「はじめまして。一柳結梨です」
借りてきた猫のように大人しく、結梨は挨拶の言葉を口にした。
「ごめんなさいね。私たちのわがままでここまで来てもらって」
「いえ、勝手なお願いを先にしたのは私たち百合ヶ丘の方です。
御台場の方々がお気になさる必要はありません」
結梨を気遣う椛に、史房が同じく気遣いの言葉を掛ける。
椛はあらためて史房に一礼し、品の良さをうかがわせる口調で話しかけた。
「史房様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
この度はガーデンの建物が甚大な被害を受けたそうですが、人的な被害も出たのですか?」
「いえ、ヒュージが襲来するまでの間に生徒は全員避難済みでした。
その後の戦闘でも深刻な負傷を負った者はいませんでしたので、実質的な人的被害はありませんでした」
生徒の無事を告げる史房の返答に、椛は安堵の表情を浮かべた。
「そうですか。それは不幸中の幸いでしたね。
建物はまた再建できますが、失われた人命は二度と元に戻りませんから」
「ええ。それに今は白井夢結さんと一柳梨璃さんの二人が、由比ヶ浜ネストのアルトラ級討伐に向かったところです。
これが成功すれば、百合ヶ丘周辺のヒュージの脅威は劇的に少なくなります。
外征による東京方面への支援にも、より多くのレギオンを派遣できるようになるでしょう。
崩壊状態にあるというルドビコの穴を埋める意味でも」
「お二人が任務を果たし、無事に帰ってくることを私も心より願います」
三人はエントランスを通り抜けて、校舎の奥へ続く廊下を歩いていく。
やがて、ある扉の前で椛が立ち止まった。結梨と史房もそれに合わせて歩みを止める。
「副会長のゆず――いえ、川村楪は、教導官との打ち合わせが終わり次第、こちらへ来る予定になっています。すみませんが、それまでこの来賓室でお待ちください」
椛は重厚な木製の扉をゆっくりと開き、結梨と史房に入室するよう求めた。
二人が来賓室の中に入ると、広い部屋の窓際に立つ三つの人影が見えた。
窓の外から差し込んでくる光が逆光となり、その姿はシルエットになっていた。
そのため表情などは、はっきりとは分からない。
三人とも癖の無い長い髪を腰まで伸ばし、うち一人はヒュージサーチャーらしき三角形の髪飾りを二つ装着している。
「あなたたち、もう来ていたの」
結梨と史房の後ろから椛の声が聞こえた。
「どうしても待ちきれなくて、つい予定の時間より早く来てしまいましたわ。そちらのリリィが一柳結梨さんでいらっしゃるのね」
三つの人影の一つが前に進み出て、自信に満ち溢れた口調で結梨に話しかけた。
「私はロネスネスで主将を務める二年生の船田純と言いますの。以後よろしく。
あちらに控えている女性が私の双子の姉の初姉様、その隣が同じロネスネスの一年生で司馬燈」
純の言葉の後で、窓際にいた二つの人影が、結梨と史房に向かって軽く頭を下げる。
純と名乗ったリリィは結梨の前まで来ると腕組みをして、拍子抜けした感情を隠さなかった。
「ギガント級を一人で倒したというから、どんな怪力自慢のリリィかと思ったら、まだほんのお子様ですのね。
こんな子にG.E.H.E.N.A.が躍起になって身柄を拘束しようとしたとは、にわかには信じられませんわ」
「その物言いは失礼ですよ、純。もう少し言葉遣いに気をつけなさい」
窓際にいた人影の一人、船田初が妹の純に向かって歩み寄りながら注意をした。
純白の長髪を優雅に揺らめかせる姉は、純とは対照的に穏やかな口調と雰囲気の持ち主だった。
それがいつものことなのか、純は特に悪びれる様子も無く、初に自分の意見を述べ始めた。
「姉様、私は感じたままを正直に言葉にしたまでですわ。別にこの子を軽んじているわけではありません。
この子が一人でギガント級を倒したことは事実。それなら外見からは分からない特別な力が、必ずあるはずですわ。
その辺りはいかがなんですの?結梨さん」
「あれはネストが近くにあったから、そのマギを使えただけで、私一人だけの力じゃなかったし……」
「ほら御覧なさい。やっぱりそんな非常識な曲芸ができるではありませんか。
言い換えれば、あなたはヒュージネストの近くでなら、無尽蔵にマギを使えるということに他ならない。
