お兄様面リリィ   作:加賀崎 美咲

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「……それで。ろくに連絡もせず、唐突に帰ってきたバカ息子に、私はなんと声をかければ良いのかな?」

 

「理事長代行、俺でも傷つくのですよ。連絡をほとんどしなかったのは俺の落ち度ですが、そこまで言われると……」

 

 バカ息子と呼ばれるだけまだ温情があると見るべきか。港に潜水艦を入港させた後、まっすぐ向かった理事長室は微妙な空気に包まれていた。

 

 しばらく見ないうち、すっかりロマンスグレーの髪に変わった理事長代行、高松咬月のいさめる様な口調に俺はすっかり弱っていた。

 

「言い訳がましいですが、本当に忙しかったのです。艦船自体も数ヶ月海底を這うように潜行していましたから、電波も通じていませんでした」

 

「数ヶ月の潜行……? ということは奴の足取りを掴んだのか?」

 

「はい。すでに三度の交戦を経ましたが、いずれも有効な打撃にはならず。通りがけに二つのネストを潰しましたから、戦果としては申し分ないのですが、逃げられている事実には変わりありません」

 

「そう気負うでない。アレはそうそう容易に討てる脅威でもない。お前は十分にやっている」

 

 自分を労う理事長代行の言葉に思わず顔をうつむける。そもそもアレは俺が上手くやっていれば解決していたはずの問題の類いなのだ。過去のことを思いだし胸の内に鋭いモノが刺さって仕方がない。

 

「……そう言って頂けると励みになります」

 

 理事長代行には今まで世話になっている。

 

「それで、だ。竜胆、お前、GEHENAと繋がっているな?」

 

 だからこそ、この人を失望させてしまう自分が嫌いになる。リリィへの非人道的な実験も辞さないGEHENAを、この人は蛇蝎のごとく嫌っている。

 

「……ご存じでしたか」

 

「確証はなかったが、いくつかの状況証拠から推測は出来る。やはり奴を追うためか?」

 

「ええ、潜水艦を私物化するのには人員も含め、先立つものが必要でしたから」

 

 嘘はつけない。極めて個人的な目的のため、その達成にはGEHENAのようなイデオロギーも各国の思惑も関係ない営利企業の協力が不可欠だった。

 

「それだけの協力をとりつけるのに、どれだけの対価を支払った? 決して安くはあるまい」

 

「いくつかの試験技術の被検体、およびGEHENAが欲する研究試料となるヒュージの蒐集。特に体はメスの入っていない場所はないと思います」

 

「……そうか」

 

 短い言葉の後、理事長代行は口をつぐんだ。あるのは沈黙ばかりだ。

 

 時に人を傷つける言葉より、ただの沈黙が深く突き刺させることもある。いらない経験だ。

 

「GEHENAとの契約で、少なくとも俺が関わる部署に関して、彼らはリリィに対する非人道的な実験の延期を約束しました」

 

 俺は何に言い訳をしているのだろう。GEHENAのリリィに対する非道な措置がなくなったわけでもないのに。

 

「お前が必要と考えたのならそれは必要なことだったのだろう。私からとやかくは言わん。せいぜい後悔しないように考え、行動しなさい」

 

「……はい」

 

「お前が今回突然帰ってきたのも、GEHENAの意思によるものか?」

 

「はい、俺も子細は聞かされていませんが、GEHENAは百合ヶ丘で、先日保護された身元不明のリリィにひどく関心を寄せています。はっきり言って異常なほどの執着です」

 

 理事長代行の視線が鋭くなる。GEHENAに興味を持たれる。その一言が彼の警戒心を危険域に移していた。

 

「竜胆。君に与えられた役割は何だ。まさかとは思うが、あの子の拉致誘拐だとは言うまいな?」

 

「ええ、まさか。俺が妹たちを傷つける仕事を請け負うわけがないでしょう? 俺とGEHENAはあくまでヒュージ撃滅という目的で共同歩調を取っているだけです。もし彼らがリリィを傷つけることをするのなら、それまでの関係に終わります」

 

「君のスタンスが本当に変わっていないことを願おう」

 

 完全には言い分を信用してはもらえないらしい。

 

 まあ、当然だ。突然消息を絶ったと思えば、思想的に相容れないはずの組織に所属し、何やら疑わしい任務に就いているなど、どう考えても信用ならない。

 

 俺はそんな人間に成り果ててしまった。それでも考えは変わっていないのだと、信じてほしいと思うのは、ただの傲慢だろう。父のように慕った人から、信頼を失ったことが今になって、いたたまれない。

 

「……では、私はこれで」

 

「例の娘のところにいくのかね?」

 

「ええ。いずれにしても、新しい妹にあいさつはしたいですからね」

 

 

 

 ●

 

 

 

 治療室は静かだった。リリィを育成する機関と言うこともあり、その実態は大型病院の病室と同等の設備だ。その一室に彼女はいた。

 

 ガラス張りの個室は外からでも、中の様子をうかがい知れるようになっていた。

 

 長い髪をそのままにし、天真爛漫さを隠しきれない幼い表情で、視線を手元の本に落としている。読んでいるのは動物図鑑らしく、キリンやライオンのページを食い入るようにみていた。

 

