鬼滅冥人奇譚 GHOST OF SUNRISE   作:明暮10番

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邂逅 壱

「──伯父上」

 

 

 墓前で手を合わせる伯父に、少年は話しかけた。

 瞼を閉じていた彼は、ゆっくりと目を開き、それから少年の方へと顔を向ける。

 

 

「……『仁』」

 

「ここにいらしてたのですね」

 

 

 紅蔦の葉が散る山の麓に、墓所はあった。

 伯父の親族が眠る墓は、苔むした他の墓と、濃竜胆(こりんどう)に囲まれるようにして建っている。

 

 

「して、何用で参った?」

 

「本土から御客人が参られました。志村城でお待ちしておりますので、急ぎ戻られた方がよろしいかと」

 

 

 彼は「そうか」と呟き、城に戻るべく馬の待つ広場へと歩き出す。

 

 北を目を向ければ、唐紅の葉々を抜けて顔を覗かせる志村城があった。

 仁と呼ばれた少年も、その後ろに続く。

 

 

「……先代様の、御命日でしたね」

 

「あぁ。だが、ご先祖様や父上だけではない……先の戦で見事な討ち死にを果たした……我が、弟たちもここに眠っておる」

 

 

 伯父はまたぴたりと足を止め、もう一度だけ墓石を見た。

 

 

 

 紅落(こうらく)が染める道の中、凛として立つ墓標には、勇敢なる武士の名が刻まれている。

 その名を一つ一つ目で追い、悲しげに口元を綻ばせた。

 

 

「……今や残された子は……わし、のみ」

 

 

 彼の目線に合わせ、仁も墓へと目を向ける。

 

 散った紅葉が積もり、死んだ者の記憶を隠そうとしているかのようだ。

 

 

「父上と共に、鑓川で討ち死にした弟たち。そして我が妹であり……お前の母。そう。この世で、志村の血を引く者は……」

 

 

 伯父は仁の肩に、優しく手を置いた。

 

 

「……わしの他に、お前だけだ」

 

 

 伯父の方へ視線を戻すと、彼はサッとまた前を向いてしまう。

 少し見えた横顔には、儚しげな哀愁が漂っている。

 

 

「……家族がいなくなるのは、とても悲しい事です」

 

「………………」

 

「死んでしまえば、この世から……いなくなってしまうから……」

 

 

 そう答えた仁に対し、伯父は一つの問いを投げかけた。

 

 

 

「……仁。志村の家紋は、何を意味しておると思う?」

 

 

 何を今更と思いながらも、おずおずと答える。

 

 

「日の出。闇を払い世を照らす、新たなる光。転じて、繁栄と正義の象徴」

 

「左様」

 

 

 伯父は少し含みを持たせてから、「しかし」と続けた。

 

 

「わしには、もう一つの意味が込められていると思っておる」

 

 

 

 

 先を歩く伯父の背には、その志村家の家紋が縫い付けられていた。

 海より出し、熱き太陽。仁はずっと、この家紋に憧れていた。

 

 

「日は必ずや沈む。夜が訪れ、闇が世を覆う」

 

「日没……と言う事ですか?」

 

「そうだ」

 

 

 足を止め、「だが」と、伯父は続ける。

 

 

 

 

「また日は昇る」

 

 

 

 

 一際強い風が吹き、散り落ちた紅葉をまた空へと舞い上げた。

 上がった葉を浴びながら、彼は横顔だけを向けて笑った。

 

 

 

「沈めども、必ずや昇る新たなる朝陽。生まれと黎明。我が志村の家紋には──」

 

 

 身体をすっと回し、仁と向き合う。

 その時に語った彼の、家紋への解釈は、以降ずっと印象として残っていた。

 

 

 

 

 

 

「──不屈と、生まれ変わり──不滅の意が込められておるのだ。死しても消えぬ、魂の象徴としてのな……」

 

 

 

 

 

 それだけ言った後に、彼は馬の方へと歩み出す。

 唐紅が舞い散る中。仁は追いかけ、追い付こうとせんばかりに、彼の背へと駆け出して行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体が鞭打つように痛む。

 目が開けられない。

 

