楪は視線を史房から琴陽に転じ、その好奇心と闘争心に満ちた顔を見据えながら話しかけた。
「あんたが琴陽か。私は御台場の川村楪っていうリリィだ。
こちらは百合ヶ丘の出江史房様。事情があって今は御台場の制服を着ているが」
「あなたが、あの川村楪様ですか。はじめまして、ルドビコ女学院一年生の戸田・エウラリア・琴陽と申します。
噂に名高いヘオロットセインツの副隊長とあらば、相手にとって何ら不足はありません。
急いで駆けつけた甲斐があったというものです」
琴陽は目をきらきらと輝かせて、とっておきの玩具を見つけた子供のように興奮していた。
「琴陽さん、やめてください。身の程を知らないにも限度があります」
来夢は、琴陽の無謀な挑戦を何とか取り下げさせようと止めに入る。
楪も来夢の言葉に続けて、琴陽を引き下がらせるために説明する。
「さっきの校内放送は佳世っていうリリィが、あんたを呼び出すためにでっち上げた方便だ。
私たちはあんたと手合わせするつもりは無い。少しばかり聞きたいことがあるだけだ」
「そうですか。しかし佳世様が勝手におっしゃったことであっても、私がお二人と手合わせを希望することには何の変わりもありません。
私に聞きたいことがあるのなら、手合わせの後でお話に応じましょう」
「参ったな……むやみに他校のリリィと手合わせなんてしたら、私闘扱いで謹慎処分を受けてもおかしくない。
そういうのは、せめて同じガーデンのリリィ同士に限ってくれないか」
「それなら、楪様か史房様が私に特別に稽古をつけて下さるという建前にすれば、私闘にはならないと思いますが」
「物は言いよう、か。正直、詭弁だと思うが、どうしても手合わせしないことには話が進まないみたいだな。
史房様、彼女の提案に乗りますか?」
「……私も全く気が進まないけど、彼女にこちらの希望を受け入れてもらう選択肢は他に無さそうね。
人目につかない所で、かつ攻撃を身体に当てない寸止めの形式に限定するという条件でなら、ギリギリ目を瞑っても……本当は決して認めたくない不本意極まりない選択だけど」
目的のために手段を選ばないという判断を強いられた史房は、苦渋の思いで琴陽の申し出を認めようとした。
「受けていただけるということですね。ありがとうございます。
では、お二人のどちらが私の相手をしていただけますか?」
「私が琴陽さんの相手になりましょう。この件は百合ヶ丘が発端になって御台場に伝手を頼んだのですから、楪さんに任せるわけにはいきません」
「いや、史房様、それは不味い。
いくら予防線として建前を講じても、さすがに鎌倉府のリリィが東京のリリィと私的にCHARMを交えるのは、結構な問題になりかねない。
それも百合ヶ丘のレギオンを統括する立場の史房様なら、なおさらだ。
この場は私が彼女の相手をします」
楪は背中に背負ったCHARMケースからグングニルを取り出すと、軽く一振りして得物の調子を確認した。
「よし、それじゃ適当に人目につかない場所に案内してくれ。さっさと片付けて本題に入らないと、日が暮れてしまう」
「ありがとうございます、楪様。ではこちらへ。近くにちょうどいい広さの空き地があります」
琴陽の先導で一同が歩き出そうとしたその時、
「……あの、楪様、史房様」
それまで三人の傍で黙っていた来夢が何かに気づいた様子で、おずおずと声をかけた。
「どうかしたの、来夢さん」
「――お姉様、いえ幸恵様が、おいでになりました」
振り向いた来夢の視線の先をたどると、そこには憂慮と不安の感情を目に浮かべて立っている福山・ジャンヌ・幸恵の姿があった。
その瞳は、右手にそれぞれのCHARMを携えた楪と琴陽をまっすぐに見つめている。
「佳世さんの声でとんでもない内容の校内放送が聞こえたから、会議を抜け出してここへ駆けつけたの。
楪さん、琴陽さん、二人とも抜き身のCHARMを持って何をしようとしているの?
