ホグワーツでの初めての夜明けは、随分と酷い気分だった。
なんだか厭な夢を見ていた気がするが、内容はなにも覚えていない。ただ気分だけを言えば、悪夢のもっと奥、漁村を見に行きたいと言ったアリアナに付いて行き、巻き添え的に古井戸に落ちた後に近い。
産まれて十一年の間で最低辺にかなり近い経験をした気がする。
ちなみに漁村の古井戸に落ちた時は二人とも呆気なく夢に帰されたし、その後は父と同じくらい強くなるまで漁村は立ち入り禁止となった。
そもそも狩人の戦い方は、後ろに人を庇う様な物でないのだから、止めなさいとの事だ。
「おはようございます。…昨晩の私は寝言など煩くは無かったですか…?」
「別に」
「それは良かった」
寮の同室となったセオドール・ノットは興味なさげに返す。彼はとても静かで、同室の人間としてはアルフレッドにとって理想的だった。
もう一人居る筈の人物は今姿が見えない。既に起き出して身嗜みでも整えて居るのかもしれない。
スリザリンは他の寮に比べて若干生徒が少ない傾向にあるらしく、一つの寝室に割り振られる人数も少なめだ。万一うなされて居ても、被害は少ない。
それにしても、人らしく寝ぼけるような事が無くて良かったと安堵する。醜態を晒さずに済んだ。
もし昨晩の歓迎会で話しかけて来たマルフォイと同室で寝ぼけるなどしたら、うっかり頭位撫でそうだ。当人には申し訳ないが、男子の中では小柄な体躯と色素の薄い髪色のせいでどことなくアリアナと重なり、世話を焼きそうになってしまう。
流石にそれは、本人にも屈辱だろうし自分もとてつもなく恥ずかしい。『母』には縁遠く、ピンと来ないが学校の先生にお母さんと呼びかけてしまう類の羞恥を体験しそうだ。
昨夜感じた印象では、確かに自分はスリザリンが相応しいのだろうと感じた。
父の記憶を参照するに、ヤーナムの狩人は狩りの成就の為に手段を選ばない。血族もまた、血の赤子を女王の腕に抱かせる悲願をすてはしない。
ならば、それを基に作られたアルフレッドの気質も当然そうだろうし、父の願いを叶える為なら、どんな手段でも取ると自負している。
他の生徒とは根本から違うがある意味での『純血主義』でもあるのだろう。
因みにレイブンクローは断固として拒否したい。ああいう気質の辺りがヤーナムの神秘にまみえ『聖体』に興味を持った場合に、『ああいう事態』を起すのだろう。そういう連中の中で生活していく自信はない。
ついでに言えば、グリフィンドールも無理だ。根源や思考形態はスリザリンの気質に似ているのかも知れないが、そこに付随する『正しさ』がどうも苦手だ。
正義なんてものは最終的に殴り勝って、屍を踏みにじり立って居た者が唱える物で、それこそ穢れた血族を処断したと叫ぶ医療教会のようで、何だか息苦しい。
そして人擬きの身としては、真っ当な人間性を貴ぶハッフルパフからは蹴り出されそうだ。
詰まるところ、自分はスリザリンで正解だったのだろう。
基本的に寮内の関係は(年功序列と家柄が絡み合い複雑さはあるが)良好で、皆身内の為の労力を惜しまない。
窓の外が湖底であるため、視覚的に薄暗くなってしまうが談話室の空気も非常に和やかだ。
…なぜか数人の(反射で具合を尋ねそうになったマルフォイも含め)一年生は顔色が悪く、アルフレッド同様悪夢に苛まれた様な浮かなさをしているが。
窓に打ち寄せる静かな湖の波の音と時々横切る巨大な烏賊が、人の脳には理解できない海底から浮かび上がる囁きに似ていて、慣れない者に悪い夢を見せたのかもしれない。
「何て言うんだったかしら?そう、『ヤンデレ』?が多そうよね」
「朝から何の話なんですか……それはミルクではなくて、ドレッシングですからね」
