鬼滅冥人奇譚 GHOST OF SUNRISE   作:明暮10番

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邂逅 終

 鞘を握る手を、仁は段々と強める。

 

 突如として現れたその青年は、木の上で身体を起こし虎視眈々と睨んでいた。

 さながら獲物を捉えた、蛇が如し。

 

 

 持ち上げられた藤の花が、紅葉と共に舞う。

 秋暁(しゅうぎょう)の山々、彼方を朝靄(あさもや)が包み、鴉は空を飛ぶ。

 

 

 

 仁の前をひらり、紅葉が落ちる。

 

 

「……名は……」

 

「名前はどうでも良い。所属と目的と、山に入った方法だけ言え」

 

 

 

 

 青年の前をひらり、藤が落ちる。

 

 

何処(いずこ)にも属してはおらぬ。俺は目的もない、根無し草だ」

 

「根無し草が鬼を殺せるか。戯けるだけなら酒の席でやれ」

 

 

 

 

 強く地を踏み締めつつ、柄を握っていた左手の親指を、縁金(ふちがね)に当てた。

 

 

「よせ。山中で起きるまでの覚えがないのだ。斬り合う要は無い」

 

「起き抜け見れば山にいたと? なんだそれは。童子でももう少しまともな嘘を吐ける」

 

 

 

 

 首に絡み付いた蛇が、頭を青年の肩に乗せる。

 

 

「嘘ではない。真だ」

 

「先から『ない』だの『なし』だのばかりだ。言葉も尽くせなくなったのか? 良く和歌を詠めたな」

 

 

 

 

 仁はその瞬間、「話し合える余地なし」と判断した。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 青年は木の上で立ち上がった。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 宙の中を踊っていた紅葉と藤が、ひたりと地に落ちる。

 

 風が止んだ。

 仁は親指で縁金を弾き、刃を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを合図かのように、仁は鞘から太刀を抜く。

 同時に青年も、柄にかけた手を引いた。

 

 

「む……!」

 

 

 仁はまず、彼の抜刀に驚かされる。

 

 鞘から抜くと言うよりも、「持ち上げる」と言う表現が似合った。

 と言うのは、彼の持つ刀は鞘の口を介さず、そのまま上へ刃を引っ張り出す。

 

 

「……!」

 

 

 最初、仁は鞘をすり抜けて刀身が出たのかと錯覚した。

 そうではない。彼の鞘は、筒と言うよりも入れ物と呼ぶ方が自然だ。

 

 

 

 鞘の上面全てが蓋だ。刀身はその蓋の下にある溝に挟む形で格納されていた。

 なので柄を持ち上げるだけで、蓋が開いてすんなりと刀身が引きずり出せる仕組みだ。

 

 

 

 

 

 

 だがまず仁は、最初から全てを一瞬で把握し切れなかった。

 

「刀が鞘をすり抜けた」……と思った刹那、木の上にいた青年が消えたからだ。

 

 

 

 

「その刀は────」

 

 

 気が付けばその青年は、仁の真下にいた。

 

 

 

「──ッ!?」

 

 

 放たれた一撃を、仁は何とか太刀で受けて凌ぐ。

 透き通った鋼の音が空に散った。

 

 

 

 

「──ほぉ」

 

 

 感心したような声をあげながらも、青年は攻撃をやめない。

 一撃目を塞がれたと気付くと、即座に次は角度を変えて二撃、三撃目を叩き付けた。

 

 連撃される隙を許してしまった仁だが、何とか攻撃を紙一重で受け流す。

 

 

「ぐ……ッ!!」

 

 

 しかし次第に後ろへ、後ろへと退いてしまう。

 背後は崖だ。もう踵が浮いている状態にまで陥っていた。

 

 

 

 

「この程度か?」

 

 

 青年は腰を落とし、脇構えを見せ、容赦無く斬り払う。

 構えから斬るまでの速度さえ、風が如く。常人ならば反応出来ず、斬られてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 だが仁もまた、達人と称せんばかりの腕の持ち主。

