二人のリリィに姿を見られた直後、結梨の身体はS級の縮地によって、瞬時に霊園から特別寮の自室に戻っていた。
室内は結梨が出て行った時と同じように静まり返っている。
幾ばくかの時間が経過した分だけ、窓辺から差し込む月光の角度が変化しているが、それ以外は何も変わりは無い。
結梨はおもむろにロザリンデのベッドに歩み寄ると、軽く彼女の肩を揺すった。
「ロザリンデ、起きて。話さないといけないことがあるの」
「……どうしたの、こんな夜中に。何かあったの?」
目をこすりながらゆっくり上半身を起こしたロザリンデに、結梨は硬い口調で話し始める。
「どうしてか分からないけど目が覚めて、その時に窓の外に見えた月が綺麗だったから、つい外に出ちゃったの。
そのまま景色のいい高台に上がったら、霊園の入口があって、自分のお墓もあるのかなって見に行ったの。
そうしたら、私を呼ぶ声が聞こえてきて、そっちを見たら美鈴が立ってた」
「な……」
思わずロザリンデは絶句したが、すぐに気を取り直して結梨に続きを話すように促した。
結梨は美鈴と会話した内容を詳細に説明した後、最後に二人のリリィに自分の姿を目撃されたことを告白した。
「私はその二人を知らなかったけど、向こうは私のことを知ってたと思う。
私が誰か分かってる顔をしてたから。
私は縮地でそこからこの部屋まで移動したけど、私が霊園にいたのは間違いなく見られたと思う。
ごめんなさい。私が勝手に外に出てしまったから、こんなことになってしまって」
消沈した様子で頭を下げている結梨に、ロザリンデはその肩を優しく抱いた。
「気を落とさないで。まだその事実だけで決定的に深刻な事態に陥ったかどうかは分からないわ。
今は深夜だから、すぐに動き回って情報を集めるわけにはいかない。
今夜はもう休んで、朝になったら状況を調べるのと並行して善後策を考えましょう」
「うん……」
「大丈夫。ガーデン内での目撃情報なら、理事会や生徒会、特務レギオンが動けば情報の拡散を抑えることは可能よ。
だから後のことは私たちに任せて、今は心を落ち着けて眠ってしまいなさい」
「ごめんなさい……」
ベッドに寝かされて、その華奢な身体をロザリンデに柔らかく抱かれながら、結梨の意識はいつの間にかまどろみの中へ落ちて行った。
ガーデンの霊園に一柳結梨の幽霊が出た――
翌朝の一時限目が終わる頃には、百合ヶ丘女学院のリリィの少なからぬ割合が、何らかの形でその噂を耳にしていた。
それを単なる流言飛語の類として聞き流すには、少しばかり噂の広まる速さに勢いがつき過ぎていた。
2年生の或る教室では、一人のリリィが数人の同級生に早口で話し続けていた。
「本当よ。一柳結梨さんのお墓の前に、白い服を着た女の子が背中を向けて立っていて、こっちを振り向いたの。
あれは間違いなく結梨さんだったわ。
戦技競技会の時に、メカヒュージと戦っているところを観戦していたから、顔はよく覚えているもの。
結梨さんは私たちを無言でじっと見つめた後、突然その姿が消えたのよ。
私が幻を見たのかと思ったけど、一緒にいた子も同じように結梨さんの姿が見えていたって言うから、見間違いなんかじゃないわ。
きっと志半ばで戦死してしまったから、この世に未練があるに違いないわ。
だから幽霊になって霊園で自分のお墓を見ていたんじゃないかと思うの」
「――そのお話、とても興味深いわ。詳しく聞かせてもらえるかしら」
話をしていたリリィが振り向くと、そこに立っていたのは同じ2年生の石上碧乙だった。
「石上さん。あなたは別のクラスなのに、どうしてここに……」
碧乙はその質問には答えず、結梨のことを話していたリリィに顔を近づけて小声で耳打ちする。
「その話は皆の前でこれ以上しない方がいいわ。
あなたの話が噂の発信源として風紀委員の耳に入ったら、確実に生徒指導室に呼び出しをくらうわよ。
どうしてかって?深夜に二人でそんな場所に居たなんて、怪しまれるに決まってるじゃない。
幽霊のことよりも、元々は何をしようとしていたのか根掘り葉掘り訊かれるわよ。
どうせ『隠れんぼ』をするために逢い引きしていたんでしょう?」
「それは……」
そのリリィは碧乙に図星を突かれて、思わず言葉に詰まった。
その様子を見て、すかさず碧乙は畳みかけるように彼女に交換条件を持ち出す。