 腕や足を動かそうとすれば、節々が悲鳴をあげる。

 

 

 止まりそうな呼吸を、何度も意識して繰り返し行う。

 

 すると痛みが次第に引いて来る。

 

 

 まずは手の指先が動いた。

 次にぼんやりとしていた聴覚が戻る。

 

 

 

「ぁぁ……ぁー……」

 

 

 遠方から、小さく声が聞こえた。

 

 声と、喘鳴。飢えた獣のような殺意。

 

 

 

 

 

 また呼吸を繰り返す。

 

 痛みはまた引いた。

 

 だが足は動かず、目は開かれない。

 

 

 近付く何者かの声が聞こえた。

 今度はさっきよりも、鮮明に聞こえた。

 

 

「ぁああぁ……ぁぁあ? あ?」

 

 

 人語なのかも怪しいが、人間ではあるようだ。

 だが身体に巻き付くものは、殺意だけだ。

 

 

 

 目一杯、空気を取り込んだ。

 

 手首まで動かせるようになり、足の指先がやっと動けた。

 

 しかし目は開けない。痛みはまだある。

 

 

 

「ぁあっは、は、はぁ……! 嘘だろ、はっはっは……!!」

 

 

 荒い呼吸が聞こえる。

 不気味で品のない声と共に、鼻を突くツンとした臭いに不快感が強まった。

 

 

 呼吸を取り込み続ける。

 肘が動いた。

 膝も動いた。

 

 首が曲げられる。

 痛みも消えた。

 

 

 

 誰かの声は自分の、真上から聞こえて来た。

 

 

「人肉が落ちてる……! はっはっは……!! いつ振りだよぉおぉ……!?」

 

 

 粘着した液体が顔に当たる。

 涎だと気付いた。臭いは強まり、呼吸が嫌になって来た。

 

 

 だが、何度も吸い込んだ。

 呼吸し、身体に取り入れた。

 

 

 

 

 何者かが、腕を掴んだ。

 

 

「ちと歳食ってるがよぉ……まぁ、背に腹は変えられねぇかあぁ? てか、腹が背中にくっ付きそうなんだよぉおぉ……」

 

 

 呼吸をする。

 呼吸をした。

 

 瞼を上げようとする。

 瞼を上げようとした。

 

 

「あーーーー…………」

 

 

 腕が引っ張られ、持ち上げられる。

 ぴとりと、一際大きな涎の粒が、頬に付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼吸を止めた。

 

 目を開く。

 

 

 

 

 

「ッ!!」

 

 

 何者からか、腕を引き剥がした。

 

 

「ぁ?」

 

 

 そして一瞬で抜いた太刀で、その者の伸びていた腕を叩っ斬る。

 

 

「は?」

 

 

 血が散り、切断された腕が宙を舞う。

 さっきまで大の字で倒れていた男の、腕に齧り付こうとした寸前だった。

 

 

 突然、男は目を開き、腕を引き剥がし、その場で回転して持っていた太刀で斬った。

 

 

 きぃんと、透き通った鋼の残響。

 

 起きたばかりとは思えない機敏。

 

 そして、腕一つを切断した剛腕。

 

 

 

 この男は何者なのかと確認するより先に、相手はサッと距離を取り、諸手(もろて)で刀を構えていた。

 

 

 

 閉じていて見えなかったその黒い瞳は、確固たる意思が宿っている。

 涎と血が付いた顔を拭うと、やっとの事で男は口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「尋常ではない殺気……寝込みを襲うとは卑怯者め……何奴」

 

 

 

 

 くっと睨み付ける、その男。

 

 

 牢人の袴を身に纏い、月光を輝かせる白刃を立てる男。

 

 

 機敏と残心、どこか品のある所作。少しやつれた顔付き。

 

 

 何よりも後頭部で結わえた髷が、その男は何者であったかを見事に主張していた。

 

 

 

 

 侍。

 

 主君の為、国の為に刀を振るった剣士。

 

 誉れと自らの鍛錬を重んじる、義の武人。

 

 

 

 男のその有り様は、「今は消えた侍」を彷彿とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返る森の中。

 朧月の頼りない光を必死に目に集めつつ、黙り込んだ相手に再度呼びかける侍。

 