 彼が構えを取った一瞬で軌道を読み、回避の姿勢を取る。

 

 

 

 

「────!」

 

 

 男に手応えなし。

 

 

「──跳んだか」

 

 

 仁は青年の斬り払いを、大きく跳躍する事で回避した。

 攻撃が膝ほどの高さだった事が幸いだ。

 

 

 跳び上がり、太刀を構えた仁。

 そのまま振り下ろし、斬り捨てようとする。

 

 

 

 

「──ふ……ッ!」

 

 

 回避されたと知るや否や、青年は刀を持ち上げて防御姿勢を取った。

 

 ガキンと、白刃と白刃がぶつかり合い、すぐに離れる。青年がやっと、後ろへ跳んで間合いを取ったからだ。

 

 

 仁はまた地面に足を付けたが、そこは際どい崖淵。着地と同時に片足がずるりと、落ちる。

 

 何とか片足で踏ん張れたものの、思わず肝を冷やした。

 

 

 

 

「……豪胆な奴だな」

 

 

 そんな彼の有り様を、青年は左目を突き出すようにして睨む。

 

 

 

 

「………!」

 

「もう少し後ろに跳んでいれば奈落の底だ。或いは俺が押し上げていたならばも同様だ」

 

 

 仁は足を引き上げてから、太刀を構え直して顔を上げる。

 表情には、驚きが混じっていた。

 

 

 

 

「……おのれその刀……どのような造りとなっておるのだ……?」

 

 

 青年は見せ付けるように、刀身を寝かせる。

 

 

 

 

 

 その刀はまるで、波打つように唸っていた。

 更にはどうにも、諸刃のようだ。

 

 およそ仁にとって、見た事のない形状の刀身だった。

 

 

 ここでやっと仁は気付く。

 あれほど唸っていては、鞘に入れては引き抜けまい。だから刀を持ち上げ、蓋から出すようにしているのかと。

 

 

 

 

 思い出せば自身に迫って来る時の動きも、地を素早く縫う蛇のようだった。

 まさに何から何まで蛇のような男。唸った刀もまた、それを体現しているのか。

 

 

 

 これまで数多の手練れと戦って来た仁だが、彼のような奇抜な剣客は始めてだ。

 

 

「この世に一つしかない刀だ」

 

 

 青年は姿勢をまた低くし、構える。

 

 

「俺の型に合った刀だが……『お前に合わせたせいで使い難く』感じた。鍛錬せねばな」

 

「………………」

 

 

 彼が強調した、「お前に合わせたせいで」。

 すぐにその言葉の真意を察する事が出来た。

 

 

 

「……手加減したと、申すか?」

 

「あぁそうだ。手加減してやったんだが?」

 

「………………」

 

 

 嫌味を込めた物言い。仁は細目で彼を睨む。

 

 

「呼吸も使えぬのだろう? 俺が本気で斬りかかっていれば、先の一撃でお前は斬られていた。最後の攻撃も、跳んで躱せるようわざわざ膝の位置に落としてやった」

 

「………………」

 

「わざわざ合わせてやったのは、殺さず生かし、『聞く為』だ」

 

 

 秋風が冷たい朝だと言うのに、仁は汗を多量にかいていた。

 対して青年はまだ、一滴の汗もない。

 

 

 

 

「疲れさせ、太刀も持てぬほどまで追い込む。その後じっくり『話し合い』に持ち込んでやる」

 

 

 口を布で覆っていると言うのに、呼吸にも乱れがない。

 明らかに仁と彼とでは、体力にも差がある。

 

 このまま押し合いへし合いを続けていれば、折れるのは仁の方だ。

 仁は、彼の際限のない体力に驚かされる。

 

 

「………………」

 

「殺される事はないと安心したか? 良かったな」

 

「………………」

 

 

 仁は口を曲げ、少しだけ顔を落とした。

 

 

 

 

 

 打ちのめされ降参するのか、無謀にもまだ挑むのか。

 

