鬼滅冥人奇譚 GHOST OF SUNRISE   作:明暮10番

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 前回のアンケートですが、予想外の回答数をいただきました。
 最多数は「参」ですが、こちらだけで225名。「壱」と「弍」でも50名超の方が参加してくださりました。
 
 選ばれた句で作られた和歌は、作中に反映させる予定ですのでまた次回も参加していただけたらなと。


邂逅 参

 太刀で串刺しにされた鬼の首が三つ。人を喰えていない故に弱っているのか、気絶からなかなか覚めない。

 炭治郎は少しずつ寄って行き、とうとう自身の刀が届く距離まで到達。

 

 

「………………」

 

 

 首は斬られているとは言え、喉仏から上が残っている。

 そこから顎下までを削ぐように斬れば、呆気なく鬼は殺せるハズだ。

 

 

 しかも今は、行動不能の状態。

 こうなれば老人の手を捻るより簡単だ。

 

 

 

 炭治郎は諸手左上段、刀をやや斜めにし、構えた。

 これから斬るのだと感じ取った仁は、彼からすぐに間合いから離れようとする。

 

 

「……あの」

 

 

 その前に炭治郎は突然、彼を呼び止めた。

 一時背を向けていた仁は、くると振り返る。

 

 

「如何した?」

 

「三人の首を……あなたの太刀から抜いてくれませんか?」

 

 

 彼の頼みを聞いた仁は、やや目を細めて眉を寄せた。

 

 

「木に刺し、お主の腕の高さに留めてもおる。斬るには容易いであろう?」

 

「気を遣ってくださって、本当にありがとうございます……でも、その……」

 

 

 仁は彼の所作を見て、内心で驚いていた。

 ずっと鬼を見据え、一切の余所見をしていない。油断や慢心はないのだと、武士である仁にはすぐ分かった。

 

 

 驚かされたのは、炭治郎の憂いに満ちた横顔だ。

 

 

 

 

「……晒し首のままは斬るのは、余りにも残酷だと思って」

 

 

 

 炭治郎は鬼を殺す気ではある。

 だが同時に、情けさえもかけていた。

 

 対極する二つの感情と共に刀を握っている。その事実こそ仁を驚かせた理由だ。

 

 

「こやつらは俺を殺そうとした鬼だ」

 

「ヘマはしません。太刀から抜けた瞬間、隙を与えずに斬ります。だから、せめて……」

 

「…………」

 

 

 あまり議論していては、鬼が目覚めかねない。

 一呼吸する内だけ沈黙した後に、一言問う。

 

 

「……討ち損じはせんと、言えるのだな?」

 

 

 彼はこくりと、緊張した面持ちで頷く。

 

 

 

 すると仁は炭治郎の前を通り、再び鬼の首を刺した、己の太刀の方へ向かう。

 柄の前に立ち、何も言わず握った。

 

 

「……俺の我儘を聞いてくださって、ありがとうございます」

 

 

 我儘を言ったのはこっちだと、内心で仁は呟く。

 それから腕に力を込め、一思いに刃を木から引き抜く。

 

 

 素早く、力強く引かれたその太刀は、木のみならず鬼らの首さえも上手く抜いた。

 

 するりと、下へ落とされる首。

 気絶していた鬼たちだが、中心に挟まるようにして刺されていた鬼のみが目を覚ます。

 

 最初に仁と対峙した鬼だ。

 

 

 

 

「──な、なんだぁ?」

 

 

 仁は炭治郎の間合いから外れるようにと、引き抜く直前に大きく地面を蹴り上げて離れていた。

 

 彼が安全圏へ行った事を確認した炭治郎は、息を吸い込んだ。

 

 

 

全集中・水の呼吸

 

 

 

 同時に、落ち行く鬼の首を正確に捉え、掬うように斬り払う。

 

 

 

 刃は、まず口裂けの頸を斬る。

 途端、落下していた彼の首は、顎下と斬り離された勢いによって一瞬だけ停止した。

 

 

「──ッ!? ふざけんなぁッ!?」

 

 

 そしてとうとう、彼の首へと瞬時に向かう。

 逃げる術はもう何もない。ただ呪詛を吐くだけ。

 

