ロザリンデと結梨が幸恵たちとの話し合いを終えてから三時間後、防衛軍の工兵部隊は新宿御苑周辺における小型エリアディフェンス装置の設置を完了した。
それに伴って実質的に彼らの護衛役を務めていたロスヴァイセの任務も終了し、休息と補給のために御台場女学校へ向かうこととなった。
既に日は沈み、周囲一帯は停電している。
普段は街灯に照らし出されている建物や道路は、僅かな月明かりを反射するのみだった。
ロスヴァイセのリリィ九人と結梨は、市ヶ谷の臨時統合司令部から手配された防衛軍の装輪装甲車に乗り込み、臨海部にある御台場女学校へと向かっていた。
運転席と隔てられた車両後部のロングシートに五人ずつが対面で座り、彼女たちの身体を時おり不規則な振動が揺らし続けていた。
通信端末で司令部とのやり取りをしていた伊紀が通信を終え、ロザリンデに状況の報告を始める。
「司令部からの情報では、ヒュージの駆逐を達成できた区域から順次、小型エリアディフェンス装置の設置が進められています。
この車両はその区域を選択して通過し、御台場女学校へ向かうとのことです」
「ガンシップは使えなかったの?」
「ガンシップを新宿御苑上空に呼ぶことは許可されませんでした。
都庁周辺に未知の特型ヒュージが出現し、その個体の戦闘能力の全容が不明のため、司令部は空路での移動を危険視したようです」
「長射程の対空砲火を撃ってくるかもしれないということか……遮蔽物の無い空中で狙い撃ちにされたらひとたまりも無いものね。
都内全体の戦況はどうなっているの?」
「今のところ、一進一退よりは幾分良い状況です。
ヒュージを駆逐した区域の小型エリアディフェンス装置は、少しずつですが設置が進み、以降のケイブ発生を抑制しています。
また、不幸中の幸いで、これまでギガント級の出現は確認されていません。
目下のところ最大の障害となっているのが、新宿の都庁最上部に居座っている特型のヒュージです。
これは先ほどガンシップを呼ぶに当たって障害となったヒュージと同一の個体と見られます。
現在は巨大な繭の様な物体を形成して、その動きを止めているとのことです。
おそらく次の行動に移るための準備を、繭の中で進めているのではないかと推測されます」
「今のうちに、その繭を壊してしまうことはできないの?」
伊紀の説明を隣りで聞いていた結梨が尋ねると、伊紀はやや沈んだ表情で首を横に振った。
「現地で展開中のレギオンが放ったノインヴェルト戦術のフィニッシュショットを、その特型ヒュージがマギリフレクターで防御したとの報告が入っています。
なので、通常の攻撃で撃破することは難しそうです」
「それなら、私たちがそこに行って一緒に戦うことはできる?」
再度の結梨の問いに、またしても伊紀は否定の返事を返す。
「残念ですが、これ以上の都庁周辺への戦力投入は禁止されています。
現時点で当該地点に展開されているレギオンのみで、目標の特型ヒュージを排除せよとの命令です」
その内容を不可解に思ったロザリンデが、訝しげな表情で伊紀に尋ねる。
「なぜ司令部はそのような命令を出しているの?防衛軍の幕僚長からの指示なの?」
「いえ、防衛軍ではなく、一部の政府筋からの要請があったとのことです。
都庁の特型ヒュージは極めて特殊な個体であるため、可能な限り多くの情報を収集したい。だから無闇な増援は必要無いと」
(つまり、ヒュージの能力を最大限まで引き出すように、拮抗した彼我戦力差を維持するというわけか。だが、現地で戦っているレギオンの負担、いや危険は計り知れない――)
そこまで考えを進めた時、ロザリンデは何かを思いついたように息を呑んだ。
(違う。幸恵さんたちから聞いた話を踏まえると、能力を最大限まで引き出させようとしている対象はヒュージではなく、そこで戦っているリリィの方だわ)
(被験者としたリリィを更なる能力に覚醒させるため、そのリリィや仲間を絶体絶命の窮地に追い込む。そしてその局面を打開するために、限界を超えた力を発揮させる。それがG.E.H.E.N.A.のやり方だと)
(その政府筋とやら、まさか以前の査問委員会と同様に、G.E.H.E.N.A.の息がかかった人間が策動している?)
