ネタバレに相当するものがあるかもしれませんので、あらかじめご承知おきください。
結梨のこれ以上なく簡潔な要求を聞いた女性は、少しだけ目を細めた。
それが気分を害したゆえのものか、それとも単刀直入すぎる求めに小気味良さを感じたためなのか、結梨と碧乙には判断がつきかねた。
女性は唇の端でわずかに微笑し、穏やかに結梨に語りかけた。
「いいでしょう、信用してもらおうとする相手に自分のことを何も知らせないのは、筋が通っていない。私のことは『御前』と呼びなさい」
「『御前』……」
「『御前』って、静御前とか巴御前とかの、あの御前?」
横から碧乙が口を挟んだ。
「何か問題が?」
「本名じゃないわよね、当然」
「本名は名乗れない。簡単に私の身元や素性を探られるわけにはいかないから」
「格好つけて。ただの中二病のくせに。真名も名乗れない根性無しのへぼリリィ」
「そんな見えすいた挑発には乗らないわ。それに私は今、結梨と話をしようとしている。
あなたとは気が向いたら後で話してあげるかもしれないから、それまで大人しく待っていなさい」
「はいはい、おっしゃるとおりに致しますよ。それじゃ結梨ちゃん、話の続きをどうぞ」
碧乙はいかにも不承不承といった態度で話を切り上げ、結梨の発言を促した。
うなずいた結梨は再び『御前』に質問を投げかける。
「『御前』は私を探しに来て、私に力を貸すように求めた。『御前』は私の力を使って何をするつもり?」
「いきなり核心を突いてくるのね。実に率直で明快な質問、とても好みだわ」
『御前』はおもむろに右手を伸ばして、結梨の頬に軽く触れた。
「あなたは自分が普通のリリィではないという自覚は当然あるわよね。それどころか人間扱いさえされずに、危うくG.E.H.E.N.A.送りになるところだった。
そもそもリリィ自体がヒュージ化した人と言われることもあるのに、その時の都合でなされた恣意的な線引きなど、本質的には何の意味も無い。
たとえリリィの力の源がヒュージと同根のものであっても、それが超常の能力であることに変わりは無いわ。
そう考えると、リリィやヒュージという存在は、既存の生物種よりも進化した形態と言えるのではないかしら」
それは危険な考えだと、『御前』の発言を聞いていた碧乙は思った。
より進化した生物種、それは既存の種を駆逐し、場合によっては絶滅すらさせるかもしれない。
自然界の淘汰に従えば、駆逐される既存の種とは、リリィとしての力を持たない『普通の』人間だ。
リリィが存在しなければ、とうの昔に人類はヒュージによって絶滅させられていた。
逆に言えば、リリィが『普通の』人間を護らなくなった時、世界はリリィとヒュージだけが生きる世界になる。
(まさか、そんな荒唐無稽なことが起こるわけない……でも、この『御前』はそれを本気でやろうとしている?)
「あなたは奇跡的な偶然によって誕生したワンオフの個体。
ヒュージの姫たる藍や来夢は、胎児の時にヒュージ細胞を埋め込まれた人間。
それに対して、あなたはヒュージ細胞そのものから作られた人間。
元々G.E.H.E.N.A.の研究者は、ヒュージ細胞を基にして、あなたを純粋な超高性能の戦闘マシンとして設計したかもしれない。
でも、それはより強力なリリィを作り出すことしか頭に無い彼らの浅慮にすぎない。
あなたの本質は人類、いえ、生命の革新を示す可能性の体現だと言える。
この私の手で、それを証明してみせる。そして――」
『御前』が言葉を続けようとした時、航空機ともロケットとも形容しがたい騒音が地下通路まで響き、小刻みな地響きが床を振動させた。
『御前』は視線を上に向け、通路の天井の向こうにある何かを見ているようだった。
「ネストから飛び立ったヒュージが着陸したのね。おそらくあれも一癖ある個体でしょう」
「あのヒュージについて何か知ってるの?」
「慌てなくとも、結梨との話が終わったら説明してあげる。それまでは大人しく私の話を聞いていなさい」
碧乙の問いを制して、『御前』は結梨への語りかけを再開した。
「燈と同じく、あなたも間違いなく『こちら側』のリリィよ。
でも、最初のボタンの掛け違いでこんなことになってしまった。
査問委員会の鈍物どもが軽率な対応を取ったからだ。許せない」
「ともしび?」
聞き慣れない名前に結梨が反応した。
「司馬燈。御台場女学校の強化リリィよ。あのガーデンを訪れる機会があれば、ぜひ会っておくといいわ。
ただし、少々過激な性格だから、火傷しないように充分注意しなさい。
それよりも今は――」
『御前』は腕組みをして、結梨の目を正面から見つめた。
「結梨、あなたは私の計画が予定された段階まで進んだ時に、琴陽とともに私の右腕、懐刀として働きなさい。
そして、もし私が志半ばで斃れた時には、私の後を引き継いで計画を完遂しなさい。
私の理想が実現すれば、あなたはもう人目をはばかって生きる必要は無くなる。
だから――」
「ちょっと、何をとんでもないことを」
堪えきれずに碧乙が『御前』の発言を遮ったが、結梨はあくまでも平静を保っていた。
「『御前』の計画って、何をするの?」
「少しばかり世界をすっきりさせるのよ。私たちのような者が生きやすくなるために」
「……あなた、リリィやヒュージの力を利用して、不要な人間を粛清するつもりじゃないでしょうね」
碧乙は戦慄すべき予感に襲われて、『御前』に問いたださざるを得なかった。
「まさか、私は粛清なんて野蛮なことはしない。
私はただ、ヒュージとの戦いのために過酷な実験と戦闘に曝されている強化リリィを、その苦しみから解放してあげたいだけ。
彼女たちが真に自由に生きられるような世界を創りたいだけ。
ただし、その過程で、それ以外の人がどのような運命をたどるのかまで関知するつもりは無いわ」
「積極的に手を下さないだけで、救済の対象とならない人間がどうなろうと知ったこっちゃないってことか……」
『御前』は碧乙の言葉には反応せず、結梨に語り続ける。
「できればすぐにでも私と行動をともにして欲しいけれど、私の言ったことを急に受け入れることは難しいでしょう。
それに、私自身もこれ以上のことは今は口にできない。でも――」
『御前』の言葉が途切れたが、結梨は黙ってその続きを待つ。
「私はあなたの敵ではなく、あなたを道具として利用しようとしているのでもない。
今日そのことを伝えられただけでも意義はあった。
それ以上のことは、この先ゆっくりと機会を見つけて解きほぐしていくつもり。
だから、私の思いを語るのはここまでにしておくわ」
自らの話に区切りをつけるように、『御前』は軽く頭を振って気持ちを切り替えた。
「一ついいこと――かどうかは分からないけれど、私の話を聞いてくれたお礼に、とても重要なことを教えてあげるわ、結梨。
以前、あなたの捕獲命令が取り消された直後に出現したヒュージがいたでしょう?」
「うん、よく覚えてる」
危うく刺し違えて命を落としそうになったのだ。忘れるはずも無い。
「あなたが海上で単独撃破した、あの長距離砲撃型のギガント級ヒュージ、あれは自然に発生した個体ではないわ」