プロローグ~戦争は終わった~
判決書を携えて裁判長と裁判官が入廷した。元扶桑皇国海軍中尉宮藤芳佳の命運はまさに裁判長の持つ数枚の判決書に握られていた。
1955年1月27日、芳佳はとある事件を起こした戦争犯罪者、残虐な戦犯だとしてブリタニア軍に起訴されブリタニア軍のシンガポール法廷で裁かれようとしていた。次々と一緒に裁かれた仲間や上官の名前が呼ばれ刑が宣告されていく。
芳佳の担当弁護士がおよそ戦犯裁判というものは連合国の復讐裁判であるから厳しい判決になる可能性が極めて高いと言っていたが、なるほど予想通り、かなり厳しい判決の宣告が続く。先ほどから絞首刑、絞首刑、終身刑、終身刑といった具合だ。刑の宣告を受けた者は次々と手錠をかけられ、どこかに連れ去られていった。ある者は戦慄しある者は潔く、そしてある者は安堵して。刑の宣告が進み、人数が少なくなり、あと一人で芳佳の番だ。前の二人は労役刑で済んだ。
これなら助かるかもしれない。きっと大丈夫、もともと私は罪など犯していない。芳佳は、絶対に無罪になるはずだと信じていた。そして、芳佳の番になった。片言でたどたどしく名を呼ばれる。
「ヨシカミヤフジ」
「はい」
芳佳は起立して、判決を受けるために、裁判官たちの前に立った。裁判長が判決文を読み始める。芳佳は統合戦闘航空団にいたため、ブリタニア語は理解しており、裁判官が何を言っているのかすべて理解できる。芳佳は裁判長の口元をじっと見つめていた。そして、その内容を聞いて芳佳は愕然とし目を剥いた。
芳佳に宣告された判決。それは……
「デス・バイ・ハンギング」
絞首刑だった。
□
1953年8月26日、宮藤芳佳は大村基地にいた第三四三海軍航空隊戦闘三〇一飛行隊を除隊し神奈川県鎌倉にある自宅に向かっていた。
人間は実に愚かな生き物だ。芳佳は、鎌倉に戻る旅路、復員やら買い出しやらでごった返す満員の汽車の車窓にちらりと見える焼き払われた街を眺めてため息をつく。戦争は、美しくにぎやかな扶桑の街を真っ黒な瓦礫と炭以外何もない焦土に変えてしまった。
1945年、ネウロイとの戦争は終わりを告げた。しかし、敵を失った人間はすぐに次の敵を求めた。そして、人間が牙を剥いたのは、ついこの前まで一緒に手を取り合い人類共通の敵と戦っていた同胞だったのだ。人間は互いを憎み殺し合った。
1948年9月1日には欧州でカールスラントがオストマルクに侵攻したことに端を発し、世界大戦がはじまり、扶桑は1946年9月18日に唐土へ侵攻、1949年12月8日には関係が悪化したリベリオン・ブリタニアをはじめとする連合国と戦争を始めた。戦争は最初こそ扶桑軍が勝利を重ねたが、リベリオンの圧倒的な国力には到底かなわず、1950年、ガダルカナル島及びミッドウェーで敗北し、1953年7月には南洋島を失い、1954年6月についに沖縄までも奪われ、同年8月6日と8月9日には広島と長崎にピカドン、9日にはオラーシャも扶桑に宣戦布告、満州の扶桑軍と満州開拓団に襲いかかり、1954年8月15日に扶桑の敗戦で完全な終わりを告げた。
長かった戦争は芳佳から何もかもを奪い去った。ある戦友は芳佳の前で敵に撃たれて火だるまになって墜ちていき、芳佳が教育したウィッチのほとんどは特攻隊に志願して、沖縄方面で壮絶の戦死を遂げたという。また、治癒魔法が使えて医術の心得もある芳佳は軍医として。多くのウィッチや兵が天国の門をくぐっていく様を見送った。手足がちぎれ、顎が吹き飛び、苦しみ悶えながら死んでいった者も多くいた。それだけではない。戦争は芳佳から大切な家族と大切な親友も奪っていった。母の宮藤清佳は、横浜で行われた魔法医の研修会に出かけているときに空襲の犠牲になり黒焦げになったといい、横浜第一女子中学校の教員になっていた、いとこで親友の山川美千子は勤労動員の引率中、横浜の扶桑飛行機富岡工場の空襲で防空壕に爆弾が直撃して生徒もろともバラバラになったという。ネウロイには父を殺され、人間にも母といとこを殺され、残った家族は祖母の秋本佳子、そして……芳佳は自らの腹を見つめながら撫でる。
