彼女はこのひっくり返った世界で多くのものを見て来た。美しいものも、穢れたものも。
閉鎖空間で生活を送る者からすれば、まさしく彼女こそが世界であった。
極彩色に輝く満天の夜空。
今や遥か遠くに行ってしまった、生態系の覇者の亡骸。
秘匿された時計台。
宝石の砂浜と光る海岸線。
彼女は多くの話を聞かせてくれた。
彼女の口から紡がれる物語を聞くと、この世界もまだまだ捨てたものではないと思えた。
ロドス本艦、搭乗ゲート。
前進するたびに謎の機械がおどろおどろしい音を立てる。鉄板が金切り声を上げる度に整備の職員が走り回る。
慌ただしい物音が絶えず響く中で、その場に似合わない2人が会話をする。
「ほーんと、キミはわたしのお話が大好きだね」
「
「ふ~ん? ロドスの人ってもっと固い人ばかりだと思ってた」
灯りが無ければ廃トンネルのような雰囲気のこの場所にて、少女はランタンを手元に引き寄せる。
板金の狭間から差し込む冷たい隙間風が、彼女の透き通った青い髪を巻き上げる。
遥か遠くに見える景色を眺めながら、彼女は静かに呟く。
「あそこの村、もう誰も住んでいないんだ。この前遊びに行ったら皆干乾びちゃってたんだよね」
「…………天災か?」
「ううん、ただの飢餓。キミたちは鉱石病と闘ってるみたいだけど、この世界にある問題はそれだけじゃないんだ」
「難しい話だな。一つの課題をクリアすると、別の問題が二つ出てくる」
「……綺麗な景色だけ考えるなら、この世界は素晴らしいんだけどね」
どこからか侵入したネズミの類が、彼女の服の袖を噛む。
男は立ち上がり、ネズミを足で払うと少女に問いかけた。
「次は、そこにいくのか」
「うん。まだ埋葬できてないしね。村人の中には善良とは言えない人もいたけど、それでも自然の慰みにはさせたくないんだ」
「ロドスなら、もっと丁重に埋葬できる」
「……遠慮しとくよ。あのお医者さんに知られたら面倒だしね」
男は頷く。
彼女が何を見たのか。それを聞く理由などもはや意味をなさず、ただ割れたガラス細工のような瞳をする姿を見れば、自然と想像することが出来た。
「私も同行しよう」
「いいの? きっと村長も喜ぶと思うよ。ってもういないんだけどね」
「……乾いた笑いで迎えてくれるだろうな」
不謹慎すぎるジョークに、少女は失笑する。
冷たい風に震える姿に、男は丁度いいサイズの毛布を彼女に被せた。
それから彼女は強い口調になって男に問う。
「そういえばさ、わたしまだキミの名前も知らないんだけど、教えてくれると嬉しいな~ってね」
「あぁ、皆からは『ドクター』と呼ばれているよ」
「わたしはモスティマ。ペンギン急便のモスティマ。よろしくねドクター」
薄暗く、機械油の臭いが充満する灰色の空間にて、2人は静かに握手をした。
「あっ、連絡先。交換しとこっか」
〔【ロドス 過去 春】〕
とある一室にて、2人の人物がチェスに興じる。
「……守備はどうだ」
「上々だ。今回は失敗は許されないからな、念には念をってやつだ」
「期限が迫っている。迅速に行動しろ」
ボードゲームで遊ぶには少々広すぎる部屋にて、駒を動かす音だけが鳴り響く。
盤面だけを見るなら戦況は拮抗していた。
「どうしても時間がかかるならわたしの方で準備するが……」
「いや、適任が見つかった。きっと上手くいくはずだ」
「…………」
男は敵陣のクイーンを弾き飛ばす。
どこからともなく現れた赤色のループスが、落下した駒を拾い上げる。
「私の勝ちだな、ケルシー。準備が整い次第報告する」
漆黒の外套を身に纏う男と、艶めかしい振る舞いをする騎士を引き連れて部屋から退室する。
やがて、クイーンを拾い上げたループスも、赤色のコートを翻して男の後をついていった。
「わたしが昔いた土地でね、こんな話があるんだ。
天に挑んだ人たちが作った塔が、神様の雷で破壊されるお話。聞きたい?」
「故郷の話をするなんて珍しいじゃないか」
ロドスが耳をつんざくような汽笛を放つ。
モスティマは片目を閉じ、首をすぼめて音が止むのを待った。
「ここじゃあわたしとお話してくれるのは整備の人とドクターしかいないからね」
