それぞれの思いは冬の中で
竜胆が結梨の命を狙い、暴走した事件から半年の時間が過ぎ去った。鎌倉に降る雨に雪が混ざる季節。季節は冬へ移りつつある。
しばらくの時間が経ったが、結梨の周りは平和そのものだった。彼女がヒュージを由来とする存在であることは周知されたけれど、誰もそれをとやかく言うことはなかった。
むしろ件の事件によって、世間の目は彼女を『被害者』として同情的に見ていた。彼女は意図せず、守るべきリリィの一員としてガーデンに身を置いていた。
けれど、当の本人はめまぐるしい周囲の状況をよそに、ぼんやりと沈黙していた。テーブルの上、昼食にと選んだオムライスは半分も食べられていない。
そんな結梨の様子をみかねて梨璃が心配する。
「結梨ちゃん。食欲ない?」
「梨璃……。ううん、そんなことないよ。……うん」
平和であればあるほど、結梨の脳裏には彼の姿がよぎっていた。あれから竜胆は百合ヶ丘女学院に足を運ぶことはなかった。責任を取って除籍処分となった竜胆のその後の動向は以前のように百合ヶ丘女学院へ報告されることはなくなり、彼は消息不明となっていた。
──今、りんどおはどうしているのだろう
そう思っても、何も分からない。周囲は意図的に結梨から竜胆の情報を遠ざけているような節があった。
「ん……」
気が重くなって額に手を当てる。こめかみの所、少し感触が違う箇所がある。ゲーボルグの光が微かに触れて火傷のようになったところだ。
「傷、少し残っちゃったね。でも言ったらきれいに消せるんだよ?」
「……いいの。このままで、良いの」
梨璃の言う通り結梨の傷は、リリィのために用意された施設を利用すれば消せる程度の傷跡だった。けれど結梨はそうしなかった。どうしても消せなかった。
結梨には百合ヶ丘から部屋が与えられた。部屋には梨璃から、結夢から、結梨を知るみんなから何かが送られて、部屋にはみんなの繋がりがあった。けれどそこに竜胆のいた繋がりは何もない。額の傷が結梨に残された竜胆との繋がりだった。
「ま、まあ、そういうことはゆっくり考えていけば良いよ。……そういえば、もうすぐ遠征だね。どこになるのかな?」
「遠征……。外の世界……」
竜胆事件から数ヶ月した、梨璃たちのレギオン一柳隊は相模湾ネストにいたアストラ級ヒュージの討伐に寄与することとなった。夢結とも因縁深かったネスト撃破の功績によって、一柳隊は昇格。学園担当の防衛圏を離れて周辺地域の遠征の許可が下りるようになった。
そして記念すべき第一回遠征の日取りと目的地の選定が行われていた。上級生である結夢と梅が中心となって行われている選定は、安全重視の梅と経験重視の結夢とで意見が一致せず、なかなか決まらないでいた。
「もし行くなら、結梨ちゃんはどこが良い?」
話題を変えようと梨璃がそんな質問をした。そして結梨は治療室にいた頃に読んだ本の内容を思い出していた。動物図鑑には様々な動物がいて、百合ヶ丘ではその一割も見ることは出来ない。
「……動物がいっぱいいるところ」
「え? 結梨ちゃん動物園に行きたいの?」
「……忘れて」
いつか竜胆と見に行く。そんな約束をした。けれど約束はもう叶うことなく。結梨の胸の内に鈍い痛みを残すばかりだ。
結梨は思っていることを言葉にしない。それはきっと梨璃を困らせてしまうから。もう悲しい匂いは十分だった。
だから結梨に出来るのは、胸の内にある言葉にならない想いを、オムライスと一緒に飲み込むことだけで。欠けてしまったままの日常が、今日も平穏に続いていた。
●
結梨と梨璃が食堂にいる間、彼女たち以外の一様隊のレギオンメンバーは、割り当てられた部屋で顔を見合わせていた。
みんなで囲っている中央の大机には、各レギオンに割り当てられる遠征計画書の要項が散らかっている。
みなが難しい顔をして集まっている。問題は机の中央、よく見えるように置かれた一枚の書類、その内容だった。
それは言ってしまえばよくある防衛軍からガーデンへの協力要請だ。問題となっているのはその場所、目標に他ならない。
目的地は北海道空阿村、目標は準アストラ級特異個体『オロチ』。半年前に鎌倉にも出現し、その後竜胆が追って消息を絶った相手を討伐するための任務だった。
