岸本・ルチア・来夢。
倫夜がその存在をほのめかした人物に、半日ほど前にロザリンデは直接会っていた。
まだ実戦の経験も十分に積んでいないように見える、ルドビコ女学院の1年生リリィ。
福山・ジャンヌ・幸恵の陰に隠れるように、控えめな態度の大人しそうな、しかしそれでいてどこか意志の強さを感じさせるその姿が、ロザリンデの記憶に残っている。
彼女の秘密を知らなければ、彼女を見た誰もが、何の変哲も無い一介の新米リリィだと思うだろう。
だが、ロザリンデは来夢が単なる平凡なリリィではないことを既に知っていた。
岸本・ルチア・来夢はG.E.H.E.N.A.によって胎児の段階でヒュージ細胞を体内に埋め込まれた、生まれついての強化リリィ。
そのためにヒュージからは仲間と見なされるのか、攻撃されることは無く、あまつさえギガント級が来夢を守ったことさえあったという。
その彼女がラプラスのレアスキルに覚醒すれば、自らの意思でヒュージを操ることすら可能になるかもしれない。
現段階では、G.E.H.E.N.A.は任意の場所にケイブを発生させることはできても、ヒュージの行動そのものを自由に支配することはできない。
しかし来夢の能力をもってすれば、それが実現できる可能性は非常に高い。
ラプラスの能力で人心を操るだけではなく、ヒュージの行動をも支配する。
来夢のような性質を持った特別な強化リリィ――『御前』はそれを「ヒュージの姫」と呼んでいた――とラプラスの複合によって、それが実現可能となる。
それこそが、G.E.H.E.N.A.が目指しているラプラスの利用価値の核心だというのか。
一歩譲って――それが本当に可能であるならだが――「ヒュージの姫」がラプラスでヒュージの行動を支配することは、戦略的に絶大な影響をもたらすだろう。
ラプラスのレアスキルを持つ「ヒュージの姫」がいる戦場では、理論上は彼女がそう望むなら、ヒュージとの戦闘は発生しない。
それどころか、任意にヒュージをケイブに撤退させたり、同士討ちをさせることも可能だろう。
そうなれば、G.E.H.E.N.A.にとっての残された課題は、「ヒュージの姫」を「量産」できるのか、「ヒュージの姫」をG.E.H.E.N.A.に従わせることができるのか、の二点となる。
これまでにも非人道的な数々の人体実験を重ねてきたG.E.H.E.N.A.が、それらの課題を克服するために今更手段を選ぶとは思えない。
このままG.E.H.E.N.A.の動きを放置すれば、法律や倫理など無視した暴力的な手段で、目的のリリィ――この場合は第一に岸本・ルチア・来夢だろう――の身柄を確保しようとするだろう。
彼女は結梨と同じく、現時点ではこの世に二人と存在しない貴重な生体サンプルなのだから。
より正確には、来夢がラプラスに覚醒した後で、彼女を肉体的・精神的にG.E.H.E.N.A.の支配下に置こうとするだろう。
もう一人、エレンスゲ女学園の佐々木藍も、『御前』が「ヒュージの姫」と呼んだ以上、来夢と同様に胎児の時点でヒュージ細胞を体内に埋め込まれた強化リリィなのは確実だ。
しかし、佐々木藍のレアスキルはカリスマではなくルナティックトランサーだ。
この点では藍は来夢とは異なり、G.E.H.E.N.A.の欲する能力からは外れている。
従って、あくまでもG.E.H.E.N.A.は来夢を最も優先順位の高い被験者として「実験」の計画を進めていくだろう。
「人もヒュージも自分たちの思いのままに操ることが実現できれば、世界の覇権を握る原動力に直結する。それがG.E.H.E.N.A.の狙いですか」
湧き上がる不快な予感に耐えながら、ロザリンデは呻く様に倫夜に詰め寄った。
しかし倫夜は不自然なまでに無表情のまま、黙ってロザリンデの顔を見返すのみだった。
倫夜の答えが是か非か無回答か、そのいずれであっても、結論を自ら導いたロザリンデには最早関係の無いことだった。
