暑さが本腰を入れる七月半ば。
ここ数日、IS学園の生徒たちの雰囲気が引き締まっていた。
特に一年生は昨日までの臨海学校が嘘のようである。
しかもアリーナの人影は少なく、多くの生徒は校舎内か自室にこもっている。
ISに関連するわけでもなく学園の空気が変わる出来事。
それは一般科目の期末試験である。
二期制をとるIS学園だが、一般科目の期末試験は七月に行われる。
理由は簡単だ。
夏休みがあるからだ。
IS学園はISに関する教科も決して少ないわけではなく、一般的な科目に割ける時間は一般的な高校の半分以下である。
それで同じ内容を学ぼうとすれば必然的に詰め込みになる。
そこで学園は夏休み期間中を利用して赤点を取った生徒に補修をさせることにしている。
だがその補講期間は最悪の場合、夏休みの全日程と被る。
生徒たちは楽しい夏休みの為に全力ならざるを得ないのだ。
図書館。
ここでも多くの生徒が勉強をしている。
「あら、グラハム君。奇遇ね」
「楯無か」
頭上から降ってきた声にグラハムは顔を上げた。
彼は長テーブルの一角を占領し、ノートや参考書を広げていた。
「勉強?」
意外そうな顔をしている楯無。
「そういうことだと言わせてもらおう」
そう言って彼が読んでいる本の表紙を見せる。
「『ISと宇宙開発の終焉』」
得心したのか楯無は頷いた。
他にも近現代史の本が開かれている。
ただの試験勉強ではないことは楯無にはわかった。
以前聞いた話から彼女は知っていたが、ISが生まれるまでの約一世紀分、この世界とグラハムの知る歴史は大きく異なっている。
社会情勢や、思想、科学技術等は特に顕著だといえる。
そんなこの世界の常識を調べているのだろう。
「それよりも大丈夫か?」
グラハムは身を案じるように楯無の顔を見上げている。
「何のこと?」
「あまり顔色が良くないと見える」
「そ、そんなことないんじゃない?」
「そうかね?」
「ええ。じゃ、じゃあ、生徒会の仕事があるから」
楯無はまるで逃げるように図書館を出て行った。
――何かあったな。
どこか彼女の笑顔に不自然さをグラハム覚えていた。
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しかし、何度見ても驚きを覚えるな。
参考書を読み終えたグラハムは正直にそう思った。
まさか、宇宙開拓が二十世紀に計画されていたとは。
驚かざるを得ないな。
しかも、とノートへと視線を移す。
そこにはISの登場と宇宙開拓への影響についてまとめられていた。
宇宙開発を目的としたISの誕生が終止符を打つとはな。
ISが発表されてから、その研究費用に宇宙開発の予算が宛がわれることになった。
皮肉なものだとグラハムは思った。
バックに荷物を詰め、本を片手に持つと立ち上がった。
本棚に借りていた本を戻す。
「む?」
少し離れて水色のセミロングの少女が数冊ほど手にしていた。
「簪」
グラハムは声を掛けながら近づいた。
「グラハム」
「君も勉強かね?」
「私は、調べごと」
簪は手に持っていた本をグラハムに見せる。
すべてISの技術に関する本だ。
どうやら《打鉄弐式》開発の参考にするようだ。
「グラハムは?」
「試験勉強さ。とはいえ終わったので帰るところだがね」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
そう言うと簪は少し急ぐようにカウンターへと向かった。
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「弐式の具合を聞いても構わないか?」
「大分できた。けど、やっぱり武装が……」
「機動性と重武装は兼ね合いが難しい。悩むのは仕方のないことだ」
グラハムは以前見せられた弐式の設計図を思い出しながら意見を述べる。
弐式はマルチロックオン・システムをメインにした高火力武装を持ちながらも高い機動性を追求している。
それは同じく《打鉄》をベースとした《カスタムフラッグ》とどこか似たものがあるとグラハムは思った。
だが妥協しているとはいえ武装も多く、軽量化を重ねに重ねた純粋な高機動型のカスタムフラッグと比べて別方向で開発の難しい面がある。
まあ、私は図面を引いただけだがね。
「ここ」
簪が立ち止まる。
そこは寮内のある一室の前。