任務そのものは討伐にあたって、必要となる各支援をガーデンのリリィに要請するものだ。
半年前の事件後、消息不明となっていた新庄竜胆への明らかな手がかりを、一柳隊は扱いを決めかねていた。
「やはりここは見なかったことにするのが一番穏健ではありませんこと? 知らぬが花、などと言いますわ」
もう何度目かになる意見を楓・J・ヌーベルは述べた。でも、と二川二水が待ったをかける。
「でも結梨ちゃんが何も知らないまま、処分してしまうのは……。その、なんというか……」
つまるところ一柳隊が行ってきた議論はこの一点に集約される。竜胆への手がかりとを結梨に見せて良いのか。少女たちは揺らいでいた。
「だからといって私たちが議論しても、それは結局隠しているのと変わりないだろ」
「そうね、鶴紗の言うとおりだわ。どのような結果になるとしても、結梨が自分自身で決めたのなら納得もいくでしょう」
スナックを口して投げやりな意見を言った鶴紗に、夢結がそう総括する。
「……それで、これを伝えるのは誰にしますか?」
「……!?」
郭神琳がにこやかに最後の問題を示し、話題を振られた王露嘉がそんな大役を押しつけないでくれと首を激しく振った。
誰が伝えるのか、と言う段階でみな押し黙って、夢結は深くため息をついた。
●
北緯45度、東経141度。極寒の吹雪によって陽光の差さない冷たい暗黒となった小さな島。静かなはずの島は戦場となっていた。
遙か上空からいくつもの爆撃機が編隊を組み、絨毯爆撃を繰り出す。住民の避難が完了した島は地図から消し去らんばかりの破壊をその身に受け、地上にある人工物、自然や地形が一切の区別なく白紙に消えていた。
均されていく土地の上で変わらず活動する物体が幾数千と蠢いている。ヒュージだ。大小様々、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの数のヒュージの大群が降り注ぐ爆撃をものともせず群れをなして行進を続けている。
当然だ。ヒュージにマギの通わない現代兵器は足止め以上の効果を望めない。彼らは本州へ向けて足を進めていく。ヒュージの侵攻を阻めるものはないかのように見えた。
極光の放射能が島を分断するように奔流として走った。溶けていく。ヒュージは細胞を崩壊させて。大地は核爆発の高熱に曝され融解して。数秒もすれば島には何もなかった。
熱されて赤くなった大地を、悠然と踏みしめていく影があった。竜胆だ。中身のない左袖をはためかせながら、ゲーボルグを手に敵の生き残りを処分するために。
微かに生き延びたヒュージが逃げようとちぎれた足で体を持ち上げようとしていた。けれど、生きることは叶わない。ゲーボルグの光刃が振り落とされ、ヒュージだったものは二つになって、やがて崩れてなくなった。
目の前でイノチだったものが無に消えていく。しかしそれを見ても竜胆の表情に映るものはなかった。ただ無表情で敵のイノチを刈りとって摘む。
一時間の時間が経ち、島だった場所から人が住んでいた痕跡も、ヒュージがいた残り香も、すべて消えてなくなった。後に残るのは放射性フェイズトランセンデンスによる黒い雨だけだ。降り注ぐ雨の音をかき消すように一機のヘリコプターが竜胆の迎えに飛んできた。
跳躍し、空中に留まるヘリコプターに乗り込み、パイロットが竜胆の搭乗を確認して飛び去っていく。
「また、外れだったな」
重いため息を吐きながら、そんな独り言が漏れていた。複数のオロチを追って、その本体の候補と目されるヒュージの集団を叩いていたが、まだ遭遇することは出来ないでいた。
かれこれ五日も連続で戦闘を続け、竜胆は限界が来ていた。座り心地の悪い座席でも、ないよりはマシだった。背を預け、少しでも休める余裕があれば、気絶するのに時間はかからなかった。
●
「あら、竜胆。こんなところにいたのね。探したのよ?」
ぼんやりとベンチに座っていると、声をかけられた。包帯のせいで半分白い視界を横に移すと、朗らかに笑う女性が手を振りながら近づいていた。
白く長い髪。形の良い小鼻。長い眉毛がかかる黒曜石の瞳は優しそうに下がっている。