「あなたが噂の出所だってことは、生徒会の伝手――祀さんと眞悠理さんのことだけど――を使って風紀委員には伝わらないようにしてあげる。
もし、この件で『吸血鬼』の風紀委員長に目を付けられたら、この先、卒業まで風紀委員会のブラックリスト入りすること間違いなしよ。
それを防ぐ代わりに結梨さんの件について、私に当時の具体的な状況を一から説明してくれる?」
「……分かったわ。私の話は本当にあったことだけど、別件で取り調べを受けるのは真っ平御免だもの。
ここは人目があるから、石上さんの都合のいい場所で話すわ」
「話が早くて助かるわ。じゃあ、ちょっと図書室にでも行きましょうか」
碧乙はそのリリィを伴って教室を出て行き、そのまま二人は廊下の向こうへと歩き去って行った。
「……というわけで、やっぱり結梨ちゃんの姿はばっちり目撃されていました。ただし幽霊として」
事情を聴き終えた碧乙が特別寮のミーティングルームに戻り、あらためて結果を報告すると、その場にいたロザリンデ、結梨、伊紀、祀の間にほっとした空気が流れた。
「では目撃者が勘違いしてくれたおかげで、結梨ちゃんの安否については、これまで通り『未帰還のため死亡扱い』の認識を維持できるということね」
ロザリンデが確認を求めると、碧乙は自信に満ちた微笑を浮かべて肯定した。
「はい。それと、彼女たちは霊園を出て行った美鈴様の姿は見ていないようです。
霊園へ向かう道の途中では、誰ともすれ違わなかったと言っていました」
「それなら、美鈴さんの姿は結梨ちゃんにしか見えていなかったと考えるのが妥当だわ。
美鈴さんが結梨ちゃんの幻覚でないとすれば、やはりマギが何らかの指向性を持って、美鈴さんの姿として結梨ちゃんの知覚に作用しているのかもしれないわね」
「実際、リリィの中には他のリリィのマギが色として見える人もいるみたいですし、可能性としては考えられなくはないですね」
「良かったわね、結梨ちゃん。
結梨ちゃんが生きているという情報が広まってしまったら、G.E.H.E.N.A.に対する戦略の方針変更を余儀なくされるところだったけど、その事態は回避できたのね。
これで一件落着ね。めでたしめでたし」
すっかり安心した様子の祀を見て、伊紀がやんわりとそれを否定する。
「一件落着じゃありません、祀様。
たまたま結梨ちゃんが夜中に目が覚めて、月に惹かれて霊園に足が向かった。
そこに美鈴様の幻のような姿が現れるなんて、偶然にしては出来すぎていると思われませんか」
「美鈴様が結梨ちゃんを霊園に呼び出したってこと? 二人きりで話をするために?」
祀の質問に答えたのは、伊紀ではなくロザリンデだった。
「そこまで決めつけるには判断する材料が不足しているわね。
結梨ちゃんに見えていた美鈴様は、以前に夢に出てきた時と同じく、一種の疑似的な人格のようだし。
むしろ、美鈴様の疑似人格を使ってこれまでの情報を整理するために、結梨ちゃんの無意識がそのような行動を取らせた可能性も考えられるんじゃないかしら」
ロザリンデが指摘した内容に、今度は伊紀が一つの質問を挟む。
「無意識って、フロイトの精神分析に出てくるような意味での無意識ですか。
意識としての自我、そしてそれと対になるものとしての無意識……」
「そうよ。ひょっとしたら、霊園にいるところを『隠れんぼ』に行く途中で通りがかったリリィに目撃されて、幽霊だと勘違いさせることまで結梨ちゃんの無意識が計算していたのかもしれない。
そこまでいくと一種の予知能力に匹敵するレベルだから、私の勇み足である可能性も大いにあるけど」
「では昨夜の一連の行動は、結梨ちゃんの無意識が潜在的に取らせたものだと、ロザリンデお姉様はお考えなのですね」
「今はまだ一つの根拠無き仮説に過ぎないわ。
でも事実として、結梨ちゃんは美鈴様と霊園で出会い、彼女との会話で、これまで自覚していなかった幾つかの可能性をはっきりと認識した。
その上、通りすがりのリリィに姿を見られたことによって、逆に結梨ちゃんが故人だという認識を、百合ヶ丘のリリィ全員に改めて強く植え付け直す結果になった。
夜中に目が覚めたところを起点として、これらの一連の出来事が偶然に発生する確率はほとんどゼロに近い。
単純な気の緩みなどではなく、昨夜の出来事には何か特殊な要因が働いている可能性があるわ。
