「しゅっとうようせい……?」
「防衛軍が結梨さんを呼び出しているということよ」
努めて冷静に結梨に答えた椛に対して、楪は対照的に気色ばんで早口に疑問をぶつける。
「どうして軍がリリィ個人を呼び出すんだ?
しかも、よりによって結梨を。
そもそも、出頭の要請を出したのは一体どこの司令部なんだよ。
百合ヶ丘女学院のある鎌倉府なのか?」
「いえ、市ヶ谷の防衛軍本部へ直接出向くように、との内容よ」
楪は椛の言葉を聞くと、腕組みをして思わず顔をしかめた。
「それは、ますますもって剣呑な状況だな。
どう考えても何か裏があると見て間違いなさそうだ。
まさか、その場で身柄を拘束、そのまま憲兵が取り調べなんてことはないだろうな」
楪の懸念を、椛は首を横に振って否定した。
その表情は、あくまでも事態を理性的に把握しようとする意志を、楪と結梨に感じさせるものだった。
「いいえ、ひとまずその心配はしなくてもいいと思うわ。
御台場と百合ヶ丘の両ガーデンはこの要請を了承していると、理事長から私に連絡があったから」
「それなら、出頭要請の理由は何なんだ?
なぜこのガーデンに何百人もいるリリィの中から結梨を選んだんだ?」
「それについては現時点では何も情報が無いの。
それに、防衛軍は『北河原ゆり』を指名して出頭を要請してきているそうよ。
一柳結梨という名前はどこにも使われていないわ」
「結梨の名を出していないってことは、この件を表沙汰にする気は無いのか。
それとも、『北河原ゆり』が一柳結梨であることを知らないのか。
後者の線は薄そうだが……もし出頭を拒否した場合はどうなる?」
椛は結梨の方を見てから少し間を置いて、楪に視線を移して意見を述べた。
「百合ヶ丘在籍時の結梨さんに捕縛命令が出た時のように、防衛軍の機甲師団が出動するかもしれない……とまでは考えにくいわ」
「なぜ、そう言えるんだ?」
「幾つかの条件が、この出頭要請に付随しているからよ。
一つには、出頭に際してはCHARMの携行が許可されていること。
二つめは、出頭要請の発令者が憲兵隊長ではなく、対ヒュージ部門のトップであること。
そして最後に、この要請の対象となっているリリィに対しては、本人の意思を最大限尊重する、と」
「呼び出しの目的は、ヒュージ絡みの用件ってことか?
それも、そのトップとやらは、『北河原ゆり』が一柳結梨であることを知っている可能性がある。
その上で、何かしら厄介事にこちらを巻き込もうとしてるんじゃないのか?」
「仮にそうだとしても、ヒュージに対する何らかの戦略や作戦に関することであれば、こちらも無下に断るわけにはいかないでしょう。
事実、百合ヶ丘と御台場のガーデンはこの要請を了承しているのだから」
「その内容については防衛軍が関わっているから軍機扱いで、私たち部外者のリリィには教えられないってことか。
単にヒュージと戦うのではない、何か特殊な作戦を考えているのか……」
「私、行ってみる。
もし何か良くないことが起こっても、いざとなったら自分で何とかできるから。
それに、防衛軍が私のことをどう考えてるかは、実際に行ってみないと分からないし」
なおも気を揉んでいる楪に、結梨は毅然とした態度で自分の考えを表明した。
これまでに経験してきた戦場での戦いに加え、他ガーデンのリリィやG.E.H.E.N.A.関係者とのやり取りを経て、自分を取り巻く環境との付き合い方を、結梨は身に付けつつあった。
百合ヶ丘のガーデンの外での経験が、自らの運命を自らの判断と行動で切り開く力を養っていることを、結梨はまだ自覚していなかったけれども。
「まあ、あんたをどうこうできる人間がそうそういるとは思えないし、条件を聞いた限りでは、必ずしも強制的に事を運ぼうとしているわけじゃなさそうだ。
案ずるより産むが易し、と考えた方がいいのかもしれないな」
ようやく要請を認めようとした楪に続けて、椛が念を押すように結梨の安全を保障しようとする。
「万が一の事があれば、生徒会からガーデンを通して断固とした対応を取るように働きかけるわ。
防衛軍だって、リリィやガーデンと協力しなければ、ヒュージから人々を守れないことはよく分かっているはずだもの」
「ありがとう、椛、楪。
きっと無事に戻ってくるから、心配しないで待ってて」
未来は常に不確定で、でもそれを恐れずに立ち向かわなければ、道は開けない。
今までもそうしてきたし、これから先も、そうしなければならない。
それが未来をより良い方向へ変えていく唯一の方法だと、結梨は自分に言い聞かせた。
翌日の昼前、あと1時間ほどで太陽が南中しようとする頃、結梨は市ヶ谷の防衛軍本部の前に立っていた。
その背中に負っているCHARMケースには、エインヘリャルではなく、戸田琴陽から譲り受けたトリグラフが収められている。
緊急時の護身用としては、装着に時間を要するエインヘリャルよりも、ケースから取り出してすぐに起動できるトリグラフの方が適していると考えたからだ。
本部の前まで一緒に行きましょうかと椛からは言われたが、自立心旺盛な結梨はその申し出を丁重に断って、一人で御台場から市ヶ谷まで来たのだった。