 左目で睨むようにして注視を続ける彼の前で、また仁は顔を上げる。

 

 

 

 口元に、不敵な笑みを浮かべて。

 

 

「……!」

 

 

 今度は青年の方が、驚かされる番だ。

 

 

 

 

「その呼吸とやらが使えぬからと加減するのであれば……余計な世話であったな」

 

「……なに?」

 

 

 仁は諸手上段の構えを取る。

 

 

「手加減無用」

 

「は?」

 

 

 遠くの朝靄は藤色に、炎が立つかのように染まっている。

 そんな紫炎を背に、仁は上げた腕の下から青年を睨む。

 

 

 瞳に絶望の色はない。自信と、希望に溢れている。

 

 

 

「加減されるほど、俺は柔ではない」

 

 

 一瞬青年には、彼の言っている事が理解できなかった。

 

 

「……何を言っている。息も乱れ、多量の汗をかいている者が言う言葉ではない」

 

「人ならば、当たり前だ」

 

「攻撃を受け流す事で精一杯だっただろ。虚勢を張るな」

 

「ならば試せば良かろう。お主の実力が俺より上ならば、一息の内に終えられよう」

 

「………………」

 

 

 どう言う腹づもりなのかと、青年は読めなくなった。

 

 挑発し、油断を誘おうとしているのか。生憎それに乗るほど、彼は容易い人間ではない。

 

 

 

 しかし何か不穏だ。

 青年は十分な警戒心を抱き、ある程度まで手加減を解いた。

 

 

 

「……向こうひと月、立てないと思え」

 

 

 

 仁は何も言い返さない。

 全く挑発に乗らない点は、青年も内心で感心していた。

 

 

 

「意志は堅いか……ならば──」

 

 

 真上で、鴉が弧を描いている。

 仕掛けたのは二人、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

「「参る」」

 

 

 

 

 

 

 刀を構え、両者一気に間合いを詰めた。

 青年は這うように、仁は突っ込むように迫る。

 

 

 

 

 二人の刃が噛み合い、弾かれるように離れた。

 

 青年は間髪入れず、二撃目を見舞う。

 やって来たその攻撃を、仁は受け流そうとした。

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 目を疑う事となる。

 

 

 太刀筋が、「唸った」。

 まるで生き物のように唸り、構えた太刀を避けて仁に襲いかかる。

 

 

 

 

「──ぅお……!?」

 

 

 即座に後方へ転がり、回避。

 しかし彼は攻撃の手を緩めない。そこから更に追撃を図った。

 

 

「速い……!!」

 

 

 その一閃、獲物を追う大蛇が如く。

 

 大きく上へ下へと唸りながら、切先を仁の元へと向かわせた。

 

 

 

 仁は両足が地面に着いたと同時に、今度は横へ転がる。

 さっきまで自分がいた場所を、青年の刃が通った。

 

 

 風が起き、紅葉と藤がまた散る。

 それを合図とするかのように、仁は攻撃に転じた。

 

 

 

「────フ……ッ!!」

 

 

 迫る、青年の攻撃。

 仁は態勢を取り戻した瞬間、予測不能のその攻撃を迎え撃つ。

 

 

「……ッ!」

 

 

 地面上でしゃがみの姿勢を取っていた仁。

 途端、地面を蹴るように前へ飛ぶ。

 

 

 身体を逸らしたまま腰を捻らせ、横に一回転。

 その回転の威力で以て、斜めから斬りかかった。

 

 

 

 すぐに青年は対応し、攻撃を受け流す。

 

 

「う……!!」

 

 

 勢いを流されてしまった仁は、前のめりに転びそうなところを片手で支えた。

 頭も下がり、地面に着きかねない。

 

 

 

 

「弱い」

 

 

 彼が見せた隙を逃さず、青年は一閃を放つ。

 円を描くように唸り、彼の攻撃は噛み付くようにして仁へ迫る。

 

 

 

 だが刃は当たらなかった。

 

 無様な姿勢で身体を支えていた仁。

 片手を地面に当て、そのまま片足を曲げて浮かせる。

 