「いま都庁周辺で戦っているレギオンは――」
「一柳隊、ヘルヴォル、グラン・エプレの3レギオンです」
(その中の誰かが今回の実験対象者……今の段階では特定する材料に乏しいか)
「お姉様、どうします?今から都庁へ駆けつけますか?」
碧乙がロザリンデに意思確認をすると、ロザリンデは冷静に否定の返事を口にした。
「いえ、わざわざそんな禁止命令を出すということは、当然そのような行動を取る者の存在を想定しているに違いないわ。
もし私たちが命令に背いて都庁に向かったとしても、ただちに行く手を阻むための対応が取られるはずよ。
その対応に動員されるのが、防衛軍の部隊か近隣のガーデンのリリィかは分からないけれど。
そして私たちがその妨害を排除して進もうとすれば、人間同士の戦闘に発展してしまう事態になる」
「その結果、交戦規程違反、軍法会議、刑事裁判のフルコースが待ち構えているというわけですか。
リリィが命令に反してCHARMで人を傷つけたとなれば、下手をすれば百合ヶ丘のガーデンそのものが取り潰しになる可能性すらありますね」
「そう。だから、今は都庁で戦っている3レギオンの支援に向かうことはできない。
悔しいけれど、敵は用意周到に実験場を作り上げている。
迂闊に立ち入ろうとすれば、たちまち陥穽に陥るように様々な仕掛けが張り巡らされているでしょう。
都庁への増援を禁止する命令も、そうした策の一つに過ぎないわ」
一方、ロザリンデの説明を聞いていた結梨は、眼前で展開されていた深刻な見解とは異なる意見を口にした。
「梨璃たちが自分の力でヒュージを倒すしかないってことなんだね。
でも、『御前』が来た時に現れたヒュージは、梨璃がレアスキルを使って、百合ヶ丘のリリィ全員でノインヴェルト戦術をして倒したって聞いたよ。
今度も梨璃がいれば、一柳隊だけじゃなくて三つのレギオン全員でノインヴェルト戦術ができるんじゃない?」
結梨の指摘を聞いたロザリンデは、再び幸恵の説明を思い出した。
(……そうか。おそらく、それこそが実験の狙い。あの時よりも過酷な状況で、より強力なヒュージを倒すために、より高次のレアスキルの発動を余儀なくさせる。梨璃さんのレアスキルは来夢さんと同じカリスマ。そして、カリスマより高次のレアスキルと言うことは――)
その先へ考えを進めようとした時、碧乙の声が耳に届いて、ロザリンデは思考を中断した。
「お姉様、私たちは特務レギオンである上に、結梨ちゃんを帯同しています。
御台場女学校へ入るに当たっては、人目につかないようにする必要があります」
「そうね。伊紀、百合ヶ丘の理事長代行に連絡して、その旨を御台場へ申し入れていただくようにお願いしてくれる?」
「分かりました。少しお待ちください」
伊紀は理事長代行の高松咬月としばらくの間、通信端末を介して話し合いをし、何度か頷いた後、通信を終了した。
「お待たせしました。私たちが来賓用の特別ゲートから入れるように、百合ヶ丘から御台場のガーデンへ要請して下さるそうです。
また、機密保持のため、史房様と結梨ちゃんが御台場を訪問した際に応対したリリィを呼んでいただけるとのことです」
「それなら一安心ね。でも、御台場も主だったレギオンは外征に出撃していて不在のはず。生徒会の誰かがガーデンに残っているのかしら」
「でも、生徒会長の月岡椛様も副会長の川村楪様も、LGヘオロットセインツの要です。お二人を抜きにしてレギオンが外征に出撃するとは考えにくいのですが」
自分たちを出迎えるものが誰なのかを気にするロザリンデと伊紀に対して、碧乙は特に気掛けていない様子だった。
「いずれにせよ、御台場なら百合ヶ丘と同じ反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンです。
ルドビコやエレンスゲのような親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンに入るのとは訳が違います。
今夜はゆっくり休んで明日に備えさせてもらいましょう」
一行を乗せた車両が東京湾の臨海部に位置する御台場女学校に到着したのは、それから約30分後のことだった。
正門を避けて敷地の目立たない所にある来賓用のゲート前で車両は停止し、結梨を含めた十人のリリィは整然と降車した。
ゲートを通って敷地内に入った結梨が見た景色は、史房と一緒にここを訪れた時と寸分も変わってはいなかった。
前回はこの先のエントランスで、生徒会長の月岡椛が出迎えてくれたのだ。
しかし先ほどの話では、椛がガーデンに残っている可能性は高くなさそうだった。
果たして、一行がエントランスに近づいた時、前回と同じくガラス張りの扉の向こうに人影が見えた。
そのシルエットは結梨が知る月岡椛のものとは異なっていたが、見覚えがある別人のものだった。
「ごきげんよう、百合ヶ丘女学院の皆様方。遠路ようこそ御台場女学校へ。
寝所も補給物資も既にご用意しておりますわ。明日のために充分ご準備・お休みなさいませ」
「燈、久しぶり。元気だった?」
エントランスで一同を出迎えた司馬燈に、結梨が前に進み出て親し気に話しかけた。
「お久しぶりですわね、一柳結梨さん。お変わりありませんこと?
