実の妹である夢結との決別を受け入れた咲朱の言葉を、結梨は静かに聞いていた。
そして咲朱が語り終えると少しの間を置いて、結梨は咲朱の瞳を覗き込むように尋ねかけた。
「本当に咲朱は夢結のお姉さんなの?」
「ええ。そうは見えないかしら?」
「よく分からない。雰囲気は似てないと思う」
「雰囲気、か。確かに依存する主体と依存される対象では、違っていて当たり前かもしれないわね」
「どういうこと?」
「こちらの話よ。あなたが気にすることではないわ」
話の流れに区切りをつけるためか、咲朱はロザリンデの顔をちらりと一瞬だけ見てから結梨に視線を戻し、ゆっくりと語りかけ始めた。
「私は東京で夢結を一柳隊から離れさせて、私と一緒の道を進ませようとした。
それが私の望みであり、夢結にとっても最善の選択だと思ったから。
でも、夢結はそれを自分の意思で断った。
夢結は自分のシルトやレギオンの仲間たちと一緒に進む道を選んだわ。
つまり、私は妹に振られてしまったというわけ。
それで柄にもなく傷心を癒すための時間が欲しかったの。
――本当に、人の心は思い通りにならない」
紅く美しい唇を皮肉げに歪めて、咲朱は自嘲気味に呟いた。
結梨の隣りに座っていたロザリンデは小さく息を吐き出し、同情と憐憫が混ざり合ったかのような表情を浮かべて、ローテーブルの上に視線を落とした。
そしておもむろに顔を上げて咲朱の方を見ると、重苦しい口調で咲朱に自らの意見を口にする。
「結局、夢結さんはあなたとシュッツエンゲル、二人の姉に振り回され続けたわけですね。
美鈴さんといいあなたといい、夢結さんには女難の相ならぬ姉難の相が出ているとしか思えません」
「川添美鈴と私を一括りにして論じるのは、やめなさい。
あなたは川添美鈴が夢結にしたことを知っているの?
川添美鈴は自身のレアスキルで夢結の記憶から私の存在を消し、夢結の心が自分だけに向けられ、自分に依存するように仕向けた。
シルトの記憶を操作してまで、その愛を自分だけのものにしようとするなんて、とてもまともなシュッツエンゲルとは言えないと思わない?」
「確かに美鈴さんの愛情が歪なものであったことは事実かもしれません。
だからといって、実の妹をシルトやレギオンから引き離し、自分の陣営に取り込もうとしたあなたを正当化することもできません。
あまつさえ夢結さんを殺して、その後で生き返らせようとするつもりだったと聞いています。
正気を疑うような話です」
「咲朱は夢結を殺そうとしたの? どうしてそんなことを?」
結梨が驚きに目を丸くして咲朱の顔を見つめる。
咲朱は特段気にする様子も無く、ごくあっさりとその理由を説明した。
「私のように、より強い力を持ったヒュージの姫として甦らせるためよ」
「ヒュージの姫として……夢結を?」
「咲朱さん、あなたは一度戦死した後で生き返ったと一柳隊のリリィたちに語ったそうですが、それは本当なのですか?」
思わず口を挟んだロザリンデの顔を、咲朱は面白くも無さそうに一瞥した。
「ええ、本当よ。信じてもらえるとは思わないけど」
「あなたが百合ヶ丘女学院の卒業生であり、教導官として百合ヶ丘に赴任する直前に戦死したことは事実です。
そして戦死したはずのあなたが、今ここに生きて姿を現したことも事実です。
そうであれば、考えられる可能性は二つ。
一つは、戦死の事実そのものが何らかの偽装工作だったこと。
もう一つは、あなたの言う通り、本当に戦死した後に生き返ったこと。
後者の可能性はとても信じることはできません――死んだ人間が生き返ることなど、ありえない」
「ありえない、なんてことはありえないわ。
一度死んで生き返ったのは、今あなたの隣りにいるリリィも同じでしょう?」
咲朱の言葉を聞いた結梨が自分の方を振り向いたことに、ロザリンデは気づいていた。
だが、ロザリンデは結梨の顔を見ることができなかった。
今自分がどんな表情をしているのか、結梨に見られることが怖かった。
