色々と連載してるが、全部ケリをつけるつもり
とりあえず、我が故郷岡山を題材にしてみる
ノンフィクション風味ですが、所々オリジナル入ってますので予めご了承下さい
皆様は戦国時代と言えば誰を想像されるだろうか?
天下布武を目指し、日の本に大勢力を築いた稀代の英雄織田信長?
その信長の跡を継ぎ、戦国時代において初めて天下を統一した豊臣秀吉?
信長や秀吉に我慢強く仕え続け、最終的に約三百年にも渡る長期政権を作るに至った徳川家康?
他にも綺羅星のごとき将星が存在したのが、戦国時代という時代であると思う
今回の話はとある人物に仕え、その数奇な人生を送った一人の男の話である
もし、興味が湧いたのであれば御覧頂けたなら幸いである
時は天文20年
尾張では織田信長の父、織田信秀が死去し、うつけとの評判のあった吉法師が織田信長と名を改めて家督を継いだ
周防では西国で屈指の影響力を誇っていた大内家当主、大内義隆が家臣である陶隆房(すえたかふさ)により攻められ、長門大寧寺(ながとたいねいじ)にて自害。これにより、豊後大友に居た大内家一門、大友晴英(おおともはるひで)を大内の新当主とした
その頃の天下の中心であった畿内においては、三好長慶(みよしちょうけい)は管領細川晴元と同族であり嘗て敵対していた細川氏綱を擁立していた
この時代における畿内の混迷は尋常でなく、例え将軍であろうと山城国はおろか、畿内から追われる事すらあり得た
前述の三好長慶とて元は細川晴元の家臣であったが、晴元家臣の三好政長との不和により、敵手であった細川氏綱方に付くことになっている程である
細川家は管領を務める程の大家であり、三好とて阿波、讃岐、淡路に所領を持つ四国では最大の勢力
それでも畿内では翻弄されるのだから、当時の混迷の程もうかがい知れるのではないだろうか?
播磨では播磨守護、赤松氏が別所、小寺等を従え旧家臣であり、備前、美作の国主である浦上氏と敵対していた
そんな状況の最中、此処備前に一人の若者がいた
彼の人の名は五郎
浦上家当主、浦上政宗に仕えている一人の足軽であった
浦上家は備前、美作、播磨の一部にも勢力を伸ばしている大名である
こう聞けばそれなりの勢力を誇っている様に聞こえなくもないが、実際には周辺勢力を考えるとそこまで安寧していられる状況にはなかった
目下敵対している旧主家筋の播磨赤松家は所領こそ播磨一国であるが、その播磨は畿内に近く、瀬戸内の海運もある
畿内での有事の際には兵を動員出来る為に中央への影響力も軽視出来ず、経済力も有るために動員力自体もある
現在こそ畿内の三好や丹波の波多野などが抑止力となり得ているが故に、浦上へ全力を出せない状況になっているが、浦上方としては決して安全とは言い難かった
西の備中三村家とは備前、美作を争う間柄であり、浦上家の頭を悩ませていた
しかも、更に西方の安芸の雄毛利の支援も多少とはいえ得ている。現状、毛利とて周防、長門の大内や出雲、石見の尼子と予断を許さない情勢であるから大規模な援助こそないが、将来的には危うくなる可能性を秘めていた
さりとて、出雲の尼子と結ぶには此方も美作を虎視眈々と狙っており、同盟関係の構築など現状では難しいと言わざるをえない
というよりも、浦上家の所領つまり備前、美作、播磨
この何れにも明確な敵がいるのだから、今の浦上家は非常に不安定な状態であるといえた
本城である天神山城は備前の東部に位置しており、播磨との国境にも近い
支城こそ幾らか存在するものの、大規模な兵を擁するのは此処のみであった
そんな浦上家に仕えているのが五郎であった
仕えている等と言っても、戦争の時に集められる農民兵であり、平時は畑を耕していた
別に彼に特別秀でた所は一つしかなく、少しばかり好奇心旺盛な若者である
そんな五郎であったが、彼は浦上家の中で異質な物があった
天神山城下、宇喜多直家の屋敷にて
「ふむ、種子島とな?」
上座に座る男の名は宇喜多直家
浦上家では重臣とは云えずとも、決して家中における影響力は無視出来ない人物であった
「どうも弓等とは勝手の違うものらしいですな」
直家と話をしているやや痩せ気味の男は戸川秀安(とがわひでやす)
直家が信を置いている家臣の一人であった
「して、その種子島とやらは役に立つのか?