 

「てめぇら呪ってや────」

 

 

 言い切る前に、刃は残り二人の鬼の頸を、ほぼ同時に切断した。

 

 

 

 

 

伍ノ型

 

 

 

 炭治郎の技量を確認していた仁。

 引き抜いた太刀を鞘に戻そうとした時、目の前を落ち行く何かに気が付く。

 

 

「む……?」

 

 

 微雨が降っている。

 さめざめと、心地の良い感覚。

 

 

 

 

「……雨……?」

 

 

 手の平を天に向け、雨粒を受けた。

 しかし空を見上げた彼は、目を疑う事となる。

 

 

「…………?」

 

 

 夜空は、綺麗に晴れていたからだ。

 

 

 

 

 

干天の慈雨

 

 

 

 

 

 想像もつかない痛みが来るのかと思っていた。

 

 頭を吊るされたまま、慈悲なき一撃を喰らって死ぬと。

 この世に恨みを残して死ぬのだと。

 

 

「────ッ」

 

 

 不思議な感覚に陥った。

 痛みではなく、あたたかな感覚が、斬られた箇所から広がる。

 

 そして降り出した、優しい雨に抱かれるようにして、暫し宙を漂っているようにも思えた。

 

 

「──」

 

 

 痛みはない。

 口裂けと一本角は、眠ったままだ。

 眠ったまま、ほろほろと身体を崩していた。

 

 それは自身も例外ではない。

 

 

 

 かちりと、音が鳴る。

 炭治郎が刀身を鞘に収めていた。

 

 

 同時に三人の首は、地面に落ちる。

 

 

 

 首は少し転がり、視界を天へと向けさせた。

 

 

 

 

 

 

 仁は空を見上げて気が付く。

 もう雨は止んでいた。

 

 いや。手の平や顔で感じていた雨に濡れる触覚までもが、なくなっていた。

 

 

 美麗な弧を描き浮かぶ三日月が眼前に広がっている。

 

 その様は鬼もまた、仰ぎ見る事が出来た。

 

 

 

 

 深い黒に混ざる微かな藍。

 そんな紺碧なる星月夜(ほしづきよ)には、妙見(みょうけん)が浮かび、万象を見据えていた。

 

 

 星影が鬼に降る。

 

 心地の良い雨は明け、美しい空が現れた。

 

 自分は雨ざらしの中で死ぬのではないと察する。

 

 

 

「……あぁ……」

 

 

 崩れて行く頭。

 頰から無くなって行き、今や顔の左半分しか残っていない。

 

 

 身体が消える毎に、自然と恨みは消える。

 

 死を迎える心持ちが、穏やかに出来ていた。

 

 

 

 

 憎悪と空腹の底から、何かが競り上がる。

 その上がった何かを確かめるかのように、鬼は夢心地に呟いた。

 

 

 

 

「……妙見に誓ったんだ俺は」

 

 

 星空を見上げながら歩いた、東海道。

 

 

 

 

「俺は逆立ちが得意なんだ」

 

 

 逆立ちのまま歩いてみせると、村の皆は喜んだ。

 

 

 

 

「軽業師になってよぉ、この星より沢山の客の前で、大江戸を逆立ちで踏破してやんだ」

 

 

 腕が折れても、治れば何度も挑戦した。

 

 腕の食い違いは元からだ。何度も折ったから、そうなったんだ。

 

 

 

 

 

 

「そんで金持ちになって……あぁ。なんでよぉ」

 

 

 目が崩れ、鼻が消え、口だけが残った。

 

 

 

 

「こうなっちまったんだか────」

 

 

 とうとう全てが、崩れ去る。

 

 地面に並んでいた三つの首は、消え果てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仁はハッと我に返り、太刀をやっと鞘に収める。

 奇怪な出来事に、暫し呆然としていた。

 

 

「……今のは……?」

 

 

 確かに雨が見えた。濡れる感触もした。

 

 だが痕跡一つもなく、夜空はずっと晴れている。

 何が起きたのか分からない。

 

 

「……幻覚か?」

 

 

 それに鬼が今際の際に残した、穏やかな言葉も含めて、理解に至れない。

 星を見ていたようだが、月が良く出た夜に星など伺えまい。

 

