死ぬほど難産でした。
気が付いたとき、あたりは暗かった。
ベッドに横になっていたキャルは、今が朝方なのか、深夜なのか、判断がつかずぼんやりと考え込む。
それから少しして、ああそうだと思い出す。
「バレンタインデーのチョコレート、あげられなかったな……」
小さく呟くと、気持ちの悪い変な笑い声が掠れるようにして零れた。
それが酷く、自分の事でありながらも哀れで仕方がなかった。追い込まれているみたいで、どう足掻いても救われないみたいで。
ただ、日頃のお礼としてユウキにチョコレートを渡すだけのことすらもできないのか。
ユウキが大量のチョコレートを持って帰った時に、一瞬でもこれを理由にすれば逃げられると思ってしまった自分がいなかったか。
別に何かそこで感謝の言葉を言うとか、想いを伝えるとか、そんなことをしなくても、ただチョコレートを渡すだけのことがどうしてできなかったのだろう。
机の上のチョコレートの箱を見る。
もうすでに空になった箱だ。
ユウキに捨て台詞をはいて、自室に戻ったキャルは、その後手に持っていたチョコレートをどうするべきか悩んで、半ばやけ食い的に平らげてしまった。
なんでそこでやっぱり渡したほうがいいと思い直さなかったのだろう。
今までの人生でうまくいかないと思ったことは何度もあるけれど、ここまで完全に自業自得だと、本当に自分が滑稽だ。
「あはは……」
ああ、聞き覚えのある笑い声。昔から何度も自分の口から発せられた、自嘲の笑い声だ。
こうして意識してみると、先ほど気持ちの悪い変な笑い声だと思ったのは、この笑い方だ。何回も何回も聞き続けてきた、環境と運命を呪い、そして自らを嘲る笑い。
近頃全くそんな風に笑わなくなっていたから、変に聞こえたのだ。
「そっか、さいきんは、こんなこと……」
こんな風に自嘲的な笑いを思わず零してしまうことが、しばらくの間ずっとなかった。
それがどうしてかなんて、いちいち考える必要はない。
「ユウキの……美食殿のおかげよね。あたしの、居場所……」
それならば自分がするべきことは何なのか。キャルは――
☆
「あ、主さま、やはり残りは明日に……」
「まだ食べられるよ」
コッコロの言葉に、ユウキは首を振って言った。袋からあふれるほどのチョコレート。先ほどこれを見たキャルはずいぶんと驚いてしまっていたが、実際のところユウキが食べるべきチョコレートは半分ほど。
ユウキ宛ではなく、『美食殿』に対して贈られたチョコレートや食材も多い。
とはいえ、抱えて持たなければならない袋の半分を占めたユウキ宛のチョコレートは、やはり尋常な量ではない。
「コロ助ー……コロ助……!」
何個目かのチョコレートを食べ始めたときに、そんな声が聞こえてきた。ユウキは首を傾げつつ、あたりを見渡す。二階へ上がる階段の陰に、隠れるようにしてキャルが、コッコロに向けて手招きをしている。
コッコロもそのことに気付いているらしく、ちらりとユウキとぺコリーヌに目を走らせて、キャルのもとへと向かった。
ユウキもぺコリーヌの様子を確認してみると、どうやらもうチョコレートを食べ終えようとしていた。キャルに気が付いた様子はない。
ぺコリーヌはぺコリーヌで、ユウキのそれとは比べ物にならない量のチョコレートをもらっていて、さらにユウキが町の人から代わりに受け取っていたチョコレートもある。
そのすべてが胃袋に収まろうとしている事実に、さすがのユウキも衝撃を受けた。それは不審な様子のキャルが気にならなくなるほどに。
☆
「えっと、それで、チョコをあげた……方がいいかなって思って」
この期に及んで正直にチョコレートを上げたいとは言えないキャルだが、コッコロはそんなキャルの心情を知ってから知らずか、特に何か言うこともなく。
「それでしたら、お手伝いいたしますね」
心なしかいつもよりも笑顔が優しい。
「あ、でも、ユウキ、あんなにチョコ食べてて、それにあたしまであげたら」
嫌がられてしまうのではないか。そんな不安が、ずっとキャルの中に澱のように。もしもユウキに拒絶されたら、もしもそれで嫌われたら、と、一度マイナス思考の檻に閉じ込められてしまっては、簡単に抜け出せなくなっている。
