「グラハム! そこが終わったらシャルロット達の手伝いに行ってくれって!」
「ああ! 了解した!!」
クリスマスも終わり12月もあと数日を残すばかりとなったその日、グラハムは寮の大掃除にいそしんでいた。
窓は全開で冷たい風が吹き込み、一心不乱に動かす手は真っ赤だ。
しかしグラハムは嫌な顔一つせず――むしろ笑顔で輝かせ――熱心に動き回っていた。
「この風、この肌触りこそ大掃除というものだ!」
窓ふき部隊故に風が容赦なく吹き付けるがそれすらも楽しんでいるようにすら見える。
ジャージをたくし上げ、三角巾を頭に巻いた出で立ちで気合を入れたグラハム。
その熱気は年末の厳しい寒さでも冷ますことはできない。
彼だけではない。
年末年始にこれといったイベントのない欧米出身者たちは年末の風習が珍しいのか、こぞって積極的に大掃除に参加していた。
「あ~めんどくさい」
一方でどこにでも大掃除が嫌いだと宣う輩はいるもので、鈴音は箒(掃除道具)に体重をかけるようにしてサボっていた。
日本での生活もそれなりに長く、祖国にも似たような習慣のある彼女にしてみればこの大掃除は別に珍しくもなく、実にめんどくさいものだった。
一夏がいるからという単純明快な理由で日本に残った鈴音だが、大掃除をすることには残ったことを後悔していた。
「サボろうかなー」
そうだ、これは一夏が悪い。
あいつがいるから、めんどくさいことになってるわけだし。
「…………」
(なんか、すっごくアイツがムカついてきた)
「よし! サボ――」
「サボんなよ」
「うっさいわね……い、い、一夏!?」
「なにサボろうとしてんだよ。千冬姉にバレるぞ」
「う、うっ、うるさいわね! ど、どうせ千冬さんもサボってるわよ!」
そう怒鳴る鈴音だが、いきなり話しかけられた彼女は狼狽しきっていた。
頭の中で苛立ちを向けていた意中の相手が、よりにもよってこのタイミングでここにいるのだ。
一方的な怒りはともかくとして、今の鈴音の心中は察するべきか。
ただ、そんなことを一夏に求めるのは無理なことで、
「そういや、今朝から千冬姉を見てないな。ついでに千冬姉の部屋も掃除しようと思ったのに」
「…………」
無神経にもシスコンを炸裂させてさらに鈴音の神経を逆なでにする。
ひくっと青筋がたつ鈴音。
思わず《甲龍》の腕部を展開しそうになったのをなんとか抑えた。
それでもとりあえず一発殴ってしまいたい衝動に駆られ、右手を振り上げる。
そんな事態に気が付かない一夏だが、今回はそれを回避することに成功する。
「そうだ、鈴に聞いときたいことがあったんだ」
「……なによ?」
「大晦日、空いてるか?」
「まあ、空いてる」
拳をさりげなくおろしつつ不機嫌なのを隠さずにそう言うと、一夏がよしっと笑って言った。
「じゃあ、家にこないか?」
「――え?」
突然のことに固まる鈴音。
一夏は確かに暴力という危機から逃れた。
しかし、それは後に悲劇として帰ってくるのであった。
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機動戦士フラッグIS アナザーストーリー
『New Year's Eve』
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「シャル! 私にできることはあるかね!」
「あ! グラハム!」
窓ふきを終え、グラハムは食堂で掃除をしているシャルロット達の下へと駆けつけた。
彼女も精力的に大掃除をしていたようで笑みを浮かべる顔にはうっすらと汗が見える。
「ぼ、僕の手伝いに来てくれたの?」
「ああ」
「そ、それじゃあ、このテーブルを運ぶからそっちを持ってくれるかな?」
「了解した」
せえの、と息を合わせてテーブルを持ち上げるとシャルロットはすぐに違和感に気付いた。
(テーブルが軽い……)
どうやらグラハムがシャルロットが運びやすいようにさりげなく気を使っているようだが、それを微塵とも表情に出さない彼の姿に口元が緩んでいた。
「……えへへ」
(優しいなぁ。そ、それに僕を手伝いに来てくれたってことは……少なからず僕のことを好きってことだよね!?)