「あとはこの子だけか……」
芳佳の腹には赤子がいた。父親は横須賀の海軍病院で出会った飛行兵だ。彼と芳佳は戦争のさなか、惹かれあい、事実上の婚約、そして男女の契りを交わしていた。彼は、その後特攻に志願し沖縄方面で戦死してしまったが、彼は大切な宝物を芳佳に残していってくれていた。
「この子のためにも、私がしっかりしなきゃ」
芳佳は自らを奮い立たせる。お腹の子のためならどんなことでもしよう。例え犯罪だとしてもお腹の子のためならば。それが母親の責務だ。芳佳はそう誓っていた。満員列車でしばらくの間、散々弄ばれてようやく懐かしい鎌倉に到着する。列車を降りて故郷の駅を踏む。故郷だ。懐かしい故郷だ。私は帰ってきたのだ、生きているのだ!嬉しくて嬉しくて飛び上がりそうだった。自然、涙が溢れてくる。芳佳の住んでいた鎌倉は機銃掃射による空襲はあったものの、幸い絨毯爆撃のような無差別爆撃は無かったようで、ほとんど被害はなかった。その為、出征した頃から何一つ変わっていない故郷が広がっている。あの山、あの川、あの海、何一つ変わっていない。
芳佳には帰る場所がある。これは幸せなことだ。東京や大阪、名古屋をはじめとする大都市やピカドンにやられた広島や長崎、故郷が戦場になったという沖縄出身のウィッチや兵隊の中には帰っても家は燃え、故郷は焦土と化し、一家が全滅してしまったという者たちも多くいるということを色々なところで聞いた。確かに芳佳は家族や友達を失った。しかし、不幸中の幸いにも一家全滅とはならなかったし、家も故郷も無事である。母や親友を失ったことは悲しいしいつまでも忘れてはならないが、一家全滅や故郷や家を失った兵隊やウィッチたちに比べたら数段ましだ。いつまでも悲しみに暮れていないで、早く立ち直り、懸命に戦後を生きなくては。芳佳は手のひらを強く握った。
駅からしばらく歩いて、芳佳はようやく、夢にまでみた自宅へ辿り着いた。懐かしい。自宅は何も変わっていなかった。しかし、母を失った診療所の自宅はどこかひっそりとさみしげな雰囲気を醸し出していた。戦争末期、芳佳は内地にいたものの、しばらく、手紙を出す暇もないくらいに忙しく過ごしていた。祖母の芳子はきっと心配で夜も眠れぬ日を過ごしていたのではないだろうかと思うと胸が痛くなる。診療所の戸からそっと中を覗くと、祖母が近所の人を診察中だった。その表情は硬く、出征前に見た祖母の姿とは全く違っていた。戦争により、娘を奪われ、もしかしたら孫まで奪われたかもしれないとなれば、そうした表情になるのは当たり前のことだ。芳佳は早く安心させてあげようと戸を開けて叫ぶように元気よく言った。
「ただいま!」
芳子は芳佳の姿を認めると、一瞬驚いた表情になったと思ったら、患者もそっちのけにして、目には大粒の涙を浮かべて泣きながら駆け寄ってきた。
「芳佳が……!芳佳が帰ってきた!」
芳子は芳佳を思い切り強く苦しくなるくらいに抱きしめ子どものように泣きじゃくる。祖母の涙を芳佳は初めて見た。
「芳佳……!芳佳……!お帰りなさい!芳佳!よく生きて帰ったね……!もう……もうどこにもいかないでおくれ……!ばあちゃんをもう二度と一人にしないでおくれ……!」
芳佳もまた芳子の温かい体に抱きしめられて、ようやく家に帰ったのだと実感してまた、涙をこぼす。
「うん……!うん……!もうどこにもいかないよ。絶対……約束する……」