「アジトには戻らないのか?」
「今は静かな所に居たい気分かな」
搭乗ゲートは静かな場所とは言えない場所であった。
よって、モスティマが言う『静かな場所に居たい』というのは方便だということがすぐに理解できた。
ドクターは、それを指摘せず彼女の話す言葉に耳を貸すのであった。
「他にもいっぱいあるんだ。
神様を怒らせちゃって洪水が起きてね、全生物のつがいだけが船に乗せられるって話」
「私も似たような話を聞いたことがある。どこの地域にもそんな伝承があるのかもな」
「ふふっ。元は同じ話だったのかもね? その場所その場所の文化によって神様の定義が異なるからかな?」
ケラケラと笑いながら答えるモスティマ。
年若い職員たちが笑顔で座るモスティマとドクターを見て溜め息をつく。
とある一室にて、2人の人物がティーカップを持つ。
「……準備はいかがでしょうか?」
「順調、だと思いたいな。少し時間がかかり過ぎか?」
「はい。ドクターのお気持ちも分かりますが、ケルシー先生の我慢も限界ですので……」
ドクターの対面に座る少女は、厳しい表情で紅茶を飲む。
「騙すというのは気分が悪いな……」
「そうですね。ですが、ドクターならきっと上手くできるはずですよ」
「アーミヤこそ、準備の段階でしくじるなよ」
ドクターは紅茶を少し飲むと、廊下に居たラテラーノからの使者と共に作戦会議室に向かうのであった。
ロドス、搭乗ゲート。
砂漠地帯での作戦を終え、戦闘に駆り出されていたオペレーターたちが帰還する。
モスティマはその光景を歩いては止まり、歩いては止まりを繰り返し、かなり落ち着かない様子で眺めていた。
『おい! もっと丁寧に運べ!』
『最悪……。服の中まで砂入ってるんですけど……』
作戦ポイントから運ばれてきた物資が砂埃を放出する。
モスティマは両足を子供のようにバタつかせていた。
やがて、大勢の人に囲まれながらお目当ての人物が現れる。
「おぉ、またこんな所に居たのか」
「たまたまだよ、たまたま。とりあえずお疲れ様ドクター」
モスティマはドクターの姿が見えるや否や、パッと身を起こし、ドクターの傍へ歩み寄った。
「今回の作戦は骨が折れたな。あまりよろしくない表現だが、正直面倒だった」
「ふふっ、でも上手くいったんでしょ?」
青色の髪を揺らし、興味深そうにドクターの顔を覗き見る。
帰還したオペレーターたちは皆笑っていた。中には感情の起伏が少ない者も居たが、それは心が無いからではなく、熱く燃える何かを隠しているからであった。
ドクターは、大勢の人々が笑いあう姿を見る度に、頑張って良かったと思うのであった。
そして、モスティマはそのような彼の微笑みを見るのが好きだった。
「ねぇ、そういえば
「まぁ、得意分野が何なのかをまだ把握できていないからな。正直もう少し後になりそうな感じだな」
モスティマはドクターと鼻が触れ合うほどの距離に身を寄せると、ある提案をした。
「今度の作戦かどこかでわたしも戦ってみたいな。予想以上の結果をプレゼントするよ」
「そうか……。そうだな、少し山間部に向かう作戦があるんだ。道中の案内兼護衛を頼めるか?」
その話を聞いたモスティマは、快活な返事をするのであった。
とある一室にて、3人の人物が円卓を囲む。
「準備が整った。いつでも出発できる」
「かなり時間がかかったな。催促の報が届いているぞ」
「まあまあ、そういうお話は任務が終わってからしませんか?」
赤い絨毯が敷き詰められた部屋にて、微かに差し込んだ光が筋となり3人の顔を照らす。
廊下には連日、3人の関係者がせわしなく詰めていた。暗部のオペレーターや護衛、企業提携者や政治家、そして使者などが。
どちらにせよ、状況が穏やかなものではないということは確かであった。
「決行はいつにする」
「来週」
「ならば来週だ」
「分かっているだろうが、
「「失敗は許されない」」
「だろ?」
「分かっているならいい」
3人は席を立ち、部屋には静寂だけが取り残された。
微かに差し込んでいた光は、いまやカーテンに遮られ室内を暗く灯していた。