「ここが君の部屋か」
「うん」
コクン、と簪は頷くとドアを開け、中に入る。
「失礼する!」
礼儀として入室を宣言しながらグラハムも後に続いた。
そこは一般的な二人部屋。
その空間の半分は何かで飾り付けられていた。
「これは、アニメのグッズか」
グラハムは近くに置かれた箱を見る。
戦っている複数のロボットを背景に四人の男女が金色の敵に立ち向かっている姿が描かれている。
――どこかで見たな。
「それは劇場版ソルトビーンズ00(ゼロツー)のBD」
「これは君のか?」
「うん」
頷いている簪の表情はどこか楽しそうだ。
「重ねて尋ねるがどんな話だ?」
「それは――」
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「で、マイケルが――」
「う、うむ」
私が尋ねたこととはいえこうなるとは。
かれこれ十分近く簪はこの特撮について熱く語っている。
内容はありふれたヒーローものと言ったところか。
しかしどういうことか聞けば聞くほど既知感が湧いてきた。
特にライバルキャラと主人公のくだりは知っているというレベルではないように思えた。
「ところで、私を呼んだ理由をまだ聞いていないが聞いても構わないだろうか」
「あ、そうだった」
あっと簪は思い出したようで簡易調理場へと入っていった。
熱いヒーロー談義から解放されたグラハムは部屋を改めて見まわす。
おそらく簪の趣味なのだろう幅広い年代の様々なヒーローものやバトルものと思われるBDの箱がたくさん置かれている。
そういえばカタギリの部屋にもこういうのがあったな。
ふとグラハムは親友の部屋を思い出した。
たしか『ふたりは――』だったろうか。アロウズ時代に彼の研究室を訪ねた際には黒い恰好をした少女のイラストが切り裂かれていた記憶がある。
……それはともかく。
グラハムは先ほどの簪の話を思い出す。
物語がどうのというよりも主人公について彼女は熱く語っていた。
だがそれはかっこいいといった単純な憧れと違うようにグラハムには思えた。
理想像、と仮定させてもらおう。
自分を助けてくれる存在、とでも言えばいいだろうか。
完全無欠と言われる姉と比較される束縛ことから逃げたいがために甘えることを架空の存在に求めている、そんなところだろう。
誰かに庇護を求めることをグラハムは悪いとは思ってはいない。
だが簪は自分で誰かに甘えようとしていない。
待っているのだ。
甘えさせてくれる誰か(ヒーロー)が現れるのを。
それはグラハムとしては肯定しがたいことであった。
「お待たせ」
簪が戻ってきた。
手にはビニール袋が下げられている。
「これは?」
「あの人――お姉ちゃんに渡して」
「楯無に?」
「臨海学校のお土産。グラハム同室でしょ?」
「……了解した」
思うところはあったがグラハムはビニール袋を受け取った。
中から花月荘のマークの入った煎餅の箱が見えた。
「グラハムの淹れたお茶がおいしいってお姉ちゃんが言ってたから」
そう言う簪の表情は無に近かった。
そうか、と答えたグラハムは、
「これは必ず楯無に渡すと誓わせてもらおう」
と宣誓をすると空いた右手でポケットの中から携帯端末を取り出した。
「そして、これは私からの礼だ」
「お礼?」
「ああ。端末を出してくれ」
簪は自分の端末を取り出す。
それを確認したグラハムは自分の端末からデータを送る。
「これって――!?」
送られてきたデータを眼鏡型投影ディスプレイに映した簪は驚きの声を上げた。
「SVISシリーズのデータだ」
グラハムが渡したのはカスタムフラッグ、《GNフラッグ》を除いたSVISシリーズの設計図と稼働データ。
因みにこれらのデータはカスタムフラッグの存在に世界が疑念を抱かないようにグラハムがSVMSシリーズの設計図から作り上げたいわばIS版フラッグシリーズの設計図だ。
もっとも実機は作られておらず稼働データはカスタムフラッグを元に他のISのものと比較して作られたものである。とはいえその数値はほぼ正確といっていい。
「ただし、これはIS学園の機密といってもいい。他言は無用に頼もう」
「う、うん……」
「それと一つ」
グラハムは真剣な目で簪の目をまっすぐと見据える。
「自分から切り開かねば道は見えてこないと私は思っている」