まさか――」
「その『まさか』だ。幸恵。
多分あんたの想像通りのことを、私とこの子はしようとしている。
あんたのことだ、この後の言動は私にも察しがつく。そんなことは――」
「そんなことは看過できません。すぐに二人ともCHARMを収めて。
リリィ同士がCHARMを向け合うなど、到底許されないことです。
どうしても引き下がらないというのなら、私が強制的に介入してあなたたちを制止します」
幸恵は二人の間に割って入り、琴陽と楪の手合わせを阻止しようとする。
円環の御手をレアスキルに持つ幸恵だが、今この場にはCHARMを持って来ておらず、その両手は素手の状態だった。
「たとえそれが訓練や稽古であっても、ですか?幸恵様」
いかにも不服そうな顔で、琴陽が幸恵に疑問を投げかけた。
しかし幸恵の方は琴陽の意図など先刻お見通しのようだった。
「あなたの魂胆は分かっています。そういう名目であれば、あなたの好きな手合わせを憚ることなくできると考えたのでしょう。
ですが正規の訓練以外でリリィ同士がCHARMを交えて戦うことは、いかなる理由があっても認めるわけにはいきません。
楪さんも、戯れは程々にしてください。これは度が過ぎています」
「まあ、堅物の幸恵なら、そう言うと思ったよ」
取り立てて悪びれる様子も無く、楪は肩をすくめて口笛を吹いた。
さて代案はどうしようかと楪が考えを巡らせ始めた時、聞き覚えのあるサイレンが突然周囲に鳴り響いた。
ヒュージの出現を告げ知らせる警報音。
しかし、それ以上の情報がガーデンの校内放送から流れてくることは無かった。
「来たのか。何とも間の悪いことだ。
ヒュージをそっちのけにして手合わせに興じるわけにはいかないな。
琴陽、手合わせは一旦お預けだ。――史房様」
「ええ、この続きはヒュージを片付けるまで棚上げね。
私たちもルドビコのリリィと一緒に迎撃戦に加わりましょう」
「お二人とも、ありがとうございます。来夢、出現したヒュージの情報はどうなっているの?」
幸恵から確認を求められた来夢は、通信端末を耳に当てながら状況を報告する。
「はい。たった今、防衛軍の索敵部隊から連絡が入りました。
ヒュージの出現箇所は新宿から六本木にかけての広範なエリアに渡って散発的に発生。
ほとんどはスモール級とミドル級の個体ですが、一部のエリアではラージ級の存在が確認されたとのことです」
「その一部のエリアっていうのは、具体的にどこなんだ?」
今度は楪が来夢に問いかけた。来夢は楪の方を振り返って回答する。
「現時点で確認できたのは二ヶ所です。
ここ新宿御苑の近傍で六体、それに地下鉄六本木駅の南西約1000メートルの地点に三体が確認されています。
それぞれに十数体のミドル級とスモール級が随伴しています。
また、六本木の個体はいずれも北東方向へ向かって侵攻中です」
まさかこれもG.E.H.E.N.A.がやらせていることなのかと、史房は楪に目線で問いかけた。
楪は黙って首を横に振って、
「今の時点では判断するための材料が不足しています。
ですが、ギガント級がいないことから、おそらくその可能性は低いでしょう。
奴らの関与の有無については、戦闘が終わった後で考えましょう」
と、この場で断定することを避けた。
「分かったわ。――幸恵さん、このガーデンの司令部は機能しているの?」
史房の問いに対して、幸恵は否定の言葉を口にした。
「いえ、現在は教導官が多数欠員の状態になっているため、司令部は事実上機能を停止しています。
今のところは鷹の目やレジスタのレアスキルを持つリリィが、個別にヒュージの分布を把握し、各レギオンにその情報を連絡する形での運用が続いています」
「となると、ガーデンの各レギオンを統合したレベルでの組織的戦闘はできないな。
レギオン単位、あるいは個人でのデュエル戦闘でヒュージを退けるしかない」
「今の指揮体制だと出現したヒュージをすべて倒すまでには、それなりに時間がかかりそうね。
すぐにここを片付けて六本木に向かうことはできないか……
でも、東京地区には大規模なエリアディフェンスのシステムが稼働してるのではなかったのですか?」
「はい、史房様。都内各所のエリアディフェンスは正常に作動しています。
おそらくエリアディフェンスの外側から下水道や雨水管を通って侵入したか、ラボから逃げ出した個体が近くに潜んでいたかのどちらかでしょう。
エリアディフェンスといっても、あらゆるパターンに対応できるわけではないのです」
(六本木か。結梨が何事もなく帰途についていれば、ヒュージとは遭遇しないはずだが……)
楪が史房の方を見ると、史房は承知しているとばかりに小さく頷いた。
「一年生とはいえ、彼女も一人前のリリィです。
もしヒュージと遭遇しても、適切な対応を取れるだけの能力は持っています。
私たちは目の前の敵を掃討することに全力を挙げるべきです」
「分かりました。あの子のことは、この戦闘が終わった後に考えることにします。
確か六本木にあるガーデンは……」
「行きましょう、楪さん。私たちは幸恵さんの指示に従ってルドビコのリリィを支援する必要があります」
「ええ、ヒュージ相手なら遠慮なく思う存分CHARMを振るうことができる。
寸止めの稽古もどきなんかより余程すっきりしている」
楪は先程までの割り切れないものが吹っ切れたような気持ちになり、右手に持ったグングニルを握り直した。
(結梨さん、必ず無事に百合ヶ丘に戻ってきて。こんなところであなたを失うわけにはいかないのだから)
史房は六本木のある南東の方角を仰ぎ見て、言葉には出さずに心の中でつぶやいた。
同じ時刻、ヒュージ襲来の警報は、結梨が足止めされている六本木の街にも鳴り響いていた。
地下鉄の駅から地上に出た結梨は、逃げ惑う人々の間をすり抜けて、見通しのきく場所へ移動しようとしていた。
離れた所から断続的に、破壊音と爆発音と発砲音が入り混じって聞こえてくる。
そのたびに結梨の周囲から、恐怖に駆られた悲鳴が上がった。
(もう戦闘が始まってる。南西の方角、距離はここから約1000メートル。
あの破壊音だと、たぶん大型のヒュージが複数いる。
応戦してるのは通常兵器だけで、CHARMの攻撃は無いみたい)
即座に状況の判断を下すと、結梨は携帯端末を取り出して、百合ヶ丘のガーデンに回線をつないだ。
「理事長代行先生ですか?一柳結梨です。
ガーデンへ帰還する途中の六本木でヒュージが出現しました。
まだ視認はしていませんが、ラージ級以上の個体が複数いると思われます。
すでに現地の部隊が応戦を始めていますが、リリィはまだ到着していないようです。
すぐに私に出撃の許可をお願いします」
普段の口調とは違う改まった言葉遣いで、結梨は理事長代行の高松咬月に出撃許可を求めた。
その視線は、並び立つ高層ビルの向こうに幾筋も立ち上る黒煙に向けられていた。