【????? バッドガイ号】
「ねぇドクター、この作戦ってまさか戦わない感じかな」
「鋭いな、今回は下見みたいな感じだ。ついでに観光にでも行こうか?」
正規の契約を結んでいないとは言え、モスティマにとってはこれが初陣であった。
初めて乗る空挺で、初めてロドスのオペレーターとして戦闘する。集団行動が苦手な彼女であったが、流石に今回ばかりは記念にしたい作戦であった。
当然、同乗しているオペレーターたちの誰よりも装備に気合いが入っている。
「下見か~。まぁ全然いいけどね。通りでオペレーターの人数が少ないと思ったんだ」
「私はバチバチの戦闘はしないからな。今回は秘密の作戦なんだから」
アーミヤやケルシーには内緒という話だろうか。確かにバッドガイ号に乗って、武器の手入れをしているオペレーターたちは普段見ない顔ぶれが殆どだった。
モスティマは多少の違和感を感じたが、それ以上考えることを止めた。
「それで、わたしは何をすればいいのかな。ただの座ってればいいってわけじゃないでしょ?」
「……モスティマには道案内をお願いしようかな。今回はモスティマがキーマンなんだ」
快晴。今にも落ちてきそうな青空をバッドガイ号は進む。
道中、同乗していたオペレーターたちが一瞬の内に荷物を手に取る。
「ドクター見える? あそこの村のシチューは凄くおいしいんだ。村長が天気をあやつ
シュウウウウウ…………
モスティマが言い終わる前に、バッドガイ号の両翼から煙が揚がる。
そして、飛空艇は綺麗な円を描きながら地上に近づいていく。
「ちょ、ちょっと! ドクター!?」
「とりあえず何かに掴まれ! 着地するぞ!!」
バッドガイ号は白い煙を吐き出しながら、山の斜面の木々を薙ぎ倒して不時着する。
飛空艇の内部では、オペレーターや物資がもみくちゃになり、さながらミキサーされた後のようだった。
「イテテ……。生きてることが奇跡だね……」
「……大丈夫? すぐに、助ける、少し、揺れるかも……」
飛散し、半壊した船内の部品が強引にどかされ、モスティマは腕を引っ張られ救出される。
あれほどの衝撃があってなお負傷者がいないというのは奇跡と言っても過言ではなかった。
「レッド、怪我、治せない。もし怪我してたら、マンティコアかドクターに言って……」
「あー、うん。わたしは大丈夫だよ。それよりも飛空艇の状態がマズいかもね」
ドクターはバッドガイ号から最低限の物資や、通信設備を取り出し、落ち着いた様子でロドスに信号を入れていた。
「飛散した部品を回収するべきだ。プラン通りに行動しろ。ネジ一本残してはならない」
「ファントムさん~? 結構向こうの方まで飛んでっちゃったのがあるんだけど……」
「ならばシラユキとグラベルで回収に行け。必ず2人以上で行動しろ」
「…………貴公に命令されるのは癪だが、隊長が貴公ならば仕方あるまい」
同乗していたオペレーターたちがいそいそと行動する。
自分だけ何もしないというのは流石にマズイと感じたモスティマは、申し訳程度に地面に散乱したパーツを集めるのであった。
ロドスに連絡を入れていたドクターがおもむろに立ち上がり号令をかける。
「電波が悪い! どこか雨風をしのげる場所で仮拠点を作る!」
ドクターの話を聞いたオペレーターたちは、緊急事態であるにも関わらず迅速な行動で荷物の準備に取り掛かった。
幸いにも、晴れが続く日であったため移動も困難ではなかった。
道中、モスティマは過去に訪れたことのある山村が存在を思い出した。
「この道を少し左に行ったら村があるんだ。避難するにはうってつけじゃないかい?」
「…………」
ドクターが後方に居るオペレーターたちに合図を送る。
オペレーターたちは頷く。
「よし、日が暮れる前そこに移動しよう。モスティマ、スカベンジャー、村人に事情の説明をするから同行してくれ」
「構わない。交渉はモスティマとドクターに任せる」
【????? ????村】
そこは天災の影響が少ないのか、今の時代にしては珍しい肥沃な土地であった。
