百合ヶ丘にもG.E.H.E.N.A.にも死傷者を出さずに終了した偵察衛星撃墜作戦から数日後の夜。
特別寮のミーティングルームには、ロザリンデと結梨の二人だけがソファーに並んで座っていた。
あの日、伝書鳩の足に付けられていた手紙には、『御前』が琴陽とともに結梨に面会を希望する旨の内容が綴られていた。
その手紙の書き出しの文面は以下のようなものだった。
一柳結梨様
拝啓
ご無沙汰しています。戸田琴陽です。
約束していた連絡が遅くなってしまい、とても申し訳なく思っています。
結梨さんはその後、お変わりありませんでしょうか。
過日の新宿エリアディフェンス崩壊事変の際には、大変なご活躍をされたと聞き及んでいます。
新宿御苑での手合わせでは、幸恵様に見咎められてしまい中断を余儀なくされましたが、再戦の機会があれば是非あの時の続きをお願いしたく思っています。
このたび『御前』におきましては、あらためて結梨さんとお会いすることが可能な状況になり、その希望を結梨さんにお伝えするために筆を執った次第です。
いかにも琴陽らしい話の切り出し方だと、手紙を読んだ結梨は思わず口元をほころばせた。
その後に続く文で、面会が可能であれば、希望の時間と場所を指定してほしいこと、ただし結梨以外の同席者はリリィ一名に限ることなどが簡潔に記されていた。
また、この手紙の存在および面会が実現した際の会話内容をガーデンに報告することについては、特段の制限を設けるものではないとも。
結梨はロザリンデに琴陽の手紙を見せた上で、面会の希望日時と場所を相談の上で決め、ガーデンへの報告を行うことにした。
さしあたって必要な最低限の段取りを済ませた後、結梨は返信の手紙をしたため、伝書鳩の足に付けられている容器にそれを収めて静かに窓を閉めた。
翌朝になって起床した結梨が窓の外を見ると、既に鳩の姿は窓辺から消えていた。
ガーデンからの面会許可は、翌日すぐに結梨とロザリンデに伝えられた。
その時点でガーデンが把握している『御前』の情報が、限定的ながら二人に説明され、面会においては『御前』の真意をできる限り引き出し、より深い情報を得ることが求められた。
そして結梨とロザリンデが『御前』と琴陽を迎える場所として指定したのは、二人が現在いる特別寮のミーティングルームだった。
約束の時間までは、まだ5分ほどの猶予があった。
結梨はミーティングルームに入った時から、どことなく落ち着かない様子でドアの方をしきりに気にしている。
「特別寮って、ガーデンの許可を受けたリリィしか中に入れないんだよね。
場所はどこでもいいって手紙には書いてたから、ここにしたけど。
『御前』と琴陽は、どうやってここまで来るつもりなのかな」
結梨の質問を受けたロザリンデは対照的に、その事については全く気に留めていなかった。
「以前に『御前』が地下の通路に侵入してきた時も、通路の出入口や通路内に設置されている監視装置を難無く潜り抜けて来たわ。
何らかの高次のレアスキルを使っている可能性が高いけれど、『御前』が強化リリィなら未知のブーステッドスキルを付与されているのかもしれないわ。
いずれにしても、彼女には大抵のセキュリティシステムは役に立たないでしょう。
だから『御前』がここまで来られない可能性は、結梨ちゃんが考えなくても大丈夫よ」
「そうなんだ……今の私みたいに縮地で建物の壁を通り抜けられるのかな。
それとも――」
結梨が『御前』の能力について考えを巡らせ始めた時、部屋のドアを軽くノックする音が二人の耳に聞こえた。
「どうぞ、そのままお入りください」
ロザリンデが落ち着き払った声で、ドアの向こう側にいるであろう者に声を掛けた。
すると、ゆっくりと静かにドアが開いていき、二人の女性が姿を現した。
女性は二人とも、黒を基調としたドレスに似た服を纏っている。
年長の一人は見事な長身痩躯と長い黒髪、もう一人はCHARMケースを背負い、結梨と同じくらいの年頃の少女だった。
その二人が紛れも無く『御前』と琴陽であることを結梨は認識し、ソファーから立ち上がった。
「ごきげんよう、琴陽。久しぶりだね。二人とも元気だった?」
「ごきげんよう。結梨さんこそ、お元気そうで何よりです。
そちらのリリィは新宿御苑で御一緒だったレギオンの方ですね?」
屈託も邪気の欠片も無い結梨の言葉に答えたのは琴陽だった。
琴陽の呼びかけに、結梨に続いてロザリンデが立ち上がり、『御前』と琴陽に軽く会釈した。
「私は百合ヶ丘女学院の特務レギオンであるLGロスヴァイセ所属の3年生、ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーです。