目を瞑り突拍子もない思考をそのまま語る妹が持ち上げた硝子の容器を取り上げ、ミルクの注がれたグラスに差し替える。
「気質の話。手段を問わないなら、心底愛するモノに対して愛が重そうねって事。勿論、相思相愛ならとても幸福でしょうけど、なぁに?」
ブラックプティング(アルフレッドは香草のクセがあまり好きではない)入りのサラダを目を瞑ったまま食べる妹のフォークから、ころりと半熟の卵の破片が転げた。
それが真新しいローブに着地しかけたのを、慌てて手を伸ばして阻止するのを、不思議そうに首を傾げられた。
「食事の時は手元に集中してください。行儀が悪いですよ」
苛立ちを滲ませながら、半熟卵で汚れた手を拭う。
「それから他人の恋路に横やりを入れる様な事をして、背後から刺されても知りませんから」
お互い異なる寮になった以上、常時監視している事も出来ない。授業も寮ごとに時間割が振られている。重なる物もあるが、それも限られている。
何か余計な事をしそうなので、釘を刺して置く。
「……そんな事しないわ。むしろ応援しているの。恋する女の子は、とても可愛いものよ」
妙な間が入ったのはなんだと、と眉根を寄せた。
「えーと…、アルフレッドは……こっちに居ていいの?」
傍目から見れば、変に距離の近い男子と女子が、やはり変にスキンシップ過多に朝食をとってる現場の真向かいのロンが、周囲が突っ込みたかった事を漸く指摘した。
ちらりと今朝には配られた、寮章のワッペンが一年生の胸元にも着けられているそれへ視線を向ける。
グリフィンドールのテーブルの中にぽつんと一人だけスリザリンのワッペンを着け、食事時にもきっちりと締めたネクタイは緑とシルバーのアルフレッドは正直目立って居た。
あ、そうか…と何となくいつもの習慣で並んで居る双子の正面に座ったハリーもその事に気づいた。あんまりにもこれまでと同じに、双子が並んでいるものだから、自分に突き刺さる視線や大きな声の内緒話ばかりに気を取られて、アルフレッドだけ別の寮へ行ってしまったのを忘れていた。
そして友人のハリーが流れる動作で座ったものだから、悪目立ちトライアングルを形成してる三人に包囲されたロンはすこぶる居たたまれなかったようだ。
「先輩に聞いた所、特別な行事でもない限りは所属する寮のテーブルに絶対着かなければいけないという校則は無いそうですし、別段寮の方と約束もしていません」
何か問題が有ったかと先程のアリアナと同じ角度で小首を傾げる。
「これを野放しにするのは、その…不安なので」
何処までも自由人な妹を放置していたら、真面目な友人のハリーが『自分が何とかしなければ』と気に病みそうだったのだ。
「人を指さしちゃだめ」
「人の指を逆に曲げるのはいいんですかっ!?」
じゃれる程度の力ではあるが、自分に向けられた人差し指を、アリアナは元気に関節と逆に曲げた。
余計に周囲が突っ込めない、居心地の悪い空気が流れた。
昼食時は逆に、アリアナがスリザリンのテーブルに着いて居た。
それを見つけたパーキンソンは『なんで貴女がこっちに居るの?』と多分に棘を含んだ声で、酷く不満そうだった。朝食時にアリアナが何やら話していた件は彼女の事だったのだろうか、と申し訳なさと胃痛を覚えた。
マルフォイは『粗暴な問題児ばかりの寮に放り込まれるなんて、酷い話だ。ハントが心配するのも無理ないよ』と、妙に歓迎傾向だ。
貴方は見た目と血に騙されている。何度言っても信用しなかったが。周囲を観察して居ると、神秘の血ばかり継いで来た人間は何か感知するものが有るのだろうか、妙にアリアナへ好意的だ。また父さんに話せる事が増えた、と思っておくことにした。