 

「何奴かと申しておる。賊か、刺客ならば容赦はせぬぞ」

 

 

 まだ黙り込む相手方。

 暗闇の中とて、月光のお陰で輪郭は伺える。逃げた訳ではなく、その場で蹲っているようだが。

 

 

「…………」

 

 

 腕を切断したと言うのに、悲鳴が聞こえてこない。

 痛みで失神したかと思ったが、闇の中の影が立ち上がった事でその考えを打ち消した。

 

 

「──!……言わぬか!」

 

 

 言葉を荒げ、話すようにと命ずる。

 

 だが、代わりに聞こえて来た声と言えば、歯を閉めているような笑い声。

 

 

「……く、くっくっくっくくくくく……!!」

 

 

 次第に目が、闇に慣れて行く。

 相手の姿が、やっと伺えて来た。

 

 

「何を笑っておる」

 

「は、はは……! おっかねぇ〜!! 斬られたモンだから、『アイツらと同じ刀』かと思ったぜぇ〜〜……! はっはっはは!!」

 

 

 相手は一歩二歩と侍に近付き、月明かりの木漏れ日を浴びる。

 

 

 

 

 両者、そこでやっと、互いに相手と見合わせた。

 だが、侍の方が受けた衝撃は強いものだった。

 

 

「……!?」

 

 

 驚いたのは、寝込みを襲おうとし、腕を斬られた男の顔だ。

 顔中の筋肉が異様に隆起し、浮き出た血管がもはや木の根のように現れている。

 

 更には縦に裂けた、獣のような瞳孔と尖った耳が、この者が普通ではない事を自ずと悟らせる。

 

 

「なんだぁ〜オッサン!? そりゃ『タダの刀』じゃねぇかよぉ!! オドカスんじゃねぇ〜よぉおぉ!!」

 

 

 今しがた切断してやった左腕を見る。

 

 

 もう血が止まっていた。

 それだけではない。残った手で持っていた斬られた左腕を、切断面にくっ付け始めている。

 

 

「……有り得ぬ」

 

 

 斬られた腕が繋がり、また指先から動き出した。

 グーパーグーパーを繰り返し、何不自由ない事を示す。

 

 愕然とする侍の前で、男はニタリと笑う。

 熊のように鋭い歯をしていた。

 

 

「はっはっは!! この山に迷い込む間抜けとか居ンだなぁーーッ!? てめぇ、あの『鬼狩り共』と関係ねぇ奴ってんなら、なんの心配もしなくて良いんだよなぁーーーーッ!?!?」

 

 

 両手の爪がメキメキと伸び始め、針のように鋭利となる。

 侍は瞬時に、相対している男は人ならざる者だと気付く。

 

 

「おのれ妖の類か……!? 馬鹿な!?」

 

 

 理解が追いつかない内に、怪物はフッと姿を消した。

 

 

 いや、消してはいない。

 地面を這うように進み、闇に溶けようとしていた。

 

 

「ッ!!」

 

 

 離していた距離が、一瞬の隙に詰められている。怪物は既に、彼のすぐ左にまで迫っていた。

 

 敵は両腕を大きく広げ、男を包むようにして刺殺する算段だ。

 

 侍には怪物の考えをすぐに読めた。すぐ前方に転がり、寸前のところで攻撃を回避する。

 敢えて、飛び上がった敵の方へと転がる事で、無防備な腹の下へ辿り着けた。

 

 

「──ハァッ!!」

 

 

 すぐに頭上を太刀で切り払う。

 胴は仕留められなかったが、足を斬れた。

 

 傷から噴き出した血を、男は浴びる。

 

 

「はっはっはーーッ!!」

 

 

 怪物は笑いながら手で着地。背を向けた逆立ちの姿で立ち、首を反らして顔を向けている。

 あまりに不気味な姿だが、侍は臆する事なくすぐに姿勢を戻し、刀を構えた。

 

 

「速い……!」

 

「よぉおく見切ったなぁあーーッ!?」

 

 

 ぶらぶらと揺れる、怪物の足。

 男は自身が斬ったであろう、脹脛の傷を見て息を飲む。

 