 

 

 

「ぐぅ……ッ!?」

 

 

 仁は転んだのではない。構えていた。

 

 片手で身体を支えつつ、曲げていた足の底を青年に向ける。

 そして勢い良く伸ばし、攻撃が当たる前に青年の腹を蹴り上げた。

 

 

「……ッ! こいつ……ッ!!」

 

 

 腹を蹴られ、たじろいだ。

 即座に仁は地面を手で押すようにして、身体を起こす。

 

 

 

 

 起き、立ち上がった彼は片手脇構えの姿勢を取っていた。

 顔の前に添えた逆の手の下から、鋭い目が伺える。

 

 

 

 青年は蹴られた衝撃を耐えるのではなく、流れるがままに後ろへ身体を逸らす。

 

 

 直後、仁から放たれた逆袈裟斬りが眼前を通る。

 恐るべき速度だ。文字通り、風を切る音が響いた。

 

 

 

 

 だが、斬り上げた事で胴体はガラ空きだ。

 これは大きな隙だと悟った青年は、倒れかけた身体を足で踏ん張り、姿勢を制御。

 

 そのまま仁の胴を狙い、斬る。

 

 

 

「う……!?」

 

 

 驚きの声は、青年から発せられた。

 

 仁は振り上げていた太刀を、即座に振り落としていた。

 迫らせていた刀はその一刀をぶつけられ、地面へと叩きつけてしまう。

 

 

「誘われたか……ッ」

 

 

 胴体をガラ空きにさせ、斬りかからせたようだ。

 仁は、「必ず胴を狙う」と予想し、同時に次の太刀筋さえも読む。

 知らずに迫った青年の刀を、上から叩き落としてやった。

 

 

 

 だが予想していた、読んでいたからで行える芸当ではない。

 目一杯振り上げた太刀を、また目一杯振り下ろす訳だ。その切り替えにさえ、相当な腕力を要するだろう。

 

 それだけではない。

 相手の放つ一閃を、的確に当てる瞬発力さえ必要となる。

 

 

 

 

 この一撃を以て、青年は彼を「柔ではない」と認め────

 

 

 

 

「──いいや認めない」

 

 

 

 

 自分は誘われ、そして攻撃が阻止されたと判断すると、刀を引くようにして後転。

 直後、仁が刃を立てて放った逆袈裟斬りが、彼の鼻先を掠めた。

 

 

 

 

 後方へ転がり、屈んだ状態で立つ。

 

 

「──この刃は諸刃。峰はない」

 

 

 追撃を試みようとする仁だが、彼から醸される空気の違いを感じ取り、足を止めた。

 

 

「……ッ!」

 

「故に峰打ちなどは出来ない。殺さず生かせるには、手加減する他なかった」

 

「この圧はなんだ……!?」

 

「お前、手加減無用と言ったな?」

 

 

 青年がぎろりと、顔を上げて睨む。

 首に巻きついていた白蛇が、しゅるりと細い舌を出した。

 

 

 

 

 

「──男に二言はないと誓え」

 

 

 彼の着る縦縞模様の羽織が、裾から膨れて浮く。

 

 

 

 

 

 瞬間、刀を構えつつ突撃。

 彼が刀を振るった瞬間、仁は目を疑う事となる。

 

 

「ッ!?」

 

 

 二匹の白蛇が、青年の背中から飛び出した。

 ただの蛇ではない。人間など、簡単に丸呑み出来てしまう程の巨躯。

 

 そんな大蛇が、大口を開けて交差し絡み合いつつ、あっという間に仁へと迫る。

 

 

「蛇だと……ッ!? これは……ッ!?」

 

 

 地と空を這い、飛び上がり、左右から同時に喰らいつかんとする。

 白き大蛇の鋭き牙が、毒を纏った舌が、仁の眼前を遮った。

 

 

 

「──惑わされるなッ! 元は一つの刀ッ!!」

 

 