電気や水道などの最低限度のインフラは整っているようだが、随所に垣間見える独自の宗教色は、閉鎖空間で構築されていったであろう不気味な文化を匂わせていた。
モスティマは過去に1人でこの地を踏んだことがあるということもあり、現地民とのコミュニケーションもスムーズに進んでいった。
一方で、ドクターとスカベンジャーはよそ者という好奇な視線を浴びることとなり、会話に盛り上がるモスティマとは裏腹に心地悪さを感じるのであった。
「いやぁ~、みんな元気そうで良かったよ。この時代に死因が寿命だけっていうのは羨ましいね」
「……それで、どうだった」
「離れにある廃屋なら使ってもいいって。ホントご厚意に感謝だね」
スカベンジャーがドクターの腕を小突く。
ドクターは手持ちの無線機で離れた所で待っているファントムたちに連絡を入れる。
『私だ。許可が下りた。通信機を設置してロドスと連絡を入れろ』
ザザー……ピー……ガガツ
『こちらファントム。通信状況は安定。既に全員待機中、プラン通りに行動を開始する』
「よし、私たちも廃屋に行くぞ」
モスティマとスカベンジャーはドクターの後に付いていく。
道路というよりも獣道という表現の方が適切な道を3人は歩く。
ドクターの瞳は、奈落の底のような深みを帯びていた。
【????? ????村 夜間】
荒れ果てた廃屋を無理やり補修し、通信環境を整える。
そうすると、ただでさえ狭かった廃屋は2、3人中に入れるかどうかというような感じになってしまった。
遠くで獣が鳴く声が聞こえる。
枯れ木のざわめきだろうか、やせ細った木の枝の凍てついたような茶色の葉が1枚、ドクターたちの上に飛来した。
『ロドスに信号を送った。私はいつでも大丈夫だ』
ザザー……ピー……
『こちらファントム。全員無事だ。いつでも行動できる』
「わたしたちだけ申し訳ないね。廃屋とはいえ、屋根がある場所で眠れるなんてさ」
「ファントムたちは部品の回収に行っているらしい。完全に日が沈むまでには戻って来るさ」
「…………」
「…………」
ちいさな小屋の真ん中に、粗末な毛布を敷いてそこに座るモスティマとドクター。
突貫で作った避難所のため、暇つぶしの玩具の一つもない。あるとするならば傷一つない機械の山と、寂しげな炎を揺らめかせる暖炉のみであった。
もちろん、暇を持て余す。
「なんか暇だね……」
「仕方ないさ。今更外に出てもすることないしな……」
「そうだ、わたしの仲間のお話でもしてあげようか?」
「ペンギン急便の連中か? 濃いメンツだから退屈しなさそうだな」
少し寒い山間部の村の、そのまた遠くのボロ屋の真ん中にて、村の様子など知らずに2人はお喋りに興じていた。
決して大笑いできるような話はなかったが、それでも暇を潰すには十分すぎる物であった。
モスティマが話し、ドクターがそれに関係する話題を提供する。それが終われば今度はドクターが話し、モスティマがそれに関係する話題を提供する。
「あはは、絶対気に入ると思うよ」
「私にはそういう高いレストランは似合わんよ。息がしづらくなる」
「じゃあ今度一緒に行ってみようよ。龍門でも、クルビアでも、シエスタでも、どこにでも連れてってあげよう」
消えかけになり、なんとか命を繋いでいる暖炉の炎に薪を放り込む。
しかし、若干湿気っているのか、大した燃料にすらならなかった。
ドクターは薪の残りを確認しようとしたが、見た所で薪の残りが増える訳でもない。ならば確認しない方が気持ちが楽になるだろうと考え、それ以上後方を向くことはなかった。
「私は極東出身でな、地元では最強の剣士と畏れられていたんだ……」
「あはは! それってホント? 言っておくけどわたしってそういうの信じるタイプなんだよ?」
「いや、嘘だ。だが最強っていうのは本当だ」
寒さの感情が大きくなっていく中で、しかし確かな温かみを胸に抱いた。
荒療治により何とか機能するようになった廃屋の、粗末な壁から漏れ通る夜風が体を突き刺す。
「ドクターって絶対にエクシアと仲良くなれると思うんだよね」
「エクシア……。あぁ、ペンギン急便のあの娘か」
「もしかして喋ったことない感じかな? 凄い元気な子だよ」
