大分どころか二か月近く開いてしまいました。
フッ、よもやこの世界で同志に出会えようとはな。
満足げな表情でグラハムはISの展示エリアを歩いていた。
あの後、彼とクラリッサの日本人からすれば突っ込みどころの多い日本談義は良くも悪くも熱を増し、多くの衆目を集めることになった。
とはいえそのことを気にするような二人ではないが。
グラハムの為にフォローを入れると、今の彼はミスター・ブシドーと言われていた時のような歪曲した武士道を掲げてはいない。
二年前のラグランジュ5の無人コロニー『エクリプス』での戦いに敗れた後、自分の知る武士道が間違っていたことをグラハムは思い知ることとなった。
彼は仮面を自らの愚行の象徴と脱ぎ捨て、武士道とは何かを考え続けていた。
それこそ少年を超えることと同等ともいえるほど真剣に。
だが、クラリッサの日本の知識が少々偏っていることに気が付いていないところからもわかる通り、武士道とはなにかを知るときはしばらく先の事になるだろう。
「さて」
グラハムは腕時計を見る。
演習開始時刻まであと一時間ほど。
「トイレにでも行くとしよう」
彼はスペインとイギリスの展示場所の間を曲がり、小道に入った。
―
格納庫などの建物で囲まれたその道をさらに奥へと進んでいく。
「ふむ。……迷ったか?」
しばらくして、人気のない場所でグラハムは誰にとでもなく呟いた。
その口元は自嘲めいた笑いが浮かんでいる。
やはり、私には少年のような演技の才覚はないな。
思い出されるのはグラハムが初めてあの少年、刹那に出会った時のことだ。
アザディスタンでの太陽光受信アンテナ爆撃事件の調査任務の最中に現れた少年はこちらを欺くために現地の子供を装っていた。
言葉に込められた感情といい視線の振り方といい仕草に違和感がまるでなかった。
あの演技はまさに筆舌に耐えるというものだろう。
共にいた親友は完全に騙されていたし、私も彼の目――何かを追い求めているあの瞳――を覗くことができなければ見抜けなかったかもしれない。
それに比べて今の私は……道化もいいところだな。
まあ、私は我慢弱い男だ。そもそもこういうことが似合わないのだがね。
こらえ性のない彼は足を止めた。
「出てきたまえ!」
「っ!?」
振り向くことなく発せられた声にビクッと背後で気配が大きく動いた。
グラハムが振り返ると、先程曲がったばかりの角から男が出てきた。
黒いスーツにがっしりした身を固めている。
目つきからしても、一般人ではないだろう。
だが追跡の仕方が素人だ。
「まさか、私の道化のような演技にここまでかかってくれるとはな」
「て、テメェ最初から!?」
「何故、あそこまで大騒ぎしたと思っているのかね?」
往年の航空機達の競演に心躍らせたときやクラリッサとの語らいで、グラハムは一見大袈裟ともいえる素振りを見せていた。
欧州連合軍合同軍事演習は一般応募枠だけでも二万人を超える観客が会場である演習基地に集まる。
それだけの人数がいる中で見失われないようにグラハムはあえて大仰な素振りをしていた。
とはいえ、素でもやりかねないであろう身振りの数々が果たしてどこまで演技だったのかは彼にしか分からないことだが。
ともかく男は上手く後を着けていたつもりが完全にグラハムの掌で踊らされていたのである。
「く、クソッ!」
中身はともかく見た目はただの子供である彼に乗せられたことへの怒りと焦りに完全に取り乱した男が何かを懐から取り出した。
そしてそれを突き出すようにこちらへと突進してきた。
手にした道具がグラハムは気になったが動き自体は素人丸出し。
ヤケクソとも必死にもとれる形相で突っ込んでくる男を冷静に眺めながら護身用のソニックナイフを取り出す。
右足を前にだし、すれ違いざまにソニックナイフの峰を右腕に打った。
彼のナイフはここに来るまでのあらゆる探知機から逃れ、この世界に存在するあらゆる素材よりも強度の高いEカーボンと呼ばれる素材でできている。
刃渡りは十センチほどだが相手を無力化するには十分だった。
「ガッ!?」
右腕に走った鋭い痛みに男は道具を取り落とし、思わず庇うように身を屈める。
そこへ首筋へと再びナイフを振るった刹那、男は気を失い倒れ込んだ。
その姿を見下ろしながらグラハムはナイフを仕舞いこんだ。
そして道端に転がった謎の道具を手に取った。
大きさは十数㎝程で脚と思われるものが四つついている。
「………………」
それはグラハムにとっても見たことのない類の機械だった。
中心は空洞らしく四方に空いた円形の穴から内部の細かな機械が目に入った。
素人目から見てもかなりの高等技術が使用されているのは間違いなさそうだった。
何故、このようなものを?
