まだ推敲が充分にできていないので、数日中に誤字の訂正や加筆があるかもしれないことをお断りしておきます。
「美鈴、どうして……今は夢の中じゃないのに」
突然に現れた川添美鈴の姿を見て、言葉とは裏腹に、結梨はこれが現実なのか自信を持てなくなった。
「案外、ここは君の見ている夢の世界かもしれない」
目の前の美鈴にそう言われた結梨は、自分の頬をつねってみた。
「痛い」
それを見た美鈴は思わず笑いをこぼす。
「これで、君が今見ているのは夢じゃないことが分かった。では別の可能性は何だと思う?」
「私が美鈴の幻を見てる……」
結梨が首をかしげながら出した答えに、またしても美鈴は苦笑した。
「ふふ、君は自分が精神に異常をきたしていると言うのかい?」
「うーん……それとは少し違うかも。
前に私が海の上で大きなヒュージと戦った時に、私にはネストとヒュージをつなぐマギの流れが見えたの。
私の夢の中に美鈴が出てきたのは、私が自分の体を治すのにネストのマギを使ったからだって、美鈴は言ってたよね。
今の美鈴の体も、たぶんマギが何かの形で関係していると思う……体がマギでできてるとか。
だから夢の中じゃなくても、美鈴が私の目に見えてるのかもしれない」
「少し会わないうちに、随分と理屈っぽい考え方をするようになったものだ。ロザリンデの薫陶のおかげかな。
まあ、ロザリンデや史房のようなリリィなら、規範から外れたようなことは口にしないだろうから、その点は僕と違って安心だ」
「美鈴は二人とは違うリリィなの?」
「僕は色々な意味で癖のある人間で、生徒の模範たらねばならない史房たちとはかなり立ち位置が違う。
今では彼女たちは、僕がラプラスの力で生徒や教導官の記憶を改竄していたことにも気づいたようだ。
だとしても、僕の企図するところなど、彼女たちにはきっと理解できないだろう」
「何のために美鈴はみんなの記憶を書き換えたの?」
「君は何のためだと思う?」
「みんなに知られたくないことがあったから……とか?
もし私にラプラスのレアスキルが使えたら、みんなの記憶を変えてしまうかも――私が普通のリリィだって」
「君はそういうことをしそうな性格には見えないけどね。
ありのままの自分を認めてほしいと、君は思っているんじゃないか?
それは結局、最後まで僕にはできないことだったが」
「どうしてできなかったの?」
「抽象的な表現になってしまうけれど、僕の本質が一般的な規範から逸脱していたからだ。
ありのままの自分をさらけ出すことは、自分が規範から外れた人間だと告白するに等しかった。
たとえ相手がごく親しいはずの存在であっても、それは僕にはできなかった。
きっと自分の本質が相手に理解されないことを恐れたのだろう」
美鈴はそう言うと、結梨から視線を外して遠い目をした。
その表情は、ここにいない誰かのことを想っているように結梨には見えた。
「また、ラプラスに記憶の改竄能力があることが知られれば、僕に対する感情がラプラスによってコントロールされたものだと、誰もが思うかもしれない。いや、確実に思うだろう。
そうなれば戦闘時のレギオンメンバー間の連携は言うに及ばず、日常の人間関係にまで支障をきたす恐れがあった。
それなら、僕がラプラス持ちだと言う記憶をラプラスの力で隠してしまえばいい。
何とも逆説的な方法だが、これは有効に機能したと思っている」
美鈴の口調は結梨に対して語りかけると言うより、自分に話しかけるかのような独白じみた様子を帯びていた。
「本当の自分を理解してほしい。でも本当の自分をさらけ出すことはできない。
拒絶され、嫌悪され、失望されるのが怖かったからだ。
この二律背反に囚われて、僕は自分が生まれて来たこの世界と自分自身の両方を呪うようになってしまった。
夢結のダインスレイフの術式を書き換えた時に、その思いがマギクリスタルコアに保存されている情報に影響を与え、結果として由比ヶ浜ネストのヒュージに特異な行動を取らせる原因になったのだろう。
でも僕は自分のシルトや仲間のリリィを呪いたくはなかったし、事実そんな事はしなかった。それだけははっきり言い切れる」
ほとんど自分への弁明のような美鈴の強い口調に、結梨はそれを黙って聞いていることしかできなかった。
「君は始めから君が生まれながらに抱えている問題を周囲の者に知られていた。
