突然に結梨を伴って理事長室に出現した咲朱は、驚きの表情を隠せない高松咬月に深く頭を下げた。
「お久しぶりです。理事長代行――いえ、高松先生」
「……この目で実際に見るまでは信じられなかったが、本当に白井君なのだな。
それにしても、随分と雰囲気が変わったようだが」
「最後にお目にかかってから今日まで色々とありましたから。
そちらの三人は生徒会のリリィですか?」
「そうだ」
ソファーから立ち上がり、身を固くして自分を見つめている三人の生徒会長を、咲朱は軽く一瞥した。
「はじめまして、百合ヶ丘女学院のリリィたち。
特別寮での私たちの面会が終わるのをここで待機していた、というところかしら。
あなたたち、そんなに警戒しなくてもいいわよ。
少なくとも今のところは、私は百合ヶ丘とは敵対していないつもりだから」
「『御前』……どうやってここに」
咲朱と直接の面識がある祀が思わず言葉を漏らし、それを隣りで聞いた眞悠理が半信半疑で祀に問いかける。
「『御前』? この人が亡くなったはずの夢結さんのお姉さんなの?」
「ええ、東京で一柳隊の前に何度も現れた『御前』と名乗る人物――白井咲朱さんに間違いありません」
一方、史房は咲朱の横に立っている結梨に、彼女には似つかわしくない余裕の無い口調で呼びかけた。
「結梨さん、その人から離れなさい。その人は危険よ」
「咲朱はそんなリリィじゃないと思うけど……」
咲朱に対する二人の認識の違いは、そのまま言葉の違いとなって表れていた。
咲朱を含めて理事長室にいる五人のリリィは、誰もCHARMを持っていない。
にもかかわらず、室内には一触即発の張り詰めた空気が漂っている。
その空気は全て三人の生徒会長から発せられていた。
一柳隊の報告にもあるように、『御前』こと白井咲朱は桁違いの戦闘能力を持つリリィだと分かっている。
現に彼女は何の前触れもなく、いきなり理事長室に結梨を伴って現れた。
理事長室の扉も窓も全て閉まっている。
エリアディフェンス崩壊事変の際に結梨が東京で覚醒したという縮地S級、その高次レアスキルを咲朱も有していることは明らかだった。
加えて、一柳隊の報告ではレギオンの全員が総がかりで戦っても、咲朱に対して優位に立つことは全く出来なかったとあった。
もし咲朱がこの場で攻撃を仕掛けてきたとしたら、自分たちだけで咲朱を抑え込むことは不可能に思われた。
史房は額に脂汗をにじませながら、目の前に立っている咲朱に自己紹介の言葉を口にした。
「……はじめまして、白井咲朱さん。
私はブリュンヒルデを務めています、3年生の出江史房です。
こちらの二人はオルトリンデ代行の秦祀とジーグルーネの内田眞悠理、二人とも2年生です」
「はじめまして。出江さん、秦さん、内田さん。
秦さんは東京で一柳隊と一緒にいたわね、見覚えがあるわ」
「東京でのあなたの振る舞いを目の当たりにした身としては、友好的な態度は取りかねます」
「それは構わないわ。あなたはあなたの感じた通りに私に接してくれればいい」
祀の反応など歯牙にもかけないと言わんばかりの咲朱の物言いに、祀は頬を僅かに引きつらせた。
だが、咲朱と初対面の史房や眞悠理とは違い、祀は既に東京で咲朱と面識を持っている。
そのためか、夢結の姉である咲朱が妹に抱いている人間臭い感情を、祀は感じ取っていた。
(この人、夢結さんを私たちに取られたと思っているのかしら。
それならちょっと揺さぶりをかけてみましょう)
「……ふふ、私は自室に戻ればいつも夢結さんと二人きり。
私と夢結さんが毎夜どんな時間を過ごしているか、咲朱さんには知る由もありませんね。
夢結さん、あれで結構可愛らしいところもあるんですよ」
いささかあざとい仕草でくすくすと笑ってみせる祀に、咲朱は柳眉を逆立てて睨みつけた。
「……あなた、私を挑発しているの? いい度胸ね。
夢結に変なことをしたら、ただでは済まさないわよ」
珍しく感情をあらわにする咲朱に、祀はあくまで平静を装って言い返す。
「私と夢結さんの間に何があろうとも、それは当人同士の問題です。
それが愛であれ、憎しみであれ。
実の姉であっても、私たちの関係に干渉することはできませんよ」
「そう、あなたの考えはよく分かったわ。
どうやら夢結は面倒なルームメイトを持ってしまったようね。
私が予定通り教導官として百合ヶ丘に赴任していたら、あなたと夢結を同室にすることは決して認めなかったでしょう」
「あなたが百合ヶ丘の教導官でなかったこと、神様に感謝します」
うやうやしい動作で祀は十字を切り、胸の前で両手を組んだ。
祀が自分を挑発している確信を得た咲朱は、我慢ならず一歩前に足を踏み出した。
その時、咲朱と祀の間に割って入ったのは結梨だった。
「祀、咲朱と喧嘩しないで。
私たちは争うためにここに来たんじゃないから」
「大丈夫よ、結梨ちゃん。
夢結さんのお姉さんなら、そんな軽率な行動は取らないと分かっているから。
そうね、結梨ちゃんの顔に免じて、この場は大人しく引き下がりましょう。
――咲朱さん、申し訳ありませんでした。少々悪ふざけが過ぎました」
先ほどまでの態度とは一転して、しおらしく頭を下げる祀に、咲朱はあきれた様子で毒気を抜かれたようだった。
「何なの、このリリィは……夢結の人格形成に悪影響が無ければいいけど」
頭を振って気を取り直そうとする咲朱に、咬月が話しかける。
「白井君、経緯はどうあれ、君が生きていたのはこの上ない吉報だと私は考えている。
君の意志が変わっていなければ、改めて教導官としてこのガーデンに着任する気はないかね」
だが、それを聞いた咲朱は軽く首を横に振った。
「高松先生のお言葉はありがたいのですが、今の私は以前の私とは違います。
ガーデンの一教導官として後進を育成し、それを自らの為すべき使命として全うする――以前の私なら、そのような生き方を善しとしていたでしょう。
でも、今の私は違う。
今の私はこの世界をまるごと変えられるほどの力を手に入れた。
それならば、その力を使って自分にしか為しえないことを為すべきだと、私は考えています」
「……」
「そして、それはこの子も同じ。
特務レギオン預かりの一リリィとして、この後の二年余りを過ごさせるのは役不足に過ぎると思いませんか?