立つとして直ぐに揃えれる物か?」
「殿、それは難しいかと思われまする」
直家の疑問に否定の意見を述べる長身の男は長船貞親(おさふねさだちか)
秀安と同じく直家に近侍している男である
「難しいか」
「そも種子島とやらは薩州の島津とやらが公方へと献上した物が全てとの事らしいのです
聞いた話によると、公方に献上されたのは二つのみとか」
「うぬ、それでは役に立たぬではないか、貞親殿」
秀安が不満そうな声をかける
「この備前国の鍛冶師に頼むにせよ、原型が無くば意味があるまいに」
「それくらい解っておるわ
今は堺に行ってもらっておる家利の帰りを待つ他あるまいて」
「うむむむ」
問題を挙げる秀安に貞親は家利の帰りを待つ事を提案した
利勝とは岡家利(おかいえとし)という人物であり、秀安と貞親と共に直家を支えている人物である
文武に優れ、且つ治水開墾にはかなりの才をもっているとされていた
事実、小さいながらも直家に所領が与えられていたが、この領内における治水事業の全てを統括しているのが岡家利という人物であった
「秀安殿も貞親殿も落ち着かれよ
斯様な物言いでは話し合いにもなるまいに
兄上、如何なさるおつもりか」
秀安と貞親が互いに険悪になりかかった時、直家の側にいた小男が二人に落ち着くよう諭した
「忠家殿」
険悪になりつつあった二人を諌めたのは宇喜多忠家、直家の別腹の弟であった
彼ら宇喜多兄弟は元々、砥石城主宇喜多能家(うきたよしいえ)の孫であり、能家の息子宇喜多興家(うきたおきいえ)の子息であった
直家たちの祖父である能家は赤松家の家臣であった浦上村宗(うらがみむらむね)の家臣だった。だが、紆余曲折の末、播磨にて当時敵対していた細川晴元等と後背をついた赤松家により、戦死した村宗の後を継いだ浦上政宗の時に浦上家臣の島村盛実等により祖父能家は暗殺されたとされる
そして居城であった砥石城を追われ、放浪の末父興家も死亡する
その後直家達は浦上家に帰参し、当主政宗の弟である浦上宗景に仕えていた
近年美作に兵を頻りに出してくる出雲の尼子への対応を巡り、当主政宗と直家の主君宗景は対立していた
政宗は旧主である赤松を見限り、出雲の尼子にじゅうぞくしようとしていた
だが、これに宗景は反発し、美作を巡って対立していた筈の三村、その後援である毛利との同盟を果たした
結果、浦上家中は二つに分裂することとなった
現在直家の屋敷のある天神山城は政宗側から奪取した拠点であり、速やかなる戦力化を進めているさなかであったりもする
直家が浦上宗景に仕えた理由は帰参のみに非ず、祖父の仇である島村一党を始末する為である
祖父を始末した島村盛実(しまむらもりざね)はあろうことかそのまま砥石城主に収まっており、直家たちの怒りは留まる所を知らなかった
だが、御家騒動の最中に私怨を果たせば主君宗景の不興を買うのは必然
故に直家は家臣の前でしかこの話をしたことが無かった
だが、直家は昨日呼び出された
「面をあげよ、直家」
「はっ」
奪取したばかりこ天神山城の城主の間にて直家は宗景と対峙していた
直家は今後の戦の事である。そう疑ってなかった
だが
直家はあの時呼吸を少しだけとはいえ、忘れた
目の前に居るのは誰だ?