倫夜に回答の意思が無いことを見て取ったロザリンデは、かつて百合ヶ丘にもラプラスのレアスキルを持ったリリィがいたことに、今更ながら気づいた。
いや、正確には「ラプラスのレアスキルを持っていたかもしれない」と表現するべきか。
彼女の名前は川添美鈴。ロザリンデと同じ3年生――ただし、それは彼女が生きていたならばの話だが。
川添美鈴は二年前の甲州撤退戦で戦死し、その遺体には彼女のシルトであった白井夢結のCHARM――ダインスレイフによる傷が残されていたという。
そのダインスレイフは、どのような経緯をたどったのか、レストアされたラージ級ヒュージの体内から一柳隊によって数ヶ月前に回収された。
工廠科の真島百由による分析では、ダインスレイフの中で書き換えられた術式が、由比ヶ浜ネストから発生するヒュージの性質や行動に特異な影響を及ぼしたと結論づけている。
本来は白井夢結のCHARMだったダインスレイフを、川添美鈴は術式の書き換えと再契約によって自らの得物としていた。その目的や動機などは不明。
回収されたダインスレイフは現在、討滅された由比ヶ浜ネストがあった海域の海底に沈んでいると推定されている。
由比ヶ浜ネストのアルトラ級ヒュージを滅ぼすために、白井夢結と一柳梨璃によって使用され、ネストのあった場所に残されたままになっているのだ。
しかし放置しておけば再び災厄の原因になりかねない代物であることは間違いない。
いずれ防衛軍か海洋資源庁の潜水艇を手配して探査・回収することになるのだろうが、それはロスヴァイセの管轄外の事項だ。
ロザリンデは思考をダインスレイフから再び川添美鈴へ戻した。
ガーデンからロスヴァイセに開示された情報では、川添美鈴が自らのレアスキルを偽り、百合ヶ丘女学院のガーデン関係者全員に偽の記憶を植え付けていた可能性があると指摘されていた。
それが事実ならレアスキルを悪用した重大な問題であり、美鈴本人が存命であれば、退学処分に発展していても不思議ではなかっただろう。
しかし実際には、その疑惑が発覚する前に川添美鈴は死亡し、真相は闇の中だ。
彼女が皆の記憶を改竄して何をしようとしていたのか、その目的も皆目分からないままだ。
単に個人的な虚栄心や願望を満たすための軽挙だったのか、それとも個人のレベルを超えた遠大な企みがあってのことか。
だが、彼女のシルトだった白井夢結に美鈴の目的を尋ねることは憚られる。
夢結の精神が不安定になったきっかけが、美鈴の死だったことは明らかであり、美鈴について話すことが夢結にプラスの影響を与えるとは到底思えない。
一柳梨璃のシュッツエンゲルとなったことで、夢結の精神は徐々にではあるが安定しつつあると聞いている。
それが梨璃本人の性格によるものか、あるいはカリスマの潜在的影響かは分からないが、その流れに水を差すことはすべきでないだろう。
川添美鈴が、同じ3年生の自分や出江史房とは明らかに異なるタイプの性格であることは、ロザリンデも以前から認識していた。
彼女には、どこか危うさを内に秘めた執着のようなものを感じないわけではなかった。
掴みどころの無い、何かを隠して生きているような素振りが彼女に全く無かったと言えば嘘になる。
(まったく、厄介なことをしてくれたものね。美鈴さん)
死者を呼び出して本人に事情を聴くわけにもいかず、百合ヶ丘に襲来した何体もの変種のヒュージを思い出すと愚痴の一つも言いたくなってくる。
しかし、今はG.E.H.E.N.A.の「実験」とラプラスに意識を集中させるべきだ。
思考の向く先を川添美鈴からラプラスに戻したロザリンデは、目の前の椅子に座っている倫夜を見つめ、念を押すように確認の言葉を口にした。
「いかがですか、先生。私の指摘したことは決して的外れではないと思いますが」
