一夏たちが帰投してから数時間後。
宿から抜け出したグラハムは夜の岬に出ていた。
彼は左に見える夜景を楽しむことなくひたすら歩く。
しばらくして足を止めた。
眼前に夜の海が広がり、その先には月が輝いていた。
だがグラハムの視線はそれよりもはるか手前に向けられていた。
「やあ、ハムくん」
「こんばんはという言葉を謹んで送らせてもらいましょう」
岬の柵に腰掛けて海原へと足を揺らしている女性、束は振り返ることなく言葉をかけてきた。
挨拶への返答を済ませ、グラハムは数歩前に出た。
「単刀直入にお聞きしたい。今回の件、貴女はどこまで関わっていた?」
「どういうことかな~?」
「恍けるのは止めていただきたい」
「きまじめだね~」
「こういう性分です。今さら変えようもありません」
その冗談めかした言葉とは裏腹にグラハムの声音は真剣そのものだった。
束はディスプレイを操作する手を止めた。
「ねぇ、ハムくん」
「なんでしょうか」
「答えてあげるから代わりに三つ、お願いを聞いてくれるかな」
「わかりました」
まずは、と束はくるんと足を上げてグラハムの方へと向いた。
「束さんのことをこれからは『ぷりてぃ束さん』と――」
「断固辞退する」
「じゃあ、話さないよ? よ?」
何故か疑問符を二つ重ねる束。
気になるがこれでは話が進まない。
はぁ、とグラハムはため息を吐いた。
「では、妥協案で束女史と呼ばせていただきたい」
「おお! ちーちゃんとお揃いだね♪」
るんるんと鼻歌を奏で始める。
「では、話していただけるだろうか?」
おーけーおーけーと束は機嫌良く返事をする。
その適当な発音にわずかにグラハムは眉をひそめるがこの際気にしないことにした。
「そだね。まあ、暴走させたのは束さんだよ~」
一切悪びれる様子もなく自分が黒幕であると話す束。
だが束の言い方にグラハムは納得していなかった。
「つまり、その後は束女史の管理下にはなかったと?」
「こっちに来る途中からね。いきなりアクセスできなくなっちゃった」
「………………」
ISの開発者であり、常に世界の先を行く束が不覚を取った。
そのようなこと、並大抵な人物、組織にはできない。
この事件にはそうとうな黒幕がいる、そうグラハムは確信した。
だがそれがサーシェス達であるかはいまいち確証が持てなかったが。
仮に黒幕が彼らだとすると不可解な点が幾つかあるのだ。
「――で、二つ目なんだけど」
「何かね?」
「この話は束さんとハムくんの二人の秘密ということで――」
「それは無理だと言わせてもらおう」
グラハムは視線を後ろへと向けた。
向けられたのは歩いてきた遊歩道の隣にはある林。
「やはり気づいていたか」
その木々の間から千冬が姿を現した。
「やぁちーちゃん」
「おう」
特に驚いた様子もなく朗らかな表情の束。
対する千冬もいつもと変わるところはない。
だがすぐにその目がわずかに細められる。
「エーカー。今は外出禁止の時間帯だが」
「熟知している。もとより処罰は覚悟の上さ」
「本来なら、無断出撃した六人同様懲罰トレーニングを用意してやるところだが今の話でなかったことにしてやろう。早く戻れ」
意外にも処罰を与えないと言う千冬にわずかながらにグラハムは驚いた。
規律と規則に対する妥協なき姿勢を貫く彼女が無問題にするほど《福音》事件の真相を 束から聞き出すのは容易ではないということなのだとグラハムは自分を納得させる。
千冬の指示に従ってその場を立ち去ろうとしてその足をすぐに止めた。
「束女史。最後の条件は?」
まっすぐに束の目を視線の先に捉える。
「ねえ、ハムくん。今のこの世界は楽しい?」
「ああ。ISに心奪われ、楽しい日常を過ごしている」
「そうなんだ」
「貴女のおかげだと言わせてもらおう」
「それはうれしいね~」
笑顔の束。
その表情に応えるようにグラハムも微笑んでいる。
そんな彼の裏表のない笑みを千冬は眺めていた。
この問いがただの問いでないことは千冬は知っている。
だが質問そのものよりも『この世界』という言葉に反応していた。
幾度かグラハムに対して抱いていた疑問がある。
――あいつはこの世界で何を望んでいるんだ?
グラハムは元々別世界の人間。
元の世界に戻りたいと思っていないのか?