前の環境でもそうだったが、妹は特に関りが無くとも女子に嫌煙される事が(パーキンソンに関しては、アリアナからちょっかいをかけている様だが)度々あった。
魔法界へ帰属する意思は無く、あくまでも父の為の物でしかないので周囲のざわつきへの反応もそこそこにする。
ぞわりと足元の空間が揺らぎ使者達が這いだし、ぶんぶんとアルフレッドへ手を振り、意識を向けさせ手記を示す。
『istd』
「なんの事でしょう?」
赤黒く掠れた血と、蒼銀に煌めく何らかの液体で汚れている上に、四文字だけが綴られた手記をアルフレッドはアリアナに寄越す。
父には別の世界の狩人達の物も読めるそうだが、アルフレッド達は目にした事はない。つまりこの謎の文字列は父からだ。
「きっと遺跡に入り浸っているか…どこか別の高次元の何かを受信した、とか?」
今朝何とも不快な目覚めの後に、何となく父への手紙を書いた。一般的に魔法使いが郵便に使用する梟は、巡り続ける夢の中へは至れず現のヤーナムへ辿り着いたとしても、そこには何もない。なので昨日妹へそうしたように、使者達に託した。
『ホグワーツの湖には大きな烏賊が居ました』
嫌な夢の要因かもしれないと思った、他愛のない『子供』の報告のような文面を送ったのだが…。
父さんも烏賊が嫌いだったのかも知れない。アルフレッドと違い漁村で死ぬような事はなくても。あるいは『頭が愉快な日』の父なのだろう。
「烏賊?わたしも見たい」
「その場合は外からですね。他の寮の人間を入れてはいけない決まりだそうですから。いえ、これは規則?通例…?」
女子の監督生は『禁止』と言ったが、それは校則的にいけない事なのか、通例というだけで700年以上遡れば、他寮の生徒を招いた事もあったのだろうか…。
「ああ、そんなに真面目に考えないでいいの、頑固くん。それより、午後の授業が始まる前に行きたいところがあるの」
有無を言わせないアリアナに手を引かれ(いつかとは逆に、彼女に一歩的に手首を掴まれている)各々勝手に動く階段や、気分屋な廊下や扉の中を進んでいく。
これは城が生きているのか、侵入者対策の仕掛けなのか、それにしても動き回り過ぎる。厄介な敵が跋扈するのなら狩り殺せば済むが、学校の設備を破壊して回るなんて事はできない。
なんて事を考える事によって、妹に手を引かれている自分を指さしてくすくす笑う上級生の声を意識の外へ押し出す。
実の所、年齢二桁になって手を繋いで歩くきょうだいが注目された訳ではなく(少しは美少年美少女の微笑ましい様子に頬が緩んだ者も居たが)、グリフィンドール生とスリザリン生が仲良く歩いて居る事態が視線を集めており、『組み分け困難者』であったアリアナは昨日の時点でそれなりに目立っていた。同じ姓のアルフレッドもおまけで認識されていた。
「どこに行くんですか?」
昼休み中だと言うのに、変に人の気配が無くなった辺りでアルフレッドは尋ねる。不思議と奇怪に動き続ける城内を足を止める事無く歩き続けたアリアナは、ちょうどその時に足を止めた。
「四階右側の廊下を見に行くの。殆どが古いものだけど、その辺りが比較的新しいものが重なって居て、何かしら、って気に成ったの」
また、理解に難しい事を言う。
そして既にその件の廊下へ続く扉の前に居た。
「侵入禁止でしょう!」
アリアナのような屁理屈ではなく、脅しを含んだ『立ち入り禁止』と受け取ったアルフレッドはぴしゃりと言い切る。
だが妹は負けない。
「違うわ。『痛い死に方をしたくなければ』って言っていたから、痛い死に方をしてもいい人は入ってもいいのよ」
堂々とそう言い切る。
