麗らな陽光に照らされて、百合ヶ丘女学院の中庭は萌ゆる草木に包まれていた。その中で竜胆は伸びすぎた葉や枝を剪定し整えている。その隣には友里香がいて、腰を下ろした彼女もまた、栄養を奪い過ぎてしまう花の数々を間引きしている。
「こうして花の世話をしていると、私たちがリリィだって言うことを忘れてしまいそう。武器を持つ手で敵の命じゃなくて、草木を摘む。なんで私たちは花の世話だけをしていられないのでしょうね?」
「敵と戦うことに疑問を持つのですか? 俺にはとても、そう思えません」
「……そうじゃないのよ。──痛っ」
友里香は説明をしづらそうにしている。どうやって言語化して良いのか分からず考え込んでしまった。だから考え事に集中しすぎた余り、手元がおろそかになったのだろう。小さな茎のトゲに指を引っかけていた。
小さく出来た傷口から、値がほんの少しだが滲む。血がどこかを汚してしまわないよう、友里香は玉のようになった血を唇で啄んだ。指を淡く咥えたまま、自分の手を切ったトゲを眺めなて友里香は話した。
「そうね……、きっとヒュージを倒すのはこのトゲを取り除くのと同じだわ」
剪定鋏を入れ、伸びていた茎を切り落とす。
「そのままにしていたら、不注意で手を怪我してしまう。だからこうして事前に手を加えて安全な場所を作る。私の戦いってそういうものなのよ」
「でも、それでは敵は残ってしまう。怪我を防止するなら根こそぎ対処しなければいけない。お姉様、それはヒュージに奪われたことのない人の意見です」
受け入れられないと竜胆は友里香に言う。手元のトゲの生えた茎を残さず切り落としていき、一つも残っていない。
「一度でもヒュージに奪われた人間はヒュージを憎悪します。奪ったものを返せと怒り、その感情のまま暴力に訴えるのです。そしてそれは危険が潰えるまで止まらない。トゲで怪我をするのが分かっているから」
「そういう復讐が目的の生き方。良くないと思うわ」
「なぜです?」
「だって、そうしたら、いつまで経っても落ち着けないじゃない」
「どういうことでしょうか?」
友里香の言いたいことが理解できず、竜胆が首をかしげる。
「ねえ竜胆。本当にヒュージを滅ぼせると信じている?」
「当然です。リリィなら誰だってそう考え、日夜戦い続けているはずです」
「でも、現実として敵は滅びていない。どころか勢力を拡大し続けて、人類を圧倒している」
ヒュージが現れて約五十年。人類は抵抗こそ続けているものの、年を追うごとに被害は拡大し続けている。人類の生存圏は減少し続け、減ることはあっても増えることは滅多にない。友里香が指摘しているのはそういうことだった。
「私たちが後五十年生きると仮定して、その間戦っていない時間はどれ程だと思う?」
「……敵が全滅していなければ、その期間がそのまま、そうなるのでしょうね」
友里香は深くため息を吐いた。
「きっと私たちは死ぬまで武器を手放せない。だから竜胆。だからこそ、私たちは戦い以外のために生きなきゃいけないの」
「戦うこと以外の生きる理由……。なぜですか?」
竜胆には分からない。いつだって竜胆はヒュージを倒すために生きていた。故郷を奪われたその日からそれは変わらない。
「戦うことは必要なことよ。生きるために、自分を守るために力は必要だもの。でも戦うためだけに生まれて、生きて、死んでいくだけ……。それってヒュージと、どう違うのかしら?」
「そんなの、同じのはずが──」
「同じように命があって、マギを操って戦う。それほどリリィとヒュージに違わないのかもしれない。リリィをヒュージと同等の脅威と唱える人だっている」
でも、と友里香は言う。
「でも私たちには戦わない日常がある。武器を取らず、美味しい紅茶と甘いお菓子を口にして、綺麗な花を慈しむだけの日があるの。そういう時、私たちは間違いなく人間なの。私はこの毎日がいつまでも続けばいいと想って、ヒュージと戦っている。あなたにはそういうものはある?」
「俺は……」
「ええ、分かっているわ。ヒュージと戦うためなら、そういう日常を捨てられるのね。これは私の価値観だもの、押しつけはしないわ。ただ心のどこかで覚えていて。戦うだけじゃない、命を賭けてしまえるものを見つけなさい」
「命を賭けられるもの……」
「あなたが間違った時に、歩みを留めてくれるもの。きっとよ?」
●
「友里香お姉様、あなたの言うとおりになりましたね」
手元の弔花の花束を眺めながら竜胆が自嘲する。あれから、ずっと竜胆はヒュージへ復讐する以外の生きる目的を見つけることはなかった。そして決定的な間違いを犯し、暴走して大切に思っていた結梨を傷つけ、二度と百合ヶ丘に足を踏み入れることが出来なくなってしまった。
奇しくも竜胆は二度も故郷と呼ぶべき場所を失った。
雪が降り積もり真っ白になった、故郷と呼ぶことも出来ないほど何も無くなってしまった場所を歩く。空阿航空基地を出て少し離れた小さな丘。そこに二つの慰霊碑が置かれている。一つはかつての空阿村に住んでいた住人たちのもの。竜胆と桔梗以外もの名が彫られている。
そしてもう一つはかつてのレギオン『クリームヒルト』のメンバーの名が刻まれていた。身寄りのいない者で構成されたレギオンは、その遺体をどこに葬るかで問題となった。そしてそれらをすべて引き取り、竜胆は自身が殺害した仲間たちの遺灰をここに埋葬した。