ロザリンデの問いかけに対して、倫夜は数秒間の沈黙の後、おもむろに座っていた椅子から立ち上がった。
そのままゆっくりロザリンデの横を通り過ぎ、扉の方へ向かう。
扉に手を掛けて、ロザリンデに背を向けたまま、倫夜は少し疲れたように言葉を吐き出した。
「今日はもうこのくらいにしましょう。
これ以上あなたが私から答えを引き出そうとしても、私にも権限というものがあるの。
たとえあなたの推測が的中していたとしても、私がそれについて言及することは許されないわ。
だから今回の『実験』の先に何があるのかについては、あなた自身の目で確かめなさい。私が言えるのはそれだけよ」
ロザリンデは返事をせずに白衣をまとった倫夜の背中を見つめ、燈は少し離れた所から二人の様子を見守っていた。
倫夜はロザリンデが沈黙している間に、それまで言い忘れていたことを思い出した。
「後は……当然だけど、この東京でG.E.H.E.N.A.の『実験』に携わっているのは私一人ではないと断りを入れておくわ。
ルドビコ女学院のような親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンは都内にいくつも存在する。
その中のどのガーデンでどのような『実験』のプロジェクトが進められていて、何人の担当者がいるか、私にだって全容は分からないわ。
今回の都庁での『実験』にしても、プロジェクトを進めているマネージャーが私なのか、それとも他の誰かなのか、明言はできない。
知りたいことがあれば、私の言葉に頼るのではなく、あなたたち自身の知力と武力をもって真実を明らかにすることね」
倫夜はそう言い終えると、静かに扉を開いて退室しようとする。
その背中に向かって、ロザリンデは最後に自らの意思を示す言葉を投げかけた。
「G.E.H.E.N.A.の非人道的な『実験』を認めることは絶対にできません。
しかし先生が一方的に自分の価値観を押し付ける人ではないことも理解できました。
できれば時と場所を改めてもう一度、先生と話し合いをする機会を持ちたいものです」
「その時まで生き残っていられたらね、あなたも私も」
皮肉めいた口調で言い残して、倫夜は扉の向こうに姿を消した。
後に残されたロザリンデと燈は、お互いに何も言葉を発することは無かったが、次に取るべき行動が何であるかを理解していた。
二人は揃って保健室を後にし、ロスヴァイセのリリィたちがいる部屋に戻るべく廊下を歩き始めた。既に倫夜の姿は見えなくなっていた。
「司馬さん、中原先生がG.E.H.E.N.A.の関係者であることを知ってしまった以上、私は百合ヶ丘のガーデンに事実を報告しなければいけません。
あなたは自分以外に先生の秘密を打ち明けたことがあるのですか」
「それはお答えできませんわ。私にもそれなりに考えがありますので。
無論、百合ヶ丘には百合ヶ丘の考えがあるでしょうから、そちらの対応に干渉するつもりはありませんわ。
中原先生の件が百合ヶ丘の理事会から御台場に伝わったとしても、その時は先生も私も、それに応じた対処をするまでのことですわ」
「もしそうなったとしても、先生がG.E.H.E.N.A.の関係者である証拠は、私たちが個人的に聞いた先生の発言くらいしかありません。
例のブーステッドCHARMも決定的な物的証拠になるかどうか、怪しいものだと思っています」
「おっしゃるとおり、ガラテイアと呼ばれたブーステッドCHARMは、純お姉様が居合い斬りでマギクリスタルコアを破壊し、証拠となるデータのサルベージは不可能になりましたわ。
もっとも、治様を救うにはそれ以外の方法はありませんでしたので、コアの破壊が悪手だったとお思いにならないで下さいまし」