あなたこそ随分とご活躍なさったようで、何よりですわ。
少し見ない間に、変わったCHARMを使うようになったのですわね。
そのCHARM、いかにも第4世代の機体に見えますが」
エインヘリャルを装備した結梨の全身を、燈はしげしげと興味深そうに眺めている。
「うん、御台場から百合ヶ丘に帰る途中で、麻嶺っていうリリィに会って、その人に作ってもらったの。
元々は百由が作ろうとしてたんだけど、百合ヶ丘ではなかなか使いこなせるリリィがいなくて、途中で止まってたのを麻嶺が引き継いだんだって」
「当然ですわ。そのCHARMは精神直結型の完全無線誘導方式でしょう。
私と同等以上の適性が無い限り、到底使いこなせるものではありませんわ。
無理に動かそうとすれば精神に重大なダメージを受けて、最悪の場合は廃人になりかねませんわ」
「そうなんだ……でも、私は初めから普通に使えたよ」
「あなたはあらゆる意味で規格外のリリィですから、何が出来ても不思議ではありませんわ。
――これは私見ですが、その気になれば全てのレアスキルに覚醒できるのではないかとさえ思えてくるほどですもの」
「どうも話を聞いていると、第4世代CHARMってほとんどニュータイプ専用機みたいな機体なのね。
現状では、とても一般的なレギオンに標準配備できるような代物じゃ無さそうね」
結梨の後ろで燈の説明に耳を傾けていた碧乙は、隣りにいる伊紀に半分あきらめ顔でささやいた。
「懸念があるとすれば、G.E.H.E.N.A.がリリィを過度に強化させて、無理やりにそうしたCHARMを使わせることですね。
あるいはCHARM自体の性能に異常なブーストを掛ける改造をして、強化リリィではない一般のリリィに装備させることも考えられます」
その伊紀の発言が耳に入ったのか、燈は表情をやや鋭く引き締め、何事かを口にしようとした。
その時、燈の発言よりも早く、結梨の隣りにいたロザリンデが燈に話しかけた。
「自己紹介がまだでしたね。私たちは百合ヶ丘のLGロスヴァイセのリリィです。
私は3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーと申します。
このたびはお忙しい中、私たちを受け入れてくれる準備を整えていただき――」
「堅苦しい挨拶は省いてもらって構いませんわ。今は非常事態、私たちリリィは武人。余計な社交辞令は不要ですわ」
「あなたが『鞍馬の女天狗』と呼ばれた司馬燈さんですね。お噂はかねがね耳にしています」
司馬燈。かつて京都のG.E.H.E.N.A.研究施設を脱走し、山中に潜んでいたところを御台場女学校の船田純と戦い、それ以来彼女を慕うようになったという曰く付きの強化リリィ。
脱走の際に司馬燈の担当研究員は全員死亡、研究室の設備もことごとく破壊されたとの機密情報を、ロザリンデは事前に把握していた。
「私の二つ名をご存じとは、そちら方面の事情に詳しい方がいらっしゃいますのね。
と言うよりも、あなた方のレギオン自体が、私と極めて近しい属性のリリィばかりで構成されていると表現した方がよろしいかしら」
「やはり、分かるのですね」
「ええ、分かりますとも。あなた方が普通のレギオンでないことは、私のようなリリィにはよく分かりますわ。
――あなた方、結梨さん以外は全員強化リリィですわね。
私も強化リリィなので、一目見れば察しがつきますわ。
そんなメンバー構成のレギオンが、単なる対ヒュージ戦闘部隊なわけがありませんわ。
そして、そのようなレギオンを百合ヶ丘が派遣したということは――」
「それは、あなたがLGロネスネスの外征に同行せず、このガーデンに残っている理由と同じでしょう」
双方が次の言葉を探している少しの間に、結梨が思わず質問を口にする。
「燈。ロネスネスやヘオロットセインツのみんなは……?」
「あいにく、私を除いて全員出払っていますわ。
複数の遠隔地でヒュージが同時多発的に出現したため、東京中のガーデンから主力レギオンがごっそり対応に回されてしまいました。