 ドアをノックして入る。俺が入ってくるや、彼女は本から顔を上げて俺を見た。知らない人が入ってきたからだろう、不思議そうに俺を見ている。

 

「だれ?」

 

「初めましてだ。俺の名前は新庄竜胆。リリィをやっている者だ」

 

「りりぃ? りりと同じ、りりぃ?」

 

「そうだ。俺もリリィだ。今日は君に話を聞きたくて来たんだ。いろいろ聞いても良いだろうか」

 

「おー。りんどおは話がしたい?」

 

「そうだ。君のことを聞かせてはくれないか?」

 

「んー、いいよ」

 

 彼女はそう答えながら視線をたまに手元の動物図鑑へ戻しては俺と目を合わせる。彼女の興味のほとんどはアフリカの動物に向けられて、俺はついでらしい。

 

 それでもいいかと割り切ることにした。

 

「では、君の名前を聞いても良いだろうか」

 

「んー……、んぅ?」

 

 彼女は困ったような、思い出せないようだと言わんばかりに眉をひそませて、少しの逡巡の後、手をたたいた。

 

「結梨! 私の名前は結梨!」

 

「そうか君の名前は結梨というのか。君はどこから来たんだい?」

 

「分かんない」

 

「家族は分かるか?」

 

「分かんないっ!」

 

 問い詰めるような形になってしまっていた。結梨は大きな声で否定すると体をベッドの反対側に向けてしまった。変わらず彼女は手元の動物図鑑を眺めている。

 

 彼女について聞き出そうとするあまり、彼女を怒らせてしまった。焦っていたようだ。らしくもない。

 

 ふと彼女の長い髪が垂れ、図鑑の上を覆いかぶさる。結梨はそれを邪魔くさそうに払いのけ、また別の房が図鑑を隠してしまう。むぅ、と腹立たしげな声がこちらにまで漏れている。

 

 苦笑。幼い彼女の様子は愛らしい。ずっと昔の妹にそっくりだ。こういう時、何をせがまれただろか。そうだった。

 

「結梨ちょっと良いだろうか? 少し体を起こして。そう、そのまま。……君の髪を触っても良いだろうか?」

 

「……? 良いよ?」

 

 体を起こした彼女の背後に回り、あるがままだった乱れ髪を束ねていく。毛量が思いのほか多く、束を二つに分ける。三つに分け、交互に編む。それだけで、ボサボサだった髪は背中に届く三つ編みのおさげに早変わりした。

 

「おーっ! すごい。んふー」

 

 三つ編みが気に入ったのか、結梨は面白そうに髪を手でもてあそび、目を輝かせる。目に映るモノすべてが新鮮がと言わんばかりの振る舞いに、気がつけば自分のほおが緩んでいた。

 

 三つ編みが余程良かったのか、結梨は堰を切ったように様々なことを知りたがった。

 

「りんどおは誰?」

 

「俺は新庄竜胆」

 

「どこから来たの?」

 

「生まれはここからずっと北に行った場所。今はこの百合ヶ丘が俺の帰る場所だ」

 

「りんどおは、何をしているの?」

 

「今日は君に会いに来たんだ。リリィを守るために俺は出来ることをしている」

 

 いくつもの質問を結梨は俺に投げかけた。相手への興味は、対話の第一歩。俺はやっと結梨と互いを知ることを始められた。

 

 結梨は純真無垢だ。褒める意味でもあるが、言葉のままでもある。彼女はまるで生まれたばかりの子供のようだ。何も知らず、目に映る世界すべてが鮮やかでそれに惹かれている。記憶喪失というのは本当のようで、それで説明しきれない空虚が彼女の中にはあった。

 

 どう彼女と接したら良いのだろうか、と少しの逡巡があって。

 

 ──リリィのために俺はいるんだ。なら彼女の望むままにしよう。

 

 そう、いつも通りの結論を出し、彼女の知りたいことに答える。

 

「りんどお、これはなに?」

 

「これはキリン。アフリカにいる生き物だ」

 

「あふりか?」

 

「ここからずっと海の向こう、ここから一番遠い場所だよ」

 

「海の向こう……」

 

 治療室の窓からは相模湾がよく見える。この海を沖に出て、太平洋に旅立てばいつかはアフリカにたどり着く。そんな遠い、本当に遠い地を結梨は想像しているのだろう。素敵なモノを見つめるように彼女は目を輝かせ、興奮して破顔した。

 

「りんどお、わたし、あふりかに行ってみたい」

 

「アフリカに?」

 

「うん。キリンのせなかに乗って、ライオンの髭に触って。見たことないもの、いっぱい見てみたい」

 

 今できたばかりの夢を、結梨は楽しそうに語る。

 

 ──兄さんはどうしたいの? 

 

 懐かしい彼女の声を思い出す。

 

 俺はどうしたいのか? 

 

 もう分からなくなった。今はリリィたち、妹たちを守ること以外を考えられない。考えてはいけない。その資格はもう、俺にはない。

 

 だからせめてこの子は、妹たちには人並みの幸いがあってほしい。それはきっと正しいことだ。

 

 リリィたちは幸せになるべきだ。それは普通の女の子なら当たり前の権利だ。今ここにいる結梨だってそうだ。普通の女の子。

 

 だから分からない。GEHENAがなぜ彼女に興味を持つのか。自分が座すべき立場はまだ深い霧の中だ。

 

 

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