『御前』には初めてお目にかかります。以後お見知りおきを」
ルドビコ女学院の制服ではなく、『御前』とよく似た意匠の服を着ている琴陽をロザリンデは見た。
「あなたはルドビコ女学院1年生の戸田・エウラリア・琴陽さんね。
新宿御苑で私たちと会った時と少し雰囲気が変わったかしら」
「……事情があって、今はルドビコのリリィではなくなりました。
ですから洗礼名も名乗っていません。
今の私はただの戸田琴陽です」
わずかに寂しげな表情を見せつつ、琴陽は自らの名を訂正した。
「はじめまして、ロザリンデ。私のことは自己紹介した方がいいかしら」
琴陽の一歩前に出た『御前』は唇の端に微笑を浮かべ、余裕に満ちた態度でロザリンデを一瞥した。
前回、結梨と碧乙が『御前』と遭遇したのは薄暗い地下通路の中だったため、『御前』の正確な年齢の見当は付けにくかった。
しかし、今のミーティングルームの通常の照明下では、ロザリンデよりもさらに年上の、教導官に近い年齢であるように見えた。
『御前』の確認の言葉に、ロザリンデは首を横に振った。
「いいえ、その必要はありません。ようこそ百合ヶ丘女学院へ。
『御前』――いえ、白井咲朱さん」
「私の本名を知っているということは、夢結からそれを聞いたのかしら」
ロザリンデの言葉に動じる気配も無く、『御前』こと白井咲朱は、若干の挑戦的な光を瞳に宿らせてロザリンデの顔を見据えた。
「あなたの実の妹である夢結さんから本名を直接聞いたわけではありません。
もちろん、ここにいる結梨さんも、それは同じです」
ロザリンデはそこで一旦言葉を切り、咲朱と琴陽にソファーへの着席を促した。
二人がソファーに腰を下ろすと、ローテーブルを挟んで向かい合う形で、別のソファーにロザリンデと結梨が並んで座る。
ロザリンデは咲朱の顔を正面から見つめ、話の続きを再開した。
「東京で一柳隊との間に一悶着あったそうですね。
その件に関して色々とガーデンに報告が上がっています。
ただし、その内容は第一級の機密扱いに指定され、一般の生徒にはあなたの情報は伏せられています。
今の時点で情報が開示されている生徒は、一柳隊のリリィ以外には、私を含むロスヴァイセの一部のリリィと結梨さん、それに三人の生徒会長だけです。
結梨さんには、あなた方がこの部屋を訪れるまでの間に、私から説明済みです」
「そう、それなら話は早いわ。
私が今日ここに来たのは、私が望んでいた形ではなかったにせよ、その一悶着が決着したから。
その結果、私はこれまでの状況を一度整理し、それを踏まえた上で私の目指す高みへと昇るために、次の計画をあらためて定める必要があった。
その一環として、以前に私が自ら会いに来たリリィである一柳結梨と話をしに来たというわけ」
傲慢と紙一重の自信に満ちた咲朱の様子は、一見した限りでは地下通路で結梨と碧乙に遭遇した時と何ら変わらないように見えた。
だが、結梨は咲朱が漂わせている雰囲気に、目に見えない変化を感じ取っていた。
「『御前』――ううん、咲朱は少し変わったね」
「私のどこが変わったというのかしら?」
「少し大人になったみたいに見える」
咲朱は結梨の意外な言葉を聞いて、どこか困惑したような、それでいて興味を引かれたような表情を見せた。
「大人になった……か。
まさか、自分よりずっと年下のリリィにそんなことを言われるとは思わなかったわ。
結梨、もう少しあなたの言わんとするところを聞かせてちょうだい」
「……咲朱は何かにこだわって張りつめていた感じが無くなったみたい。
どうしても欲しかったものが手に入らなくて、今は手に入らなかったことを受け入れて生きていこうとしてるような、そんな感じがする」
自分より遙かに幼いと思っていた結梨の説明を、咲朱は神妙な面持ちで聞いていた。
結梨の言葉を聞いた彼女の胸中に何が去来したのかは分からない。
しかし、少なくとも結梨の発言内容に対して、咲朱が不快な感情を抱いた様子は見受けられなかった。
咲朱は視線を結梨の瞳から胸元へと下げ、声の調子を少し落として話し始めた。
「東京での私と一柳隊との一部始終を、どこまであなたとロザリンデが知らされているかは、私には知りようもない。
でも、あなたが私と夢結の関係を知ったのなら、今あなたの口から出た言葉も納得できる。
もう今の夢結に私は必要ない。
夢結は自分のシルトやレギオンの仲間たちとともに進むことを選んだ。
それなら、私は夢結自身の決断と意思を尊重しないといけない。
――そして、私は夢結なしで私が目指す高みへと昇らなくてはならない」
それが結梨の感じ取った咲朱の変化の本質であることを、咲朱の言葉は告白していた。