すでにシャルロットの心の中の季節は春を迎え、一面に花畑が広がっていた。
本当は食堂の担当者が一夏経由でグラハムに頼んでいたことだが、都合のいい解釈で心の中が盛り上がっている。
そんな幸福に浸ってほんわかとした笑顔のシャルロット。
それでは気づかないことも多々あるもので、
「ッ! シャル!」
「え?」
シャルロット、頭をぶつける三秒前だったそうな。
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「大丈夫か?」
「う、うん……」
数分後、思い切りメニュー用の映像装置に頭をぶつけたシャルロットは椅子に座らされ、グラハムに介抱されていた。
頭に傷が残っては酷だ、と髪を少しかき上げるように右側頭部を丁寧に診るグラハム。
彼の声と吐息が耳にかかる状況にシャルロットの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「耳が赤いな。大丈夫か?」
「わあ!? だ、だだだ大丈夫!」
「そうか。傷は無いようだし、不幸中の幸いというやつだろう」
腰を上げフッと笑いかけるグラハムにもはやシャルロットにはいつもの落ち着いた彼女は微塵も残っていなかった。
とにかく自分の内心の焦りっぷりを感づかれたくないシャルロットはどもりながらも口を開いた。
「そ、そういえばけ、結構進んだよね大掃除」
「そうだな」
「…………」
(ああああ~、つ、つまらないとか思われてないよね!?)
しかし口を開いたら開いたらで、実は絶好の機会だったのではないかとさらに頭を抱えるシャルロット。
二人っきりなのにこんな話題じゃあ……、とがっくりとあくまで心の中でうなだれるが、
「しかし、大掃除か。年を迎えるためにこの時期に掃除をするとは、さすがは日本と言うべきか」
意外にも、グラハムの喰いつきは上々であった。
というよりもシャルロットと二人っきりで話しているなどという自覚はそもそもないのだが。
「そうだね。ヨーロッパにはスプリング・クリーニングがあるけど春だもんね」
「アメリカもそうだったな。だがこの寒い時期に年神様なる神を迎えるために掃除をする……神の修練というわけか。さすがは礼節と武士道の国というべきだな」
「それは違うと思うけどな……」
いつも通りだなあ、といつもながら日本への変なこだわりを語る彼へ苦笑を浮かべながら、残念に思ってしまう。
実はシャルロットは家庭的な少女だと、グラハムは改めて認識するに至っていた。
そんなさりげない、本当にさりげないポイントアップだが悲しいかな、シャルロットは気づかなかったのである。
そういえば、と今度はグラハムがシャルロットに話しかける。
「君はこの国で年を越すのかね?」
「僕は残るつもりだよ」
「そうか、ならちょうどいい」
なにが? と小首を傾げるシャルロットに笑顔で彼は提案した。
「初詣、一緒に行かないかね?」
「い、一緒!?」
「ああ。君も知っての通り、初詣というのは日本の神聖な儀式らしい。だが一人では勝手が分からないだろう? なら一緒の方がいいだろう」
「うん!」
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ゴーン……ゴーン……
「ここが篠ノ之神社か。なかなか趣があるな」
「まあ、箒が言うには結構由緒正しいらしいからなー」
大晦日も残りわずかという時間、遠くの寺から鐘を撞く音が響いてきた。
そんな音を聞きながら、箒の生家である篠ノ之神社の入り口でグラハムが鳥居とその奥に見えるいくつかの社殿に感嘆の声を上げ、一夏も相槌を打つ。