自分達の本意が漏れぬよう細心の注意を払っていた
話すときには必ず信頼のおける人間に目を配らせていた
裏切り者がいるとは考えにくい
となれば、何時知ったのか?
直家の考えは千々に乱れた
「ふむ、混乱しておるか
案ずるな。儂以外で気付いている者がおる様子はない」
冷めた眼で直家に語る宗景
「・・・・・・・・はっ」
直家は解っていなかった。浦上家の人間を軽んじていた
だが、浦上家とて主家であった筈の赤松を追い詰めていた家である
大物(だいもつ)にて破れこそしたものの、畿内の大勢力たる細川に挑む事すら出来ていた家なのだ。無能が一門筆頭を務められる筈もない
理解した瞬間、直家の背中に冷や汗が伝う
確かに自分達宇喜多家は目の前にいる男の軍勢の中で重きをなしていた
何れは浦上を乗っ取ろうとも考えた事がないとは言えない
だが
「まぁよい
どうやら盛実を始末したいようだな」
直家の態度を見て宗景は確信した
だが、それすらどうでも良さそうにも見える
「と、殿」
「今はするでない。後に機会をやろう」
動揺する直家など眼中にないと言わんばかりに宗景は言い放った
「殿?」
「兄上?」
思考に耽っていた直家は呼び掛けられ、やっと思考の海から戻った
「すまぬな
しかし、だ。良くもまぁ、種子島とやらを知っていたものだな」
直家は話題を戻した
「聞くところによると、花房殿の部隊にてその様な話をしていたとか」
「ほぅ、又七郎の所でか」
忠家と直家の会話に出てきた人物は花房正幸(はなふさまさよし)。宇喜多家のみならず、浦上家中においても随一の弓の名手である
更に彼の率いる弓隊も精強無比であり、この部隊に対抗できるのは佐々木源氏の血を引く近江の六角家くらいといわれていた
その花房隊に五郎は属していた
だが、残念ながら彼の弓の腕は部隊において平均の水準であり、取り分け優秀とは言い難かった
が、この五郎という男はつくづく変わり者であり、農閑期の実家から飛び出して農繁期には戻るという事を繰り返していた
初めの頃こそ家族は止めていたものの、幾ら言っても無駄と判断した父親は何も言わなくなった
幸いにも彼は名前の通り五男であり、食い扶持を一時的にとはいえ減らす事に母親も渋々同意し、家の畑を継がない事を条件に兄達の同意も取り付けた
既にその頃には、浦上家にて足軽紛いの事をしていた為にそれなりの収入もあり、その一部を実家に入れる事を以て彼は自由に動ける事になった
勿論だが、他の家からの評判など最悪であり、『悪童』『不幸もの』等と散々な陰口を叩かれていたが、当人は気にしてもいなかった。何故か村長からはそれなりに信用されていたが
というのも、彼の村は兎に角誰も戦に行きたがらない
では落ち武者狩りはどうか?と言っても、これもしない
。この時代の農民にとって落ち武者狩りは臨時収入を手に入れる好機なのだが、それすら行わない
村長は嘗て戦に出て、足を斬られて足軽働きが出来なくなった。だから村長をしている。だが、それを知った村人は臆病風に吹かれてしまい、以後は五郎以外で戦に出なくなっている
五郎は新しいモノが好きだ
はっきりいえば、同じ作業の繰り返しである農作業に飽きるのは早かった
だからこそ、彼は天神山城下にて商人から堺の話を聞き、居ても立ってもいられなくなったのも当然である
そして少しばかりの冒険の末に堺へと辿り着いた
五郎は歓喜した。自分達の村では一生かけたとしても見れないだろうモノを多く見た
蔵に積まれた米、頻りに走る人々、髪や目の色の違うナンバンジンという人々に彼等が説くナンバンシンキョウとやら
