正直に言って。
俺はこいつに一矢報いてやろうだとか、出し抜いてやろうだとか、そんな気概はまるっきり失せていた。やる気がなかった。
何もかもがどうでもよくて、俺が夢から覚めようが覚めまいが煉獄さんが死ぬという事実は揺らがない。
けれど──
たった一つ変わるとすれば、
煉獄さんの生き様を伝えることができるのは俺だけだということ。
「俺は俺の責務を全うする」
この戦いに意味はない。
鬼の頸一つ落とすことができない俺が夢から覚めたところで、戦いの趨勢は変わらないだろう。
だけど──だけど。
それじゃあ、鬼の頸一つも切れなかったからといって、刀を振るえなかったからといって、その人の想いは無駄になってしまうものなのだろうか?
それは違う。
絶対に違うんだ。
煉獄千寿郎という少年がいる。
彼には剣の才はない。鬼の頸一つ斬り落とすことができない。彼が行った行動なんて些細なものに過ぎない。彼が鬼狩りに貢献したことなんて、全体から見れば砂粒一つ分にも満たないことなのかもしれない。
けど──そんな砂粒の想いが連なったからこそ無惨を倒せた。
千寿郎君が鬼を殺せなかったことを、自分にできることをやったことを、否定する人間なんていない。
同じ、なんだ。
「この戦いに意味はない」
ここから出れば煉獄さんは死ぬ。
それは定まった運命で、もう絶対に変えることのできないものだ。
……でも、だ。俺は鬼殺隊だ。
意味がなくても、何も為せなくても、俺は戦わなければならないんだ。……ナントカの呼吸って言ってかっこよく戦うことも、運命を変えることも、何一つできなかったけれど。俺は、鬼殺隊だから。
役に立つとか立たないとか、そんなことに憧れたのではない。その在り方に感動したから俺はここにいる。
貴方達のような立派な人に俺もなりたい。
「けれど俺は──お前と戦う」
魘夢は不愉快そうに、俺の行動が理解できないと言わんばかりに片眉を上げた。
……ああ、本当にその通りだと思う。
でも、俺の空虚な行動に意味を持たせてくれる人がきっといる。それでいい。
たった砂粒一つ分しか運命が変わらないなら、全力でその一粒を動かそう。
強くなりたいと願った決意を餞に。
「──まったく、人間という生き物は度し難く理解ができないものだなぁ」
俺は自分の首を切った。
「──煉獄さん?」
音を立てて崩れゆく世界の中で邂逅したのは、燃えるような羽織の青年だった。
夢の世界がなくなるのは存外ゆっくりで、その世界の中に何故か彼はいた。
「な、んで──あなたが」
「うむ。魘夢の夢の世界は完璧ではなかったようだな。違う人間同士の夢が混ざってしまったのだろう」
……いや、たぶん、それ以外にも要因はある。
そういえば煉獄さんは幸せな夢を見ていなかった。彼の夢は槇寿郎さんは酒に溺れているし、溜火さんは死んでいた。今の煉獄家の家庭環境がありのまま夢として投影されていた。
……それは、その夢を煉獄さんは幸せだと思っていたから。
老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだから。
彼にとってその家庭環境は悲惨なものではなく、胸を張って幸せな家庭と言えるものだったから。彼は誰よりも現実を正しい形で見据えていた、そんな彼の精神が、魘夢の支配を打ち破るに至ったのか……?