 

 

 

「……終わりました」

 

 

 炭治郎は一度深呼吸をしてから、残心の後に構えを解く。

 相当緊張していたのか、汗が多く滲んでいる。

 

 仁は一旦だけ疑問を置いておき、炭治郎に歳を聞く。

 

 

「……お主、歳は?」

 

「本歳、十五です」

 

「十五……」

 

 

 仁は信じられないと言わんばかりに、首を振る。

 

 

「無駄のない、見事な一閃だ。あれをお主の歳で成せるとは、まこと信じられぬほど……その技量ならばこの選抜とやらも超えられよう。そうであらずとも、どの武家にも召し抱えてもらえる」

 

「そんな、滅相もないです……え? ぶ、武家?」

 

「型も良く整っておったが、あれを我流では会得出来ぬであろう。師は誰だ?」

 

 

 炭治郎はやや嬉しそうに、師匠の名前を言う。

 

 

「『鱗滝左近次』さん。ご存知ですか?」

 

 

 聞いた事のない名前だと、首を振る。

 

 

「されど、猛き武士であろう事は知れる。真に道を極めた者は、伝え方も上手いと聞く」

 

「死にかけましたけど……」

 

「いやはや……凄まじきものを見たせいか、妙な幻に囚われてしまった。俺も精進せねばな」

 

「え?」

 

 

 仁の言葉に炭治郎は違和を感じ、目をぱちくりと瞬かせる。

 

 

「あの、仁さん」

 

「なんだ?」

 

「仁さんが見たものは、あの、『呼吸のアレ』です……あ、そっか! 鱗滝さんを知らないんでしたら、『水の呼吸』は初めてなんですか!?」

 

「……何を申しておる?」

 

 

 全く彼には意図が伝わっていないようで、炭治郎は身振り手振りを交えながら必死に言葉を尽くす。

 

 

「だからあの、呼吸と一緒にガーッて構えると、オオーッて感じで、そしたら潮とか雨とか見えるとか何とか……」

 

「………………」

 

「分かりました?」

 

「いや……」

 

 

 余計に仁を困惑させるだけのみならず、炭治郎自身も自分で言ってて分からなくなって来た。

 渋い顔を見せた仁の様子に焦り、結局絞り出した言葉は、これだ。

 

 

「呼吸の、アレです!」

 

「それは最初に申しておったぞ……呼吸は呼吸であろう。息を吸い、吐く事か?」

 

 

 だが寧ろ、ここまでの問答で炭治郎の方が察した。

 

 同時に驚かされる事となる。

 

 

 

 

「……まさか仁さん……『全集中の呼吸』を、習得していない……とか?」

 

 

 彼はこの単語でさえも、怪訝そうに顔を歪めるだけだった。

 

 

 

 

「それは如何様(いかよう)なものだ? 技か?」

 

「……嘘ですよね?」

 

 

 唖然とする炭治郎。

 その理由を聞くよりも先に、葉と枝が擦れる音が響く。

 

 

「ッ!?」

 

 

 二人は同時に音のした方へと身体を回し、柄に手をかけ構えを取る。

 

 嗅ぎ付けて来た鬼かと、警戒した。

 

 

 だが現れたのは、一匹の狐だ。

 豊かな毛を蓄えた尻尾を振り、キョトンと二人を見やる。

 

 

「鬼ですか!?」

 

「狐だ」

 

「きつ……!? び、吃驚(びっくり)したぁ。全然匂いがしなかったから……」

 

 

 思い出したかのように、炭治郎は自身のひたいを触る。

 

 

「狐……あぁ。鱗滝さんのお面、壊しちゃったなぁ……」

 

「これは縁起が良いな」

 

「へ?」

 

 

 心なしか、嬉しそうな物言いの仁。

 構えを解き、緊張を解すと、狐のいる方へと歩き出す。

 

 

 狐は近付く仁より少し距離を取るものの、すぐ彼を待つかのように立ち止まり、くるりと振り返る。

 

 

「狐はどこです?」

 

「そこにおろう」

 

「……? 見えないですけど……」

 

「狐は神の使いと聞く。俺の故郷では、追えば良い事があると伝わっておる」

 