二人の幼女が診療所の待合室で抱き合いながら泣きじゃくっていた。そっちのけにされた患者も今日ばかりは決して怒ることなく、芳子の孫の帰還を心から喜んでくれた。
そのあと、散々泣いて、落ち着いた頃、芳佳は芳子に子どもができたことを打ち明けた。すると芳子は仰天し、そして大喜びしてどこかに駆け出して行った。
その日の夜、芳佳は久しぶりに家のご飯を食べた。質素だがそれでも精一杯のご馳走を用意してくれていた。おいしい。懐かしい味だ。そして、今日はお祝いだと言って、戦後すぐで日用品も食料も何もかもがない時代に小豆と白い米を用意して赤飯まで炊いてくれた。その日はささやかに芳佳の帰還と懐妊を祝った。
無事、家に帰った芳佳は次の日から、芳子に師事して、魔法医になる道を歩むことになった。もともと魔法医を目指していたが、今までネウロイの戦争とその終結直後から始まった人間同士の戦争の所為で、本格的に学ぶことができていなかった。ようやく本腰を入れて勉強することができる。清佳が亡くなってしまった分、宮藤診療所を支えていくのは芳佳しかいない。芳佳は必死で祖母の魔法医技術を学んだ。勉強時間は数か月とあまりなかったとはいえ、世界でも有数なヘルウェティアの医学校で当時の最新医療を学び、戦場でも軍医として活躍していただけはあって、芳佳はめきめきとその技術を高めていった。そして、2か月後には一人前の魔法医として宮藤診療所を背負う存在に成長した。もともと、持っている魔法力の強さに最新医術、軍医としての判断力も備わって、芳佳は師の芳子や、母の清佳をしのぐほどの名魔法医になり、宮藤診療所は県内随一の診療所として名の知られる存在になっていき、大学の附属病院の教授陣からも、宮藤診療所の宮藤芳佳医師はすごいと一目置かれるほどになった。仕事だけでなく、母としても順調だった。芳佳のお腹にいる新しい命もすくすく元気に育ち、1954年1月21日、芳佳は玉のように可愛いくて元気な女の子を生んだ。祖母、生まれた女の子からしたら曾祖母の芳子が言うには、赤ん坊の頃の芳佳にそっくりらしい。赤ん坊は春佳と名付けられた。芳佳は、母と親友を失った悲しみを乗り越えて、ささやかなけれども、充実した幸せな平和な日々を送っていた。
しかし、戦争の影は1年たってもまだ芳佳を手放そうとはしなかった。戦争という悪魔は平和で静かに暮らす芳佳をどこまでも追いかけて、芳佳を再び絶望へと叩き落そうと画策していたのである。
静かに平和に幸せに暮らしていたある日、それは突然訪れた。1954年の10月26日のことだった。
その日は10月とは思えないほど寒く海風が冷たい、どんよりとした鉛色をした雲が厚く立ち込める不気味な曇りの日だった。
芳佳はいつもの通り、魔法医として地域の人たちの健康を守るために、忙しく診察を行っていた。県外からもその評判を聞きつけて患者がやってくるので、大忙しだ。
その時だった。突然扉が開いた。新しく患者が来たのかと思って、診察室からそっと覗いてみると、外套と背広を着た女性が二人、さらに外にも外套と背広を着た人間が複数人立っていた。芳子が、そのうちの一人、中折れ帽を被った長髪の人物と何やら話をしている。患者を診察しながら、耳をそばだてていると声が聞こえてきた。
「鎌倉署のものですがね、宮藤芳佳さんはご在宅ですか」
鎌倉署。どうやら、あの背広の女性たちは、刑事のようだ。何か警察にご厄介になることなどあっただろうか。全く心当たりがない。芳佳は不安に思いながらも今は目の前の患者に集中しようといつものように診察を進め、いつものように魔法をかけ、薬を処方した。一通り、診察を終わらせると芳佳は診察室の椅子から立ちあがり、突然現れ、芳佳に用事があるという刑事のもとへと向かった。それがすべての悲劇の始まりになろうとは芳佳は知る由もなかった。