「……確かに……?」
そう、確かに入るなとは言われて居ない。痛い死に方をしてみたいのでなければ、と言われただけだ。ひょっとしたら、魔法族というのも夢に覆われた狩人の様に結構死んでは『これは悪い夢だ』と目覚めをやり直すタイプの生き物だという可能性もある。
「いえ、駄目ですよ!?夢に帰されたら、夢からキングズクロス駅、半日の汽車に乗る手段しか私達には無いんですから、少なく見積もっても半日授業を欠席しなければいけなくなるでしょう!」
一瞬納得しかけたが、すぐに問題点に気づき、再び声が大きくなる。
魔法使いはどうなのか知らないが、二人の場合は父の使う灯りの点る場所にしか移動できない。ホグワーツ城内に灯りは一つも無く、有るのはギリギリで点せたあのプラットホームのみ。
そこから城までかなりの時間が掛かった。半日分の授業を無断で欠席なんて、出来る訳がない。
そもそも普段は汽車が出て居ない可能性もある。
「だから、少し覗いて見てどっちが死んでみるか決めましょう。残った方が授業に出ればいいと思うの。わたし、とてもこの奥が気に成っちゃって」
力説するアルフレッドにアリアナは尚も言い募る。
「アリアナ、忘れているのかも知れませんが私達は時間割が違います」
「そう言えばそうね?ああ、そうだ。じゃあ金曜日は午後の授業が無いから二人で入っても平気ね」
「いいのかなぁ?一年生が入学一日目から、立ち入り禁止の廊下に入ろうとしているぞおぉう!」
「ちょっと静かにしてください!!」
ふよふよと変に弾む奇怪な霊体が、癇に障る声と共に降って沸いて、アリアナの『言い訳』を遮った。
アルフレッドはどう興味を持った事にはずんずん進んでいく妹を、どう宥めようかと思案していた所で大声で叫ばれて驚く。
驚いた拍子に、そのまま無防備に晒された腹部に腕を突っ込んでしまったのも仕方がない。まだ連装銃を取り出して撃ち込まなかっただけ、咄嗟の中でも良く判断出来たと褒められても良いくらいだ。
現役のお城に弾痕を刻む事態は免れた。
「彼は悪霊では無くてポルターガイストと言うそうよ。多分、現象に近いナニカだから、腸は無いんじゃないかしら?」
べつに件のポルターガイスト氏の安否を気にした訳でも無く、ただ脊椎反射のように実体の無い何かの腹部に腕を突っ込むアルフレッドを、変な生き物でも見る不思議そうな目で見ていた。
「やってみなければ分からないでしょう」
だが残念ながら、一度掴みかかり床に叩きつける事には成功はしたが、ひやりとした妙な生き物はぬるりとアルフレッドの腕からすり抜けて逃げていく。
「考え無し突っ込んで来て、まるでトロールみたいだなぁあはっはっはは!」
手を叩き、笑いの尾を引きながら遠ざかっていく。
「あれは侮辱ですか…?」
嵐のように去っていく、腸をぶちまけられない存在を初めて見て、アルフレッドはぽかんとしながら呟いた。
「トロールって地域によって色んな伝承があるから、どうかしら」
前後の文脈を考えれば完全に馬鹿にしているし、恐らく父の記憶するところの『デブ』のような存在ではないのだろうか?とアリアナは考えたが黙っていた。
それよりも、どう考えても学び舎に相応しくない存在へ興味が向いて居た。あんなにも学校に向かない存在なのに、住み着いているという事は相当に頑健な存在なのだろう。どんなモノなのか俄然『調べたく』なってしまう。
「ねえアルフレッド、少し追いかけない?」
また突拍子のない提案に、一体何を…とも思ったが規則に触れるのかどうなのか、グレーゾーン(双子的には)な四階の廊下から気が逸れたらしいので、小さくため息をつくだけに留めその提案に渋々乗る事にした。