ドクターはインスタントコーヒーを口に入れる。
モスティマには温かなココアを振舞った。
味はどうであれ、寒さに震える夜であれば、どんな物でも無いよりマシであろう。
「ちなみに彼氏ナシ。優良物件だよ」
「グフゥッ!!」
喉を通り過ぎたコーヒーが、肉体が求める動きに反して口内に戻って来る。
ガガガツ……ピー、ザザツ……
『ドクター、ファントムだ。少々面倒なことになった。しかshmcbwryc……
ピー、ガガ……
『何? ファントム? おい、どうした。何があった!』
ザーーー…………。プツン。
「……通信が途絶えた。ファントムだけじゃない。レッドも、マンティコアの通信機にも繋がらない」
どこか遠くで、村の方角からだろうか。馬の鳴き声が寒空に響き渡る。
不意な思い付きで、モスティマが曇った窓ガラスを袖で磨いて外を覗く。
「ねぇ、雪が降ってる……」
「……何?」
「しかも凄い勢い、豪雪だよ。見て、もうここまで積もってる」
気温の変化が激しい故に、天候が安定しない山間部とはいえ、ここまで唐突な豪雪は異常気象そのものであった。
ロドスに居る状況であれば、雪合戦を期待して眠る所だが、現在いる場所は山である。
そのような場所で、しかも耐寒も十分ではない小屋で寝るなど自殺行為に等しい。
「流石に寒いね……」
「あぁ、想定外だ。相手を甘く見ていたよ」
「もっと温かい服着てくれば良かったね……」
モスティマは後ろを振り返り、薪の残りを確認する。
そこにあったのは数えるほどしかない薪の生き残り。しかも、雪の影響で湿気って使い物にならなくなる物だって出るだろう。
かなり絶望的な状況に、モスティマは振り返らない方が良かったと思うのであった。
「はぁー……。見て、息が白い……」
「……モスティマ。鼻水。ホラ拭け」
「んっ。ありがと……」
徐々に失われていく体温。
通信が途絶えている状況で、助けを求めるという行動は焦りを助長させるだけである。今の状況でするべきことはなるべく体力を消耗しないようにすることだった。
「あぁ、凄い。髪の毛が凍っちゃった……」
「指だけは暖めておけ。取り返しのつかないことになる」
「……ごめんね。ドクターの服、貸してもらって」
「帰ったらモスティマの服を貸してもらうよ……」
「ふふ……。そりゃあ名案だね……」
ドクターは何を思ったのか、おもむろに立ち上がると、扉を押し開こうとした。
「(……! ……ッ!! 開けられん! 雪が積もってこの廃屋を埋めているのか!)」
「……? どうかしたのドクター。傍にいた方が温かいよ」
「……いいや、何でもない。ファントムたちの心配をしていただけだ」
雪が積もり始めて数時間。あくまで体感上での推測のため、本来は数十分なのかもしれない。
もっとも、それを確かめる方法などあったところで何の意味を持たないのだが。
最初は軽口を飛ばしあっていた2人も、次第に生気を失っていき、今では身を寄せ合ってお互いの体温で暖を取っていた。
「あぁ、床が暖かい……」
凍てついた木の床よりも体温の方が低くなってしまったようだ。
事実として、確かに床が暖かかった。
「おい、寝るな。死にたいのか」
「一人じゃ死にたくないなぁ……」
「バカなこと言うな。私はベッドで生涯を終えたいんだ……」
豪雪吹きすさぶ山間部。
外の音など一切聞こえず、その逆もまた然り。外から室内の音も一切聞こえなかった。
それどころか、雪に埋もれた廃屋を雪景色の中から発見すること自体が困難を極めるものであった。
モスティマとドクターが、凍てつく体を抱き寄せ横になる。
そこに恋愛的な男女の意味合いなど一切なく、ただ生物としての本能を甘んじて受け入れる2匹の動物のみが存在していた。
「人の体はあったかいね……」
「統計では女性の方が平均体温が高いらしい……」
「……そうなんだ」
モスティマがドクターの手を握り、自身の服の内側に滑りこませる。
男は、彼女の行動を拒まず、ただその空気の流れに身を任せていた。
「いいよ。触っても」
「…………」
「んっ……」
「……モスティマは暖かいな」
「ねぇ」
「……なんだ」