「主さまは、キャルさまにチョコをもらえたら喜ぶかと思いますが……どうしても不安ならば。何もチョコにこだわる必要はありません」
「そうなの?」
言いながらコッコロはキッチンの戸棚から茶葉を取り出した。
「ひとまずは、チョコの甘みや油分を流すのにちょうどいいでしょうし、主さまにお茶をお出ししましょう。キャルさま、淹れていただけますか?」
「あ、も、もちろん。任せなさい!」
キャルが茶を入れている間に、コッコロはさらにキッチンから調理器具を取り出して、何かの準備を始めていた。
「コロ助も何かするの?」
「主さまはチョコで満腹になってしまいそうですが、やはり少しでも夕食は食べていただこうかと。ぺコリーヌさまも、まだ食べたりないご様子でしたし」
「あいつは相変わらずねぇ……」
ぺコリーヌがどれほどのチョコレートをもらったかは知らないが、なんだかんだ町の人たちに親しまれているし、かなりの量を食べることも知られている。それらから何となくどれくらいもらったかは想像できるし、その想像の倍くらいもらっていてもなんら不思議はない。
「それに、キャルさま。せっかくですから主さまに、ちょっとしたデザートを贈りませんか?」
「デザート……? やっぱりチョコレートを?」
「いえ、マカロンにいたしましょう。かわいらしくてキャルさまにピッタリかと」
「そ、そう? あ、お茶のお湯沸いたわね」
「わたくしが準備をしておきますので。先にお茶を主さまにお願いいたします」
言われた通りお茶をお盆の上に置いて、ユウキと、あとついでにぺコリーヌの分も、持っていく。
「あれ? キャルちゃん。起きてたんですか? って、お茶淹れてくれたんですか? ありがとうございます!」
「ありがとう」
「はいはい、お茶くらいは別にいつだって淹れてあげるわよ」
こうして感謝されるのは悪くない。知らずのうちにしっぽがゆっくりと大きく揺れる。
そのことに気が付いてすぐにしっぽを止めて、キッチンの方へと戻る。
すでにおおよその準備は終えていたコッコロは、戻ってきたキャルに笑いかけ。
「それでは、まずはマカロンから。わたくしは夕食を作りますので、その間キャルさまは卵白を泡立ててメレンゲを」
充分な硬さのメレンゲになるまで、その間にコッコロは夕食の準備を終えて、キャルの補佐に回る。
そのおかげもあって、キャルが予想していたよりも簡単にマカロンをつくることができた。
「で、できたわ! コロ助の助けがあったとはいえ、料理でも天才なのかしら。あたし」
先ほどあれだけネガティブ思考をしていたキャルはどこへやら。自信満々の表情のキャルの前には、カラフルなマカロンが十個ほど。
「ユウキとコロ助で半分。ぺコリーヌが半分ってところかしら。それでも量は少なくなっちゃうだろうけれど……喜んで、くれるといいな」
「あれ? そのマカロン。キャルちゃんが作ったんですか!?」
「ぎゃっ!? 突然後ろから声かけるんじゃないわよ! びっくりするじゃない!」
いつの間にやら、背後にいたらしいぺコリーヌがキャルの肩越しに覗き込むようにしてマカロンをじっと見つめている。見れば今にもよだれをたらしそうな様子。そこまでおいしそうに見られると、自分の作ったものを高く評価されているのだと実感できてうれしくなる。
が、ふと冷静に。こいつはどんなゲテモノで食べたがるような奴だ。
キャルは、ぺコリーヌに半分ほど渡して、残りはユウキのもとへもっていく。
「ユ、ユウキ……あの、もしまだ食べられそうだったら、よかったら……」
視界の端に、こちらを見ているコッコロとぺコリーヌの姿が見える。どちらも意味深な表情をしているような気がして、なんだかとても恥ずかしいのだが、不思議と気持ちは落ち着いている。
ユウキは本当にうれしそうな表情を浮かべて、キャルの作ったマカロンを食べて。
その後のユウキの表情に、キャルもつられて、幸せな笑みを浮かべた。
死ぬほど難産で、出来も満足は行ってませんが、正直これが今の限界です。
来年のバレンタインこそはバレンタインします。