その全てが五郎を魅了した
だが、五郎が最も衝撃を受けたのは天に響かんばかりの轟音だった
当然、五郎はそれに興味を覚え、探し回った
そしてとある鍛冶師の所で見つけたのだ、種子島を
興奮した五郎は鍛冶師に詰め寄り、あれは何だ?と質問攻めにした
五郎の剣幕に辟易した鍛冶師は早々に引き取って貰おうと、触りだけを話した
あれは弓よりも遠くから撃てる上に、威力もある。と
そして、五郎は花房隊での調練の合間に知り合いに話した
それを偶々、正幸の直属の兵が聞き、正幸より貞親達に話が届いたのである
因みに五郎は種子島を求めたが、その頃やっと増産体制が整ったばかりであること、その増産した種子島の大半は紀州雑賀衆が抑えていたこと
残りの種子島も足利将軍家や細川家、三好家、六角家等が求めており、一介の農民である五郎に買える筈もなかったが
だが、今回は畿内に絶大な影響力を持つ細川家に一時的にとはいえ抵抗していた浦上家の使者であり、家利は交渉の末、一挺のみとはいえ手に入れる事が出来た
話を宇喜多屋敷に戻す
「ふむ、一介の足軽が種子島とやらを知っていたとはおかしな話よな」
直家は首を傾げた
「しかし、殿」
「兄上とて解っておるさ、秀安殿」
「して、種子島とやらは家利に任せになったのならばさておいて、今後は如何なさると?」
「ふむ、常山、岡山に兵を進めるとの事よ」
「「「おおっ!」」」
天神山は備前の東部に位置する城であり、今の瀬戸内市に位置している
岡山は現在の岡山市内にある岡山城であり、常山(つねやま)城は岡山城よりも南にある常山に位置する城である
現在こそ陸続きであるが、それは明治頃の干拓事業によるものであり、この頃は瀬戸内海に点在する城の一つのようである
「砥石については何と?」
「捨て置くとの事よ」
恐る恐る秀安は砥石について尋ねると、直家は憮然とした顔で答えた
「己!島村め
大殿につくつもりか!」
「でなくば、この天神山を取るのにもっと苦労したであろうな」
貞親の激昂を聞き流しながら、直家は思った
(私の真意を知っておる殿はこう言っていたな「『今は』するな」と
そう言うことか)
直家は他の三人にわからない様に口元に笑みを浮かべた
天文20年
浦上政宗は尼子に臣従を目論むも、浦上宗景はこれを咎め、三村、毛利との同盟により西方の安全を確保。政宗排除を敢行する
政宗方は赤松、尼子に支援を求めるも、逆に赤松は政宗領であり、旧領である西播磨へ侵攻。尼子は政宗方の支援に動こうとするも、周防大内における大寧寺の変により混乱した大内を放置。それを行った毛利による出雲攻勢の報により、出雲から出兵することを断念することになった
備中三村の支援を受けた宗景は年始めに天神山を攻略。常山、岡山や備前の有力国人衆である金光(こんこう)氏や松田氏を味方につけ、政宗方を圧倒した
此処に浦上内乱は終結し、新たに宗景が浦上当主となることになる
だが、これはこれから始まる動乱の序章に過ぎなかった
幾つか補足をば
戸川秀安と記載しましたが、富川との説もあります
が、今回は通りの良い戸川としております
宇喜多忠家は史実だと、興家が放浪中に生まれたとされていますが、それも変更しております
赤松や細川、毛利等についての補足は次回しますのでご了承下さい
鉄砲伝来について
色々な諸説があるためにオリジナル展開となります
公方に二挺献上とありますが、史実では薩摩の島津で製法を紀州の芝辻清右衛門が学んだという説があります
こちらもオリジナルですのでご了承下さい