「大丈夫ですよ、雨嘉さん。あなたならできますよ」
不安な表情で神琳の顔を見つめる雨嘉に、神琳はいつもの余裕に満ちた微笑で応えた。
「神琳は何の根拠も無いのに、そんなこと言う……」
雨嘉は不満げに頬を膨らせて、神琳の励ましを額面通りには受け取らなかったが、これはいつものことだった。
そんな雨嘉の反論を軽く受け流し、神琳は再び雨嘉に励ましの言葉を重ねた。
「私の言葉が根拠です。だから自信を持ってください、雨嘉さん。
人工衛星の一つや二つ、雨嘉さんにかかれば縁日の射的の景品を撃つも同然です」
「……いつもながら無茶苦茶なこと言ってるな、神琳は」
二人のそばでやり取りを聞いていた鶴紗は、隣りにいた二水に苦笑いしながら小声で囁いた。
「人工衛星なんて、観測する条件が揃っても輝点にしか見えないのに、どうやって狙撃するんだ?
天の秤目って、そこまでのことができるレアスキルなのか?」
「それは私には何とも言えませんが……でも能力的に最も狙撃の成功確率が高いのは、雨嘉さんですからね。
これまでの一柳隊での戦績を見ても、雨嘉さん以上にこの任務に適したリリィはいませんよ。
神琳さんの言い方は、雨嘉さんはもっと自分の実力を客観的に認識するべきだという意味じゃないですか?」
「……まあ、この作戦内容なら、雨嘉が射手として適任なのは間違いないな。
狙撃に使うCHARMは、さっき眞悠理様が言われていた『特殊なCHARM』とやらを使うみたいだけど、二水に心当たりはあるのか?」
「おそらく、過去に二回だけ使用されたと言われている、長射程高出力砲のことだと思います。
超大型の対物ライフルのような形をしていて、電源ケーブルを接続することで、外部電源からCHARMにエネルギーを供給する仕組みになっている……と聞いています」
「外部電源って……」
「このガーデン全体、場合によっては周辺地域も含めた電力網の電気です」
「なるほど、無理やり周りから電気をかき集めて、CHARMの砲撃エネルギーとして利用するんだな。
要するに盗電みたいなものか」
「それは人聞きが悪いです。
高出力砲による砲撃のエネルギーを確保するには、それほど莫大な電力が必要になるという条件から、他に手段が無いんです。
事実、過去に高出力砲が使用された際には、二射目でガーデン全体が停電したそうです」
「なんとも傍迷惑なCHARMだな。
それなら、今回は計画停電のお知らせを事前に周知しておかないといけないわけだ。
万が一、工廠科や解析科のデータが消失したら冗談じゃないな」
「停学で済めば御の字ですね」
肩をすくめて軽口を叩く二水に、眞悠理が近づいて言葉を掛ける。
「言い忘れていたけど、雨嘉さんが狙撃を行う前段階で、あなたにも重要な役割が与えられているわよ、二水さん。あなたのレアスキルでね」
「わ、私がやるんですか? そんな遠くの目標、鷹の目で見つけたことないですよ」
先程の雨嘉と同じような台詞を二水は慌てて口走った。
「もちろん、あなた一人の力ではなくて、ここに集まっている全員の力を合わせて、衛星の発見と照準合わせをするの。
それに、レアスキルを補助するための装置を百由さんに作ってもらっているから、あなたはいつも通りに鷹の目を使ってくれればいいわ」
「そ、そうですか……精一杯がんばらせていただきます」
二水の脳裏をよぎったのは、海岸で梨璃の髪飾りを探した時に、何十人ものリリィが手をつないでレアスキルを合成し、ミリアムと亜羅椰のフェイズトランセンデンスで大量のマギを供給した光景だった。
(もしかして、あれをもう一度やるんですか……確かにあの方法なら、通常では実現不可能なレベルで目標を発見できそうです)
二水は窓の外――まだ見ぬG.E.H.E.N.A.の偵察衛星が飛行しているであろう遥か上空を見上げて、心の中で呟いた。
その日の夕方、工廠科の格納庫では、保管用のシートを外した長射程高出力砲を目の前にして、百由とミリアムが並んで腕組みをしていた。
「まさか、この高出力砲が再び日の目を見る時が来るとは。長生きはするものね」
「百由様、わしらはまだ高校生なんじゃが」
ピント外れの表現をする百由に、渋い表情でミリアムが応じたが、百由は全く意に介さない様子だった。
「まあまあ、それは言葉の綾ってものよ。
ところで、この高出力砲の攻撃目標はG.E.H.A.N.A.の偵察衛星だっていうじゃない。
相手にとって不足無し。
超長距離狙撃用の特注スコープも完成したし、宇宙の星屑どころか、デブリの欠片も残さず消し去ってやるわ」
眼鏡の奥の瞳が妖しく光り、百由は唇の端でわずかに笑みを浮かべた。
「しかし、本当にこの高出力砲で人工衛星を撃ち落とすなんて出来るんじゃろうか?