防衛軍本部の建物はガーデンとは違い、いかにも「威容を誇る」という形容が当てはまる、巨大な中層建築物だった。
建物のエントランスに続く道の手前には、堅牢なゲートが行く手を塞いでいる。
そのゲートに向かって、結梨は一度深呼吸すると、落ち着いた歩調でゆっくりと進んで行った。
ゲートの前には衛兵と思しき軍服姿の男性が両側に立っている。
御台場の制服を着た結梨の姿が近づいてくるのを見た二人の兵士は、直立不動の姿勢から完璧な敬礼をした。
このような対応には、もう何度も戦場で遭遇してきたのだが、未だに何となく面映ゆい気分になってしまう。
結梨が差し出した学生証のカードを手に取って確認した後、兵士はうやうやしく結梨にカードを返した。
もちろん、学生証の名義は「北河原ゆり」になっている。
「御台場女学校のリリィの方ですね。
ご訪問の連絡は聞かされております。
どうぞ中へお入りください」
少し照れくさそうに兵士にお辞儀をして、結梨は見上げんばかりの巨大な建物の中へと入って行った。
どうやら自分は何かの容疑者として呼ばれたわけではなさそうだ。
ほっと安心した結梨は、いくらか軽い足取りになって廊下を進んで行く。
途中で何人かの将校とすれ違ったが、一人の例外も無く相手から先に敬礼してきた。
(ロザリンデは確か、私たちは防衛軍では「さかん」としての扱いを受けるって言ってた。
「さかん」って何だったっけ……)
とりとめも無く考え事をしながら歩いているうちに、結梨は事前に説明を受けていた部屋の前まで辿り着いていた。
重厚な木製の扉を控えめにノックすると、中から男性の声で返事があった。
その穏やかな声は、結梨に入室を促していた。
結梨が扉を開けて室内をのぞくと、部屋の中央に設置された応接用と思われるソファーと、それに座っている壮年の男性が目に入った。
男性の着ている軍服は将官用のものであり、顎鬚を生やした精悍な顔つきをしている。
結梨の姿を見ると男性はおもむろに立ち上がり、何の気負いも無く結梨に歩み寄った。
結梨は男性から威圧感を覚えるようなことは無く、むしろ彼が自分に対して友好的たらんと努めていることを感じ取っていた。
「はじめまして、『北河原ゆり』君。
私は防衛軍で対ヒュージ戦略の責任者を務めている石川精衛という者だ。
今日は君に頼みたいことがあって、ここまで御足労願った。
私が直接御台場のガーデンまで出向くと、いかにも悪目立ちしそうだったのでね」
精衛は結梨にソファーに座るよう勧め、二人は二つのソファーに向かい合って座る形になった。
結梨は精衛より先に、最も気になっていることを口に出した。
「あなたは、私のことを知ってるの?」
「知っている……と言えば知っているかな。
しかし今は君を『北河原ゆり』として、話をさせてもらおうと思っている」
結梨の問いかけに精衛は若干曖昧な答えを返し、一柳結梨の名を口にしないまま説明を続けた。
「私は百合ヶ丘女学院の理事長代行とは旧知の仲だ。
君にここに来てもらったのも、私から彼に連絡を取って、私の依頼する任務に適任の人物を推薦してもらった結果だ。
君の身柄をどうこうする趣旨で呼んだわけではないことを理解してほしい。
無論、指揮命令系統の規則上、正式な指令は御台場のガーデンから発令されることになる」
「任務……って?」
「君は新宿御苑の近くにあるルドビコ女学院というガーデンを知っているかね?」
「うん、知ってる。まだルドビコのガーデンに行ったことは無いけど」
「では、ルドビコで『本当は』何が起こって、今は事実上ガーデンが崩壊した状態になっているのかは?」
「……知ってる」
結梨は新宿御苑で幸恵と来夢から聞いたルド女崩壊の真相を思い出しながら、ごく短く返事をした。
「そうか。やはり伊達に百合ヶ丘で特務レギオン預かりの立場でいたわけではないということだな。
一般のリリィには、大規模なヒュージ群との戦闘で甚大な人的物的被害が発生し、その際に隣接するルドビックラボから実験体ヒュージが大量に逃げ出した、としか説明されていない。
それ以上の事を知っているのは当事者であるルドビコのリリィと、ルドビコ以外の一部のガーデンの、ごく限られた関係者だけだ。
そして君はその、ごく限られた関係者の一人というわけだ。
今回の件に、百合ヶ丘の理事長代行が君を推薦した理由もそこにある」
「……」
結梨は黙って精衛の話に聞き入っている。
「ルドビコ女学院は現在、教導官のほとんどを失い、対ヒュージ戦闘組織としてのガーデンの機能は麻痺している。
今はガーデン周辺の防衛力を補うために、幾つかのレギオンが国定守備範囲外のガーデンから派遣され、そのまま駐留している状態だ。
ヒュージとの戦いについては、ひとまずそれで戦力的な穴埋めは出来るだろう。
だが、それとは別に、そのままにはしておけない問題がルドビコにはある」
「……その問題のために、私を呼んだの?」
「そうだ。君がまだ百合ヶ丘女学院に在籍していた当時、江ノ島の洞窟で何者かによって設置されていた機器を発見・押収しただろう?