「やっぱり、死にたくない」
「……泣いているのか」
「うん。死にたくないんだ」
「モスティマ」
「……なに?」
「どこにいる」
「ここにいるよ」
「ドクター」
「……なんだ?」
「もう、わたしダメみたいだからさ、お願い聞いてもらっていいかな」
「どうせ最期なんだ。なんでも言ってみろ」
「処女のまま、死にたくない」
「誰にでも言うわけじゃないよ。ドクターだから言ってるんだ」
「お願いだから、今日だけでいいから、わたしが死んだら忘れていいから、せめて、今だけ、最期だけ……」
「わたしを愛して」
もはや雪は止み、白銀の月光が廃屋を照らす。
その日の星空は、きっと輝いていた。
こんなゴミみたいな、吹き溜まりのような世界でも、ほのかに光る恒星が確かにあった。
しかし憶えているだろうか、星は崩れる瞬間が最も光を放つということを。
【????? ????村 早朝】
小鳥のさえずりが耳を貫き、脳の覚醒を促す。
昨晩の寒さを消し飛ばすような暖かな陽気が、生まれたままの姿の2人の体を包み込む。
「……ここは? やはり死んだのか?」
「うぅ、眩しい……。もしかして天国?」
2人は同時に目覚めると同時に、謎の分厚い毛布が下半身にかけられているということを発見した。
その瞬間、2人の顔色がみるみるうちに青くなっていった。
数分後、最低限度の身だしなみを整えたモスティマとドクターは、物凄い剣幕で廃屋から脱出した。
「ようやくお目覚めか。昨晩はお楽しみだったようだな」
「ファントム……」
「謝罪は不要だ。状況は理解している。想定外のことが続きすぎたのでな、救出が遅れた我々の落ち度だ。非常に申し訳なく思う」
「ちなみに、作戦は……?」
「完遂した。後は速やかに帰還するだけだ」
ホッと胸を撫でおろしたドクターとは裏腹に、ヒョコヒョコと歩くモスティマは女性陣に取り囲まれるのであった。
【ロドス アーミヤの私室】
アーミヤの私室にて、2人の女性が話をする。
「……全て上手くいったか」
「はい。想定よりも大幅に苦労したそうですが、評議会の皆様も満足される結果だということです」
「通信が途絶えた時はわたしも向かおうと思っていたが、杞憂だったか……」
「あはは……。ケルシー先生が同行するとドクターがイヤな顔しますので……」
「…………」
「……失言でした。ごめんなさい……」
【ロドス 執務室】
山間部での一件から数週間。
バッドガイ号に同乗していたオペレーターたちの表情にも落ち着きが見られるようになり、それはもちろんドクターとモスティマにも言えることだった。
「(勢いに任せて来たはいいけど、何も話すことないんだよね……)」
「(まぁいいや。何とかなるでしょ)」
「やぁドクター。お仕事頑張ってる?」
モスティマは無理やり元気いっぱいの声を捻り出した。
しかし、執務室の主人であるドクターの声は聞こえず、代わりに彼の静かな寝息が聞こえるのであった。
「……なんだ、お疲れだったのか」
「ふふ、せっかくだからベッドで寝かせてあげよう」
モスティマがドクターをベッドに運ぶためにデスクに近づくと、なぜか目を引く1枚の書類を発見した。
本来は取るべきではない、見るべきではない紙。しかし、その時のモスティマは、常識よりも
〔機密〕
〔特殊作戦記録 ×月◯日 完遂報告書〕
作戦立案 ドクター、ケルシー、アーミヤ。
責任者 ドクター。
作戦指揮 ドクター。
編成 隊長 ファントム、副隊長 スカベンジャー、レッド、グラベル、マンティコア、シラユキ。追記 モスティマ。
物資支援 ラテラーノ評議会
作戦概要 本作戦はラテラーノ中枢都市から約◯◯◯km離れた山間部に位置する────―村(以下対象Aと表記)を標的とする特殊作戦です。
対象Aは人肉を食する風習が深く根付いており、老若男女問わず日常的にそれを食していたと推測されます。特に、□□歳を超える高齢者のグループや、□□歳から□□歳までの女性を筆頭にプリオン病の症状が確認されました。(資料①削除済)
ペンギン急便の調査によると、この風習は約×××年前から続いているとされ、対象Aに訪れたトランスポーターや難民、師団などを襲い、食糧として保管していたことが判明しています。(資料②削除済)