私はロネスネスとヘオロットセインツが外征中、純お姉様の言いつけで留守を預からせていただいてますの。
最近、この御台場周辺でも非常に不可解なヒュージの出現がありましたので、旗艦レギオン不在の隙を突かれないようにと御配慮されたのでしょう」
「やはりそうですか。百合ヶ丘でも主だった外征レギオンは全て遠方に出撃中です。
本来なら私たちではなく、それらのレギオンが支援に駆け付けるはずだったのですが」
「さもありなん。そうなるように計らった輩がいるのですから、してやったりと今頃ほくそ笑んでいることでしょう。
またぞろ、ろくでもない実験を都内のどこかで仕掛けようとしているに違いありませんわ」
「どうやら考えていることは同じのようですね。
他の誰でもなく、あなたが留守番を任されたのも、御台場のリリィでは一番よく連中のことを知悉しているからでしょう」
「そのお言葉、喜んでいいものかどうか複雑な心境ですわ。
備えあれば憂い無しと言いますが、ヒュージとの戦闘よりも、その後ろで糸を引いている連中の手管の方がよほど厄介ですもの。
――さて、いつまでもここで立ち話をしているのも何ですから、滞在していただく部屋へご案内いたしますわ。私の後について来て下さいませ」
一行が無人の廊下を燈に先導されて進んで行くと、何度かセキュリティゲートを通過した後に、校舎の奥まった所にある部屋の前にたどり着いた。
その一角は一般生徒が立ち入らないよう、厳重に隔離された構造になっており、秘密裏に訪問者を滞在させるための設備であることが窺われた。
「特定の権限を持った者以外はここまで入り込めないようになっていますの。
ここに来ることができるのは教導官、生徒会、ロネスネス、ヘオロットセインツのリリィくらいですわ。
食事は後ほど私がお持ち致します。
弾薬やCHARMの交換部品なども、申し付けて下さればこちらで御用意します。
入浴等もこの中で出来ますので、今夜はここで御一泊下さるようお願いしますわ」
「お気遣いいただきありがとうございます。
しかし、これほど厳重に隔離された場所に案内されるということは、御台場にも何かしらの特別な事情があるのですか?もちろん結梨さんのことがあるにしても」
ロザリンデの問いかけに、この日初めて燈は自信に満ちた表情をわずかに曇らせた。
「恥ずかしながら、この御台場のガーデンの中も絶対に安全とは言えない状況が生じていますの。
その危険要素との接触を避けるために、このような所に滞在していただかざるを得ませんでしたの。
特に結梨さんについては用心していただくのがよろしいかと。
結梨さんが今ここにいることを知られると、後々まずい事態に発展しかねない恐れがありますので」
「分かりました。結梨さんには室内の構造を把握した上で、部屋の外から見えないように行動してもらいます。
また、あなた以外の誰かがこの部屋に来た時には、念のために結梨さん以外の者が応対するようにします」
「くれぐれもお気をつけて。では私はひとまず失礼いたしますわ。
御用の際は部屋の中にある電話でお呼びいただければ、いつでも応対いたしますので、よろしくお願いいたしますわ」
去って行く燈の後ろ姿を見送った後、ロスヴァイセの九人のリリィと結梨は広い室内に入り、さっそく各自のCHARMを点検し始めた。
と言っても、ヒュージと直接戦闘したのは結梨とロザリンデと伊紀の三人のみだったので、実質的には十人で三機のCHARMを点検する形になった。
十人のリリィが黙々と点検を進めていると、不意にドアをノックする音が室内に響いた。
座っていた椅子からロザリンデが立ち上がり、用心深くドアの方へ近づいていく。
するとドアの向こう側から、落ち着きのある、それでいて艶めいた女性の声が聞こえてきた。
「夜分遅くごめんなさい。私はこのガーデンの校医を務めている中原・メアリィ・倫夜といいます。
あなたたちの体調について一通り確認しておきたくて、訪問させてもらったの」
ゆっくりと慎重にドアを開くと、白衣を着た美しい大人の女性が、ロザリンデの目の前に立っていた。