しかし僕は僕が抱えている問題を誰にも知られてはいなかったし、知られたくも無かった。
良い悪いは別にして、それが君と僕との決定的な違いだ」
再び自分に言い聞かせるように美鈴は発言し、それをもって区切りをつけたかのように前方を指さした。
「少し自分語りが過ぎたようだ。ずっと墓の前で立ち話も何だから、向こうで座って続きを話そうか」
二人は霊園の敷地終端、現在は廃墟となった鎌倉の旧市街と相模湾を遠くに見下ろす斜面の始まりに、並んで腰を下ろした。
満ちた月は水平線の遥か上に昇り、海を遠望する二人の頭上に輝いている。
もう今は、巨大な竜巻の如く海上に鎮座していた由比ヶ浜ネストは存在しない。
美鈴が術式を書き換えて自らの得物としたダインスレイフは、アルトラ級ヒュージの討滅に使用された後、海底深くに沈んでいるはずだ。
いつかあのダインスレイフを海底からサルベージし、再び百合ヶ丘に戻せる日が来るのだろうか。
それともまたヒュージの体内に取り込まれ、美鈴の精神の影響を受けた個体として自分たちの前に現れるのだろうか。
今はただ月光をわずかに反射させて自らの存在を示すだけの海。
それを遠くに眺めながら、結梨は夢結から美鈴へと契約者を変えたダインスレイフに考えを巡らせていた。
そんな結梨の横顔を黙って美鈴は見つめていたが、意識して軽い口調で別の話題を持ち出した。
「ところで、東京では大した活躍をしたようだね。
君がロスヴァイセ預かりの身ではなく、正規のレギオンメンバーだったなら、間違いなく勲章ものの戦功だ」
「私が東京に行った時のことを知ってるの?」
「知っているよ。君の記憶は僕の記憶と共有されているからね」
「でも、私には美鈴の記憶は無いよ」
「それは僕には分からない。君の心や脳が、そのように機能しているとしか言えない。
決して僕が君の記憶に手を突っ込んでいるわけじゃない。
それに、もし僕が君の記憶を改竄しようとしても、おそらくそれは不可能だと思う」
「どうして?」
「梨璃と同じく、君にもラプラスのレアスキルに覚醒する素質があるからだ」
「私にラプラスが?」
「そうだ。その根拠について説明しようか。
君はG.E.H.E.N.A.の実験船から流出した培養繭の中にいた。
そして海岸に漂着した培養繭と最初に接触した者は、一柳梨璃だった。
今更言うまでもないが、君は他のリリィの技やレアスキルをコピーして自分のものにできるという、極めて特殊な能力を持っている可能性が非常に高い。
梨璃は最初の接触以来、君と最も長い時間一緒にいたリリィだ。
それなら当然、彼女のレアスキルであるカリスマ――今はラプラスに覚醒しているが――もコピー済みであると考えていい。
君はまだカリスマあるいはラプラスを発現したことは無いようだが、潜在的には君が強く望めばいつでも使うことができるだろうと僕は考えている。
これまでは単にラプラスを使わなければいけない状況が無かっただけだと。
それでは、ラプラス持ちが同じラプラスのレアスキルを持つリリィの記憶を改竄できるか。
これは実に興味深い命題ではあるけれど、G.E.H.E.N.A.でさえ、そんな実験はしたことがないだろう。
それは希少レアスキルであるラプラス持ちのリリィを二人揃えること自体が、極めて難しいからだ。
例えが適切かは分からないが、毒を持つ生物は自分の毒で死んだりはしない。
毒を無効化する何らかの仕組みが体の中に存在しているからだろう。
だから自分の記憶を改竄できないように、同じラプラス持ちのリリィの記憶も改竄できないんじゃないかと僕は考えている。
それに、君の記憶を改竄するということは、それを共有している僕自身の記憶も改竄することになる。
もし改竄が成功したとしても、自分の記憶を書き換えた僕の精神は混乱して、異常をきたすかもしれない。
そんな危険な実験に君を巻き込むわけにはいかないし、とてもじゃないが僕自身も試してみる気にはなれない。
これで納得してもらえたかな?」
「うん……でも、私がカリスマやラプラスを使えるのなら、梨璃や来夢みたいにG.E.H.E.N.A.が私を実験台にしようとするってことだよね」
「その通りだ。君は既に確認されている能力に加えて、現在G.E.H.E.N.A.が最優先でその情報を得ようとしているカリスマとラプラスの潜在的な保持者である可能性が高い。