低軌道の偵察衛星でも高度は100キロメートル以上じゃろ?」
「砲の出力を最大まで上げれば、大気中でのエネルギー減衰を考慮しても、装甲の無い人工衛星のような構造体なら充分に破壊可能よ」
「ふむ、威力はそれでいいとして、照準合わせはどうするんじゃ?
通常の狙撃のようにはいかんのではないか?」
「人工衛星なら、毎日同じ軌道で地球上空を周回しているから、一定の精度までは機械的に位置を算出できるわ。
もちろん、地上から上空の人工衛星を狙撃するためには、そこから更に桁違いの照準精度が必要になるけど。
そこで観測と狙撃の能力に特化したレアスキルを持つリリィの出番ってわけ」
「二水と雨嘉か……しかし、いきなりスコープを覗いて視界に人工衛星を収めるのは、さすがにリリィでも無理だと思うがの」
懐疑的な意見を口にするミリアムとは対照的に、百由は自信に満ちた態度を崩さなかった。
「心配無用よ。あらかじめ作戦開始時刻に合わせた偵察衛星の推定位置を算出して、二水さんに鷹の目で衛星を実際に発見してもらうわ。
その確定した位置情報を狙撃手である雨嘉さんに伝達するために、二水さんの脳波を解析して、衛星の位置する座標を数値化するのよ。
この測定装置を兼ねた通信ユニットを使ってね」
髪飾りやイヤリングのような形をした幾つかの小さなデバイスを持ち出して、百由はそれをミリアムに見せた。
「これ自体は装着者の脳波を測定して、工廠科の校舎内にある解析装置にデータを無線で送信するためのものよ。通話機能も付いているわ。
そして、解析装置で数値化された衛星の位置座標を高出力砲のスコープに転送・表示して、衛星をスコープの視野に収めるの。
そこから先の最終的な照準合わせ――地球の自転・重力・磁気などの影響の補正は、天の秤目を使うことになるわ」
「最近やたらと熱心に何かいじくりまわしていると思ったら、通信機能付きの脳波測定ユニットを作っていたんじゃな」
そこまで言った時、ミリアムはふと何かを思いついたように百由の顔を見た。
「ところで、あの高出力砲で偵察衛星を狙撃するということは、上空に向けて荷電粒子ビームをぶっ放すわけじゃが、無関係の航空機を巻き込んだりする恐れは無いのか?百由様」
「それなら安心して。狙撃が予定されている時間帯にはガーデンの周辺空域を飛行しないように、防衛軍を始め関係各方面に事前通告は済ませてあるわ。
あくまでも超長射程CHARMの『試射』をする名目でね」
「そうじゃったのか……もしや、その通告先にはG.E.H.E.N.A.も含まれておるのか?」
「ええ。理事会の判断で、G.E.H.E.N.A.にも通告は出されているわ。
もっとも、通告を受けたところで人工衛星の軌道を大幅に変更するなんて不可能だし、ましてや偵察衛星の存在なんて表沙汰にはできないでしょうね」
「『試射』の結果、偶然にもG.E.H.E.N.A.の人工衛星に命中してしまったという建前を取るわけじゃな。
まあG.E.H.E.N.A.も、スパイ活動用の人工衛星を撃墜されたから賠償しろとは言い出せんじゃろな。
なかなか百合ヶ丘のガーデンもセコいというか、腹黒い策を巡らせるもんじゃの」
「今回は相手が相手だからね。
まともに正面から立ち向かっても、足元をすくわれるだけになると分かっているんでしょう、百合ヶ丘の理事会は」
「誰も傷つくことなく、上首尾に作戦が終わってくれるといいんじゃがな……」