一夏宅にて、寺院で鐘を鳴らしたいという要望を却下されたグラハムだが聞こえているだけでも満足なようだ。
すばらしいな、と現在進行形でテンションが上がっていくグラハムとは反対にテンションを落とした者たちもいる。
「い、いつものことだけど今年最後の夢が砕け散る音を聞いたよ……」
着物姿のシャルロットが崩れ落ちそうな精神を無理やり支えているかのごとく笑っていた。
ここにいるのは人、箒を除いたいつものメンバーがそこにいた。
着物を着てきたのはシャルロットとラウラの二人。
そのラウラは一夏に着物姿を褒められ珍しく舞い上がっていた。
それなのに自分はまだ褒められていないばかりか、他の皆がいるということを知ったばかりで気落ちが激しかった。
気品あるコート姿の目下最大のライバルは知っていたのか、ちゃっかりグラハムの隣で同じく境内を覗いている。
「はあ……」
今年最後盛大なため息が口からつい漏れ、白く宙を漂う。
ふと見ると一夏のそばからも白い吐息が流れてきた。
(ああ、そっか……)
鈴音が一夏を恨めしそうに睨みながらため息を吐いていた。
暗雲立ち込めるその表情に、同じだと思ってしまうのは悲しいところだ。
どんよりと沈んでいるシャルロット達だがそんなことを元凶共が分かるはずもないわけで、
「どうかしたかね、シャル」
「どうした、鈴? 調子でも悪いのか?」
もはやテンプレと言うべきか、体調が悪いのではないかと覗き込んでくる唐変木たち。
そんな二人をシャルロットと鈴音はこれまたぴったりの動作でぐいっと顔面を押し返そうとする。
しかしここで一夏は押し返されるものの、グラハムはひょいと回避してシャルロットと真正面に向かい合う。
「君を誘ったのは私だ。君の着物姿を見れたのはまさに眼福僥倖というものだが、それで体調を崩されては、私は間違いなく後悔する」
「…………はぁ」
ずるいなぁとシャルロットの口が動くも白い吐息だけがグラハムにかかった。
正直、グラハムには腹が立っている。
それなのに真剣に心配してくる彼の瞳とちょっとキザなセリフに気分を良くしている自分にも腹が立っていた。
熱を持っている頬はこの寒さの中だと嫌というほど感じられ、それが余計にシャルロットの顔を真っ赤にしていく。
「大丈夫だから、早く行こう!?」
「待ちたまえ――」
箒がまだ、と言うグラハムの手を掴み、引っ張っていく。
今の顔を見られたくないとばかりに突き進む。
何故か突っ伏している一夏を鈴音が踏んづけているのが一瞬見えたがそんなことを気にしている余裕なんてなかった。
「ぬ、抜け駆けは許しませんわよ!」
「ちょっと待って、箒が……!」
「Herr! おい、起きろ一夏!」
「起きなさい!」
「グフッ……」
怒声やらなんやらが聞こえてくるがもうシャルロットの耳には入らない。
履きなれない履物で覚束ないながらもグイグイと先へ先へと人ごみをかき分けていく。
グイッ。
突然、掴んでいた手を引っ張られた。
しかも中々の強さで。
(も、もしかして怒ってる……?)
あまりにも強い力にシャルロットは恐る恐る後ろを向いた。
だが、彼は笑顔だった。
「107回目の鐘だ」
「え?」
なにを言っているのか分からずきょとんとしていると、
ゴーン……
「108回目だと言わせてもらおう」
「?」
「時計を見たまえ」
グラハムに言われて腕時計を見てみると、
――20XY年1月1日 0時01分。
「年明け最初の挨拶、すなわち『あけましておめでとうございます』という言葉を謹んで送らせてもらおう」
「あ――」
「今年もどうぞよろしく頼む、シャル」
「――――」
「シャル?」
「え、えっと、ええっと……」
(う、う、うわあああっ!? な、なんかすごい状況だよね今!?)