 

 

 

「……んーーだーーけーーどーーもぉーー!?!?」

 

 

 みるみると傷口は塞がり、血が蒸発したかのように消えたからだ。

 残った奴の皮膚には、痕すら残っていやしない。

 

 

「オメェーーはぁ、オレに喰われるまでよぉおーー!? 絶対にオレを殺せねぇーーんだよぉなぁあ!?」

 

 

 逆立ちの姿勢のまま、怪物は器用に両足を使って、およそ拍手のようにパチパチと叩いている。

 侍は首を微かに振り、呟く。

 

 

「……信じられぬが、まこと妖怪のようだ……だが──」

 

 

 男から士気は、一向に薄れない。

 

 

 

 

「──肉を斬れた。血も出た。攻撃は当たっておる……」

 

 

 次に怪物は、逆立ちのままで駆け寄る。

 手で身体を支えて走っていると言うのに、その速さは足で迫って来た時とほぼ同じ。

 

 

「死ねぇッ!!」

 

 

 腕を曲げ、姿勢を低くした状態で足を──蹴りを入れる。

 侍は少ない動作でそれを躱すと、すぐに攻撃に転じた。

 

 

「馬鹿かオメェーーよぉーーッ!?!?」

 

 

 腕だけで跳躍をし、侍の一太刀を回避。

 

 

「んぬ……ッ!?」

 

 

 それだけではない。

 跳んだ事で自由になった奴の腕が、男の右手首を掴んだ。

 関節の仕組みを無視した動かし方だ。

 

 

「掴んだぁーーッ!!」

 

 

 手繰り寄せ、首を刺そうとする。

 

 

 

 

 だが次の瞬間、掴んだ右手首がすっぽ抜けた。

 

 

「あぁ!?」

 

 

 拘束を解いた侍は、身体をサッと横へ流す。

 怪物の攻撃は、空を切った。侍はその怪物の真隣に立っている。

 

 

「──はぁあッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

 即座に連撃を叩き込む。

 

 伸ばし切った片方の腕と、宙ぶらりんの足二本。

 

 

「ちッ……!!」

 

 

 そのまま怪物は地面に落ちる。

 落ちた瞬間、残った腕で対応しようとする。

 

 しかし攻撃の予感を察知していた侍が足蹴りを食らわせる事で、阻止させる。

 

 

 

 蹴った際に、互いにまた距離が出来る。

 

 深い呼吸を繰り返す侍と、四肢の内三つを切断された怪物。両者は互いに睨み合う。

 怪物は残った左手一本で、立っていた。

 

 

 その手に握っていたものをジロリと見る。

 

 

「……手甲(てっこう)かよ……」

 

 

 すっぽ抜けた原因はこれだ。

 侍は掴まれて瞬時に腕を引き、付けていた手甲で滑らせ、脱ぎ捨てる事で拘束を解いた。

 

 

 

 怪物は気付く。

 この男は剣技のみではなく、一瞬の判断と機転も冴えているようだと。

 

 

「……妖怪とて、仕掛けさえ知れば……恐るる必要なし」

 

 

 侍はすぐに、切断した怪物の右手と両足の前に立つ。

 

 

「繋がずば、戻らぬのだろう。なら、首を斬ればどうだ?」

 

 

 そこで初めて、怪物は悔しげな表情を見せた。

 

 

「クソかよ……! オレかて! 腹が減ってなきゃよぉ〜ッ!? こんなのすぐに生やせたんだよぉーーッ!?」

 

 

 またしても侍は息を呑む。

 

 

 斬れた腕と両足の切断が塞がり、瘤になっていた。

 そこからまるで、赤子のような指がニョキリと生えた。

 

 

「クッソォ!! こんくらいしか生えねぇーーッ!!」

 

「生やす事も出来るのか……いよいよ、本当に殺せるのか分からなくなってきたな……」

 

「あぁ、そうだッ!! てめぇら人間がオレを殺すこたぁ出来ねぇんだよッ!!」

 

「だが、おのれが口走ったのだぞ」

 

「あ?」

 

 

 侍は中段の構えを取る。

 

 