ここには竜胆の大切な人たちが眠っている。
ここには死者以外誰もいない。
けれど、今日はもう一人、いた。結梨が墓標の前で、竜胆を待っていた。初めて来る寒い銀世界になれず、鼻を少し赤くした結梨は真っ直ぐに竜胆を見ている。
「……どうしてここが?」
「夢結と鶴紗が、きっとここだって」
「……そうか」
何を言うでも無く、竜胆は淡々と墓参りを続ける。隻腕では弔花を持ったまま、水桶を扱うことは難しそうだった。弔花を落とさないように、慎重に水桶から柄杓でミスをすくって慰霊碑にまいていく。
見かねた結梨が口を挟んだ。
「りんどお、手伝う……」
「不要だ」
そう言って腕を伸ばそうとして、危うく弔花を落としかけた。
「──ん」
静かに結梨が竜胆から柄杓を奪い取った。冠婚葬祭の分からない結梨は見よう見まねで柄杓で水をすくって慰霊碑に振りかける。
「……水をかけるときは上からじゃなくて、肩からかけるように……。そうだ。縁から垂らしていくんだ」
「……分かった」
慰霊碑を水で濡らし、水桶にかけてあった雑巾で拭いていく。少しすれば雪や苔のついていた慰霊碑はそれなりに綺麗になった。
慰霊碑の前に弔花を備え、片手だけで墓前に祈りを捧げる。隣で結梨も真似る。両手で、会ったことも無い人たちのために祈った。
しばらくして、ぽつぽつと竜胆は語り始めた。
「……ここいるのは、俺の家族や知っていた人たち、空阿村の住人だった人たち。隣の慰霊碑はレギオンの仲間たち。みんな、オロチのせいで死んだ人たちだ」
「ヒュージに殺された人たち……」
「そして、もうすぐ俺もここに入ることになる」
「──え?」
その言葉に驚き、竜胆を見た。諦めたように竜胆は自嘲していた。
残った右腕でそっと胸に触れる。手から伝わる鼓動は弱々しく、バネの錆びた時計を想わせる。内蔵など、ほとんどが辛うじて体裁を保って機能しているの過ぎない。流動食を食べ飽きてどれほど経っただろう。
「レアスキルの反動でそう遠くないうち、癌が全身を回りきる。今まではブーステッドスキルの回復力で誤魔化してきたが、それも限界のようだ」
「で、でも梨璃言ってたよ。リリィには専用の治療施設があるって。そこならきっと……」
「ああ、延命くらいなら可能だ」
「なら──」
「けれど、そうするつもりは無い」
結梨の淡い期待を竜胆は無情に切り捨てる。
「な、なんで?」
「わずかな時間を延命するくらいなら、俺はオロチを追う。無為に病室で生き延びるくらいなら、ヤツを追って死にたい。それで相討ちに持ち込めたなら万々歳だ」
「──っ! そんなのって……」
結梨は言葉を失う。不和で一度は離れてしまった相手を再開を果たし、その挙げ句にこれから死ぬのだと告げられ。あまつさえ死に急ぐ相手に何と言葉をかければ良いのか結梨にはわからなかった。
そんなこと止めてと、伝えたら良いのだろうか。けれど結梨は知ってしまった。彼がどんな思いで敵を屠ろうと必死なのか。そのためなら命を投げ出す覚悟すらあると。そんな状態で結梨に何が言えるというのか。
だから結梨は何も言えない。
竜胆は何も言わない。自分のやろうとしていることが、ただの自己満足だという頃を理解して、それでも良いと、誰にも理解されなくても良いと諦めてしまったから。
二人は何も言えない。自分が相手にかける言葉を見つけられないから。
すぐ隣にいるというのに、二人の間には底の見えない溝が広がっていた。一人は飛び越える勇気を持てず。一人は対岸を見る意味を持てなかった。
だからこれが二人が会う最後となるのだろう。竜胆は直感する。だから最後の心残りを果たすことにした。
「結梨、一つ頼んでも良いだろうか」
「……何?」
「俺が死んだら、この場所を畳んでくれないか。業者には頼んである。だから見届けるだけで良い。そして俺の遺体を燃やすとき、これも一緒に燃やして欲しい」
首元から竜胆は何かを取り出す。それは認識票と、プレートのような金属の首飾りだった。表面にはダイヤモンドがいくつか埋め込まれていた。
「それを一緒に?」
「そうだ。これはみんなの遺灰を固めて作った俺のお守りだ。今日まで一緒にみんなを連れて世界を旅してきた。俺が死んでも、これを持っていたい。……だから頼めるか?」
突然の頼み事に結梨は頭の中が一杯になって、何も答えられず。ただ黙ってしまう。無茶な頼みをしたと自覚している竜胆は首飾りを胸元に戻し、立ち上がった。
「済まない。不躾な頼み事だった。忘れてくれ」
それだけ言うと竜胆は荷物を持って基地の方へ戻り始める。慌てて結梨も後ろからついて行くが二人が横並びに歩くことは無かった。
竜胆の後ろ姿を見ながら、結梨は考えていた。
──りんどおが、もうすぐ死んでしまう
言葉にすることは簡単でも、想像するにはあまりにも現実感がなかった。
初めて遭遇しようとしている親しい人の死。少しずつではあるが確実に近づいている気配は言いようのない不気味さがあって。でもそれ以上に、竜胆からは静かで悲しい匂いがした。
──私、竜胆に死んで欲しくない。戦わなくたって、それでもきっと、生きていいよ。誰も竜胆に苦しみ続けて、それでも戦って欲しいだなんて願っていないよ。
そんな簡単なことも言えなくて。ただ無言の時間が通り過ぎていった。