出会ったあの日、この世界に来る直前までの出来事をグラハムから聞いている。
グラハムは戦っていたのだ。
一万対一という絶望的な戦力差の中を。
戦いの最中でここにきて、未練はないのだろうか。
話に出てきた親友の技術者や部下たちは心配ではないのだろうか。
『ガンダム』との戦いの中で帰る方法を彼は模索するのだろうか。
だが結局、千冬はそのことを尋ねることはできなかった。
遊歩道を旅館へと歩いていくグラハムの背を鋭い視線で見送った。
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翌朝。
ISの撤収作業を終え、グラハムたちは帰りのバスに乗り込む。
「大丈夫か?」
「あ~……」
グラハムは隣に座る一夏に声をかけた。
だが見るからにぐったりとしている彼は満足な返事すらできなかった。
詳しい事情をグラハムは知らないがどうやら一夏も旅館を抜け出していたらしく千冬に大目玉をくらったようだ。
解放されたのはかなり遅かったらしく本人曰く三時間寝てないらしい。
そこに先の重労働を考えれば仕方ないことだとグラハムは結論付けた。
しかしまだ納得のいかないことがあった。
どういうわけか箒やラウラの視線が一夏に冷たく突き刺さっているのだ。
そこにきてグラハムが乗り込む前にものどの渇いていた一夏の助けを二人は拒否したという。
完全に体力的にも精神的にも重傷を負った一夏をグラハムは少し憐れむように見つめる。
「ねえ、織斑一夏くんとグラハム・エーカーくんはいるかしら?」
「む?」
「あ、はい」
グラハムの視線がバスの入口へと向けられた。
同時に一夏が素直に返事をする。
二人の視線の先には金髪の女性がいた。
ブルーのサマースーツをカジュアルに着こなした彼女はドアからすぐそばにある二人の座る席まで来た。
「へぇ、君たちがそうなんだ」
興味深そうに二人を眺める女性。
純粋な好奇心から向けられる観察に戸惑う一夏。
一方でグラハムはその女性に見覚えがあった。
「君は確か《銀の福音》のパイロット」
「ええ。ナターシャ・ファイルス。君の言うとおり銀の福音の操縦者よ」
「え――」
一夏にとっては意外な答えだったのだろう。
冷静に腕組みをしているグラハムとは対照的に困惑していた。
そこにさらに困惑させる事態が起きる。
「ちゅっ……」
一夏の頬にいきなり唇が触れたのだ。
「――え?」
「これはお礼。ありがとう、白いナイトさん」
「え、あ、う……?」
「それと、ミスター・ブシドーも――」
「私はただ一夏の手助けをしただけの事。謝意を表してもらえるだけで私は十分だ」
「あら、残念」
フッ、と嫌みのない笑みを見せるグラハムにナターシャも悪戯っぽい笑みを浮かべる。
何か通じるところでもあったのだろう。
二人はどちらともなく手を差し出すと握手をした。
そして二、三言葉を交わす。
「じゃあ、またね。バーイ」
「また、お会いしよう」
「は、はぁ……」
女子達の方へもウインク一つ飛ばすと、ひらひらと手を振ってバスを降りるナターシャ。
グラハムは軽く一礼し、一夏はぼーっとしたまま手を振りかえして見送った。
「いずれ、また会うことになるだろう」
そうグラハムは呟くが一夏の耳には入っていなかった。
「………………」
ふと何かに気が付いたのだろう。
通路側の席に座る一夏はゆっくりと振り向いた。
『………………』
そこには恐ろしいほどの重圧を放つ女子達がいた。
その圧をもろに受け、一夏は冷や汗を全身にかきはじめる。
そんな一夏に先程のように同情をこめた視線を向けるグラハム。
お決まりの流れにその先の展開をもはや予想するまでもない
それにしても、とグラハムはフラッグの待機形態へと視線を向けた。
腕時計の文字盤には黒い面具が彫られている。
まさかな、とグラハムは苦笑いを浮かべる。
この世界でもミスター・ブシドーと呼ばれるとは。
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バスを降りたナターシャは目当ての人物を見つけると彼女の元へと歩いていく。
「おいおい、余計な火種を残してくれるなよ。ガキの相手は大変なんだ」
そう言ってきたのは目的の人物、千冬だった。
ナターシャはわずかにはにかんで見せる。
「思っていたよりも素敵な男性だったから、つい」
でも、とナターシャは続ける。
「本命さんとは握手しかできなかったわ」
「エーカーか」
「どうみてもただものじゃなかったですから。それに――あの子のことを彼は理解していた」
『あの子』というのは搭乗していた銀の福音のことを指していた。
「強引なセカンド・シフトにコア・ネットワークの切断。それがすべて私を守るために、望まぬ戦いへと身を投じた結果だと彼は気づいていた」
「どこでお前はそれを知ったんだ」
「彼が言っていたんです『その心意気、天晴れである!』って。まるで侍みたいですよね」
陽気に笑うナターシャに対して千冬はただグラハムの言に内心頭を抱える。
しばらくおかしそうに笑った後、ナターシャは鋭い表情を見せた。
「けれど、いえ、だからこそでしょうか。あの子の判断能力を奪い、すべてのISを敵と認識させたその元凶を私は許さない」
福音はコアこそ無事だったが暴走事故を起こしたことから凍結処理がとられることが未明の委員会で決定された。
「彼はさっき言ってたわ。『私と君たちは空を愛する友だ。それはこの先も変わらんよ』と。だからあの子の為にも翼を、大好きな空を奪った相手を、必ず追いつめて報いを受けさせる」
「あまり無茶なことをするなよ。この後も、査問委員会があるんだろ? しばらくは大人しくしておいたほうがいい」
「ふふ、ご心配なく。師匠(せんせい)に報告するのに比べれば怖いものはありませんから」
わずかに笑みを覗かせるナターシャ。
それに対して千冬もわずかな笑みを視線に載せた。
一瞬、互いに正面から目を見ると、背を向ける。
二人は言葉を交わすことなく、それぞれの帰路に着いた。
そして彼女たちは気づいていた。
どこからか冷たい視線が向けられていたことに。
サブタイ詐欺な気がしてしまうこの頃。
もしかしたら修正入るかもです。
次回
『夏日(かじつ)の猫』
人は猫にはなれない