当然の疑問が湧き上がる。
あの様子からしてもこの機械を私に向けることがこの男の目的であったことは疑いようもないだろう。
だが尋ねたところで何も収穫はないことは間違いなさそうだった。
おそらく金で雇われた地元のその手の類の人間だろうと先程の相手の動きからグラハムは検討をつけていた。
しかしそうなると失敗することを、この機械を失うことを考慮していたことになる。
解析されないという自信があったのか、それとも見せていい程度のものなのか……
いずれにせよ、これだけの機械を作れるだけの技術力を持つとなれば裏にいるであろう組織は自ずと絞り込めるだろう。
これが何かが分からなければ襲われた理由にもたどり着けないが、グラハムは技術者でも研究者でもない。
グラハムは携帯端末をとりだすと教わった秘匿回線へと通信を開いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「閣下。グラハム・エーカーの件ですが――」
「失敗したか」
「ハイ。今、警備兵が取り調べていますがどうやらガタイがいいだけの素人を使ったようです」
「フフッ、あのせっかちなレディらしい」
部下からの報告を聞いたワイアットはティーカップをソーサリーに戻した。
「あの少年の件は上手くいけばという程度にしか考えてはいなかったがこうもあっさり頓挫するとはな」
「仕方ありません。ミス・デュノアが情報を得たのは三時間ほど前、よく手駒を用意できたものです」
「なら、賞賛の言葉を述べるべきかな。紳士たる者は礼儀を忘れないことが大事だ」
言葉とは裏腹にワイアットの声音は馬鹿にするような響きがあった。
同じく馬鹿にするような笑いを浮かべている部下が腕時計を見ると、
「閣下、そろそろ観覧席の方へ」
「紳士は時間に正確でなくてはな」
口癖ともいえるこだわりの言葉とともにワイアットは席を立った。
連合軍の帽子をしっかりと被りなおすと眼下の管制官達と正面の大型モニターを一瞥し、それらに背を向ける。
「これが、進行表です」
「うむ」
部下の一人が演習の進行表を渡す。
受け取ったワイアットは歩きながらもそれを眺める。
そしてその視線は表の中ほどで止まった。
「……新型四機種による市街戦か」
「遺憾ではありますが、それが今回の目玉となるでしょう」
特にISに反感を持つ派閥だからだろう。忌々しそうな副官の声に同意とばかりに周囲の面々も頷く。
だが盟主であるワイアットは彼らを諌めるだけにとどめた。
部下たちの先を歩く彼は数週間前に入手した書面を思い出し含み笑いを浮かべた。
イグニッション・プランから外れたフランスの第三世代型機、その背後には亡国企業が関わっている。
ワイアット子飼いの部下が諜報部を利用して手に入れた情報は他のどの諜報機関も入手できていないものだ。
面白いことにMI6の報告によれば連合内の新進の国でも似たような話があったという。
つまり、ISに関する技術提供を申し出る組織がいたというのだ。
それらの国はイグニッション・プランに参加していることや資金不足から辞退したという。
だが、計画外のフランスはそれに飛びついたようだ。
しかもその話を持ちかけられたのはフランス軍ではなくデュノア社。経営危機に瀕した哀れな企業なら逆転を懸けて話にのるのも頷ける。
しかし現社長が血統だけのいい前社長夫人だったのが彼らの運の尽きだろう。
別件だったが一月ほど前に欧州連合の機密文書の一部データがコピーをとられていたのが諜報部の調べで分かった。
なかなかのソフトを使ったようでアクセス元を突き止めるのは時間を要したが面白いことに突き止めた先はデュノア社の社長用のパソコンだった。
詰めの甘いご夫人らしい失態に思い出すだけでもワイアットは噴き出すのをこらえるので苦労するほどだ。
先進国の集まりであることを鼻にかける連合だが、紳士としては格式高い文面であった方がよかったが今回に限ってはセキュリティの甘いデータであったことを彼は感謝した。
証拠もある今、フランスを連合内での立場を失わせることが実に容易になった。
そしてあわよくば亡国企業から得た技術を接収する。
理知的であり、そして強かであってこその英国紳士だからな。