これまでに経験したことの無い類の作戦に、ミリアムは掴み所の無い見通しの悪さを感じていた。
それを見て取ったのか、百由はミリアムの耳に顔を寄せて、努めて明るい口調で囁きかける。
「ぐろっぴ、一ついいことを教えてあげるわ。
狙撃任務を担当する一柳隊とアールヴヘイムの他に、G.E.H.E.N.A.の攻撃に備えて別動隊が配置されるって、眞悠理さんから聞いたわよ」
「一体どのレギオンなんじゃ? アールヴヘイム以外のSSS級レギオンは外征中じゃから、それ以外のレギオンか……」
「別動隊の出番が無ければいいんだけど、G.E.H.E.N.A.も通告を受けている以上、何かしらの妨害はしてくると思っておく方がいいかもね」
「何かしらの妨害……まさかCHARMの試射程度の通告で、実験体のギガント級をけしかけてくるなんてことは無いじゃろうな」
「どうかしらね。江ノ島に設置されていたケイブ生成装置は撤去したし、そう簡単に代替の装置を設置できるとも思えないけど……」
「その別動隊とやらのレギオンに期待するしかないかのう」
目の前に鎮座している高出力砲の長大な砲身を眺めながら、ミリアムは小さく溜め息をついた。
「じゃあ、G.E.H.E.N.A.が作戦を邪魔しようとしてきたら、それを防ぐことが私たちの任務なの?」
同刻、特別寮では自室に戻った結梨がロザリンデに質問しているところだった。
「そうよ。勘のいい人間なら、通告で指定されている時間帯が、偵察衛星がガーデン上空を通過するタイミングと一致していることに気づくかもしれない。
自分たちの衛星が狙撃されるかもしれないのに、黙って手をこまねいているとは思えないわ。
これまでのG.E.H.E.N.A.の出方を考えると、ケイブからヒュージを出現させて百合ヶ丘を襲わせると考えるべきよ」
「でも、私たちは江ノ島に隠してあった装置を見つけて、後で工廠科のリリィがその装置を百合ヶ丘に運び出したんだよね。
それなら、もうケイブは作れなくなったんじゃないの?」
「ええ。でもケイブ生成装置は江ノ島以外の場所に残っている可能性もあるわ。
ガーデンの南側は見通しの良い場所が多いから、装置を人目につかないように設置するのは難しいでしょう。
一方、ガーデンの北側は木々が鬱蒼と生い茂る山地が広がっている。
その一帯のどこかにケイブ生成装置を仕掛けて、必要に応じてヒュージにガーデンを襲わせることは充分にあり得るわ」
「それをやっつけるのが私たちの任務……」
「そう。通常のヒュージなら彼我戦力差だけを考えればいいけれど、今回はG.E.H.E.N.A.が絡んでいるのが厄介なところだわ。
とりわけ、問題は特型の実験体を投入してきた場合ね。
どんな特殊能力を持っているかは、実際に相対してみるまで分からないから」
ロザリンデの言葉を聞いた結梨は、少し下を向いて考え込んだ後、何かに気づいたように顔を上げてロザリンデに答えた。
「その場でどう戦うか、自分で考えないといけないってことなんだね。
でも、ルドビコや御台場のリリィは、ずっとそんな戦いを東京で続けてきたんだよね。
だったら、私も来夢や幸恵や燈たちと同じように、自分の力でやっつける方法を見つけてみせるよ」
結梨の脳裏には、東京で出逢った幾人ものリリィの姿が浮かんでいた。
彼女たちのように在りたいと想う結梨の心には、一点の曇りも存在していなかった。
生徒会室と特別寮での説明から一週間後、終日にわたって良く晴れた日の日没直後に、偵察衛星撃墜作戦は開始された。