人道に基づく最低規範に遵守していないこと、現代社会においての文化とは逸脱した風習であること、周辺地域及びその他に対する物質的被害を含めた計18項目がラテラーノ最高法に違反するとして、対象Aの破壊がラテラーノ評議会(以下評議会と略)により決定され、ロドス・アイランド製薬に対象Aの破壊を指名しました。その報酬として、評議会は、ロドス・アイランド製薬に対する貿易協定の締結を代表とする20個の契約を提示しました。
〔注意〕評議会からロドス・アイランド製薬へ。(資料③)
・作戦におけるラテラーノ領へのアクセスには、ラテラーノ人と判断できる人物を1名以上同行させること。
・対象Aが×××年に渡って行っていた食人文化が判明しなかった理由は、周辺地域を取り巻く天候が関係している。存分に注意されたし。
・絶対に対象Aで提供された物資を口にしてはならない。
・今作戦及び対象Aの存在は外部に漏れてはならない。
・我々は対象Aの完全なる消滅を望んでいる。
・失敗は許されない。
資料作成者 アーミヤ
ケルシー確認済
ドクター確認
アーミヤ確認済
「なに……これ……」
「…………ん、モスティマか?」
ドクターが低い声を出し、静かに目を開ける。
途端に小鳥たちの歌声は幻のように遠のいていった。
モスティマは、固いデスクにひれ伏したドクターの顔を覗き込んだ。
「ねぇ、これ……なに?」
「……見ての通りの物だ」
「あはは……。これって本当の話なの……?」
瞳孔を揺らつかせるモスティマ。対するドクターは酷薄そうな瞳を細めて彼女の動向を窺っていた。
「……もちろんだ。書類の偽造は犯罪なのでね、書かれていることは全て真実だ」
「待って、ちょっと何も考えられない。言ってる意味が分からない!」
「残酷な話だが、我々が村を消した。跡形も無くな」
おもしろい冗談を聞いたというように、モスティマがのけぞって笑った。
暖かな春の風が、2人の狭間を冷ややかに通り過ぎる。
モスティマは打ち砕かれた希望を何とか拾い集め、元の形に修復しようと試みた。
「は、はは。冗談でしょ? だって、そんな暇なかったし、だって! ドクターはわたしと一緒に居たじゃないか!」
「……作戦条件をクリアするためにモスティマを同行させた。具体的な理由は、山村とコネクションがあるという事だ」
「なにそれ……。最初から利用するためにわたしに近づいたってこと」
「…………」
「うわあああああ!!!」
ガアアン!!
モスティマがドクターの首を掴み、そのままの勢いで壁に押しつける。
瞬間、姿が見えない幽霊のような影たちがモスティマを取り囲む。
ドクターは今にも途絶えそうな声を絞り出した。
「ぐッ……! 退け、シラユキ! ファントム……!」
「あの村には子供だって居たんだ! お前は外道だ!」
「ガハッ……! 許せ、より多くの命を救うためだ……!」
モスティマがドクターの首を締めあげ、ドクターがモスティマの腕を掴む。
2人は2匹の獣のようにパッと動いては止まりを繰り返していた。
モスティマの背後にて武器を構える者たちの肉体には、生々しい傷痕があり、山村での戦闘の凄まじさを物語っていた。
しかし、低く唸りを上げるモスティマの方が傷はひどく見えた。
「お前は最低だ……! 自分のことを正義の執行者だと思っている悪党だ……!」
「がッ……! ぁ! ぁあ……! 息が……!!」
モスティマが手を放す。
ドクターは急に襲いかかる脱力感に耐えきれず、重力に身を任せて絨毯に崩れ落ちた。
モスティマは息を荒くし、胸で呼吸を整えていた。
「……情報を秘匿しようとしたのは知らない方が良い深淵があるからだ……。
「村人の中にも風習に懐疑的な者だって居たはずだ! これがロドスのやり方だっていうのか!? 外側だけを見て、内側を理解したつもりになって! 感染者の権利だの何だの言っておいて、やってることは虐殺じゃないか!?」
「
「だからと言って人を殺していい理由にはならない! 現にわたしたちは凍死しかけたじゃないか! それもアレか? 『尊い犠牲』とかいうやつか!?」