 気迫に飲まれかけたところを、叫んで己を鼓舞。

 仁は後ろへ飛びながらも、真正面から蛇の牙に立ち向かった。

 

 

 

 蛇は不規則な軌道を描き、噛み付くように仁と衝突する。

 左頬が切れ、血を吹き出す。

 

 

 

 

 だが仁の太刀は、青年の刃を受け止めていた。

 

 

「──ッ!?」

 

 

 動揺するも、隙にはしない。

 受けられたと気付くや否や刀を引き、二撃目を叩き込む。

 

 三日月の弧を描くように、一匹の大蛇が絡み付こうとする。

 仁は何とか太刀をぶつけ、直撃する前に打ち消してやった。

 

 

 甲高い衝撃音が響き、均等な力の反発を差し合せ、互いが仰け反る。

 即座に仁は後ろへ転がり、距離を取ろうとした。

 

 

 

 

「うぉ……!」

 

 

 だがその先は、崖淵。

 回避に専念するあまり、距離を測りそびれたのか。

 

 つま先一つで二秒ほど踏ん張るものの、限界だったようだ。

 

 

「…………!」

 

 

 

 

 

 そのまま仁は、崖下へ頭から落ちて行く。

 

 

「間抜けめ……! 自分から死んでどうする……!」

 

 

 姿が消えた彼を視認した後、青年は呼吸を整えながら崖の方へ走る。

 間に合わないかと、諦めが脳裏を過ってはいたが。

 

 

 

 一瞬の間に仁のいた箇所へ辿り着き、下を覗き込む。

 眼下には地面を覆わんばかりの木々の群れ、見当たらず。

 

 崖下までは推定で、十七(けん)(約32メートル相当)。

 間違いなく人が死ぬ高さ。

 

 落ちてしまえば、生存は絶望的であろう。

 

 

 

 

 

 だが青年には、違和感があった。

 

 

「落ち切るまでが早過ぎる……────ッ!!」

 

 

 気付いた頃には遅い。

 彼から見て右手の方を、瞬時に向く。

 

 

 

 

 そこには崖にある窪みを掴み、太刀を向けてへばりつく仁の姿。

 落ちてなどいない。落ちたフリをしていた。

 

 

「ぐ……ッ!!」

 

 

 対応する隙はない。

 身体を引き、刀で受け流そうとした頃には、崖から飛び出した仁が太刀で突いていた。

 

 

 

 右頬を切り、流れ飛ぶ血。

 眼前には虎視眈々と青年を睨む、仁の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 青年は距離を離した後に、信じられないものを見るかのような表情で右頬に手を置く。

 手の平に付いた湿った感触が自分の血だと、認識する。

 

 

 巻きついている白蛇が、心配そうに傷口を見ていた。

 そして青年は愕然とした様子で、仁を見ている。

 

 

 

 

 彼は刃に付いた血を、太刀を払う事で散らす。

 また諸手で構え、何度でも立ち向かおうと言う意思を示した。

 

 

 だらりと垂れる、左頬の傷はそのまま。

 奇しくも二人は、左右逆ではあるものの、同じ箇所に傷を付けた訳だ。

 

 

 

 

「……器用にして、随分と汚い手を使う奴め」

 

 

 青年は前髪で隠れていた、自身の右目を見せつける。

 

 

「この目の事、良く気付いたな」

 

 

 頬から落ちる血を、仁はやっと拭う。

 

 

 

 

「俺を睨む時お主、左目を突き出すよう見ておるぞ」

 

 

 拭ったものの、血は止まらない。

 

 

「俺のいた村にも、片目を患った者がいた。その者も、お主と同じ睨み方をしておったのでな」

 

「………………」

 

「もしや右の眼が悪いのではあるまいか……そう見たまでだ」

 

 

 仁の主張と考察は当たっていた。

 

 

 青年は右目が弱視であり、殆ど見えていなかった。

 そこに気付いた仁は彼の右側は死角になるのではと、活路を見出す。

 

 

 

 

 崖に落ちたと演出し、覗き込んだ彼の向かって右側より攻撃を与えた訳だ。

 

