「…………」
グラハムは滝に打たれていた。
彼は一糸まとわぬ姿で目を閉じ、修行僧のように手を合わせている。
聞こえるのはただ、水の流れる音だけ。
流水に身を打たれながらグラハムが思い出すのは、先ほどの戦いとその原因についてだ。
何があそこまで二人を駆り立てたのか。
模擬戦が終わってから二時間後、千冬の説教から解放されたときにグラハムはセシリアとシャルロットに尋ねてみた。
「そ、その……自分の胸に手を当ててよく考えてくださいな」
「そ、そうだね。僕から言えるのもそれぐらいかなあ」
顔を真っ赤にしながら二人はそう答えた。
だがその返答にグラハムは窮することになる。
胸に手を当てて考えてみたが何も思い浮かぶことはなかったのだ。
とはいえ、二人にそう言われたからには原因は自分の知るところであるはずだ。
真面目なグラハムは心を落ち着けたうえで再度、自身を鑑みることにした。
そこで思い付いたのが、あの四年間の修行の中で経験した滝行だった。
滝という激しい水の中では、雑念が湧く余裕すらなくなり、精神統一が行いやすい。
ハワイでの修行でも、ほぼ毎日していたことだ。
後に彼は、滝行は武士道ではなく神道の修行法であると知ったが、座禅と同じく精神を落ち着けるのには最適な方法だという考えに変わりはなかった。
打たれながらグラハムは考える。
(……二人は、私の中に原因があると言った)
二人の言う通りなら、あの時の私の言動に問題があったはず。
――あのとき話していたことは簪のIS。
その中で不用意な発言でもしたのだろうか。
さらにグラハムは考える。
しかし何分経っても何も思い当たることはなかった。
(だが、あの二人がそう的外れなことを言うはずもない。だからこそ私は考える。私が何をしたのかを)
そうでなければ謝ることもできん!
「なあ、グラハム」
「…………」
「何してんだ?」
「……精神統一だ」
薄く開けていた目を開き、一夏にグラハムはそう答えた。
「打たせ湯でか?」
「滝行をするものではないのか?」
かぽーん
「………………」
「………………」
風呂独特の音が鳴る中、二人の間に妙な沈黙が流れる。
二人がいるのはIS学園が誇る大浴場。
グラハムが打たれているのは冷たい水ではなく暖かなお湯。
因みに打たせ湯は高い位置から湯を流し、その勢いでマッサージ効果を得ることを狙ったものである。
はっきり言ってしまえば滝行とは似てまったく非なるものである。
相変わらず日本への認識のずれているグラハムだが、今さらなので特に一夏は突込みをしようとは思わなかった。
「せっかくの大浴場なんだから風呂に入ろうぜ」
「フッ、そうだな」
グラハムは打たせ湯から出ると、二人並んで湯船の前にかがむとお湯を軽く浴び中に入った。
「――ふっ」
「やっぱいいな、風呂は」
「ああ、私もそう思う」
一週間ぶりの風呂に二人は気持ちよさそうに息をついた。
もう少し多く入りたいと思う二人だが、IS学園の男女比を考えると二人だけの為に週に一度でも開けてもらえるのはありがたいことだと納得することにしていた。
先程までの真剣な表情はどこへいったのか、グラハムは心地よさげに言った。
彼の好きな日本の温泉につかっているのだから当然ともいえるが。
「そういえばさ」
「なにかね?」
「簪……さん、大丈夫なのか?」
「そのことなら問題はないさ」
頭にのせていたタオルで顔を拭い、グラハムは言う。
「最初は保健室に連れて行こうと思ったのだが、どうやら怪我はないらしく、ルフィナが楯無のところに連れて行った」
「そういえば会長の妹だったな」
「ああ。悔しい思いをしたんだ、それを吐露できる場所にいたほうがいい」
そうすることで、次へと進む活力が生まれるものだ。
そう言ってグラハムは一夏に微笑んだ。
シャルロットはグラハム・スペシャルに対応するだけの動きを見せた。
セシリアの動きにもいつもの迷いは見えず、レーザー射撃もすべてが正確だった。
何を秘めているのかはまだ分からないが、あの戦いぶりを見る限り友人としては安心できるものがあった。
シャルロットとセシリアに気になる点を残してはいるが、模擬戦としては彼はおおむね満足していた。
しかし、そう思っているのはグラハムだけなのを彼は知らない。
少なくともグラハムに後事を託されたルフィナはそう思っていた。
真っ青になっている簪を見たルフィナはその震えが悔しさからきている物ではないことがすぐにわかった。
介抱しながら恐怖に震える簪が、心に傷を負っていないことを彼女は切に願っていたのは別の話である。
そうしてもっともらしく的外れなことを言うグラハムだが、それに気づかない一夏からすればいつも通りな彼に安堵している面もあり、ため息を吐いた。
「さて、そろそろ出ようぜ」
「先に出ていてくれ。私はもう少しつかってる」
「そうか」
んじゃお先に、とシャワーを浴びて軽く体を拭いた一夏は浴場から出て行った。
「さて」
ピシャッと脱衣所への扉が閉まるとグラハムは立ち上がった。
かるくタオルで体を拭いてから打たせ湯の前に立つ。
竹でできた樋を見上げると湯がとめどなく流れていた。
一夏が言うにはこれでは滝行にはならないらしい。
確かに、この水量は滝と呼ぶには少ない。
しかし部屋には楯無がいるので座禅はできない。
瀑布には程遠いが、やるしかない。
現に先程までは集中できていたのだ、やれるはずではないか。
見ていてくれ、少年!