ロザリンデは震える声で咲朱に反論した。
「……結梨さんは生きている状態で私のシルトが発見しました。
私もこの目で確認しました。
確かに結梨さんは死んではいませんでした」
「発見時に生きていたからと言って、それは一度死んだことの反証にはならないわよ」
「……一度死んだ人間が生き返るなど、ありえないことです」
息苦しそうに、喘ぐように、ロザリンデが先程と同じ発言を繰り返した。
「目の前に私という実例がいるのに、あなたは信じないの?」
「あなたの発言自体がブラフかもしれません。
あなたが今ここで自ら命を絶って、その後に蘇生したのなら信じますが」
「さすがに特務レギオンのリリィだけあって、用心深いことね。
いくら私でも、何の設備環境も無い所で生き返ることはできないわ。
それは結梨も同じよ。
あの時はヒュージネストが近くにあったからこそ蘇生――いえ、レストアが可能だった」
「そのような表現は控えてください」
咲朱の言葉に反応して、ロザリンデの表情が急激に険しくなる。
「ロザリンデ、私は気にしてないから……」
憤然とした感情を隠せないロザリンデだったが、咲朱は意に介せず話を続ける。
「表面上の言葉を飾ったところで、本質は何も変わらないわ。
ヒュージネストのマギを操れたところで、結梨が人であることに変わりはない。
無責任な野次馬が勝手な線引きをして、ヒュージだ人だと騒いでいるに過ぎない」
「私たちは、あなたのように本音だけで生きていけるほど強い力を持っていないのです。
それに、形式に従うことで避けられる争いもあります」
「その形式とやらで査問委員会の鈍物連中を正面から論破した結果がどうだったか、忘れたとは言わせないわよ。
結梨が戦っていなければ、百合ヶ丘の霊園に建てる墓標の数が数十、あるいはそれ以上増えていたでしょう」
「それは……」
率直すぎる咲朱の物言いに、ロザリンデは返す言葉を失った。
議論に敗れたG.E.H.E.N.A.は、間を置かずに特型ギガント級――後に個体名ハレボレボッツと名付けられた特異なヒュージを差し向けてきた。
その目的が百合ヶ丘に壊滅的な打撃を加えることにあったのは想像に難くない。
「G.E.H.E.N.A.は目的を達成するためなら躊躇なく人を殺す。
ある時はヒュージを、別の時には教導官を使って。
もちろん、それがG.E.H.E.N.A.の仕業であることは証明できないような形で。
いわば一種の完全犯罪として」
反論できずにいるロザリンデに畳みかけるように、咲朱は言葉を重ねる。
「特務レギオンのリリィとしてG.E.H.E.N.A.と相対してきたあなたなら分かるでしょう。
話の通じない相手なら、力には力で対抗するしかない。
リリィがヒュージと戦う時と同じように」
「……」
憮然として沈黙を続けるロザリンデから結梨へと、咲朱は視線を転じた。
「結梨、自分の道は自分の力で切り開きなさい。
何ものにも脅かされず、自分らしく自由に生きるために。
あなたの力はそのためにこそある。
燈もそうやって生きてきた。
燈にできてあなたにできないはずは無い」
この場にいない御台場女学校の強化リリィの名を出して、咲朱は結梨に励ましの言葉をかけた。
それに対して、ロザリンデは水を差すかのように咲朱に反論する。
「あまり結梨さんを焚きつけないでください。
まだ彼女の心は幼い。
むやみに危険な状況に足を踏み入れるような事はさせるべきではありません」
「それはどうかしら。結梨は言葉遣いは幼くとも、物事の本質はよく見えているし、状況の判断も適切にできるレベルに達していると思うわ」
「琴陽さんのように、結梨さんも自分の配下に引き入れるつもりですか」
「以前の私なら、間違いなくそう考えていたでしょうね。
力の質は違えど、結梨の力はヒュージの姫に比肩する。
結梨は戦力として、そしてこの世界の行く末を左右する上で、決定的な役割を果たす可能性がある『特異点のリリィ』よ。