幾つかの状況証拠を総合すると、その機器はケイブを人工的に生成する目的で造られたものと考えられる」
ロザリンデたちと一緒に探索した洞窟の奥で、ヒュージを倒したその先に見つけた装置。
その後、工廠科と解析科のリリィが装置を洞窟から運び出したと聞いている。
「現在、防衛軍では百合ヶ丘の工廠科・解析科と共同で当該の機器の分析を進めているところだ。
しかし、機能の中心となる制御基板と、実行プログラムがインストールされていた記憶装置が取り外されていたため、装置全体の復元は難航している。
それについては今ここで議論する主題ではない。
問題は、その装置が何者によって造られ、設置され、使用されたかだ」
結梨には精衛の言わんとするところが何となく分かってきた気がした。
ケイブ生成装置、ルドビコ女学院の崩壊、特務レギオン預かりの立場だった自分が呼び出されたこと……それらの座標が交わるところに、「任務」の目的はあるのだと。
「ルドビコ女学院の周辺では、ガーデンの崩壊が起こる以前から不自然なほど高い頻度で、特異なヒュージの出現パターンが観測されていた。
――まるで任意の場所に任意のタイミングで、ヒュージを出現させることができるかのように」
精衛は黙って自分を見つめている結梨に、苦々しい口調で説明を続ける。
「ヒュージが出現するのは、そこにケイブがあるからだ。
もちろん、姿を隠しているヒュージが現れる場合もあるが、ルドビコの場合はケイブ発生の警報が必ずと言っていいほど鳴っていたと、ルドビコのリリィから証言を得ている。
その上に、君が知っている崩壊の真相を重ね合わせれば、答えは自ずと明らかだ。
ルドビコのガーデンあるいはルドビックラボの中に、江ノ島で発見したものと同種の機器があると、私は推測している。
ヒュージを使って敵対する人間や特定のリリィを襲わせていたとすれば、これは歴然たる犯罪行為であり、当然、法的な捜査対象になりうる。
しかし、防衛軍の兵士をガーデンやラボの捜索に投入するのは困難だ。
命令を発する根拠となる物証は無く、特殊部隊を秘密裏に突入させても、実験体ヒュージや狂化した強化リリィが建物内に残っていれば、機器を確認するどころか生還すら覚束ないだろう。
かと言って、特務レギオンのリリィを派遣して戦闘が発生すれば、G.E.H.E.N.A.および反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの報復を招く恐れがある」
「それで、今は特務レギオンとは関係なくなった私を呼んだの?」
「その通りだ。君はルドビコ崩壊の真相を知っている上に、特務レギオン預かりの立場だったため、一般のリリィでは知りえないG.E.H.E.N.A.の情報も頭に入っている。
それに加えて、君の戦闘記録を拝見させてもらったが、やはり君は間違いなく特別なリリィだ。
一部では『特異点のリリィ』という呼称が使われているようだが、君もその一人に含まれるのは確実だろう」
ルドビコ女学院に御台場の一リリィとして入りこみ、その内部に今も残されているであろうケイブ生成装置を確認すること。
それこそが、精衛が結梨を出頭要請という形で、この場に呼び出した目的だった。
「君には、もう一人のリリィと共同で任務に当たってもらいたい。
予定通りなら、もう間もなくここに来るはずだが……」
精衛の言葉が終わらないうちに、部屋の扉がノックされる音がした。
先程とは異なり、精衛が返事をする前に扉は開かれた。
姿を現したのは、結梨が実際に見たことの無い――知識としては知っていたが――ダークブルーの制服を着た少女だった。
いかにも負けん気の強そうなその少女は、うんざりした様子で精衛に文句を言った。
「何度来ても、ここは堅苦しくて息が詰まるわ。
お父さんも、少しは羽目を外して仕事のこと忘れないと、メンタルをやられちゃうわよ」
精衛が口を開くより早く、少女はソファーに座っている結梨に視線を落とし、明快な口調で話しかけた。
「――ああ、あなたが私とコンビを組んでルド女に潜入するリリィね。
はじめまして、私は相模女子高等学館1年生の石川葵。
私と一緒なら、必ず任務を達成して無事に戻れるから、大船に乗ったつもりで安心して」
高校生らしい活気に満ちた少女は、頭の左右で結った髪を軽く揺らしながら、元気よく結梨に名を告げた。
これが若さか……葵ちゃん、私を修正してください(謎)