キロメートル以上は離れているであろう地点――すなわち旧横田基地から立ち上る、十数条の白い煙だった。
人工衛星の打ち上げにも似た噴射煙が、緩やかな曲線を描いて晴れ渡った青空の中を伸びていく。
それはヒュージ出現以前の世界において、人類の文明と社会が終焉を迎える時に目撃されるであろう黙示録的な光景だった。
その目撃者は数十分後には、大陸から飛来するICBMによって跡形も無く消滅し、世界はあまねく死の灰と核の冬に覆われる運命を迎える。
だが、今は目に映っているのは、核の代わりにナノマシンを搭載した対ヒュージネスト用のミサイルであり、数百キロトン級の核爆発を起こすことは無い。
「あの十数発のミサイル以外にも、国内だけでなく海外の同盟関係にある国家の軍事基地からも、ナノマシンを搭載した弾道ミサイルが発射されているでしょう。
それらの目標は、報復攻撃の対象である世界各地のヒュージネスト。
遅くとも一時間程度で、地球上の主要なヒュージネスト全てにミサイルが着弾するわ」
「そんな……ことが、私のしたことは……」
咲朱は言葉を失って呆然と立ちすくんでいる。
「あなたは防衛軍の計画を妨害し、頓挫させる目算で基地を攻撃した。
それが防衛軍の準備していたプランBの導火線に火をつけたのよ。
そして相互確証破壊は敵からの先制攻撃を大前提とする以上、ヒュージ及びヒュージに類するものと認識される存在からの攻撃が必要だった。
あなたと戦って勝てる人間は、地球上に一人として存在しないでしょう。
でも、人類の社会が持つ技術とシステムの前には、あなたの比類なき戦闘能力は無力だった。
これで、あなたが負けたことを理解してもらえたかしら?」
「……まだよ、まだ終わっていないわ」
咲朱の目はまだ闘志を失ってはいなかった。
一縷の望みにすがるように、気丈な声で咲朱はロザリンデに反論する。
「G.E.H.E.N.A.のラボにだって実験体のヒュージはいるわ。
いくら軍でも、数十名かそれ以上の人間が勤務しているラボにミサイルを撃ち込むなんてできない。
そんなことをすれば、それは一種の虐殺行為であり、戦争犯罪に問われるのは間違いないわ。
だから、世界中の全てのヒュージを滅ぼすなんて、できるはずが無い」
「残念だけど、必ずしもミサイルを直撃させる必要は無いのよ」
咲朱の必死の反論にも、ロザリンデは顔色を変えずに冷静に答えるのみだった。
「ナノマシンの格納容器を弾頭に搭載した弾道ミサイルは、目標となったヒュージネストに命中し、ナノマシンはネストの中にいるヒュージの生命活動を停止させる。
ナノマシンはネストが消滅した後、マギとともに大気中に拡散し、やがて地球全体へと行き渡る。
それは戦略核兵器の使用による全面核戦争が、世界中に死の灰と呼ばれる放射性降下物を降り注がせるのと同じ。
たとえヒュージネストが地下や海中に存在していても、マギが存在する所には必ずナノマシンが凝集する。
いずれにせよ、世界中のヒュージは、その全個体が遅かれ早かれ生命活動を停止するわ」
沈黙したままの咲朱をじっとみつめたまま、ロザリンデはこれから自分たちに訪れるであろう運命を告知する。
「……そして私たちリリィの能力も、やがてはナノマシンによって喪失する。
あなたもヒュージの姫ではない一人の人間、白井咲朱に戻るのよ」
「咲朱様……」
咲朱の隣りに立つ琴陽が、震える手で咲朱の手を握りしめる。
既に琴陽は咲朱と一緒に、この先に訪れる運命を受け入れる覚悟を固めようとしていた。
だが、咲朱は反証可能な全ての論拠を失ってなお、自らの果たすべき望みを手放すことを拒否した。
「私は諦めない。
こんなところで、私が目指すべき『高み』が失われてしまうなんて、私は認めない――絶対に」
咲朱は残った気力を搔き集めて言葉を吐き出し、琴陽の身体を半ば抱えるようにして、この場から去ろうとする。
「咲朱、どこへ行くの?」
結梨は力ずくでも咲朱を止めようと考えたが、エインヘリャルのマギビットコアは全機が半壊状態で地上に横たわっている。
残っているトリグラフのみで咲朱の行動を制止するのは不可能だった。
「ナノマシンの影響が可能な限り低くなる環境を探すわ。
これからのことは、その環境が見つかってから考える」
背中を向けて遠ざかっていく咲朱に、葵が大きな声で呼びかける。
「核シェルターの中にでも引きこもる気?
そんなことしても、外に出られない限り何の意味も無いわよ。
あんたの目指す『高み』は、あんた以外の誰も幸せにしない」
咲朱は葵の呼びかけには答えず、沈黙を守ったまま結梨たちの前から姿を消した。
この日、世界各地で展開中のリリィによるヒュージネスト討滅作戦には、即座に中止命令が下された。
それに従い、作戦行動中のレギオンは可及的速やかに戦場から撤退を完了。
レギオンの撤退から間を置かず、大気圏外からヒュージネストに向かって突入した弾道ミサイルが命中し、ネスト内にマギ代謝阻害ナノマシンが充満した。
相互確証破壊システムの発動によって、各国の軍事基地と戦略原潜から発射された弾道ミサイルは数百発に上り、その殆どが正確に目標のヒュージネストに着弾した。
旧米海軍横須賀基地で発生した事象は、それを端緒として、人類の存亡を掛けたヒュージとの戦いを、一日にして劇的な終結へと導く契機となった。