 

 

「『鬼狩り共』……つまるところ、お主を殺せるような人間が確実に有ると言う訳だな?」

 

 

 怪物はその場で飛び上がり、空中にいる間に持っていた手甲を地面に叩きつけて着地した。悔しかったのだろう。

 

 

「それさえ知れば、必ずや殺せぬ相手ではないと知れよう。自信となった」

 

「オメェーーッ!? 嫌な奴だなぁッ!?」

 

「口は災いの元だ」

 

「てか!? それ知ったところで挑むっつーのはまた別の話だろぉ!? おかしいんじゃねぇか!?」

 

 

 侍の方からすれば、この怪物は確かに人ならざる力と能力を持っているとは分かるが、頭の方はあまり良くはないと気付けた。

 

 

 だが腕一本だけとなったとは言え、手甲を投げ付けた時の跳躍は目を見張るものがある。

 

 腕一本でも動けるようだ。

 いや、切断せずに残った太腿や上腕だけでも、十分に打撃が出来る。

 

 ならば首を取るしかない。首さえとれば、もう身体は動かせないだろう。

 あの様子では、再び身体を生やすなんて事は出来ないようだ。

 

 

 

 

 冷静に状況を見据え、勝機を探す。

 

 優位な状況にあるからこそ、良く相手を知れ。

 それを怠れば、たちまち窮鼠が全てを殺す。

 

 

 

 彼はそれを分かっている。

 なぜならば、「彼が窮鼠だった」からだ。

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 冷静に相手を観察している時に、彼は怪物の目線に気が付く。

 

 怪物は悔しがり、冷静さを失っているようにも思える。

 だが時折、目線に作為を感じた。

 

 

 自分を見ていない。どこか、別の場所をちらりと見ている。

 

 

「……ッ!」

 

 

 自分の後ろだと気付く。

 ハッと背後を横目で確認し、愕然とする。

 

 

 

 

 

 斬った三本の手足が、消えていたからだ。

 

 

「まさか……ッ!!」

 

「気付きやがったなクソッ!!」

 

 

 侍の前方にある草むらから、何かが飛びかかった。

 

 それは斬ったハズの、二本の足。

 尖らせた爪を向け、侍に一斉にかかった。

 

 

「斬った後も動けたのか……ッ!!」

 

 

 何とか一本目の足を、刀を盾にして凌ぐ。

 

 だが二本目の足へと対応が遅れた。

 太刀を握る腕に裂傷を与える。

 

 

「グッ……!!」

 

 

 それでも得物は落とさず、堪えた。

 飛びかかった足がまた、侍を襲おうと構えている。

 

 

 

 

「……右手はッ……!?」

 

 

 遅かった。

 足首に走る、鋭い痛み。

 

 

 

 静かに迫っていた怪物の右手が、彼の左足首に深々と爪をずっぷしと、刺し込んでいた。

 

 

「ぐぅ……ッ!!」

 

 

 血が噴く。左足から力が抜ける。

 それでも彼は、再び飛んで来た怪物の足を凌いでみせた。

 

 

 

 しかし足の爪が、侍の腕にできた裂傷を抉った。

 

 

「グア……ッ!?」

 

 

 とうとう太刀を、落としてしまった。

 

 無様なその姿を見てケタケタと笑うは、あの怪物だ。

 

 

「はっはっはっはーーーーッ!! ぎゃ、ぎゃ、逆転だぁッ!!」

 

 

 膝から崩れる、侍。

 

 

「オレに真っ直ぐ向かって来るって予想は外したがなぁーーッ!! 本当なら首を掻っ切れたのによぉーーッ!?」

 

 

 太刀はからんと、草の上に落ちる。

 侍はそのまま、足の痛みを庇うように倒れるかと思われた。

 

 

 

 

 

「──ぬぁあッ!!」

 

 

 いや、倒れたのではない。敢えて屈んだ。

 腰に下げていた小刀を抜くと、左足に突き刺さる怪物の右手を突き刺した。

 

 

「イデッ!? ああ!? まだ刀ァ持っていたのかぁ!?」

 

 