ぜひ私とともに高みを目指してほしいのは山々だけれど――あなたは結梨のことをどう思っているの? 琴陽」
咲朱から発言を促された琴陽は、満を持したかのように身を前に乗り出し、結梨の顔を正面から見つめた。
そして小さく頷いてから咲朱の方を振り向いて、琴陽は言葉を紡ぎ始めた。
「はい、新宿御苑で手合わせしていただいた時も結梨さんはとても強くて、私がゼノンパラドキサS級持ちの強化リリィでなかったら、結梨さんの攻撃を避けることは到底できなかったと思います。
あの遠隔操縦タイプのCHARMは第4世代の精神直結型CHARMに間違いありません。
あのタイプのCHARMを自在に使いこなせるリリィは、現時点で私の知る限り結梨さん以外には存在しません。
それだけでも比類ない能力の持ち主なのに、複数のレアスキルを同時に使えるとも聞いています。
手合わせの時は縮地を一度だけ使っていましたが、少なくともフェイズトランセンデンスも同時に使えるんですよね。
それなのに全然偉ぶったり鼻にかけたりすることも無くて、いつも自然体な姿勢はとても素敵だと思います。
だから私はこの先、咲朱様の下で結梨さんと一緒に戦っていけたら、とても幸せで充実した悔いの無い日々を過ごせると信じています」
滔々と一気に自らの思いを語り続ける琴陽は、自分の言葉に興奮しているのか、その白い頬を紅潮させ、生気に満ちた瞳は熱を帯びたように輝きを増していた。
「……だそうよ。随分惚れ込まれてしまったみたいね、結梨」
「ちょっと照れくさいかも」
頬を少し赤らめてはにかんだ結梨の隣りでは、ロザリンデが一歩引いた態度で琴陽を見つめていた。
「思い込みが激しい子だとは感じていたけれど、あらためて目の当たりにすると気圧されるほどの勢いね。
でも、琴陽さん。咲朱さんと一緒に進めば、彼女が高みに昇り詰める前にあなたは命を落とすかもしれないわよ」
諫めるようなロザリンデの言葉を受けても、琴陽は全く自分の考えを変える気は無かった。
「もとより、その覚悟はあります。
でも、私は死ぬために咲朱様とともに進むわけではありません。
人はいつか必ず死にます。
ただ長く生きれば幸せというわけでもありません。
いかに生き、いかに死ぬか。
それが人の生の本質的な意味だと私は思います」
琴陽が咲朱に心酔していることは、ロザリンデは情報としては知っていた。
しかし、それをいざ彼女自身の言葉として直接聞かされると、その危険な情熱とでも形容すべき感情をまともに浴びせられ、ロザリンデは全身に汗が滲み出てくるかのような感覚に襲われた。
ロザリンデからの返答を待たず、琴陽はさらに言葉を続ける。
「これまで幾百幾千のリリィが志半ばで戦死していきました。
彼女たちの中で、自らの死に納得できた者がどれほどいたでしょうか。
誰もが最後まで戦い抜いて生き残り、ヒュージのいない世界をその目で見たかったはずです。
では、彼女たちの死は無意味だったのでしょうか。
それについての是非を述べることは、生者の傲慢だと私は思います。
彼女たちの死を賛美することも貶めることも許されるべきではありません。
もし私が戦死者の列に並ぶことになったとしても、それが私が自ら選んだ戦いの結果であれば、悔いはありません」
自らの決意を最後までためらいの欠片も無く表明した琴陽に、ロザリンデは反駁の言葉を持たなかった。
それを見た咲朱は軽く苦笑して琴陽の肩に手を置いた。
「琴陽、もうそのくらいにしておきなさい。
あなたの気持ちは嬉しいけれど、今ここで話す内容としては少しばかり哲学的に過ぎるわ」
「申し訳ありません。出過ぎた真似をしてしまいました」
「いいのよ。さて、今度は私からこの場で話したかったことを言わせてもらうわ。
構わないわよね、二人とも」
咲朱の確認の言葉に、結梨とロザリンデは黙って頷いた。
それを見た咲朱は満足したように微笑を浮かべ、美しい唇を開いた。
「結梨、あなたに初めて会ってから今日まで、あなたについて私が考えたことを聞いてくれるかしら」