「よく耐えたな。何億回もの絶望に心折れずよく戦った。俺は君を尊敬する。君の活躍を忘れてしまうことが残念だが」
そう労ってくれる煉獄さんの言葉が胸に熱くて、だけど罪悪感が立ち昇った。
俺の志なんてそんな崇高ないものじゃないんだ。今思えば、鬼への怨みなんて大して感じていなかったのかもしれない。
死ぬ筈だった人間をどうにかして生かすことで、自分に都合の良い世界を作ろうとしたに過ぎない。それだけだ。
「……違う、違うんだ煉獄さん。俺は夢の中で列車の人達を見殺しにしてしまったり危険に晒してしまったんだ。俺は鬼殺隊失格だ。俺は貴方に尊敬されるような人間じゃない。俺はただの馬鹿で役立たずなどうしようもない男なんだ」
「本当にどうしようもない人間はそんなことは言わない。君は一貫して、乗客や俺の命を全て救うことに固執していた。固執してくれていた。彼等が死んだ時は心の底から苦しんでいた。投げやりになっていてもおかしくなかったというのにだ。
人生は選ぶことの繰り返し。けれども選択肢も考える時間も無限にあるわけではなく、刹那で選び取ったものがその人を形作っていく。
──だが君はこれまでのどの選択においても他人を優先していた。清らかでひたむきな想いは人でなくとも関係ない」
「……俺の心は麻痺しています。いつからか貴方達が死ぬのが当たり前になった。俺は自分の身勝手な欲のために他人を切り捨てることができる人間なんです」
「ならば、これから償っていくしかないな」
そう言う彼の言葉はとても暖かかった。
懐かしい思いに囚われて、残酷な世界に泣き叫んで、もう何一つだって失いたくなかった自分を恥じた。こんな単純なことに気が付かずに、何億回も馬鹿を繰り返してしまったんだ……。
煉獄さんを死なせたくないと思ったのに、彼の意思を継ぎたいと思ったのに、全部半端で終わってしまった。阿保らしい。
「君がそのことを悔いているならば、今からだってやり直せる。俺の死を、意思を、君の言葉で繋げてほしい。君の心はまだ燃えているだろう?」
「………煉獄、さん……」
「俺の死を悲しんでくれるのは嬉しい。だけどそれよりもっと大切なことがある。俺は短い人生だったが自らが不幸だと思ったことはないんだ。これでいいんだよ。
──それを伝えたかった。君は、俺と長い時を過ごした戦友だからな」
とめどなく零れる涙の意味が変わっていく。
たまらず彼の手を取った。
手を取って──そして離した。
未来のために。
それが俺の罪の償いだから。
煉獄さんを看取ることが俺の戦いだから。
彼の死をなかったことにしてはいけない。
彼の生き様を否定してはいけない。
彼が何のために生きて、何のために死んだのかを俺が伝えるんだ。
声の限り叫んだ。
「さよなら。ありがとう──」
輝いて消えてゆく。未来のために──
▽▽▽▽▽▽
煉獄さんは死んだ。
猗窩座に殺された。
けれども彼は乗客全員の命を守り抜き、自分以外のたった一人の犠牲者を出すこともなく儚く散っていった。
死に際の彼の言葉をよく覚えている。
「胸を張って生きろ──」
何故だか、その言葉を聞くと、無性に胸が締め付けられる。俺は胸を張れているのだろうか。俺は彼の鎹鴉にふさわしい人間になれているだろうか。
あの時俺はまんまと眠ってしまっていた。
俺は刀を振るうことはできない。俺は鬼と戦うことはできない。
俺はただ、煉獄さんが殺されているのを傍観していることしかできない。
けれど、ヤケクソにはならない。
悲しみに飲まれ落ちてしまえば痛みを感じなくなるけれど、彼の言葉も、彼の願いも守り抜くと誓ったんだから──。
──いつ、そんな誓いをしたんだったか?
まあ、いいか……。
思いを継ぐというのは、俺の使命だから。……だから、涙はどうか許してほしい。
振り返らずに進むから。
前だけ向いて叫ぶから。
心に炎を灯して──まだ遥か遠い幸せな未来まで飛ぼう。
遠い未来まで──
「カァー!煉獄杏寿郎、死亡!上弦ノ参トノ交戦デ死亡!」
──『三百億の男』完
ここまで読んでくださってありがとうございます!
この小説は「原作では語られなかったけどこんな物語があったのかもしれない」という点を意識していて、原作や映画をより楽しめることを目的として執筆したものです。
読了後にお手元の漫画を読み返したりしてもらえると幸いです!
ではまたー!