「あなたは、優珂さん……ですか?」
相澤一葉は、眼前に広がる光景の意味をすぐには理解できなかった。
地面に転がっている血にまみれたCHARM、ベンチに横たわって意識を失っている少女、そして掴み合いの喧嘩をしているかのような二人の少女。
三人の少女がその場に居たが、意識の無い一人は服の脇腹のあたりが血で赤く濡れ、別の一人に至っては赤い服を着ているのではないかと見間違えるほどに、その身体を自らの血で染め上げていた。
少女の服は左肩から右脇腹にかけて大きく切り裂かれ、その下からは血まみれの素肌が覗いている。
服の裂け目からのぞく透き通るような白い肌には、血糊がべったりと付着している。
周囲の地面には所々に血だまりの跡のような赤黒い円が描かれていた。
目立った外傷が無いのは三人目の少女――LGクエレブレの隊長である松村優珂だけだった。
優珂は何故か一葉の知らない制服を着ていて、右の頬を赤く腫らしていた。
一体、何がこの場で起こったのか。一葉は状況を理解しようと考えを巡らせた。
地面に転がっているCHARMを見るに、この中の誰かがCHARMを使ってヒュージと戦ったのか?
血に濡れた二人の少女はヒュージの攻撃で負傷した?
それならなぜ、その内の一人と優珂が掴み合いの喧嘩のような体勢を取っている?
それに、地面に転がっているCHARMの刃には、ヒュージの青い体液ではなく、赤い血が広範囲に付着している。
まさか、CHARMで人を斬ったのか。
斬られたのが誰なのかは、目の前の光景を見れば明らかだ。
「優珂さん、あなたはまさか――その二人を」
「……どうして」
優珂は伊紀の左手首を掴んでいた右手を離して、一葉の方に向き直った。
一葉を見つめる優珂の目は悔しさと苛立ちに満ちていた。
「どうして、あなたがここにいるの。どうして」
「……私は個人的な所用があって、この近くで待ち合わせをしていたんです。
そうしたら、何かを叩くような物音が繰り返し聞こえてきたので、ここへ駆けつけたんです。
優珂さんこそ、一体何をしていたのですか?
この様子はどう見ても尋常ではありません」
「それは……」
「そこに転がっているCHARMは優珂さんのものですね。
なぜ刃に血が付いているのですか?」
「――くっ」
優珂は伊紀の手を離して自らのCHARMに駆け寄り、それを拾い上げると大きく跳躍して木々の上を越え、その姿は公園の林の向こうへと消えた。
伊紀は茂みの中に感じ取っていた狙撃手の気配が消えていることに気がついた。
襲撃者は撤退した。窮地を脱したことを認識した伊紀は、「かずは」と呼ばれていた少女の方を見て尋ねた。
「あなたは、さっきのリリィと知り合いなんですか?」
「……はい。あのリリィは私と同じエレンスゲ女学園に在籍するLGクエレブレの松村優珂さんです。
私はLGヘルヴォルで隊長を務めている相澤一葉といいます。
失礼ですが、あなたもリリィなのですね?」
「はい、私は鎌倉府の百合ヶ丘女学院に通っています。
LGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀と申します。
今日は休暇でここに来ていました」
「百合ヶ丘の方でしたか。一体ここで何があったんですか?」
「それは……」
伊紀は「一柳結梨」の名前を出すことを躊躇した。
何をどこまで話したものか思案していると、一葉の方から先に話を切り出してきた。
「私が見るところでは、優珂さんがあなたとベンチで意識を失っている子をCHARMで……いや、まさかそんな……」
一葉は最も考えたくない想像をせざるを得なかった。
その想像に耐えられず、一葉は思考を別の方向へ切り替えた。
「……いえ、今はそんなことを考えている場合ではありませんね。
お二人ともひどい怪我をしています。すぐに手当てを」
「お気遣い無く。私たちの負傷はもう完治しています。
私はZのレアスキルを持っていますし、リジェネレーターで自分の傷は自動的に治癒しますので。
ベンチで気を失っている子も、時間が経てば意識を回復するでしょう」
「そうでしたか。しかし、あなたもその子もひどい出血ですよ。
ヒュージと戦っても、これほどの負傷は滅多にしません。
そのままの格好でガーデンに戻るわけにはいかないでしょう。
ひとまず私の上着を着てください。それから、顔や手に付いている血糊を拭きましょう。
それから――」
一葉は制服の上着を脱いで伊紀に羽織らせると、伊紀から結梨に目を転じて、そばに近づこうとした。
が、結梨の顔を見た一葉の身体は一瞬にして硬直した。
「この子は……以前に千香瑠様が六本木の戦場で保護した……まさか、優珂さんは――」
伊紀から事情を聞かずとも状況を理解した一葉は、蒼白な顔で伊紀を見た。