そう、姉とのことにしても誰かに甘えるにしても、自分から動かなければ何も変わらない。
残念ながら私はヒーローではない。
すべて任せろ、などとは言うことはできない。
だがせっかく歩き出したのだ。
歩みを止めないようにその背中ぐらいは押させてもらおう。
「………………」
黙ってしまった簪にふっと笑みをこぼすと、
「では、失礼する」
グラハムは部屋を出て行った。
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グラハムが自室に戻るとすでに楯無がいた。
「おかえりなさい」
「ただいまと言わせてもらおう」
二人のベッドの間に備え付けられたサイドテーブルにグラハムはビニール袋を置いた。
複雑そうな楯無の視線が袋へと向けられるもグラハムはあえて気づかないふりをした。
そのまま自分の分のお茶を注ぎベッドに腰掛けた。
一口飲む。
「………………」
――薄い。
それがこのお茶への感想だった。
湯を急須に入れてからまったく時間が立っていなかったのだろう。
見てみれば色も薄い。
対面に座っている楯無を見る。
彼女は何でもない風をよそおいながらビニール袋から煎餅の箱を取り出していた。
箱のすぐそばに彼女の湯呑が置かれている。
中身は湯。
おそらく帰ってすぐ用意したのだろう。
そんな視線に気が付いたのか取り繕うように右肩を回し始めた。
「こっちゃったなー。グラハム君もんで~」
空いている左手で右肩を押さえながら何故か上目使いで見てくる楯無。
何かをたくらんでいる様子をグラハムは懲りないものだと眺める。
無論、それが空元気であることは見ぬけていた。
グラハムはお茶をテーブルに置き、楯無の隣に腰を下ろす。
背を向けるように言い、肩に手を掛ける。
わざとらしい声を楯無は上げるがグラハムは動じることなくただ淡々と肩を揉んでいく。
「そういえば」
反応のなさに口をとがらせている楯無にそれとなくグラハムは話しかける。
「簪とはどうかね?」
「……トーナメントの少し前に話をしたわ。それからは何度か」
そう言った楯無からは先までの態度はすでに鳴りを潜めていた。
「……でも、声を掛けようとするのを止めてしまう自分がいるの」
「…………」
「……ダメね、私」
どこか焦るような表情から自嘲気味な笑みを浮かべる楯無。
グラハムは手を動かすのをやめる。
元から妹が姉に持っていたコンプレックスという問題。
そんな妹を思い姉は距離を置いた。
たとえ恐れられても嫌われないように。
しかし出来てしまったのは深いわだかまり。
それ故に二人は疎遠に近い状態にあった。
だが楯無は何もしなかったわけではない。
ただどう接すればいいのか分からず遠くから見ることしかできなかったのだ。
それでも楯無は向き合おうとしていた。
だからこうして歩めている。
分かり合おうと模索し悩んでいる。
だからこそ、グラハムは言葉を掛ける。
彼女もまた立ち止まらないように。
「分かりあうことは簡単ではないさ」
「………………」
「私には家族はいない。だからどうこうしろと偉そうなことは言えない」
だが、私には仲間がいた。
だからというわけではないがこれだけは言わせてもらおう。
「言いたいことははっきりと言うべきだ。伝えられるうちに」
テーブルの上から煎餅を取る。
花月荘の白い印を楯無に見せる。
「簪もそれを待っているはずだ」
やはり、うまい言葉が見つからないな。
煎餅を手渡しながらグラハムは内心苦笑する。
だが少なくとも簪も姉を嫌ってなどいないはずだ。
土産を買ってきたのは勿論のこと、ISにしたってそうだろう。
本当に嫌いならば対抗心など芽生えるはずがないのだから。
黙り込んでいる楯無。
残念ながらグラハムはその表情をうかがい知ることはできない。
少しして煎餅をかじる音が聞こえてきた。
そして音が止むと、ゆっくりと楯無はその身をグラハムに預けてきた。
彼を見上げる表情は笑顔。
「やっぱり、キミは大人ね」
「これでも君の倍生きているのでね(34歳)」
「そういえばそうだったわね(17歳)」
二人はおかしそうに表情を崩した。
楯無が何を思ったのかはわからない。
だが、彼女ならできるだろう。
そうグラハムは確信していた。
この姉妹の関係は一歩近づいて一歩下ってという感じでしょうか?
ワンサマーという起爆剤がないので。
次は番外編になりそうです。