そうであれば、何がしかの意志とでも呼ぶべきものが必然的に結梨ちゃんの行動を導いた……私の考えすぎかもしれないけれど」
「その何かが偶然ではないとしても、結梨ちゃんに不利に働くものではないようですし、ひとまずは様子見でいいと思いますよ」
碧乙は自らが聞き取った当時の状況とロザリンデの仮説を比較した結果、昨夜の一件を危険なものとは見なしていなかった。
ロザリンデも基本的には碧乙の意見に肯定的で、むしろ今はその出来事の原因を調べることの方が重要ではないかと考え始めていた。
「そうね。結梨ちゃんには念のためにフィジカルとメンタルの両方で検査を受けるよう、シェリス先生から指示が来ているの。
この後で私が結梨ちゃんに同行して検査室まで行くことになっているわ」
「私は放課後に霊園に行って、現在の状況を確認してきます。
結梨ちゃんのお墓を訪れているリリィが何人かいるはずなので、それとなく話をして一般生徒の認識を調べておきます。
祀様はこの後いかがなさいますか?」
伊紀に予定を聞かれた祀は、少し困ったような表情をした。
「もちろん、ここで結梨ちゃんが検査から戻るのを待たせてもらうつもり……だったんだけど、片付けておかないといけない書類が溜まってるから、一度生徒会室に戻らせてもらうわ。
結梨ちゃん、また後でね。何も異常が無いことを祈っているわ」
「うん。ありがとう、祀。ロザリンデ、私はもう準備できてるから、いつでも検査に行けるよ」
「分かったわ。では祀さん、噂の出所が風紀委員に伝わらないように、よろしくお願いするわね」
「はい、お任せください。本人たちには生徒会から直接厳重に注意して、以後同じことをしないように釘を刺しておきます。
正直、隠れてこそこそしているのなら、悪いことをしているという自覚があるだけましだと思います。
1年生の猫耳さんに比べれば可愛いものです」
「あの猫耳ピンクか……一度ならず二度までも、私の可愛いシルトに手を出そうとした不届き者。
いつか尻尾を掴んで謹慎させてやらないと」
「碧乙様、あまり先走ったことはなさらないで下さいね。
一応、今は亜羅椰さんとは話がついた状態になっていますので」
「そんなもの、あの子のリビドーの前では何の抑止力にもならないわ。
伊紀、霊園に行った時に彼女がその場にいたら、いつでも逃げられるように充分に距離を取って対処するのよ。
あの子なら『隠れんぼ』どころか、その場で事に及びかねないわ」
「いくら何でもそれは無いと思いますよ……いえ、ひょっとしたら、あるかもしれませんね」
伊紀は少しあきれた様子で碧乙に答えながらも、これまでの亜羅椰とのやり取りを思い出し、碧乙の注意があながち大げさとも言い切れないことに苦笑した。
幸いにも、放課後に伊紀がガーデンの霊園を訪れた時には、亜羅椰はそこに来ていなかった。
霊園の入口で伊紀は数人のリリィとすれ違った。
すれ違いざまに、彼女たちが交わしていた会話の中に「結梨ちゃん」という言葉が出てきたのを伊紀は聞き逃さなかった。
伊紀が結梨の墓に近づくと、既に結梨の墓の周りには普段の数倍の花が置かれているのが見えた。
先程すれ違ったリリィたちも結梨の墓を訪れ、その帰りだったのだろう。
伊紀は膝をついて、持参した花を結梨の墓の前にそっと置いた。
胸の前で手を組み、目を閉じて祈っていると、後ろから人が近づいてくる気配がした。
目を開けて振り向くと、そこには梨璃と夢結の姿があった。
梨璃は伊紀の姿を見ると、やや硬かった表情を和らげて伊紀に話しかけた。
「伊紀さん、結梨ちゃんのお墓に来てくれたんですね。やっぱりあの噂を聞いたんですか?」
「はい。心の整理をするために、あらためて一度ここに来ておこうと思いました」
伊紀は梨璃に偽りの返事をせざるを得なかった。
結梨の生存情報は、軍隊であれば第一級の軍機に相当する内容だ。
特務レギオンの任務上、現在もなおロスヴァイセと生徒会長以外のリリィに結梨のことを話すわけにはいかない。
そんな良心の呵責を顔に出さず答えた伊紀とは逆に、梨璃は表情を曇らせて苦しげに言葉を吐き出した。
「ごめんなさい。あの時、結梨ちゃんが一人で飛び出す前に、私が結梨ちゃんを引き留められていたら、こんなことにはならなかったのに……」
その様子を見ていることに耐えられず、伊紀は梨璃に近づいて、梨璃の手を自分の両手で包み込んだ。
「梨璃さん、私たちがこの目で確認したのは結梨さんのグングニルだけです。