ノインヴェルト戦術を用いなくとも、あなたがいればネストは討滅できる。
ラージ級以下の雑魚ヒュージは他のリリィに任せて、あなたはギガント級とアルトラ級だけを相手に戦えばいいのですわ」
勝ち誇ったように言う純に対して、初が水を差す。
「そんなことをしたらCHARMが持たないわ。
百合ヶ丘から提供された資料にも、撃破後に回収されたCHARMのマギクリスタルコアが喪失していたとありました。
だから、そのやり方でギガント級を一体倒しても、後が続きません。
それに近距離で撃破した後の離脱方法の問題もあります。
話はそう簡単ではありません」
「そう言えば、今あなたの使っているCHARMは専用のカスタマイズがされているのかしら?ちょっと見せて下さる?」
CHARMに話が及ぶと、窓際に残っていた一年生の司馬燈が結梨の傍まで近づいてきた。
彼女が純に負けず劣らずの生粋のアタッカーであることは、彼女の全身から放たれる雰囲気でも明らかだった。
「うん、どうぞ」
その求めに応じて、結梨は背負っているケースからアステリオンを取り出すと、燈に手渡した。
燈は結梨から受け取ったアステリオンを一瞥した。
「見たところ、何の変哲も無いアステリオンですわね」
「うん、ほとんど標準仕様のまま。その方が作戦行動中の故障対応やメンテナンスに都合がいいから」
「もったいない」
「えっ?」
「あなたほどの傑出した能力なら、それに見合ったカスタマイズを施した専用のCHARMを装備するべきですわ」
「そうなの?」
「ええ、私の使っているCHARMは第四世代のヴィンセツ・リーリエ。
私は特別優秀な強化リリィだから、第四世代のCHARMでも心身へのリスクをほとんど気にせず使いこなせますの。
資料に目を通した限りでは、あなたは強化リリィ以上のポテンシャルを生まれながらに持っていますわ。
そのあなたなら、第四世代CHARMの方が間違いなくあなた自身の生存率も向上するし、倒せる敵の数も助けられる人の数も、今より格段に多くなる。
トラブル対応やメンテナンスの問題については、私の使っているヴィンセツ・リーリエのように分離型のCHARMを使えば、片方が故障しても戦闘不能にはならない。
ぜひ御一考なさることをお勧めいたしますわ」
「確か、百合ヶ丘でも第四世代CHARMの開発が行われているはずですが」
燈の発言を引き継いで、初が史房を見て確認を求めた。
「ええ、百合ヶ丘の工廠科で開発を進めているのは事実です。
しかしまだ実戦に投入できる段階には至っていません。
第四世代のCHARMは精神直結型ですので、装備するリリィへの負担を考慮して、今のところは慎重な姿勢を取っています」
「そうですか。では百合ヶ丘での本格的な導入には、まだ相応に時間を要するということですね」
「残念ながら、おっしゃる通りです」
史房は微妙な表情を浮かべて初の発言を肯定した。
「ところで結梨さん。あなたのレアスキルについて少し尋ねたいことが――」
なおも結梨を囲んであれこれと話し続ける純と燈に、椛が口を挟む。
「あなたたち、結梨さんに興味があるのは分かるけど、今日は結梨さんのことを聞くのが本題ではないでしょう。
G.E.H.E.N.A.とヒュージの関連性、『御前』なる人物の情報、ルドビコへのコンタクト手段について、双方で意見の取りまとめをして今後の方針を定めておかなければいけません」
「はいはい、相変わらずお堅いことですわね、ヘオロットセインツの隊長様は」
純の嫌味に椛が何事かを口走ろうとした時、来賓室のドアが開いて一人のリリィが顔を出した。
室内にいる四人の御台場のリリィとは異なるミディアムボブの髪型、そして首に掛けた大きなヘッドホンが結梨の目に留まった。
「ごめん、教導官との打ち合わせが予定より長引いて遅くなった。
――ああ、あんたが噂の一柳結梨か。
私はヘオロットセインツの副隊長で、そこにいる椛のルームメイトの川村楪。
色々ヤバいことに巻き込まれてるみたいだけど、私たちが必ず助けてやるから、何も心配しなくていい。一緒に力を合わせて乗り越えよう」
目に見えない熱気が伝わって来そうな勢いで、楪は結梨に励ましの言葉を掛けた。