伊紀は一葉の言葉と表情から、彼女がベンチに横たわる少女を一柳結梨と認識したことが分かった。
「その節は結梨ちゃんがLGヘルヴォルの皆さんに大変お世話になりました。
あの時に結梨ちゃんを発見したのが他のレギオンだったら、私たちは二度と結梨ちゃんに会えなくなっていたと思います」
伊紀は血まみれの上半身を深く折って一葉に頭を下げた。
「そんな……やめてください。さっきあなたたちを殺そうとしていたのは、私と同じガーデンのリリィです。
あなたからお礼を言われるなんて、とんでもありません」
「彼女は私たちを殺す気は無かったようです。
彼女の目的は結梨ちゃんを負傷させてG.E.H.E.N.A.ラボへ運び込むことでした。
私がそれを妨害したので、彼女は私を排除しようとしたんです」
「あなたの姿を見る限り、優珂さんに殺意が無かったとはとても思えませんが」
「私が彼女を挑発して斬らせるように仕向けたんです。このCHARMを私の血で作るために」
伊紀は右手に携えていた疑似CHARMを軽く持ち上げて一葉に見せた。
「それは血でできたCHARM……なのですか?」
「私のブーステッドスキルです。これでも非常用としては充分役に立つんですよ」
伊紀は近くの水飲み場へ歩いて行くと、足下の排水口で疑似CHARMを元の血液に戻し、顔と手に付いた血糊とともに綺麗に洗い流した。
再び一葉の所へ戻ってきた伊紀は、結梨の方を見ながら感情を押し殺して意見を述べた。
「……彼女はどうしても結梨ちゃんの身柄を確保したかったんでしょう。
目的のためには手段を選ばないタイプの性格に思えました」
「ご指摘の通りです。万事その調子で事を進めるものですから、LGクエレブレ――ひいてはエレンスゲ女学園の悪評は百合ヶ丘にも伝わっていると思います」
生徒会長の出江史房がエレンスゲを蛇蝎の如く嫌っているのは、その辺りに原因があるのだろうと伊紀は推察した。
状況を把握した一葉は、先程とは一転して決断力に満ちた目で伊紀に提案する。
「事情は分かりました。そういうことなら、このままここに留まっているのは危険です。
優珂さんがこの場所で一柳結梨さんを発見し、動けない状態にしたことを誰か――特にG.E.H.E.N.A.関係者が知れば、非常に不味い事態に発展しかねません。
私が結梨さんを背負いますから、すぐにこの場から離れましょう」
「それが良さそうですね。申し訳ありませんが、結梨ちゃんをよろしくお願いします。
でも、結梨ちゃんを背負って長い距離を歩いたり交通機関を利用すると、人目についてしまいませんか?」
「私に考えがあります。さっき私が待ち合わせをしていると言ったことを覚えていますか?」
「はい、所用があってこの近くで待ち合わせをしていると」
「先日の都庁での戦闘に関するスタッツをあるリリィと二人で分析するために、この公園で落ち合い、図書館へ向かう予定になっていたんです。
その待ち合わせの相手に協力をお願いするつもりです。
たぶん今ごろ私を探していると思います――ああ、あそこに姿が見えました」
伊紀が一葉の視線をたどると、その先に一人の少女の姿が目に入った。
それは紅い制服を着た長い髪の少女だった。
「叶星様、こちらです。申し訳ありません。少し事情があって、待ち合わせの場所から離れてしまいました」
一葉が叶星と呼んだ少女――神庭女子藝術高校のLGグラン・エプレ隊長、今叶星は息を切らせて一葉たちの所へ駆け寄ってきた。
「一葉、こんな所にいたの? ごめんなさい、少し来るのが遅れてしまったわ。
……な、何? これは。
この人たちはヒュージに襲われたの? この人たちもリリィなの?」
先程の一葉と同じく、叶星も目の前の状況に困惑を隠せない様子だった。
「叶星様、事情は後で説明します。今はこのお二人を保護するのが最優先です。
申し訳ありませんが、ベンチで意識を失っている子に叶星様の上着をお願いできますか」
「……え、ええ、そうね。 あなたたちは……」
「私は百合ヶ丘女学院のLGロスヴァイセ隊長、北河原伊紀です。
そちらの子は私の従姉妹で北河原ゆりといいます。
失礼ですが、神庭女子藝術高校の今叶星様ですね」
叶星は結梨と直接の面識が無いためか、眼鏡とポニーテールの髪型で変装していた結梨には気づいていないようだった。
そのため伊紀は叶星に結梨を本名で紹介せず、表向きに名乗っている「北河原ゆり」の名義を使用した。
伊紀への叶星の返事を待たず、一葉は叶星に向かって単刀直入に話を切り出す。
「叶星様、一つお願いしたいことがあるのですが」
「それはこのお二人に関することなのね?」
「はい、ここから荻窪にある神庭のガーデンまでは徒歩圏内です。
お二人とも現在は負傷は完治していますが、少なくない量の血を失っています。
ひとまずお二人を神庭のガーデンで休ませることは可能でしょうか?
