休暇の前日の早朝、北河原伊紀はガーデンの高台にある霊園を訪れ、結梨の墓の前に立っていた。
時刻はまだようやく日が昇ったばかりで、周囲に人の気配は全く無い。
結梨の墓の周りには、彼女を知るリリィたちの手によって、多くの花や供え物が置かれている。
だが、伊紀は何も結梨の墓に供えるものを持参してこなかった。
周りに誰もいなければ「結梨の死を悼むふりをする」必要がないからだ。
この墓の下には何も埋まっておらず、墓石に刻まれた名前の持ち主も自分とともに生活している。
一柳結梨はその生存を知る者にとってのみ、死者ではないのだ。
伊紀は結梨の墓の周りに立ち並ぶ七十に近い数の墓標を見回し、最後に再び足元の結梨の墓を見下ろした。
戦い続ければ必ず犠牲になる者が出る。前回はそれが結梨だったが、結梨がいなければ自分たちがこの霊園の墓石に自らの名前を刻むことになっていたかもしれないのだ。
メメント・モリ―――誰もがいつ命を落としてもおかしくない、それがこの世界の本質であることを、ここに来れば否が応でも思い起こさせる。
現在はノインヴェルト戦術による集団戦のドクトリンが確立されているため、大型ヒュージとの戦闘で上位クラスのレギオンが大規模な損害を出すことは少なくなっている。
しかし、かつて初めてギガント級が戦場に出現した時、最前線で戦っていたリリィたちの恐怖と絶望はどれほどのものだったのか、想像するだけで伊紀は身震いがしてくる。
動けなくなった仲間を助けるためにその場に踏みとどまり、自分もまた消耗しつくして、もろともに命を失う。あるいは初めて目にしたギガント級を倒すため、考えられるすべての攻撃方法を試みた結果、夥しい数の犠牲者を出す。
その時その場にいたならば、自分もそうして戦死し、この霊園に葬られたリリィの一人となっていたに違いないと伊紀は思った。
いくら自分が強化リリィでリジェネレーターのブーステッドスキルがあるとはいえ、再生能力が追いつかないほどのダメージを受け続けて生きていられるとは思えない。
そう考えると、自分ではない誰かがその戦場に立ち、死んでいったことは、結局のところ運命としか言えないのではないか。
この世界に生まれてきた数年の差が、この霊園に眠る幾十のリリィと自分の生死を分けたのだ。
それでは自分は死者となったリリィに対して何ができるのだろうか、何をすべきなのか、あるいはそのように考えること自体が生者の傲慢ではないか。
答えの無い問いが伊紀の頭を巡り、結梨の墓石に刻まれた文字にふと視線を落とした時、伊紀の背後から控えめな口調の声が聞こえた。
「あの、李組の委員長の北河原伊紀さん、だよね」
「―――っ!」
突然後ろから掛けられた声にとっさに振り向いた伊紀の目に映ったのは、いつも結梨と一緒にいた小柄で裏表の無さそうな印象の少女、一柳梨璃だった。
伊紀は梨璃がすぐ背後に近づくまで、全く彼女の気配を感じなかったことに驚愕した。
ロザリンデや碧乙に比べればまだまだひよっ子と自認しているが、それでも特務レギオンの端くれである自分が、これほど近づかれるまで微塵も気づかなかったとは。迂闊にも程がある。
「あ、ごめんなさい。私、いつの間にか人の間合いに入っちゃうみたいで。驚かせちゃった?」
虚を突かれた様子で梨璃の方を振り返った伊紀に、まるでそれが日常茶飯事であるかのような慣れた感じで梨璃は謝った。
「ごきげんよう。結梨ちゃんのお墓に来てくれてたんですか?」
梨璃はあらためて挨拶の言葉を伊紀に投げかけ、彼女の返事を待った。
「……ごきげんよう、一柳梨璃さん。はい、もっと早くここに来ておこうと思っていたんですが、延び延びになってしまって。今日やっと来ることができました」
伊紀はそこでいったん言葉を切り、軽く息を吸い直して梨璃に問いかけた。
「梨璃さんは、どうしてこんな早い時間にここへ?毎日こうして来られてるんですか?」
「今日はたまたま早く目が覚めちゃって、寝付けなかったからここへ来てみただけだよ。そしたら先に結梨ちゃんのお墓の前に人がいたから、声をかけたの」
「そうだったんですか。まさかこんな早い時間に他の人が来るとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしてしまいました」
歩み寄った梨璃が伊紀の隣に並び、二人はそろって結梨の墓の前に立つ形になった。
伊紀は自分より少しだけ低い位置にある梨璃の横顔を見ながら、再び問いかけの言葉を口にした。
「梨璃さんは、あのまま結梨ちゃんと二人でどこか遠くへ逃げてしまった方が良かったかもしれない、と思ったりはしませんか?
