方舟の主と◯◯たち   作:山田澆季溷濁

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秋のカエルは笛に寄る(アズリウス)

 トロッコ問題とは、ある人を助けるために、他の人を犠牲にすることは許されることなのか? ということを問う思考実験のことである。

 回答次第でその人の価値観や人間性が露呈してしまうという二次災害もあるのだが、もしその選択権が自分に委ねられたら、果たしてプラン通りの行動をすることができるだろうか。

 

 ましてやそのトロッコが電動ではなく、坂道から降下させる手押しのトロッコであれば……。

 

 

 

 

 

「アズリウス、少し外に出ないか」

「えっ……?」

 

 わたしはいきなりの提案に驚きを隠せませんでした。

 ドクターとはよく話す間柄ではありましたが、こうして共に歩くということは初めてでしたので……。

 

「聞いてもらいたいことがある」

 

 普段とは違った面持ち。難しいことを考える時の表情。

 何かあったのではないかと思い、わたしは彼の後ろを付いていきました。

 

 ケルシー医師には内密にしなければならないことは未だ聞かされず、その件についての話だと思いました。

 

「その、どこに向かわれるのですか……?」

「…………」

「……ドクター?」

 

 彼はどこか緊張しているような感じがしました。

 わたしは彼の様子に違和感を感じましたが、殿方を疑うというのは不躾だと思いましたので、それ以上考えることは止めました。

 

 長い通路を歩いていると、周囲のオペレーターたちから奇怪な視線を送られていることに気づきました。

 そこまで不快ではありませんでした。

 むしろ、ドクターの隣を歩いているのは自分だということに優越感を感じていました。

 

「……分かるか。周りの視線が。私たちを見る視線が」

 

 ドクターは歩きながら喋りました。

 わたしとドクターの身長差はかなり離れているので、わたしは聞き取ることで精一杯でした。

 

「えぇ、もちろん。しかしそれがどうされましたの?」

「…………」

 

 ドクターは皆から向けられる視線があまり好きではないように思えました。

 わたしが振り返ると、後方にいたオペレーターたちは敵でも見たかのような目で睨みつけてきました。

 しかし、ドクターが振り返ると、何事もなかったかのような目で微笑むのです。

 

 わたしは気味の悪さを感じながら、ドクターの袖を握りました。

 

 そして訪れたのはロドス制御中枢。

 もしここで爆発でも起きれば、ロドス本艦はたちまち塵芥と化してしまうでしょう。

 そのため、ここに入ることができるのはアーミヤさんかクロージャさんなどの権限を持った方だけでした。ですので、密会などを行うにはうってつけの場所でした。

 

「……ここ最近、皆の様子がおかしい」

「……抽象的過ぎていまいち想像できませんわ」

 

「具体的に言うと、アーミヤに頼まれて各オペレーターのメンタルケアを行い始めた頃からか……。中には私に対して異常なまでの執着心を見せる者も居る」

 

 ドクターはソワソワした様子で言葉を紡いでいきました。

 わたしには彼の言っていることが実感出来ずにいましたが、ドクターが言うならそうなのだろうと納得しました。

 

「今までは直接的な被害が無かったから無視してきたが、ここ最近から動きが見られるようになった。直近の出来事だとサリアとスカジが衝突しかけた」

「それは、ドクターも苦労されているのですね……」

 

 わたしはドクターの悩みよりも、スカジさんとサリアさんが彼と接触したということしか考えていませんでした。

 わたしも、彼の言うようにおかしくなってしまったのでしょうか。

 

「このままでは作戦指揮に支障が出てしまう。というか現在進行形で出ている。戦績を求めるあまり連携を無視した行動を皆が取るようになっている」

 

 ドクターの表情を見る限り、かなり深刻な悩みのようでした。

 それもそのはずです。彼は指揮系統を管轄することで賃金を得ているのですから。

 

 

「大前提として、異常がみられた者は全員私と接触を行っている。遠方に居るマゼランやスズランに異常が見られないのはそれが理由だと推測した」

 嫌な予感に手から力が抜けていきました。

「そして、対象者からは謎のアーツ反応が検出された。デバフ状態とでも表現しようか」

 握りこぶしすらまともに作れなくなりました。

 

 わたしはドクターの話を信じられないというような気持ちで聞いていました。

 そして不審に切り込みを入れました。

 

「ですが! ドクターはアーツを使用できないのではありませんか!?」

「あぁ、だから私はこの問題を第三者からの攻撃だと考えている」

 