両者は一歩も譲らず。
ドクターの黒い瞳が鈍く光る。デスクの横でレッドが低く唸った。それは獣が月夜に啼いた時の音に似ていた。
モスティマの肩がピクッと震える。本能的な恐怖であったが、それでも彼女は発言を止めなかった。
「ねぇ、ドクターは誰の味方なの? ロドス? わたしたち? それとも自分?」
「…………」
「あはは……。そうだよね、答えられないよね」
モスティマから滲み出る、焼けるような殺意が消えたからか、ドクターの護衛たちは武器を収める。
全身から力を抜いたモスティマは、まるで抜け殻のような弱々しいオーラを放つ。
「私は……」
「ううん、もう大丈夫。ごめんね? わたし、少し勘違いしちゃってたみたい。本当に馬鹿みたい……」
モスティマがゆっくりとドアに向かう。
赤い絨毯には彼女の足跡が確と残っていた。
とても、ゆっくりとした足取りで彼女はドアへと向かった。
幾筋もの輝く線が頬を伝い、整った顎先で溜まり、そのまま床に滴り落ちてゆく。
「ドクター」
「……なんだ」
「わたしはドクターを許さないから。わたしが流した涙の意味を、一生背負って生き続けて」
「…………分かった」
「その言葉は、信じていいのかな」
「…………あぁ」
「じゃあ、弔いに行こうよ……」
「明後日のこの時間に、わたしたちが出会った場所で待ってるから」
モスティマが去った後の執務室。
小鳥たちが再びさえずりをし始める。春の暖かな陽気が、ドクターたちの血に汚れた手を乾かしていった。
〔【ロドス 搭乗ゲート】〕
モスティマはフードを被っていた。特にこれといった理由はないのだが、秘匿された地に向かうのであれば身を隠せる服装の方が何かと楽だったからだ。
彼女が待ち続けて数時間。灰色の壁面は変わらず無表情のままであった。
「……うそつき」
しかし自身の想いを捨てきれず、ただハッキリとしない心持ちの中で、彼女は再びロドスを発つのであった。
前に進む。当然、周囲からは顔は見えない。
重い荷物を持った整備員たちが道を譲る。その内の一人、年若き整備員がモスティマに声をかける。
『あの、荷物も持たずにどこに行かれるのですか!!』
呼び止められて当然である。
その時のモスティマは、死ぬために生きているというような感じであった。
「…………」
『あの、ずっと見てたんです! あなたがドクター様とお話をする姿を……!』
『もし、その、良からぬことを考えているなら、どうかこちらに戻ってきてください……!』
モスティマがフードを外し、ゆっくりと振り返る。
「……キミもラテラーノの関係者かな」
『は、はい……。少しの間、留学した経験がありまして……』
モスティマが、冷徹な瞳で言葉を放つ。
「ふーん。そこで神様とやらのお勉強したんだ。大変だったね」
『そ、そんなことございません! わたしは、学園の教えで生まれ変わったようなものです!』
「へぇ~。……教えで生まれ変わったねぇ」
モスティマが口角を歪ませ、不敵に嗤う。
そして、再び足を前に踏み出す。確かに違う部分があるとすれば、その歩き方であろうか。
モスティマが前進するその姿は、まさに威風堂々。一切の迷いなどない優雅なものであった。
後方で、名前も知らぬ整備員たちがモスティマの名前を叫ぶ。
彼女を引き留めようとしているのだ。しかし、彼女の腕を掴もうとする者はいなかった。
頭上の光輪の輝きとは対称に、その後ろ姿は邪悪と表現するのが相応しいものだったからだ。
『どこに、向かうんですか!!』
作業の隙間に見えた、彼女とドクターの笑い声。
彼女の話を楽しみに働いていた者だっていた。モスティマの存在は、もはや他人とは言い難いものとなっていたのだ。
残酷で、冷徹で、まともじゃない別れに皆涙を堪える。
もう、笑顔の彼女は帰ってこないのではないかと……。
「とても、良いことを思いついたんだ」
『……え?』
モスティマは振り返り、両手を広げて高らかに宣言する。
「
所々にモスティマさんでも作戦の概要に気づけるような違和感を残しておいたつもりです。