「追いかけるんですか?」

 

「マシな食べ物のある所へと導いてくれるやもしれんな。何にせよ、ここにいつまでも留まる訳にはいかぬ」

 

 

 そう言ってからまた、彼は歩き出した。

 炭治郎を背にして進む仁だが、その背からは腕と足首が見えた。

 

 切られたような、突き刺されたような。とにかく、深そうな生傷がある。

 

 

「仁さん、怪我していますよ!?」

 

 

 彼は足を止め、思い出したかのように腕の傷口を見やる。

 

 

「……そう言えば鬼に斬られたな。足も」

 

「手当てしないと……」

 

「いや、無用だ」

 

 

 少しだけ微笑みを見せてから仁はまた、前を向く。

 

 

 

 

「昔から傷の治りは早くてな」

 

 

 狐は二、三回飛び跳ね、彼を急かすかのようだ。

 仁が近付けばまた先導し始め、どんどんと暗い森の中へと進んで行く。

 

 合わせて仁も、木々が作り出した闇の中へと溶けて行く。

 

 

「でも仁さん! 破傷風がとても心配ですから……あっ! ちょ、ちょっと待っててください!」

 

 

 追いかけようとした炭治郎だが、思い出したように足を止め、くるりと振り返る。

 

 

 

 彼が目をつけた所は、鬼の首が落ちていた場所。

 痕跡は何も無いが、自分が引導を渡してやった事は確かに覚えている。

 

 

 炭治郎はすっと手を合わせ、黙祷を捧げた。

 

 

「………………」

 

 

 弔いを終えると、また決意に満ちた目を見せる。

 また踵を返し、仁を追おうとした。

 

 もう彼の姿は狐と共に見えなくなっていたが、問題はない。

 彼は鼻が良く効く。匂いを辿れば、余裕で追いつけるハズだ。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 鼻をすんすんと言わせ、仁の匂いを探る。

 狐の匂いは嗅ぎ取れなかったが、仁のものは覚えていた。

 

 

 しかし一頻り探った後に、目を丸くして立ち止まってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「……匂いが消えてる……?」

 

 

 闇に消えた仁からも、痕跡が消えていた。

 炭治郎は狐にでも化かされたかのような気分で、辺りを見渡すばかり。

 

 

 

 

「……あの人。呼吸も……鬼殺隊どころか、鬼の存在も知らない様子だった」

 

 

 刀も、炭治郎の待つものと同じではなく、鬼を殺せない「通常の太刀」だ。

 それで勝ったと言うのだから、呼吸による賜物だろうと予想はしていた。しかし──

 

 

「てっきり、呼吸と型を習得してるから鬼に勝ったと思ってたけど……」

 

 

 仁は呼吸の存在も知らない様子だった。

 となればまた、話は変わる。

 

 

「呼吸も『日輪刀』も使わずに、鬼と今日初めて対峙して……待て待て。しかも三人を相手に勝ったって事なのか……?」

 

 

 あの男は鬼を殺す術も技も、物も持ち合わせていなかった。

 

 それで勝った。

 自分でさえも、動揺と鬼の力に負け、危うく死にかけたと言うのに。

 

 

 

 

 

 

「……何者、だったんだ……?」

 

 

 よもすれば、何と言う強さだろうか。

 炭治郎は不意に、彼をこう喩えた。

 

 

 

 

 

 あまりにも──「鬼」のように強い人だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは山中にある、渓谷。

 その谷の狭間では、黄色い髪をした少年がベソかきながら歩いていた。

 

 

「死ぬってぇーーッ!! 飢えて死んじゃうってこんなのぉーーッ!! え!? これまだ一日目ッ!? おかしくないッ!? 厳し過ぎじゃないのッ!? もう殺す気でしょコレッ!? 鬼殺しじゃなくて人殺しでしょッ!? えぇーッ!?」

 

 

 傷が目立つものの、案外元気そうに叫んでいる。

 

 夜は次第に、暁天へと移ろうとする。

 少年が経験して来た史上で、一番長い一夜だった事は明白だ。

 

 