(どこまで出来るか分からないけど、ガーデンに戻ったら中原・メアリィ・倫夜の経歴を徹底的に調査しなければ。御台場に正規の職員として勤務しているのなら、能力的には一流の人物に違いない。どこかでG.E.H.E.N.A.の思想に染まったのか、それとも技術に魅入られたのか)
燈の話を聞きながら、ロザリンデは倫夜に対する考えを巡らせつつも、別の懸念を口にした。
「私たちが宿泊している部屋に、盗聴器や隠しカメラが仕掛けられている可能性もあるのでは?」
「それに関しては、あなた方が到着される前に一通りの確認は済ませておきましたわ。
そういった類の物は存在しませんでしたのでご安心を。
それでもご心配なら、この後で気が済むまで部屋中くまなくお探しになられるとよろしいですわ」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
「さすがに特務の強化リリィともなると、用心深いことですのね」
「いえ、実のところ私は面倒くさがりで、その手の仕事は他のレギオンメンバーに押し付けてしまうの。
どうも私は多分に理屈倒れになってしまう傾向があって、地道な手仕事が苦手のようで」
それまでよりやや砕けた口調で、ロザリンデは燈に答えた。
「理屈倒れ、必ずしも悪くないと私は思いますわ。
必要な情報を集めて敵の戦略を看破し、先手を打つためには何がしかの理屈が必要なのですから。
特務のリリィたる者、目の前のヒュージとの戦いしか見えないようでは、とてもG.E.H.E.N.A.の裏をかいて一泡吹かせることなど覚束ないですわ。
降りかかる火の粉を払うだけでは、火元を消すことは出来ませんもの」
「そう言ってもらえると少し気が楽になるわ。
ところで、中原先生は結梨ちゃん――いえ、結梨さんのことについては、御台場のガーデンから情報の開示を受けているの?
もしそうなら、すぐにでも結梨さんをここから逃がさないと危険だわ」
「私も、ごく一部の教導官にのみ情報開示されているとしか知らされていませんの。
ですが、先程の先生の様子を見るにつけ、それらしき言動はありませんでしたので、まず問題無いかと思いますわ」
「そう、それなら明日私たちと一緒に、出来るだけ目立たないようにここを出立します。
まさかこの御台場にG.E.H.E.N.A.の関係者がいるなんて、その可能性を見過ごしていた私も迂闊だったわ」
「まったく油断も隙もありませんわ。案外、百合ヶ丘にも一人や二人、既に入り込んでいるかもしれませんことよ」
「……ガーデンに戻ったら、すぐに全生徒と教導官の身元を洗い直すわ。
今更ながら、私たちが生きているのは、謀略や暗殺がすぐ傍にある世界だと思い知らされた気分よ」
「いっそのこと、『御前』について行ってみるお考えはありませんか?
意外とあの御方は良い指導者になるかもしれませんわよ」
「冗談を。彼女はリリィと強化リリィ以外の人間を切り捨てるつもり、控えめに言っても救済の対象外とするつもりでしょう。
力を持たない人々を守るべき存在が、自らの安寧だけを追求するなど許されない。
だから彼女の計画に賛同するわけにはいきません」
「まあ、あなたのような方なら、そうおっしゃると思っていましたわ。
今のは私の戯言です。忘れて下さいまし」
やがて二人はロスヴァイセの一行が滞在している部屋の前に戻って来た。
あらかじめ決めておいたリズムと回数でロザリンデがドアをノックすると、少し間を置いて静かにドアが開く。
「お帰りなさい、お姉様。先生とのお話し、かなり長引きましたね。どんな内容だったんですか?」
ドアの隙間から何気なく碧乙が顔を見せた。いつもと何も変わらない、屈託の無い表情だ。
ロザリンデは自分のシルトにこれから説明すべき事を思うと、胸の奥が重苦しくなるのを自覚せずにはいられなかった。
思ったより分量が多くなり、予定の半分ほどしか話が進みませんでした。
結梨ちゃんの出番までは辿り着けませんでした……次回こそは結梨ちゃんも一柳隊も登場します。