周囲にはそれなりの人だかりであるとはいえ、密着状態で見つめられている。
なんとか冷静になろうと、まっすぐにこちらの目を見てくる彼のまなざしから視線をずらすとそこにはお互いに握っている手が見えさらに頭の中がパニックに陥る。
とにかく挨拶をしようとニコッとこれ以上ないくらい真っ赤になった顔で笑み、
「あ、あけましておめでとうございます」
しかし言い終える前に恥ずかしさのあまりに俯いてしまう。
不思議そうにシャルロットを見つめるグラハムだがすぐに手に気付いたのか、
「失礼」
と手を離してしまう。
正直シャルロットも限界だったので手を離してしまったが、それはそれで惜しい気持ちになってしまう。
(も、もう一度なんて言えないよね……)
それでも今日は、と勇気を振り絞る。
「あ、あの」
「グラハムさん!」
だがその声を上回る勢いでグラハムの後ろからセシリアが人ごみをかき分けてきた。
どこか鬼気迫るオーラを纏い周囲を蹴散らすかのように現れたセシリアにグラハムはフッと笑んだ。
「あけましておめでとうございますだな、セシリア」
「え、ええ……あけましておめでとうございます」
いつと変わらぬ彼にセシリアは安堵したのか、それとも呆れたのか苦笑混じりに頷くと表情を緩めて挨拶を返した。
その品のある笑顔は先ほどまでの優雅さのかけらもないほどに取り乱していた人物には見えない。
もちろんグラハムにはセシリアの見せた百面相の原因など思い当たるはずもなく、ただ先に行ってしまったことを詫びていた。
実直な彼らしく頭を下げて謝る後ろでシャルロットは寂しさとちょっとした怒り、そしてあまりの生真面目さに吹き出してしまいそうな、そんな複雑な目表情で見ていた。
「…………」
「…………」
交差する金髪少女たちの視線。
怒ってるかなと怯えの入っているシャルロットだが、意外にもセシリアはまるでグラハムのようにフッと笑みを送った。
度量が深い。そう思わせるセシリアを前にして、シャルロットは自分が恥ずかしくなってしまう。
自責の念に駆られてしまいそうになるシャルロット。
それを救ったのもセシリアだった。
「さあ、グラハムさん。もうすぐ箒さんがいらっしゃるようですから参りましょう」
「そうか。鳥居の前か?」
「ええ。早く戻りましょう」
そう言うとセシリアはするっとごく自然にグラハムの腕を取った。
そのままグラハムに体を密着させて元来た道を戻ろうとする。
シャルロットをおいて。
「ま、待ってよ!」
いきなりかつ、まったく違和感を感じさせずに置いて行かれそうになったことに気が付き、慌ててシャルロットは追いかける。
しかし追いついたものの、腕を組んで歩く男女の横を歩くという図があまりにも情けないと思えてしまう。
肝心のグラハムはお国柄なのか気にしてはいないようで――というよりも気づいているように見えないが、はっきり言えば周りの視線が少し痛い。
その分、シャルロットにもダメージが入っていく。
どうしようと、頭をフル回転させすぐに答えを得た。
(もう、やっちゃえ!)
シャルロットはグラハムの空いている腕を取り、自分の腕に絡めた。
周囲からの視線はより厳しい気もするが、そんなところまで頭は回らなかったようだ。
チラッとセシリアの方を見るとフフンと今度はどこか挑発的な視線を送ってきた。
やっぱりライバルは強いとそう思ってしまう。
そしてグラハムはというと、まるで子供のような笑顔をしていた。
両手に花という状態にもどうやら彼は無頓着のようだ。
(こ、今年こそは進展したいなあ)
それよりもまず女の子として見てもらいたい。
どうやらそれは反対にいるセシリアも思うことがあるようだ。
今度は出店に目を奪われ始めたグラハムを一瞥し、互いに頷き合う。
そして腕にぎゅっと力を込めた。
彼に対する想いを込めて。
「フッ……」
まるで応じるようにグラハムもまた腕に力を込めてきた。
果たして、彼は二人の想いに気付いたのだろうか。
それは本人にしか分からない。
それでも、今年はいい年になるといいなあと彼の腕にシャルロットは身を預けた。
――なんだこれは。
年末に、今年最大のポカをやらかした気がします。
シャルロットがメインっぽいのは本編でババを引くのでその前払いという感じです。
では、来年もお付き合いいただけますと幸いです。