「ホントもう訳分かんないよぉッ!! 首無しの鬼三体が襲って来たと思えば勝手に身体崩れて死んだしッ!! なにアレッ!? ただの悪戯なのッ!? あれも選別の内ッ!? 趣味悪過ぎないッ!?」

 

 

 土石流のように止まる事を知らず、吐き出され続ける愚痴。

 空腹でひっきりなしに鳴り続ける腹と、寝ずに夜を全うした疲れが一気に襲いかかる。

 

 残った気力も雄叫びで消えそうなものだが、以外と足取りは軽やかだ。

 

 

「ああーーもーーッ!! とにかくお腹空いたのよ俺ぇーーッ!! 魚いるかな思ったけど全然いないじゃんこの川ぁッ!! 川の義務果たせよッ!?!?」

 

 

 ここまでの鬱憤と願望を彼は、明け始めの空に目掛けて撃ち放った。

 

 

 

 

「いっそ空から米俵でも降って来ておくれーーッ!!」

 

 

 

 

 

 ボトッと、何かが眼前に落ちる。

 

 

「え。嘘ぉ」

 

 

 祈りが通じたのかと、落ちた物を見やった。

 

 

 

 

 ぐしゃぐしゃに潰れた、鬼の顔だった。

 

 

「────────」

 

 

 声にならない叫び声をあげる彼の手前。

 潰れてほぼ肉塊となった鬼は、残っていた口で震えながらも声を出す。

 

 

 

「おかしい、あの男……なんなのだ……本物の、鬼か……?」

 

 

 それだけ言い残し、気絶する鬼。

 

 

 傍らで少年も、白目剥いて気絶していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜は明け、日の出が訪れる。

 森の中にいた鬼は、対峙していた者に首を斬られていた。

 

 

「ギッ……!?」

 

 

 次には手足をも切断され、何も出来なくされる。

 流れるような剣戟だ。日輪刀ではないが、あっさりと肉を切り離してしまう太刀の切れ味も恐ろしい。

 

 

 その者は鬼の髪を掴むと、それを持って森を出ようとする。

 

 

「ま、待ってくれッ!? 日の光だけは────」

 

 

 命乞いを無視し、森の外へと鬼の首を投げた。

 

 鬼が日の中へと到達した瞬間、その首は炭のように黒く焦げ始める。

 

 

「ぎゃあぁああぁぁッ!?!?」

 

 

 最後の叫びを無様にあげながら、まるで焼け焦げたかのように首はぼろぼろ崩れて消えた。

 

 同じく残っていた身体も、塵となり霧散する。

 

 

「骨も残らんのか。死体の処理には困らぬな」

 

 

 彼は踵を返し、振り向く。

 

 少し遠くの方で、狐が尻尾を振って男を待っていた。

 

 

「安心するが良い。鬼とやらは俺が討ち取った……炭治郎と逸れていなければ、もう少し楽だったのだがな」

 

 

 狐の元へと行くと、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねて道案内を続行する。

 男は生い茂った草を掻き分けながら、後を追い続けた。

 

 

 

 

 暫く歩く。既に太陽は、現れ切っていた。

 暗い森にも、木漏れ日が差し込み明るく照らされて行く。

 

 

 闇ばかりで何も見えなかった森は、深緑に満ちた綺麗な場所だと気付ける。

 地面に斑に映される木漏れ日を踏み、草を掻き分け、狐を追う。

 

 

 

 

 

 すると、次第に揺蕩う甘い匂いに気が付いた。

 

 

「ん……? これは……」

 

 

 嗅ぎ覚えのある匂いだ。

 彼が正体を思い出そうとする前に、眩く注ぐ、暖かそうな陽だまりの中へと狐は消えた。

 

 そこは森の出口のようだ。

 あと一歩で出られる時に、やっと彼は思い出す。

 

 

 

 

 

「……藤だ。藤の香りか────」

 

 

 

 匂いに誘われるようにして、森を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは、崖の上。

 眼下には、有り得ない光景が広がっていた。

 

 

「……おぉ……!」

 

 

 影から日へと現れたその男とは、境井仁だ。

 仁は崖の上へと進み、その場で正座をする。

 

 

 

 

 藤だ。

 

 山を囲むかのように生え並んだ藤の木が、一望出来た。

 

