九月になれば、ただ月が替わっただけだというのに、いよいよ受験が迫って来た感じがしてくる。
未だに外は暑くて、街路樹に止まった蝉が喧々として、駅の向こうの空にもこもことした入道雲が見える。
今日は特に湿度が高い。全身を蒸しタオルで包まれたような不快感。長袖の上着を脱いでしまいたかったけれど、日に焼けるのも嫌だ。希留耶は、足早に待ち合わせをしている喫茶店の中へと入った。
ユウキとの約束の時間まで三十分近くあるのだが、店に入るなりすぐに目が合った。
奥の方の席で、テーブルの上には広げられた参考書とノート。注文したらしいソフトドリンクが、半分ほど減っている。近づいてきた店員に人と待ち合わせていると告げ、顔が自然と綻んでしまうのを抑えて、ユウキの対面に座った。
「随分と早いわね」
「希留耶ちゃんも……まだ三十分はあるよ」
「ふん……間違って早めの電車に乗っちゃったのよ」
希留耶が今年高校受験に挑むように、ユウキもまた大学受験がある。
ユウキは、ミネルヴァの懲役被害者の中でも特に、深刻な影響を受けている。アストルムの方でネネカに基礎的な勉強を教わって、こちらに戻ってからも七冠のサポートを受け、かなりのレベルまで回復してはいるのだが。
ちらりとユウキが開いている参考書の内容を見てみた。数学だ。高校レベルの内容ではあるようだが、そこまで難しそうではない。
ユウキは参考書に印をつけてから、ノートと一緒に鞄へしまう。それからメニュー表を希留耶の方へ手渡しながら。
「何か注文する? お昼ごはんもう食べた?」
「ううん……何? 奢ってくれるの?」
「うん」
「…………冗談よ。本気じゃないし、見栄も張らなくていいからね。メニュー貸して」
ユウキが差し出していたメニュー表を半ば奪い取るようにして、ざっと目を通した。何度かユウキと来た事があって、いつも注文するメニューも決まりつつあったが、今日は今まで頼んだことのないものを選んだ。
「あんたは? いつもと同じ?」
「うん。じゃあ、店員さん呼ぶよ?」
ユウキは呼び出しベルを鳴らして、やってきた店員に希留耶の分と自分の分とを注文した。
「にしても、九月になったってのに、暑いわねぇ……」
「そうだね」
「……昨日まではまだ月が替わった実感なかったけど、もう二日、だもんねー」
「うん」
「…………九月二日! なのに、外は倒れそうなくらい暑かったわー……」
「あっ」
「な、何よ……何か気づいたことでもあるわけ?」
「ドリンクバーのチケットあるから頼む?」
「いらないわよ!」
思わず叫んでから、店内の他の客からの視線を感じて、慌てて身を縮こまらせる。
「もういいわ…………ねえ、さっきやってた参考書見せなさいよ」
「? これ?」
ユウキは鞄から参考書を取り出して、希留耶に差し出した。
先ほどちらりと見た時にも思ったが、使い込んである。書き込みが多く……筆跡から、おそらく似々花が補足として書き足した説明と、そのほか七冠らしき誰かの高度な落書き。これをそのまま売りに出せば、しばらくそれだけで生活できそうな程に価値が高いものになっていた。先ほど感じた通りに、参考書の本文自体はそう難しくはないのだが、この書き込みまで理解していけば充分以上の理解は得られそうだ。
「……これだけ手厚くしてもらってるなら、あたしが心配する必要はなさそうね………っていうか、あたしの知らない間に何度も会ってるわよねこれ!」
ユウキの理解に応じて書き換えたり、さらに書き足したりした痕跡がある。一回や二回勉強を見てもらっただけでは済まない量だ。
カッとなって思わず叫んでから、戸惑いながらも申し訳なさそうな表情で希留耶を見るユウキに、怒る気も失せる。
「まあ……いいわ。これ、あんたが使い終わったら貸してよね。完全にユウキ向けってわけでもないだろうし、参考になるわ」
「うん。希留耶ちゃんの方は、勉強順調なの?」
「まあまあね。別に特別レベルが高い所に行くわけじゃないからそれで充分」
「? そうなの?」
「あ……えっと、去年まではママが、自分が決めた進学校に入りなさいってうるさかったんだけど、最近は全くなのよね」
現実世界に戻ってきてからしばらくの間は、これまで以上に激しく行動を制限されて、毎日毎日ヒステリックに希留耶へ何かを叫んでいた。それが、ある日を境に、普通に振る舞いだした。初めの頃こそは、いかにも演じている感があって、気持ち悪いとしか思えなかったのが、最近は。
「最近は……なんだか、本当にあたしの事を考えてくれてる感じがして……」
きっかけが何だったのかは全く分からない。
確かあの日は、希留耶の家がある地域には似つかわしくない高級車を見て、それを不審に思いながらも、家に帰るのを少しだけ躊躇して、けれどいざ帰ってみたら人が変わったような母がいた。
「……真、な……わけないわよね……夢見過ぎだっての……」
「?」
「別に何でもないわ。とにかく……そりゃあ緊張感はあるけど、そこまで危機感はないわね」
「それで?」
「それで? って何よ?」
「希留耶ちゃんはどこの高校に行くの?」
「う……その……本当は紫布菜と一緒の高校がいいと思ってたんだけど、あいつは出席日数に融通が利きやすいって理由で選んで、かなり遠くの高校だから…………あたしは、その、あんたと一緒のとこよ」
希留耶が言うと、ユウキは目を丸くして。それからすぐに目に見えてうれしそうに微笑んだ。
「なによそんな嬉しそうにして……あんたは卒業した後なんだし、別に一緒に通えたりはしないのよ?」
「それでもなんとなく嬉しいよ」
「……ふーん。そうなんだ…………」
☆
――――なんていう癖して、今日があたしの誕生日だって覚えてないのかしら?