 

「……お前。頭から落ちたのに崖の窪みを掴めたのか? 猿かお前は」

 

「上手く騙せたであろう」

 

 

 仁は微かに片口角を上げ、してやったり顔を見せた。

 青年は呆気を含ませた目つきで、溜め息を吐く。

 

 

「仕留め切れていない癖に何を言うか」

 

「仕留めるつもりは毛頭ない」

 

「なに?」

 

「互いに殺す意図はないであろう? ならばこれは、ただの試合も同然」

 

「ただの試合で騙し討ちする奴があるか」

 

「お主とて、手の内を隠しておったではないか。なんだあの蛇と太刀筋は?」

 

 

 頬から垂れた血で、口を巻いた包帯は赤く染まっている。

 その様を面倒に思いながら、青年は微かに首を振った。

 

 

 首の周りでおろおろと揺れる白蛇を、仁は指差す。

 

 

「白蛇は竜神様の遣いと聞く。傷を付けてはならん」

 

「黙れ。神の遣いなんかではない。不意打ち男が指を差すな」

 

「心外だな……」

 

 

 互いに切先を向け合いながら、暫しの沈黙。

 いつの間にか風は止み、辺りには紅葉と藤の花が散らばっていた。

 

 

 

 

「……今再び斬り合うか?」

 

 

 青年は「いや」と呟き、刀を下げた。

 

 

「腕試しは終わりだ」

 

 

 そう言って鞘に刀を納める。

 上面の蓋を開き、そこに押し込むような形だ、

 

 

「なに?」

 

「俺とてお前を完膚なきまでに叩きのめし、跪かせてやるまで戦ってやりたいところだが、命令に逆らう訳にはいかない」

 

 

 

 

 二人の真上で延々と弧を描く、一羽の鴉。

 朝方に飛んでいるのは珍しいなと思ったところで、突然その鴉は急降下を始めた。

 

 

「カァアアア!!」

 

 

 何事かと顔を上げた仁の眼前で、鴉は叫ぶ。

 

 

 

 

 

「ソコマデーッ!! ソコマデーッ!!」

 

 

 最初は耳を疑った。

 鴉が、人の言葉を発したからだ。

 

 

「……!? 喋った……!?」

 

「既にやめているだろ」

 

「カァアアッ!!!!」

 

 

 二人の頭の上を飛び回りながら、鴉は喧しいほどの声で告げる。

 

 

 

「ソノ男、至急『産屋敷(ウブヤシキ)邸』ヘ連行サレタシーッ!!」

 

「産屋敷……?」

 

「繰リ返ェースッ! 至急、産屋敷邸へ連行サレタシーッ!!」

 

 

 奇怪な状況に戸惑いながらも、仁もまた己の刀を鞘に納めた。

 

 鴉は飛び立ち、どこか遠い空の向こうへ行く。

 それを見届けてから、青年は告げる。

 

 

「呼吸も型も使えぬ癖にな……不意打ちでしか傷を付けられない男が」

 

「お主しつこいぞ……されとて、今の鴉は……?」

 

「人の言葉を真似る鳥がいると聞く。なら喋る鴉なんぞ珍しいものではないだろ」

 

「珍しくはあるが……」

 

「いちいち否定しないと話せないのかお前は」

 

 

 青年は仁に背を向け、顎を上げて付いてくるよう促す。

 

 

「……こっちだ」

 

 

 強い疑念に駆られてはいるものの、ここに留まっても仕方はないと、仁は歩き出す。

 

 朝日が照り、彼の下げている鞘が輝く。

 

 

 

 

 特に鯉口にある家紋が、金色に光っていた。

 

 

 

 

 

仁之道「邂逅」 完了

 

腕を認められる




・対馬には実際に、浦島太郎などのモデルともなった竜神伝説が残る「和多都美神社」がある。
 海上に点々と並んだ鳥居や、龍が這っているかのような根を持つ神木など、神秘的で綺麗な場所です。
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