特別寮で高松咬月がロザリンデたちに作戦の説明を始めた頃、校舎の一角にある生徒会室には、この作戦に参加する主力となるレギオンのリリィが招集されていた。
そこでは生徒会長の出江史房と内田眞悠理が、一柳隊とアールヴヘイムのリリィ計18名に、同じく作戦の概要を説明しているところだった。
二人の生徒会長のうち、2年生の眞悠理が淡々とした口調で、彼女の前に居並ぶ2隊のレギオンに話しかけている。
エレンスゲと松村優珂の名前を伏せた以外は、特別寮で咬月がロザリンデたちに説明したのと同じ内容が伝えられていた。
「先ほど説明したように、この作戦は百合ヶ丘女学院のリリィ2名が、先日ある親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに襲われ、重傷を負ったことに対する報復攻撃としての意味を持っています。
被害を受けたリリィは、現在は二人とも傷は完治し、後遺障害などもありません。
一方、加害者のリリィが在籍している親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンは説明責任を拒否し、この件に関して事実上の無視を決め込んでいます。
百合ヶ丘としては、被害に遭ったリリィが複雑な個人的事情を持っているため、一般の刑事事件として被害届を出すことはしない方針です。
また、この方針が採用されたのは、加害者もリリィであることから、世論によるリリィ脅威論の蒸し返しを回避するためでもあります。
以上の事から、百合ヶ丘のガーデンは相手ガーデンおよびその母体であるG.E.H.E.N.A.に対して、相応の反撃を行うことを決定しました。
しかし、いくらこちらに正当な反撃の権利があるといっても、相手ガーデンのリリィを私たちが攻撃することは許されません。
それはいかなる理由があっても、リリィ同士が敵味方に分かれて戦うことは認められていないからです。
当然、人が人を傷つけることに対する人道的な問題もあります。
そのために、今回の作戦では攻撃の目標を『人』ではなく『物』に設定したのです。
しかも攻撃に際して、人を巻き添えにする可能性が存在しないような『物』に」
眞悠理の説明を聞いていたリリィたちの中から、最初に神琳が挙手をした。
神妙な面持ちで史房に対して意見を述べる。
「それで、設定された対物目標がG.E.H.E.N.A.の人工衛星、正確には低軌道上の偵察衛星というわけですか。
眞悠理様のご説明では、百合ヶ丘女学院を始め、鎌倉府一円のガーデンを監視対象に収めている厄介な代物とのことですが」
「そうよ。衛星は毎日複数回にわたって、軌道上からこのガーデンの画像を撮影しているわ。
もちろん垂直に近い角度からの撮影になるから、画像から判別できる情報には自ずと限界はある。
でも、屋外にいる人の数と位置は正確に確認できるし、髪や服の色からレギオンや個人の特定まで可能かもしれない。
地上の出歯亀だけでは得られない情報を入手するために、不可欠のものだと言えるわ」
(……出歯亀って何?)
史房が口にした未知の単語に、何人ものリリィの頭に疑問符が浮かんだ。
しかし、その疑問を尋ねる前に、史房は一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちに話を続けた。
「本来なら、G.E.H.E.N.A.に対するこのような作戦は特務レギオンの担当になるわ。
でも、今回は特務レギオンの戦力では作戦の遂行が不可能なことから、特務以外の複数のレギオンの戦力を例外的に用いることになったのよ」
「史房様、一つ質問をしてもいいでしょうか?」
「どうぞ、壱さん」
「作戦の意義は分かりましたが、その偵察衛星が撮影している画像というのは、あくまで数時間あるいはそれ以上の間隔の静止画像なんですよね」
「そうよ」
「それなら、もし屋外でフォーメーションの訓練をしていても、画像から分かるのは撮影時の配置だけで、各リリィの動きまでは分かりません。
それに、衛星が私たちの姿を撮影可能なのは、私たちが屋外に出ている時だけと考えていいんですよね?」
「ええ、そう考えてもらって構わないわ。
校舎や寮の中にいる場合は、建物に遮られて人やCHARMを写すことはできないわ」
「……確かに上から覗かれているというのは、何とも気持ちが悪いものです。
とは言え、ここには軍事施設のようにミサイルの発射台や、ドックで建造中の艦船があるわけではありません。
ですからこの偵察衛星の存在は、ガーデンにとっての脅威としては限定的なものではないかと思いますが」
「単に戦力としてのガーデンを監視または情報収集するだけの道具と考えれば、確かにそうでしょうね。
――でも、これを見ても同じことが言えるかしら」
史房は足元に置いていた鞄の中から、一枚のA4判ほどの大きさの写真を取り出して壱に手渡した。
「この写真は?」
「内務省の情報部が入手した衛星画像の一部よ。
G.E.H.E.N.A.の偵察衛星が、鎌倉府の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンを秘密裡に撮影しているという未確認情報は、以前から存在していたの。
そして最近になって、G.E.H.E.N.A.に潜入している内務省の内偵を通して、証拠となる画像が提供されたわ。それがこの写真よ」
史房が差し出した写真をのぞき込んだリリィのうち、最初に発言したのは梨璃だった。
「これは……上空から撮影した百合ヶ丘のガーデンですか?