その上で、北河原さんには百合ヶ丘に連絡を入れてもらって、迎えのリリィを寄越してもらうのが良いかと思うのですが」
「……そうね、校長先生には『百合ヶ丘女学院のリリィ2名が正体不明のヒュージに襲われた模様』と連絡しておくわ」
「ありがとうございます。この件は非常にデリケートな要素を含んでいますので、神庭の校長先生とグラン・エプレのリリィ以外には口外しないで下さい。
もし何か問題が生じた場合、その責任はすべて私が負います。
今はこれ以上のことは言えませんが、話せる時が来ればすべて叶星様に説明します。
ですから――」
切迫した調子で叶星に畳みかける一葉の言葉を、叶星は途中で遮った。
「分かったわ。一葉、あなたを信じる。
かなり深刻な事情があるみたいだから、今ここで話し込んでいる場合ではないということね。
それなら早く移動を始めましょう。
私が北河原さんの従姉妹のゆりさんを背負っていきましょうか?」
「いえ、神庭のガーデンに着くまでは私に背負わせてください。
その後で私はエレンスゲに戻って、この件に関する情報をただちに収集します」
一葉はそう言うと、叶星から伊紀へと向き直って頭を深く下げた。
「――北河原さん、この償いは必ずさせていただきます。
エレンスゲ女学園の序列1位であるこの私とLGヘルヴォルの名に懸けて」
「気にしないで下さい。あなたの責任ではありませんから。
親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンにも、あなたのようにG.E.H.E.N.A.的なやり方に疑問を持つリリィがいることは理解しています」
この少女――相澤一葉もルドビコ女学院の来夢や幸恵のように、ガーデンに叛意を翻す時が来るのだろうか。
それを自分が知った時、自分はどのような行動を取るべきなのか、何が正しい選択なのか――伊紀は無意識のうちに考えに耽り込んでいた。
「北河原さん、どうしたんですか。早く行きましょう」
「す、すみません。相澤さん、結梨ちゃんをよろしくお願いします」
一葉に声を掛けられて、伊紀は我に返った。
先に歩き始めている一葉と叶星の後を慌てて追う。
(まずロザリンデお姉様か碧乙お姉様に連絡を入れて、生徒会にも情報を伝えてもらうようにしなければ。
でも、誰かに迎えに来てもらうにしても、非常事態でもないのにCHARMを持った百合ヶ丘のリリィが神庭のガーデンに入るのは、認められないかもしれない。
それに、グラン・エプレのリリィに私たちの事をどうやって説明しよう……)
伊紀はこの後の事をあれこれと考えつつ、結梨を背負った一葉と叶星の後に続いてその場を後にした。
目を開けると、見知らぬ白い天井が結梨の視界に映った。
天井は窓の外から差し込んでくる午後の柔らかな光を反射して、ごくわずかに黄色味を帯びていた。
ここはどこだろう?
目が覚める前、自分は何をしていたのだろう?
思い出さないと。
そう、伊紀と一緒に休暇を取って、東京の杉並区にある公園を訪れて、そこに知らない女の子が現れて――
「意識が戻ったんですね。もう大丈夫ですよ、ゆりちゃん」
声の聞こえた方に結梨が顔を向けると、そこには安堵した表情の伊紀と、その後ろに五人の少女が控えているのが見えた。
杉並区の荻窪に位置する神庭女子藝術高校、その中にあるLGグラン・エプレのミーティングルームで結梨は目覚めていた。
何とかギリギリで結梨ちゃんが意識を回復するところまでこぎつけました。
次回は年末年始の休みを利用して、もう少し余裕を持って更新できるといいのですが……