「そこで、私は足りない脳ミソで必死に考えた。皆の状態を元に戻す方法を。非常に前衛的で効果的な手段だ」

 

 

「全員の異常に私が関わっているのなら、私に対する想いを初期化させてしまえばいい」

 

 

 とんでもない提案でした。狂っている。

 認識の改変など行えば、何らかの記憶障害が起きても不思議ではありません。

 わたしはドクターの提案の前に立ち尽くしました。

 

 そして、次第に体の芯が凍りついていくのが実感できました。

 もしかしたら、わたしの想いも消されてしまうのではないかと……。

 

「わ、わたしにはその影響が出ていませんわ……!」

「それはアズリウス自身が毒だからだ。他のアーツの影響を軽減する特徴がある。他には、ラップランドとジェイが軽減化できるそうだ」

「そんな……」

 

「アズリウス」

 足が震えました。

「な、なんでしょう……?」

 自身の膝が笑っているのが分かりました。

 

「薬を作れ」

 

 ドクターがわたしの肩を掴み、壁に押し当てました。

 唇が触れ合うような距離で

「ケルシーでも、サイレンスでもない。頼めるのはアズリウスしかいない」

 

 わたしは既におかしくなっていたんだと思います。

 ケルシー医師も、サイレンスさんも、みんな大切な仲間だというのに、想い人に唯一無二の存在として扱われることに愉悦感を感じてしまっていたのです。

 それが、自分以外の人の想いを奈落に突き落とす結果になるということなど考えられませんでした。

 

 漆黒のヘドロのようなものが脳を支配していく中で、わたしのこころは自ら深淵に足を踏み入れました。

 わたしの毒はわたしには効かないからです。

 

「……仰せの通りに」

 

 

 少し前に、過去のドクターについての話をケルシー医師から聞きました。

『過去のドクターには情なんて無かった。機械のような男だったよ。目的の為なら手段を選ばない。もしかしたら、本質は変わっていないのかもな』

 わたしの脳裏には、なぜかそれが思い浮かびました。

 

 

 

 

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

 ドクターとの密約から数カ月。

 

 雑多に積み上げられたプリントや、洗濯し損ねた白衣たちが散乱する。

 足の踏み場さえ分からないような部屋の中に、もぞもぞと蠢く物体が一つ……。

 

「う、うぅ……。朝ですの……?」

 

 彼女の目元にはクマが出来ていた。

 若さを象徴する柔肌も、心なしか青白かった。

 詰まるところ不健康な生活を送っていたのだ。

 

「……朝食に向かわないと」

 

 フラフラの足で洗面台に向かう。長く拭かれていないのか、彼女の整った輪郭を映すはずの鏡には曇りが出来ていた。

 

「……ひどい顔。こんな顔を見られたらきっと心配させてしまいますわ」

 

 アズリウスは自身の私室兼研究室を出る。

 向かう先は食堂。時間は繁忙期を過ぎていたため、恐らくゆっくりと食事をすることが出来るだろう。

 

 一食程度なら抜いても問題ないということは既に承知済みであったが、ケルシーの診察があるため、大人しく食べることにした。

 とやかく言われるのは好きではないから。

 

「(気分が悪い……。任務が無くて良かった……)」

 

 彼女の体質は、一般の人からすれば珍妙かつ不気味なものであった。

 歩けば自然と道が空いた。

 列に並ぶと皆が順を譲ってくれた。

 生まれ持った特徴と反して、不思議と苦労することは少なかった。

 

 しかし、親密と呼べる人もいなかった。

 彼女がドクターに依存するようになっていったのは、もはや必然であった。

 

 

【ロドス 食堂】

 

 調理担当のオペレーターがいない時間は自分で料理を行う必要があった。

 面倒と言われれば返す言葉もないのだが、それでもハイビスカスの料理()を食すよりかは遥かにマシであった。

 

「(いただきます……)」

 

 周囲に人がいなかったため、心の中で最低限に済ませる。

 静かな食堂の片隅では、淡々とした食器の音と微かな咀嚼音しか聞こえなかった。

 もっとも、彼女以外の人が居た所で、彼女の周りで食事を行う物好きは少ないだろうが。

 

「(味がしませんわ……)」

 

 薄い味付けだとか、そういう問題ではない。

 舌がバカになってしまっていた。それほど神経が衰弱していたのだ。

 

「(本当に良かったのでしょうか……。誰にも相談することが出来ませんし、わたしがこうして迷っている間もドクターの身には危険が迫っていますし)」

 

「……ごちそうさまでした」

 