「……。友里香さ、……お姉様」
友里香さんと言いかけて、慌てて言い直す。彼女をお姉様と呼ぶ口調はぎこちない。そんな竜胆に友里香は可愛さを見いだし笑う。
「ふふふ、ここの風習にはまだ慣れない?」
「いえ、別に……、ただ家族でもない人を姉と呼ぶのに、違和感があるだけです」
「はっきりと言うわね……。ええ、いいわ。ここに来たのなら、あなたも私たちの一員。いつか心からお姉様と呼ばせてみせて、よ?」
茶目っ気をたっぷりと含んでウィンクをしてみせる友里香。ただ上手く出来ずに両目を閉じていた。
「……ぷふっ」
「あ! やっと笑ったわね!」
クスクスと鈴を転がすような笑い声を向けられて、竜胆は気恥ずかしさに顔を紅く染めて逸らした。そんな竜胆の様子がおかしくて、友里香は更に笑いを深くして、可笑しいとおなかを抱えている。
竜胆の横に座り、瞳をのぞき込むように顔を寄せる。澄んだ黒い瞳が竜胆を映してしまうくらいに近くて、また竜胆は顔を赤くした。
「怪我の容態はどうかしら? 助けたときよりも良くなっているとお医者様は言っていたけれど、そこのところ、本人としてはどうなの?」
「はい。すっかり良くなって、この左目以外は完治したと思います。目もすぐに包帯を外せるって聞いてます」
「良かった。せっかく助けた子が無事じゃなかったら嫌だもの」
ぺたぺたと体のあちこちを触られても、竜胆は身動きを取れず固まっていた。恩人を振り払えるほど恩義知らずでもない。
「本当に、妹共々助けていただいてありがとうございます」
「いいのよ、私はリリィだもの。ヒュージから戦えない人を助けるのは当然よ。ここの暮らしはどう? 何か不自由はしていない?」
「困ることなんて、そんな……。ただここに置かせてもらって、何も出来ないのは、少し歯痒いですね」
「小学生が何を言っているの、もう。あなたはまだまだ子供なんだから、甘えても良いのよ」
されるがままの竜胆を、後ろから抱きしめて頭をなで回す。それが友里香が想像する姉のイメージ像だった。兄弟のいない彼女には、こうした時間は少なくない憩いの時だ。
だから友里香はもっと竜胆と時間を共有したいと、あることを思いついた。
「……そうだっ! なら竜胆もこの庭園の手入れをしない? きっと楽しいわよ、造園。ええ、決定。あなたも造園部にいらっしゃい」
良いことを思いついたと言いたげに、半ば強制的に友里香は竜胆を誘い。当然、竜胆が断るはずもなく、園芸部に新入部員が一人追加されるのだった。
●
目が覚める。懐かしい夢から覚めて、聞こえているのはけたたましいヘリコプターのローター音。どうやら座ったまま眠りに落ちていたようだ。
眠気をはらうように首を振り、もう一度深く座り直し、感傷で胸が一杯だった。
懐かしい夢を見ていた。
ずっと見ていなかったのに、最近になってよく見るようになってしまった。
「友里香お姉様……」
いったい、いつ以来だろうかその名を口にしたのは。ずっと呼んでいた名前。親愛に満ちていた響きは、気がつけば罪悪感に取って代わっていた。
もう名前を呼べど、あの声が返ってくることはないのだ。
──だってあの人は、この手で……
「コフっ! ──!」
咳き込み、何か熱いものが喉を通っていった。確かめてみるとそれは黒く濁った血液。
吐血。汚く濁ったそれは放射線被爆の初期症状に他ならない。
GEHENAによる自己回復系ブーステッドスキルの人工付与で、誤魔化してきたそれが、間を置かない連続戦闘で限界を見せ始めていた。
レアスキルを使用している間、竜胆の体はそれ自体が極端な放射性物質に他ならず。重度の被爆を起こしていた。
感覚的に理解する。人の形をなしているだけで、体の内部は崩壊寸前だと。
もう寿命と言えるものは、ほとんど残されていない。
だが、それがそうしたというのだ。イノチの残り時間が少ないというのなら、終わるまでにすべてを終わらせれば良いんだ。竜胆は自分に言い聞かせる。
オロチへの復讐。それだけが叶えば、後はどうだって良い。
「友里香お姉様……。桔梗。もうすぐ、そちらに行きます」
そう祈るように呟く竜胆の表情に迷いはない。もうそれだけが、竜胆のすべてなのだから。