 痛覚はまだ繋がってはいるようだ。怪物から声があがる。

 侍はその手の指を小刀で切断してやり、拘束から解放された。

 

 

「太刀を……ッ!」

 

 

 すぐ前方に転がり、太刀を拾った。

 片手で構えて、再び対峙しようと思ったものの、すぐにその考えを打ち消す。

 

 

 

 怪物の足二本が、主人の元に近付いていた。

 接合されれば、あの恐るべき機動力にまた苛まれるだろう。

 

 

「……ッ!!」

 

 

 左足に怪我を負ってしまった。これでは満足に動けない。

 太刀を握っていようが、足が動かない。今のままで果たして、勝てるのだろうか。

 

 

 

「………………」

 

 

 侍は少しだけ考え込んだ後に、敵に背を向け、すぐ後ろにあった木々の中に隠れた。

 

 

「あぁー? 今から逃げるってかぁーー!?」

 

 

 近寄った足二本を、斬られた後に生やした小さな指に近付ける。

 

 指は足の切断面と一体化し、また元通りとなってしまった。

 

 

「おーーいおいおいッ!! 逃げられる訳ねぇーーだろぉーーッ!?」

 

 

 やっとの事で怪物は、二本足で立てるようになる。

 次に斬られた手の方へ歩く。

 

 

「血の匂いプンプンさせてよぉーーッ!? しかも足怪我してよぉーーッ!? せーぜー八間まで離れられたら良い方だろがよぉーーッ!?」

 

 

 手の指を全て斬られていたが、元の箇所にくっ付ければ良いだけだ。

 

 

 足と同じく、右手を結合させ、斬られた指も戻そうとする。

 

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 

 落ちていた指を拾い集めて気付く。

 親指だけがない。

 

 

「あぁあ? どこ行った……いやぁ、良い。親指ぐらい」

 

 

 不恰好ではあるが、親指だけは諦めて、怪物は森の中へ颯爽と飛び込む。

 

 木々が隠して鬱蒼とし、視界も弱くなる。

 とは言え怪物の目は暗闇に強く、光の中を走っているのとあまり変わらない。

 

 寧ろ不利になったのは、夜に目が弱い人間──しかも手負いである、侍の方だ。

 

 

「血の匂いがする……! はぁ、あはぁ……!! この匂いがたまんねぇんだよ〜……!!」

 

 

 人喰いとしての本能だろうか。血の匂いを嗅げば、食欲が溢れ出る。

 それだけに鼻は敏感で、匂いの跡を辿ればある程度まで追える。

 

 

 袋小路に迷い込んだのは、侍だ。血を出し続ければ、いずれは弱る。

 逃げれば逃げるほど、不利だ。

 

 

 

「……ん!?」

 

 

 匂いはだんだんと近くなる。

 

 

「はっはっはっはっーーッ!! 足でオレに敵うわきゃねぇーーッ!!」

 

 

 辺りは暗い。だが問題はない。

 

 匂いは、眼前に立つ木の後ろから。

 

 

 怪物はにやりと笑う。

 さては木の後ろに隠れて、やり過ごそうとしているな。

 

 無意味だと言うのに。

 

 

 

 

「そこだぁあーーッ!!」

 

 

 怪物は飛び上がり、上手く木の裏へ飛ぶ。

 

 

 

 

 

「死ねーーーーーーッ!!」

 

 

 

 爪の先が、侍がいる箇所へ届く。

 血の匂いが強いそこへと、届いてしまった──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中を走る、一人の少年。

 額に出来た傷を押さえながら、物憂げな表情だ。

 

 

「……まだ初日……」

 

 

 波と浮雲が描かれた羽織り。それに付いた汚れをパンパンと払う。

 激戦の後と言わんばかりの様子で、些か疲れが顔にあった。

 

 

「逃げてしまったあの子は……大丈夫だろうか。足を怪我していたりとかしたら……」

 

 

 今は無事を喜ぶ暇はない。

 この森……もとい山には、まだ幾多の鬼が跋扈している。気を緩めてはならない。

 

 

「……とにかく何か……食べ物でも探そう。腹が減ったなぁ……」

 

 