一柳結梨というリリィは、百合ヶ丘女学院が手にしている最高のワイルドカードです。
その切り札をゲームが終わるまで手元に残しておくなんて、勝負に勝つ気が無いと思われても仕方がありません」
そう言って、咲朱は結梨の肩に手を置くと軽く微笑んだ。
「君は一柳君を自分の陣営に加える腹積もりなのか」
「そうできれば良いとは考えていますが、無理強いするつもりはありません。
夢結の一件で、私にも思うところがありますので。
ですが、結梨はもっと広い世界でその力を発揮するべきだと、私は思っています。
それが彼女の理想を実現するために最も適切な選択だと」
「君の言わんとすることは理解できる。
だが、G.E.H.E.N.A.の目がある限り、簡単に一柳君を百合ヶ丘の外に出すわけにはいかないのも事実だ」
咬月の慎重な発言を聞いた咲朱は、どこか懐かしいものを見るような目で彼の顔を眺めた。
「石橋を叩いて渡る御人柄は変わらないようですね。
現在、G.E.H.E.N.A.では、一柳結梨の可能性があるリリィに対して一切の積極的関与を禁止しています――当然、武力を用いた攻撃や身柄の拘束も。
先日は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるエレンスゲ女学園の松村優珂から襲撃を受けたそうですが、それも襲撃者である松村優珂の完全な独断専行だった。
加えて、今の結梨はCHARMにしてもレアスキルにしても、G.E.H.E.N.A.が迂闊に手を出せないほどの実力を持っています。
それであれば、思い切って結梨を百合ヶ丘の外に出してみることも、対G.E.H.E.N.A.戦略の一環として考慮する価値はあると思いますが」
「君がなぜその事件の詳細やG.E.H.E.N.A.内部の事情を知っているのかね」
「私が今でもG.E.H.E.N.A.と関係を保っているとお考えなのですか?
残念ながら、それはお門違いです。
今の私はG.E.H.E.N.A.とは無関係の存在であり、G.E.H.E.N.A.自体にも興味はありません。
だから、ある意味では反G.E.H.E.N.A.と親G.E.H.E.N.A.のどちらでもない中立の立場です。
ただし、G.E.H.E.N.A.が私の進む道に立ちふさがるようであれば排除するし、それに先立ってG.E.H.E.N.A.内部の動向を探ることは欠かしません。
私自身はG.E.H.E.N.A.に興味が無いと言いましたが、ヒュージの姫になりうるリリィや特異点のリリィが、ガーデンの不作為で失われるのは耐え難い。
それが戦死であっても、被験体としてG.E.H.E.N.A.の手に落ちる形であっても。
私とともに新しい世界の一翼を担うかもしれないリリィが、無為に失われていくのを看過することはできない。
――ただ、それだけのことです」
持論を言い終えた咲朱に、それまで黙っていた眞悠理が、深い憂いを帯びた視線を向けた。
「咲朱さん、あなたは生き急いでいるように見えます」
「誰でも自分が生きている間に理想を実現したいと考えるのは当然だと思うけど、違うかしら?
あなたたちだって、ただヒュージネストを討滅する害獣駆除だけが、このガーデンの使命だと考えているわけではないでしょう?」
「それはG.E.H.E.N.A.に対する方針の事を仰っているのですか?」
「そうよ。今までのやり方を続けていても、いずれG.E.H.E.N.A.に押し込まれて、百合ヶ丘や御台場が第二、第三のルドビコになることは火を見るよりも明らか。
現に、今の御台場女学校はG.E.H.E.N.A.による『実験』の最前線となっている。
少し前にガーデンの近傍で発生した特型ギガント級との戦闘でも、『原初の開闢』に酷似した気象現象が確認されているわ。
この先、御台場が繰り返し行われる『実験』でルドビコのように崩壊すれば、G.E.H.E.N.A.は次の新しい実験場候補に食指を伸ばすでしょう。
それがこの百合ヶ丘女学院でないという保証はどこにも無い。
ならば、最優先で御台場に支援となる戦力を送るのが、最善の選択ではないかしら」
「……」
押し黙る眞悠理の代わりに、咲朱に返事をしたのは咬月だった。
「君の考えは理解できたが、それに対する回答は、この場では即答しかねる。
日を改めて君と話し合いの場を持つことで、この議題は預からせてもらいたい」
咬月の返答を予期していたかのように、咲朱は悠然とした態度で咬月を振り返った。
「高松先生なら、そう仰ると思っていました。
ですが、私は即断即決を旨として、今日百合ヶ丘を訪れました。
ここからは私の望むように動かせていただきます」
咲朱は少し膝をかがめ、隣りに立つ結梨の目を正面から見つめた。
「結梨、私はこれから高松先生のお姉さんとお話ししてくるから、あなたは一足先に特別寮へ戻りなさい。
また後で会いましょう」
咲朱は結梨の額に軽く口づけると、次の瞬間にはその姿を掻き消していた。