海を遠く臨む南の窓から、午後四時の黄色味を帯びた西日が差し込んでくる。
1年李組の放課後の教室では、二人の少女が窓際で言葉を交わしていた。
教室の中には、他に数人の生徒がそれぞれ帰り支度を進めている。
「伊紀、これが今日の日報。記入漏れは無いと思うけど、一応目を通しておいてくれると助かる」
他の生徒とは異なる白い制服を着た少女――王雨嘉が、もう一人の少女――李組の学級委員長である北河原伊紀にA4判の書類を手渡す。
「ありがとうございます、雨嘉さん。内容の確認と教室の設備クローズは私が済ませておきますので、先に帰っていただいて構いませんよ」
「ううん、私も一緒に手伝う。その方が早く終わるから」
「いいんですか。この後の予定があるんじゃないですか?」
「神琳には少し待ってもらうように連絡してあるから大丈夫。何から始める?」
「そうですか。では空調と通信のシャットダウンからお願いしま――」
伊紀が雨嘉に言いかけた時、三人目の少女がごく自然に二人の間に入り込んできた。
「ごきげんよう、伊紀さん、雨嘉さん。
我がクラスの麗しきお二人が、揃って何の内緒話をしているのかしら。
ぜひ私も、その密談のお仲間に入れていただきたいわ」
雨嘉や伊紀とはまるで違う、勝ち気で自信満々な雰囲気を放つその少女――遠藤亜羅椰は、ずいっという形容がぴったりな勢いで二人に話しかけた。
「亜羅椰さん、顔が近いです」
「うん、私も近いと思う」
「そうかしら。これが私のコミュニケーションにおける本質的な対人距離よ」
伊紀と雨嘉は無言で一歩後退するが、その程度のことで気後れする亜羅椰ではない。
「お二人は先程から何を話していたのかしら」
「私たち二人で教室の設備の電源を順番に落としていこうと話していたところです」
「そうだったの。それなら最後には照明も落として、ドアも施錠するわけね」
「そうですけど、何か変ですか?」
伊紀が訝しげに亜羅椰に尋ねた。
「いいえ。で、その時には、教室に私たちしかいなくなるのね」
「そうだけど、何か変?」
今度は雨嘉が亜羅椰に尋ねる。
「いいえ、何も変じゃないわ。何も」
そう言いながらも亜羅椰の目は爛々と輝きを増し、一刻も早く他の生徒が教室を出て行かないかと待ちかねている様子だった。
「亜羅椰さん、何だかそわそわしてないですか?」
「何か気になることでもあるの?」
「ええ、気になっているのはもちろん――」
私の目の前にいるあなたたち二人よ、という言葉を亜羅椰は飲み込み、
「あそこであなたたちを眺めている待ち人よ」
と、教室のドアがある方向に目線を転じた。
雨嘉と伊紀がそちらを振り向くと、教室の入り口で書類を胸の前で抱えた郭神琳が、じっと三人の方を見つめて立っていた。
「ごきげんよう、神琳さん。そんなところに立ってないで、こちらにいらして下さい」
伊紀が声をかけると、ごきげんよう、とにこやかに挨拶して神琳が李組の教室に入ってくる。
「少し遅くなるって連絡しておいたから、神琳がここに来るとは思ってなかった」
「たまたま用事があって李組の教室の前を通りかかっただけですよ。
待ちきれなくて来たわけじゃありませんから、気にしないで下さい。雨嘉さん」
「そうなの?それならいいんだけど……」
「たまたま、ねえ。本当にそうかしら」
「……何が言いたいのですか、亜羅椰さん」
それまでよりも少し低い声で、神琳が亜羅椰に問いただした。
「嫌な予感がしたから、気になって居ても立っても居られなくなってここまで来てしまった、というのが本音ではなくて?」
亜羅椰は挑戦的な目つきと不敵な笑みを浮かべながら、神琳に鎌をかける。
「そう思われるような心当たりがあるのですか?あなたには」
「私に心当たりが無くても、思い込みの激しい人も中にはいるから。誰とは言わないけど」
とっておきの獲物を仕留めるのを邪魔された形になった亜羅椰は、それとなく嫌味を口にせずにはいられなかった。
「そうですか。それはなかなか面倒な人もいるものですね。
私も『根拠の無い』思い込みは持たないようにしているつもりですが、他山の石としなければいけませんね」
一方、嫌な予感が的中した神琳は、亜羅椰の失望と苛立ちをよく理解した上で、白々しい切り返しをした。
さらに神琳は亜羅椰に質問を続ける。
「ところで、亜羅椰さんはお二人と何のお話をされようとしていたのですか?随分と距離が近かったようですが」
「私がこのお二人とお話しすることに何か問題があるのかしら?」
「いえ、百合ヶ丘のリリィとして恥ずかしくない節度を持って接していただく分には、私は一向に構いませんよ」
と、にこやかに微笑みながら神琳は言った。
「その割には、目が全然笑っていないのだけれど。
あなたのその目は『私の命よりも大切なルームメイトに指一本でも触れたら、媽祖聖札のガトリングで蜂の巣にして差し上げます』と言っている目だわ」
「それは亜羅椰さんの邪推です。私はむやみに実力行使は致しません。節度を守っていただける限りは」
「言い換えれば、節度を守らなければ容赦なく実力行使するってことね」
「あまり人の言葉の裏ばかり読むものではありませんよ、亜羅椰さん」
裏だらけのくせに何を言う、と言わんばかりに亜羅椰は傲然と神琳の顔を見返す。
目に見えない火花が亜羅椰と神琳の間に散り、火に油を注ぐかのように亜羅椰が挑発の言葉を口にする。
「無理しなくていいわよ、神琳さん。
あなた、雨嘉さんを私に取られるのが怖いんでしょう?
あなたより魅力のある、この私に」
亜羅椰の露骨な挑発を受けた神琳の目がわずかに細くなり、雨嘉と伊紀は神琳の周りに青白いマギのゆらめきが見えたような気がした。
これは血を見ることになる、と二人は直感した。