 少年は鼻をくんくんと動かした。

 果物があれば良い。川があれば魚を獲れるし、水も飲める。

 土の中になら、芋もあるかもしれない。

 

 

「……これも選別の内なんだな」

 

 

 そう思いながら、必死に鼻を動かす。

 少年は人よりも、嗅覚が優れていた。

 

 生まれながらのこの特技を使い、食べ物を探し当てようと努力する。

 

 

 

 

 

 その時、一際目立つ匂いを当てた。

 生臭く鉄臭い、何度嗅いでも嗅ぎ慣れないもの。

 

 

「……! 血の臭い……ッ!!」

 

 

 誰かが襲われたか、怪我をしたのか、或いは……。

 少年はいても立ってもいられず、すぐに臭いのする方へと走る。

 

 

 

 

 草むらを掻き分け、木々を抜け、臭いのする方へと進み続ける。

 次第に臭いは強まって行き、近付いている事を悟る。

 

 

「もうすぐだ……ッ!!」

 

 

 すると臭いだけではなく、呻き声らしきものまで聞こえて来た。

 ゴクリと、緊張から生唾を飲み込む。

 

 

 

 

 眼前に立つ倒木を飛び越え、森の中で着地。

 その場所こそ、臭いの根源地だ。

 

 

 

 

「誰か襲われ────」

 

 

 サッと顔を上げ、場を確認する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかしいだろぉおがよぉおおおッ!?!?」

 

「なんなんだお前はーーッ!?」

 

「ふざけんなッ!! 抜きやがれこれをよぉーーッ!?!?」

 

 

 次には目を疑った。

 

 

 

 一本の太刀に、鬼の頭が三つ、串刺しにされて木に突き刺されている。

 そして三つの頭は口々に怒号をあげ、この場にいない誰かに呪詛を振り撒いていた。

 

 

「あ……は? え?」

 

 

 これには少年も面食らう。

 どうやら血は、この鬼たちから漂っていたものらしい。

 

 

 

 辺りを見渡すも、鬼たちの身体がない。

 首を斬り、串刺しにした後、分離した身体から遠い場所に離したようだ。

 

 いや、それだけではない。三頭とも、目を潰されている。

 いずれは再生するだろうが、喰った人間の数が足りないのか、治癒に手間取っている様子だ。

 

 

「い、一体……誰がこんな……?」

 

 

 恐る恐る近付き、何が起きているのかを調べようとした。

 

 

 

 

 

 

「そこもとッ!」

 

「うひぃっ!?」

 

 

 突然、頭上から声が響く。

 パッと見上げ、咄嗟に刀に手を掛ける。

 

 

 

 

「落ち着け。『鬼』とやらではない」

 

 

 声の主は、木の上にいた。

 少年が気付かなかったのは、血の臭いが強過ぎたからだろう。

 

 

 

 謎の人物は、黒い着物の男だ。

 少年が敵ではないと確信すると、サッと木から飛び降りる。

 

 

「だ、お、ど、どど、どちら様ですか!?」

 

「今し方ここで、最終選別とやらを受けておる『鬼狩り』か?」

 

「はい!? そうですけど!?」

 

 

 男はどこか古風な雰囲気の漂う口調をしていた。

 また髭が薄らと生えており、やつれた様子をも醸している。良く見れば着物も安っぽく、上等な物ではない。

 

 

 だが、細く鋭い目の奥に、輝かんばかりの意志を抱えているようにも感じた。

 数々の修羅場を乗り越えて来たかのような、強靭な意志を。

 

 

 

 

 

 男は一度、礼をしてから名乗った。

 

 

「名は『仁』。見て呉れそのまま……牢人だ」

 

 

 自嘲気味に呟き、緊張気味な面持ちで少年を見据えている。




・志村家の墓所は、志村城の西南にある。コオロギと蒙古以外なにもないけどね。

・志村の父と弟たちについては、「憤怒の舞」での琵琶法師の語りから。
 時頼による憤怒の舞の餌食となって討ち死にした模様。


・頭防具「なし」
 面頬「なし」
 鎧「牢人の袴」

・境井家の太刀 境井家の短刀 「強化完了」
 刀装具「嵐之一族」

・護符「なし」
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