ワイアットの笑みは知恵者というよりも狡猾な者のそれであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今、グラハムは走っていた。
走らなければならなかった。
すでに軍事演習は始まっていた。
「まさか、遅れようとは……!」
「エーカー様、愚痴っていても仕方ありません」
並んで走るチェルシーが諭す。
少しばかり語気に棘があるような気がするのは気のせいではないとグラハムは思った。
心当たりがないわけではなかったからである。
―
数十分前。
「待たせたな、セシリア」
襲ってきた男を曰く斬り伏せたグラハムは小道を抜けると警備の兵に不審者を見かけたと告げてから素知らぬ顔でイギリスの展示ブロックに向かった。
演習開始時刻が迫っているからだろうか、各展示場所からISが消え、各候補機のモックアップ等が置かれているだけにとどまっていた。
イギリスもそれは同じでセシリアの背後には《ブルー・ティアーズ》の立体映像が浮かんでいるだけだ。
「随分と遅かったですわね」
セシリアは代表候補生用の正装をしていたが威厳ある姿に反してその表情はどこかむすっとしている。
その理由についてはグラハムとしては来るのが遅かったのが原因だと言葉通りに判断した。
「その件については謝らせてもらおう」
彼は言葉に謝意を含ませた。
それでもセシリアはふてくされた表情を崩さない。
彼女の後ろに控えているチェルシーは主が機嫌を損ねているというのに何故か微笑んでいる。
「ラウラさんのところによってから何をなさっていたのか教えていただけますわよね?」
「後ろをつけてくる男がいたのでね。その対処に時間を費やしたとだけ答えよう」
「ど、どういうことですの!?」
何でもない風を装って答えたグラハム。
当然ながらセシリアの口から大声が飛び出すことになった。
その驚きようもある程度読めていたグラハムは動じる様子もなく先の事を掻い摘んで話した。
相手が素人であると踏んでいたことなど彼としては一切の不安要素のないものであったのでいつも通りに話し終えた。
これが親友のビリー・カタギリらのようであれば呆れた後に「またか」や「キミらしいよ」などと苦笑するところだ。
グラハム自身、そういうやり取りが好きだったし今回もそうなるとばかり思っていた。
だが、
「……グラハムさん」
重い声がグラハムの耳に届いた。
何かが違う。
目の前にいるセシリアは呆れるどころか怒りと不安が7:3で混ざったような表情をしていた。
「どうして……」
しかしその声には純粋な怒気が含まれていた。
あまりの響きの重さに咄嗟に視線をチェルシーへと向ける。
親友や仲間とのやり取りから確信していた流れにはならず、その目には戸惑いの色が見える。
「……」
藁をも掴む思いで助けを求めるもチェルシーは無情にも首を横に振るう。
しかもその表情は笑顔にもかかわらず彼の額に汗を浮かばせる何かがあった。
友軍無し。
そうグラハムが判断した時にはセシリアの口から感情が爆発していた。
-
それからチェルシーによって止められるまでの間、セシリアの説教を延々と受け続けていた。
去り際もその表情が崩れることはなく、解放されたグラハムも珍しく狼狽していた。
そんなセシリアはチェルシーにお目付け役の命を与えたようだ。
澄ました表情ではあるがその視線はグラハムを貫かんというほどだ。
それにしても、とグラハムは刺さるかと思うほど鋭い槍の持ち手に流し目を送った。
今、彼らは走っている。
メイド服を着ているチェルシーだが、駆ける速さはグラハムと同等、少なくともセシリアよりも早い。
何故この服で速く走れるのか、疑問を抱かずにはいられないというものだ。
それでも口にしないのは彼なりの焦りがあるからだろう。
すでに上空を軍用機が爆音を立てて飛行している。
警備の兵が教えてくれたところによれば、市街戦を想定して輸送機で人員や機器を運び、その後すぐに制圧戦を想定したISの演習が入るそうだ。
なによりも楽しみにしていたISの演習だけは見逃せないと、さらに足に力を込める。
そしてどうにか観覧席――セシリアが用意したVIP席――にたどり着いた。