それ以外には私たちは何も見ていないんです。だから――」
その言葉の途中で、梨璃の後ろに立っていた夢結が冷静に伊紀に話しかける。
「伊紀さん、梨璃のことを気遣ってくれるあなたの気持ちは嬉しいわ。
でも結梨はもういない。それは紛れもない現実よ。
その現実を受け止めて、私たちは前に進まなくてはならないの。つらいとは思うけれど」
「……そうですね、夢結様のおっしゃるとおりです。
私が未練がましいことを言ったばかりに、梨璃さんの心を乱してしまっては申し訳がありません。
今はただ、結梨さんのために祈ることだけをさせていただきます」
「ありがとう、伊紀さん。みんなが結梨ちゃんを覚えてくれている限り、結梨ちゃんはみんなの心の中で生きていてくれるから」
梨璃はそう言うと、伊紀の横に並んで結梨の墓に正対した。
そして、先ほど伊紀がそうしたように、膝をついて手を胸の前で組み、静かに祈りを捧げ始めた。
伊紀も同じく、梨璃の隣りで再び祈りの姿勢を取る。
二人の背中を、その数メートル先にある自らのシュッツエンゲルの墓を、夢結は何も言わず黙って見つめ続けていた。
「私も美鈴みたいに、別の私が梨璃の夢の中に出てきてたりしてるのかな」
一通りの検査を無事に終えて特別寮のミーティングルームに戻って来た結梨は、ふと思った疑問をロザリンデに投げかけてみた。
ロザリンデは少し考え込む素振りを見せた後、おもむろに形の良い唇を開いた。
「梨璃さんは夢結さんと一緒に由比ヶ浜ネスト討滅に向かった際に、ダインスレイフを介してアルトラ級ヒュージに接触しているわ。
その結果、アルトラ級のマギから何らかの潜在的な影響を受けている可能性も考えられる。
だから美鈴さんのように、梨璃さんの無意識下で結梨ちゃんの疑似人格がエミュレートされていてもおかしくないわ。
もっとも、梨璃さんは死んでしまった結梨さんの魂が自分の夢に出てきていると考えているかもしれないわね。
そちらの方が一般的には自然な考え方でしょうから」
「ふーん……そうなんだ。伊紀、もし梨璃とまた話すことがあったら、私が梨璃の夢に出てくることがあるか聞いてくれる?」
「はい、構いませんよ。梨璃さんとはクラスが別なので、近いうちに何か理由を作ってコンタクトを取ってみます」
伊紀は結梨の頼みをごく簡単に引き受け、さっそく梨璃と会うための口実を考え始めた。
「そうだわ、伊紀さん。今度の休日に、気分転換に結梨ちゃんと二人で出かけてみたら?
もちろん事前に外出の許可申請は済ませておいてね」
書類の処理を終えて戻ってきていた祀が、結梨と伊紀に外出の提案をした。
「分かりました。結梨ちゃん、どこか行ってみたい場所はありますか?」
「うーん、自然があって静かなところがいい。のんびり周りの景色を眺めていられるようなところ」
伊紀が書架から地図帳を取り出し、ローテーブルの上に置いてページを開く。
「それなら、この辺りはどうでしょうか。杉並区に大田黒公園という所があって、とっても綺麗な日本庭園が中にありますよ。
他には中央区の浜離宮もお薦めですが、海の近くなので内陸部よりヒュージが出現するリスクが高いですね……」
結梨と伊紀は首都圏全域が見開きで掲載されている地図を見ながら、あれこれと行き先を検討し始めた。
昨夜から今朝にかけての一連の問題がひとまず収束し、一同はようやく緊張から解放された。
その場にいる全員が安堵感に包まれ、平穏な日常が戻ってきたことを疑わず、数日後の休暇に羽を伸ばすことを心待ちにしていた。
――その休暇が血塗られたものになるとは、この時は誰も想像だにしていなかった。
前回に続いて更新が遅くなってしまい、すみません。
当分の間は更新の遅れや文字数の減少などが避けられなさそうです。
プロット自体はそれなりにできているので、少しずつでも進めていくつもりです。
本文の最後の一文が不穏極まりないですが、構成上の都合で先に戦闘回(?)を一つ入れておくことにしました。
アニメ1周年でラスバレに結梨ちゃんのストーリー予告が来ていました。
内容はアニメの焼き直しのようですが、今後の展開でどうにかして復活してくれないものかと一縷の望みを抱いています。
このまま回想でしか登場しないのは悲しいので、「結梨ちゃんが復活するイベントストーリーを希望します」とアンケートには回答しました……