 アズリウスは食器を片付けると、ゆっくりとした足で執務室に向かった。

 ポケットに忍ばせた小瓶を届けるために。

 ドクターの願いを叶えるために。

 

 

 食堂から執務室はかなり距離があった。

 次第に通路には職員やオペレーターたちの姿が出て来た。

 

「(この方たちの想いも裏切ってしまうのでしょうか……)」

「(しかし、それだとドクターの気持ちは……)」

 

 葛藤。

 自分以外の人を消すか、想い人の気持ちを無視するか。

 アズリウスはその決断が下せないまま、執務室の前に到着した。

 

「(この扉を開くだけで、わたしは悪魔になってしまいますわ……)」

「(ドクターの苦悩はこんなものではないはず……)」

 

「どうかされましたか? アズリウスさん」

 

 偶然だろうか、狙ったのだろうか。あまりにも丁度いいタイミングでアーミヤが執務室から出現する。

 扉の向こう側からドクターとケルシーの声が聞こえてきた。

 

 アズリウスは柄にもなくケルシーに嫉妬の感情を抱いた。

 

「いえ、その、ドクターに会いにと思いまして……」

「ドクターは執務でヒィヒィ言ってますよ? 用事なら伝えておきますが……」

 

 執務室で受け渡しをするのではなく、人が来ない制御中枢で渡すべきだったと後悔した。

 

「いえ、また今度訪ねますわ。アーミヤさんもあまり気を張りすぎないようにしてくださいね」

「あっ、はい! アズリウスさんも頑張ってくださいね! 特に薬品のお届けには!」

 

「…………えっ?」

 

 全身に鳥肌が立った。

 凍てつくほどの恐ろしさが足元から伝わってくる。

 なぜ、アーミヤが薬品のことを知っているのだろうか。

 

「……? どうかされましたか?」

 

 もしかしたら、アーミヤもドクターの計画の賛同者なのかも知れない。

 でも、もし違ったら? 

 アズリウスがここでアーミヤに薬を渡したとして、アーミヤがドクターを出し抜こうとしている『異常』側の人間だったら? 

 

 そもそも試しているだけなのでは? 

 考えれば考えるだけ、迷いは深まる一方だった。

 

「あっ、えっと、あ、え?」

「あはは、落ち着いてくださいね? アズリウスさん。少しお話をしませんか?」

 

 アズリウスはアーミヤに手を引かれ、不思議な空間に誘われた。

 

 

「わたしは今までドクターのことをたくさん見てきました。それはアズリウスさんにも言えることかも知れませんね」

「わたしはドクターのことが大好きなんです。でも、それ以上にロドスの皆さんのことも大好きなんです」

「独り占めすることも考えましたが、それだとフェアじゃありませんもんね」

「アズリウスさん。もしかして、わたしたちのことを踏み台にしようとしていませんか?」

「そのポケットの中の薬品はアズリウスさんの毒から精製されたものですよね?」

「だからアズリウスさんには効かない。わたしたちの好感度を初期化させて、自分だけはそのまま」

「そんなこと、決して許されませんよ?」

 

「もし、ドクターの言っていることがウソだったら?」

「みんなの責任から逃げ出したいだけの、ドクターのエゴだったら?」

「わたしの言っていることの確証はありませんが、ドクターの言っていることの確証もありませんよね?」

「とても良い提案をします。選択する権利があなたにはあります。『はい』か『いいえ』で答えてください」

 

「その薬をドクターに飲ませてください。わたしはいつでも飲ませられるような状況に立てましたが、気が変わりました」

「アズリウスさんが飲ませてください。誰でもない、あなた自身の手で」

 

「わたしたちを裏切ろうとしたドクターを、今後こそわたしたちの物にしましょうね」

「想像してみてください。その飲み薬があれば、ドクターはわたしたちの言う通りになるんですよ?」

「アズリウスさん。ドクターの指示に従ったところで、ドクターはあなたの言う通りにはならないんですよ?」

「むしろ用済みと言われて捨てられてしまうかも……」

「そんなのイヤですもんね? わたしだって捨てられるのはイヤです。誰だってそうです」

「でも、アズリウスさんはわたしたちを捨てようとしたんですよ?」

「これって、罪ですよね?」

 

「償うためにも、わたしの味方になってくれますよね?」

 

「『アーミヤさんの味方になる』と言いなさい」

 

「はい! わたしはアズリウスさんの味方です。一緒に頑張っていきましょうね」

「くれぐれもわたしを裏切らないでくださいね?」

 

「わたしは、いつでも見てますから」




俗に言う終盤とかいうやつです。
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