建物の形に見覚えがあります。
でも、あちこち壊れてるみたいですけど……」
梨璃の言葉に続けて、夢結が写真について意見を述べる。
「このあたりに人の姿らしきものが写っているわね。
周囲は岩場みたいな所で、水のようなものが溜まっているみたいだけど」
「本当ですね。でもここに写っている人たち、服を着ていないように見えませんか?」
「そう言われてみれば、肩や手足の部分は素肌のように見えるわね」
見せられた写真についてリリィたちが口々に言葉を交わしているところへ、眞悠理が口を挟んだ。
「以前、由比ヶ浜ネストから射出されて地球を一周してきたヒュージがいたでしょう。
全校生徒が避難してレアスキルが使えなくなったことを憶えているわよね?」
「うん、あの時は数十人がかりのノインヴェルト戦術で目標のヒュージを倒して、その後で湧き出た温泉に入って気持ちよかったなあ……」
天葉は当時のことを思い出してしみじみと感慨にふけっていたが、そこへ眞悠理の言葉が水を差した。
「言っておくけど、あの露天風呂で入浴していたところも撮影されているわよ。
あなたたち、あのヒュージを倒した後に、湧き出ていた温泉でたっぷりくつろいでいたでしょう?
この写真はあの時に撮影されたものよ」
「……は? 何だって?」
気色ばんだ様子で食って掛かるように顔色を変えたのは天葉だけではなかった。
一斉にリリィたちの表情が剣呑なものになり、その場に殺気すら漂い始める。
「――眞悠理さん、その情報に間違いは無いのね?」
天葉の隣りにいた依奈が念を押すように眞悠理に確認した。
「嘘だと思うなら、納得するまでその写真を見てみるといいわ」
「……確かに、これはあの時の温泉に違いないわ。
それなら湯着だけで温泉に入っていた私たちの姿が、真上からとはいえバッチリ撮影されてたってこと?」
「その通りよ。この付近一帯はヒュージが爆発した影響で通信障害が発生したけど、衛星軌道上までは影響が及ばなかった。
偵察衛星は通常通りガーデンの上空から撮影を行った結果、その画像が得られたのよ。
しかも、この衛星は今も上空数百kmの軌道上を周回飛行しながら、鎌倉府一円のガーデンを毎日撮影し続けているわ」
「じゃあ、もし将来このガーデンに露天風呂が作られても、その偵察衛星がある限り、私たちが安心して入浴することはできないのね。なんてこと……」
百合ヶ丘女学院が敷地内に露天風呂を作る計画は全く無かったが、依奈は勝手に思い描いていた期待を打ち砕かれて肩を落とした。
その依奈の肩に手を置いて、天葉は励ましの言葉を掛ける。
「依奈、絶望するのはまだ早いよ。この作戦を成功させて、G.E.H.E.N.A.の衛星を宇宙の星屑にしてしまえば、安心して露天風呂に入れる日が来る」
「ソラ……そうね、何としても成し遂げないとね。
下世話な輩にあたしたちの素肌を盗撮なんて金輪際させるものか」
目の前の二人の後輩のやり取りを聞いていた史房が、自分の横にいる眞悠理を見た。
「眞悠理さんの案、いいタイミングで使えることになって良かったわね」
「はい。いずれ機を見て作戦案を実行に移すつもりでしたが、偶然にG.E.H.E.N.A.側から攻撃してくる事件が発生し、その反撃作戦として採用されたのは僥倖でした」
一つ気になることがある、とそれまで黙って話を聞いていた2年生の渡邉茜が、眞悠理に質問を始めた。
「G.E.H.E.N.A.の偵察衛星を撃墜する必要があることは、この写真を見て嫌というほど分かったわ。
でも、偵察衛星は低軌道とはいっても高度100km以上よ。ほとんど宇宙空間じゃない。
そんな所にあるものをどうやって攻撃するの?
私たちのCHARMの射程距離なんて、せいぜい数kmがいいところなのに」
「それについては、この作戦向きの特殊なCHARMが工廠科にあるわ。
今は格納庫で埃を被っているかもしれないけど、あの機体なら軌道上の人工衛星を射程内に収めることができるはずよ」
自信に満ちた表情で、眞悠理は工廠科の校舎がある窓の外へ視線を向けた。
その頃、特別寮では咬月から説明を受けた四人のリリィのうち、我が意を得たりと言わんばかりに碧乙が発言した。
「なるほど。その衛星撃墜作戦に、百由さんが以前作ってお蔵入りになっていたハイパー・メガ・バズーカ・ランチャーを使うんですね」
「はいぱーめがばずーからんちゃー?」
要領を得ない顔で結梨が伊紀の方を見ると、伊紀も若干曖昧な様子で疑問を口にする。
「あの長射程高出力砲にそんな名前ついてましたっけ……?」
首をかしげる二人を気にも留めず、碧乙は目を閉じて腕組みをして、何事かを考えているようだった。
「あの時だって、ラー・カイラム並みの電源が確保できていれば、いきなり停電なんてみっともない事態にはならなかったのに。
やっぱり核融合エネルギー技術が実用化されないうちは無理なのかなあ……」
碧乙の言うラー・カイラムなるものが何なのか、咬月を含めた他の四人には皆目分からなかった……が、その部分は受け流し、伊紀が少し不安げな表情で碧乙に尋ねた。
「でも、あんな長射程のCHARMで人工衛星を狙えるリリィがいるんですか?
目視の直接照準ではとても不可能だと思いますけど」
「そこはほら、おあつらえ向きのレアスキルを持ってる子が一柳隊にいるじゃない」
碧乙は気軽な口調で言ってから結梨の顔をにやりと見た。
結梨は思い当たったように目を輝かせて大きく頷いた。
「わ、私がやるの? そんな遠くの目標なんて、撃ったことないよ」
撃墜作戦の狙撃手に指名された雨嘉は途方に暮れた表情で、すがるように神琳の顔を見るばかりだった。