そうしていれば、今のような結果にはならなかったと考えたりはしませんか」
梨璃にそう尋ねた後で、私は何を言っているのだと伊紀は自分が嫌になった。不躾な結果論であの時の梨璃の判断に疑問を挟んで何になる。彼女をいたずらに傷つけるだけではないか。
しかし、そんな伊紀の思いとは逆に、梨璃の答えは迷いの無いものだった。
「ううん、そうは思わないよ。あの時は夢結様に『必ず迎えに行くから待っていて』って言われて、その通りにみんなが来てくれたの。
その時の夢結様と私の判断は間違ってなかったと思うし、その後にあのヒュージが現れることも、その時は誰にも分からなかった。結梨ちゃんが一人で飛び出してしまうことも。
でも、みんながその時に一番正しいと思うことをして、今がその結果なら、私たちはそれを受け入れなくちゃいけない。あの時ああしていれば良かった、って考えても結梨ちゃんが戻ってくるわけじゃないから」
伊紀は身動き一つせずに梨璃の答えをただ黙って聞き、梨璃は更に言葉を続けた。
「結梨ちゃんは戻ってこないけど、みんなが結梨ちゃんのことを覚えていてくれてる。
結梨ちゃんの記憶が、みんなの、私の生きていくことを後押ししてくれてる。
結梨ちゃんが護ってくれたこの命を、無駄にしないように生きていこうって。
そうやって自分たちの命を大切に生きることでしか、私たちは結梨ちゃんに感謝できないと思うの」
梨璃が自分の思いを話し終えると、二人の間に長い沈黙が流れたが、やがて伊紀が静かに口を開いた。
「そう……そうですね、その通りかもしれない。
そんなふうに考えられることは素晴らしいことだと思います。
私も梨璃さんを見習わないといけないですね。自分のことが恥ずかしくなります」
「そんなことないです、褒めても何も出ないですよ、伊紀さん」
照れくさそうに手を顔の前で振って謙遜する梨璃。
「梨璃さん、あなたに一つだけ予言をしてもいいですか?」
「えっ、予言?……うん、いいよ」
梨璃は唐突に伊紀の口から出た単語に一瞬驚いたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻して伊紀の言葉を待った。
「梨璃さんがこのガーデンを卒業した後には、きっとすごくいいことがあります。
私には分かるんです、それが」
「すごくいいことって、いったい何?」
興味に駆られた様子で梨璃は伊紀に聞き返す。
「残念ながら、それは私の口からは言えないの。
でもそれは絶対に確かなことだから、どうか期待してください」
「……うーん、何だかよく分からないけど、ありがとう、伊紀さん。
その『すごくいいこと』を楽しみにしてるから」
「はい、ぜひとも楽しみに待っていてください」
二人が一緒に霊園を後にした時、結梨の墓は朝の柔らかい日差しに照らされ、供えられた花々の上には幾つもの朝露が輝いていた。