昼食を食べ終え、結局頑なに希留耶の分も支払うというユウキに負けて、喫茶店の外へ。
ユウキの家へ向かう最中にも、特に希留耶の誕生日を祝われるようなことは無かった。
「じゃあ、飲み物取ってくるから」
久々、と言ってもひと月ぶりに入るユウキの部屋。ベッドに腰かけると、なんだか途端に悲しくなった。
「まあ、いいわ……自分から言おっと」
ちょっと図々しいような気もするが、希留耶の方からアピールをしてみることにした。もし本当に忘れられてたとしても、思い出せば心の底から申し訳なさそうにして、それから最大限の祝福をくれるはずだ。
そんなことを考えているうちに、ユウキが慎重な足取りで部屋に近づいてくる音。飲み物を取ってくると言っていたが、希留耶の分とユウキの分の二つを持ってきているのならば、両手がふさがっているはずだ。
希留耶は、部屋のドアを開けてやり、ユウキを出迎えた。
と、異様なまでに驚いたユウキと目が合い、希留耶も思わず硬直した。真っ黒な瞳孔の中に閉じ込められたみたいだった。しばらく見つめあってから、ゆっくりと視線を下げる。ユウキは飲み物の入ったグラスは持っていなくて、ショートケーキを大皿にのせて持っていた。丸く、白い生クリームが綺麗に塗られた、大きなホール。
「あ、えっと、サプライズ! 希留耶ちゃん誕生日おめでとう!」
「びっくりした……う、うん。祝ってくれるのは、嬉しいわ。サプライズねぇ……そういえばアストルムでもそうやって祝ってもらったっけ?」
あの時はユウキの誤魔化し方が下手で、すぐに何か準備しているのだと気が付けた。生意気なことに、今回は本当に一切希留耶に悟らせないように誤魔化し切ったらしい。アストルムではほぼ毎日ずっと一緒にいたけれど、現実に帰ってきて、どうしても距離が出来てしまったこともある。もしかしたら、本当に誕生日を忘れられているのではないかと思ってしまっていた。
「一緒に食べよう」
「うん。嬉しいんだけどさ……」
ユウキの持ってきたケーキというのが、スーパーマーケットやコンビニで買えるようなものでなくて、明らかに専門店で取り寄せた豪華なもの。そして、人の顔よりも大きい。
「到底食べきれる量じゃないわよね! さっきお昼食べたばっかだし!」
「あと三つ用意してる!」
「バカじゃないの!!?」
ユウキは希留耶が叫んでもニコニコと笑っているだけだったが。
「ん、あれ? 通話……? は、はい……? もしもし?」
『あ! きゃ――じゃなくて、希留耶ちゃん! あと十分くらいでユウキ君の家に着きますから!』
「は?」
『こころちゃんと紫布菜ちゃんも一緒ですよ!』
そこまで聞いて、携帯端末を耳から離した。呆れ果てているはずなのに、口角が上がるのを抑えられなかった。
「やられたわ……こっちでも同じようなことされるなんてね」
通話先のぺコリーヌに、聞こえないように通話を切って、呟いた。アストルムでも、美食殿のみんなが希留耶の誕生日を祝ってくれて、嬉しかった。
今回も、あの時よりも簡単に会えなくなっている分だけ上乗せされて、やっぱり嬉しい。
相変わらず嬉しそうにしているユウキに、希留耶もやられっぱなしでは我慢ならないような気がした。ちょうどさっき、図々しくしようと決めたのだから。
「ねぇ、あんた。あたしへのお誕生日プレゼントが、それだけってことは無いわよね? あ、その箱? またちょっと良さそうな奴みたいだけど……一旦そのケーキを部屋に置いて、そう。先に切り分けておいて、じゃあ、はい……あーん…………
キャルママ問題はプリコネ本編で解決しそうな気がしますが、とりあえずいったん雑な解決方法。
めちゃくちゃスランプで、全然かけませんでした。
今回のイベントで、なんて新鮮なインスピレーション、これが尊死か、みたいになって、とにかくインスピレーションだけはバチバチ来てるんですけど、全然書けませんでした。