 垂れて揺れる薄紫と白の花々が、風に揺れて香りを乗せている。

 

 

 藤は山の麓まで広がっていた。

 

 崖からは深緑の木との境目までが、くっきり良く見て取れる。

 

 

 

 彼方の青嵐(せいらん)にさえ、花の色が移っている。

 それは宙に漂い、紫苑の不知火(しらぬい)を上げているようだ。

 

 

 空には微か見える三日月。

 辺りを暖かく照らす陽光。

 

 やや寒い風が吹き、藤花の匂いが渡り立つ。

 

 更に彼方には、紅葉も伺える。

 それを見れば、今が秋なのだと思い出せる。

 

 

 

「……今は秋。藤の咲く季節ではないが……これほどの、返り花は……」

 

 

 見た事はない。

 

 言葉ももう継げぬほど、麗しき景物に心奪われていた。

 

 

 

 暫し仁は、極楽と見紛うこの光景を楽しむ事にする。

 太刀を腰から取り、膝の前へと丁重に置く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 仁はまず、改めて山々を見渡してみた。

 

 

「望むれば」

(遠くを眺めてみれば)

 

 

 

 

 

 一層強い北風が吹き、藤が波打ち始める様を見る。

 

 

藤波(ふじなみ)とをらふ (かり)渡し」

(秋の風が 藤の花を波立たせるように唸らせている)

 

 

 

 

 

 吹いた風は崖を駆け上り、仁に当たる。

 

 

「幾夜の四苦も 吹き()くなめり」

(多くの夜に受けた苦しみも 風が巻き上げてしまうようだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 一句読み終え、ふぅと息を吐く。

 やっと心が落ち着けたと、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い詩を詠むな」

 

 

 背後から突然投げかけられた、男の声。

 仁から笑みが消える。

 

 

「藤波での字余りで春の季語を強調しながら、秋の季語たる雁渡しも使う。一年中、藤が狂い咲くこの山でこそ詠える句だ。素直に褒めてやる」

 

 

 即座に太刀を取り、鞘から抜く。

 白刃を立て、地面を蹴って振り返る。

 

 

「気になるのは三つ目の句だ。お前が受けた苦しみとやらは、痛みとやらは、どの程度でしかないのか」

 

 

 

 背後には誰もいない。

 声は、木の上からだ。

 

 

「しかし日輪刀を持たず、呼吸も使えない天性の馬鹿かと思えば、意外と風流な奴だ。そこは認めてやるが、正直気持ち悪い」

 

 

 仁はくっと、木の上を見た。

 白蛇が枝から垂れ、こちらを睨んでいる。

 

 

「蛇……!?」

 

「気配も悟れないのか。その上だ」

 

「ッ!」

 

 

 蛇がその身体を巻き付けていたのは、枝ではない。枝の上で垂れるように寝ている、青年の首にだ。

 

 

「選別用に撒いた鬼を、『九匹』狩ったな。どれも餓死寸前の雑魚ばかりだが」

 

 

 その青年は垂らした前髪で右目を、更には布で口さえも隠している。

 風貌だけではなく、蛇のように据えて瞬きもしない大きな左の瞳が、何とも不気味だ。

 

 

 

 

「聞きたい事は三つ。まずお前が何者か。そして目的……まさかここで和歌を詠む為ではないだろ」

 

 

 前髪の隙間から、右目が見えた。

 

 

 

 

 

「そして何より……どうやって『俺たち』の目を掻い潜り、山に入れたのか」

 

 

 その右目は琥珀のようだ。

 この男、左右で目の色が違うようだ。

 

 

 

「……何奴だ」

 

「こっちの台詞だ」

 

 

 

 

 一際大きな風が吹き、藤の花々を巻き込んで突き進む。

 それは崖を擦って登り、仁の背後で舞い上がった。

 

 

 

 ひらりひらりと落ちる藤花の中で、仁はその男を見据え続ける。

 

 

 

 

 

 

「答えろ」

 

 

 

 男は見せつけるように、己の刀の柄を手に取る。




・『仰天の鉢巻き』を入手
 望むれば
 藤波とをらふ 雁渡し
 幾夜の四苦も 吹き捲くなめり
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