グラハムは打たせ湯を滝に見立てて自分の手を合わせた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
結局一時間経っても答えを得られず、のぼせては無意味だとグラハムは浴場を出ることにした。
脱衣所の扉を引き、中に入る。
「あら、まだ入ってたの?」
「楯無か」
何故か眼前に楯無がいた。
これから風呂に入るつもりなのかスカートをはいておらずシャツ一枚の姿だ。
「何故君がここにいる」
正直部屋で見慣れてしまっている恰好なので、グラハムは動じることなく最初に浮かんだ疑問を口にした。
「お風呂入ろうかなって」
「今日は男子の日だということは君承知しているはずだと私は思うのだが」
「今日は実技試験だったから汗かいちゃって。こういうときはお風呂でさっぱりしたいのが日本人なんだよね」
「そこは大いに同情と同意の念を抱いていると言わせてもらおう」
褒められたことではないがね、とグラハムは脱衣かごに入った服を手に取った。
黙々と着替える二人。
しばし沈黙が流れた後、楯無が口を開いた。
「ねえ、グラハム君。前から思ってたんだけど」
「なにかね?」
「キミって女性に興味ないの?」
「……どういうことか説明を所望しよう」
何を言っているのかわからない、とありありと表情に出ているグラハムに楯無は扇子を口元に当てて面白そうに言った。
「ずっと気になってたのよね。こーいう事すると一夏くんは真っ赤になったりするのにグラハム君無反応じゃない。一部生徒の間じゃ有名な話なんだけど――」
噂話をするように声を潜める。
「シャルロットちゃんが男の子のふりをしてた時の方が優しかったとか、ISに告白してたとかそういう方面に興味があるんじゃないかって……そこのとこ、どうなの?」
「………………」
さすがのグラハムも思わずこめかみに手を当てそうになった。
確かに昔はMSやガンダムに欲情してるだのと陰口を言われたことはあるが、まさかここでも、しかも陰口ではなく疑問として言われているとは思わなかった。
グラハムが今までそういった手合いの事にほぼ無反応なのは、あまりにも楯無たちと精神年齢が離れているからであり、楯無の悪戯も少女の背伸びにしか見えなかったからだ。
「あえて言わせてもらうが、私は同性愛者でも対物性愛者でもない。これでも女性との交際経験もある世間でいう一般的な男性だ」
「え!? グラハム君付き合ったことあるの?」
いつもの言動から想像できなかったことに楯無は驚いたようだ。
「当時の上官の娘さんと……半年ほどだがね」
その頃を思い出したのか苦笑いを浮かべるグラハム。
グラハムにしては珍しく皮肉の混じった笑みに楯無は何かを悟ったが、それを尋ねようとは思わなかった。
そのかわり悪戯めいた笑みを浮かべる。
「よかった、おねーさん安心したわ」
「ああ。そういうことだから少しは格好には気を使うことを所望しよう」
「いいじゃない、面白い反応ができれば疑惑も晴れるわよ?」
楯無は手を回して身体を捩らせ、わざとらしく胸を強調して見せる。
身体に巻かれたバスタオルからわずかに覗いてくるものがあるが、それに顔色をわずかにでも変えるグラハムではなかった。
「はやく入ってきたまえ。この後入ってくるであろう女史達に見つかるぞ」
「相変わらずつまんないわね。ほんとうにホモに見られちゃうわよ?」
そう言って大浴場へ入っていく楯無を見送ると、
「今からなら座禅ができるな」
と、気を取り直して自室へとグラハムは帰っていった。