従って、君の生存についてG.E.H.E.N.A.が確証を得られれば、以前にも増して手段を選ばず君を手中に収めようとするだろう」
「やっぱり、そうなってしまうの……」
結梨は落胆の表情を隠せなかったが、対照的に美鈴の態度は落ち着き払っていた。
「……と、普通なら考えるところだが、ここで先日のエリアディフェンス崩壊の一件を考慮する必要がある。
第4世代の精神直結型CHARMを使用したリリィの働きは、G.E.H.E.N.A.にとっては驚異的であると同時に脅威的なものだっただろう。
航空優勢の確保、つまり制空権という観点から、百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.より圧倒的に有利な立場を手に入れたわけだ。
当然、G.E.H.E.N.A.はそのCHARMの使い手として、君が生存している可能性を完全には排除していないはずだ。
その場合、これまで人間扱いしてこなかった相手が、自分たちがまだ実用化できていない水準のCHARMを実戦で易々と使いこなし、画期的な戦果を挙げたということになる。
自分たちよりも段違いに戦力が上回る敵を捕虜にできるか。
そのように考えれば、G.E.H.E.N.A.がおいそれと当該のリリィ――つまり今の君に手出しできないことは明白だ。
現にエリアディフェンス崩壊事変の後、G.E.H.E.N.A.は百合ヶ丘に対して目立った動きを見せていない。
反撃を受けるリスクがG.E.H.E.N.A.にとって致命的なものであれば、態勢が充分に整うまでは身動きが取れないだろう」
「それならいいんだけど、でも、いつかはG.E.H.E.N.A.が私を捕まえに来ることに変わりはないよね」
「その時は戦うなり逃げるなり、適切な選択をすればいいさ。
君一人で何もかも背負い込む必要は全く無いし、今の君を無力化して拘束できるだけの戦力はG.E.H.E.N.A.には無いだろう。
百合ヶ丘の理事会がどのような考えを持っているかは知らないが、慎重に彼我のパワーバランスを見極めながら、今後の戦略を策定しようとしているのだろう。
いずれ方針が定まれば、君にもロスヴァイセにも、それに基づいた様々な直命が下される。
それまでは束の間のささやかな休暇だと思って、学生らしいことを謳歌していても構わないと思うよ」
「……ありがとう、ちょっと気が楽になったかも」
「少しばかり話が長くなりすぎてしまった。
君がここに来た理由を僕は知らないが、純粋な偶然か、それとも何らかの条件が揃った結果、僕が君の前に現れたのか。
気になるなら、ロザリンデたちに相談して、原因を調査してもらうといい。
ただし、調べたからといって必ず原因が判明するとは限らない。過度な期待はしないことだ」
そう言い終えると、美鈴は結梨の隣りから立ち上がり、霊園の入口へ向かって去って行った。
結梨は美鈴を追いかけることはしなかった。
それが美鈴の意思である以上、追いかけるべきではないと結梨は判断した。
(もう部屋に戻ろう。結構長い時間、外に出ちゃった。ロザリンデが目を覚ましてたら、きっと心配してる)
結梨はもう一度自分の墓の前に立ち、その光景をあらためて心に刻み込んだ。
そして決心したように振り返ったその時、霊園の入口の向こうに二つの人影が立っているのが目に入った。
美鈴ではない。自分の知らないリリィだ。
数十メートルの距離を隔ててはいるが、青白い月光の下、遠目にも分かるほど凍りついた表情でこちらを見つめている。
――ああ、そうか。あの二人は『隠れんぼ』をしに来たんだ。
昼間にミーティングルームで碧乙が口にしていた言葉が、結梨の脳裏をよぎった。
次の刹那、結梨の姿は二人のリリィの視界から消失していた。
2022年1月22日追記(舞台ネタバレあり)
このエピソードではアニメでの情報に基づいて、記憶の改変能力がラプラスのレアスキルによるものとして描写しました。
しかし一柳隊の舞台「Lost Memories」にて、美鈴様の記憶改変能力はラプラス以外のレアスキルによるものであることが明かされました。
このため、このエピソードでの描写は、「Lost Memories」公演以降の設定とは齟齬があることをご了承下さい。
なお、本日以降の投稿分については、原則として「Lost Memories」での情報に合わせて描写していきます。