過去からの客   作:紫 李鳥

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 すると、突然、

 

「奥さん。……われ」

 

 益美が謝った。

 

「えっ?」

 

 咄嗟に顔を上げた。

 

「今回のごど。ご主人もわれですた。おら、奥さんに妬いでだんだ。んだがら……」

 

 益美は反省するかのように俯いた。

 

「もういいですよ。高志が無事だと分かって、それだけで」

 

 順子は偽りのない気持ちを言った。

 

「よいっけら、あの人さ会っていってください」

 

「えっ?」

 

 予期せぬ展開に順子は驚いた。

 

「長距離の仕事入ってなげれば、七時頃には帰るど思いますから」

 

 益美は穏やかな口調でそう言うと、笑みを浮かべた。順子はホッとすると、安堵の表情をしている行弘と目を合わせた。

 

 益美は本来、恬淡(てんたん)な性格なのか、それとも、言いたいことを言って気が済んだのか、何事もなかったかのようにあっけらかんとしていた。帰り際、益美は、

 

「今回のごど、あの人には内緒で」

 

 拝むように手を合わせると、梅干しを()めたような表情をした。順子はクスッと笑うと、行弘と目を合わせた。

 

「ええ。言わないわ、心配しなくても」

 

 口外しないことを約束すると、笑顔で見送る益美に振り向いた。――それが、生きている益美の最後の姿だった。

 

 

 

 高志の家を後にすると、あけぼの町の蕎麦屋で少し早い昼食を摂った。

 

「羽留ちゃんの実家に寄って、現在の住まいを訊いてみるか……」

 

 と口にした行弘だが、結局、そうはしなかった。

 

「高志さんと離婚したことを親が知らない可能性がある」

 

 それが、取り止めた理由だった。――十九時過ぎ、近くの酒屋で一升瓶を買うと、それを手土産にして高志の家に行った。だが、門灯にも窓にも明かりがなかった。

 

「出掛けたのかしら……」

 

 そう言いながら、順子が呼び鈴を押した。だが、応答がなかった。順子が不可解な顔を向けると、行弘が腕時計に目をやった。

 

「おかしいな、七時過ぎって言ったのに。うむ……、電話してから来れば良かったな」

 

「急用でも出来たのかしら」

 

「ちょっと待ってろ、電話してみる」

 

 順子に一升瓶を押し付けると、街路灯の電話ボックスに向かった。――間もなくして、家の中から電話が鳴った。反射的に電話ボックスを見ると、行弘も順子を見ていた。十回ぐらい鳴ると切れた。同時に、行弘が電話ボックスから出てきた。

 

「やっぱり留守みたいよ、誰も電話に出ないもの」

 

 戻ってきた行弘に伝えた。

 

「どうする、諦めて帰るか」

 

 行弘は結論を出すと、順子が抱えていた一升瓶を掴んだ。

 

「……そうね、仕方ないわね。寒いし」

 

 順子も諦めると、コートの襟を立てた。時間が止まったように動きがない高志の家に何度も振り返ると、行弘の後をついた。――

 

 

 翌朝、チェックアウトすると駅に向かった。挨拶の電話をしようとも思ったが、気紛れな益美にこれ以上振り回されたくなかった順子は、“高志は無事だった”それを旅の土産(みやげ)にして新幹線に乗った。

 

 

 留守にしていた間に、予約の電話やファクスが数件あった。

 

「井上さん、明日、奥さんと二人で来るって。良かったな、今日帰ってきといて。まずはファクスで返事するか、“お待ちしてま~す”って」

 

 浮かれ調子でそう言いながら、行弘がコートを脱いでいた。

 

「なんか疲れたね」

 

 湯を沸かしながら、新幹線で買った駅弁を出した。

 

「ああ。空振りが多すぎて、体力だけが消耗した感じだ」

 

 椅子に座ると、煙草を出した。

 

「お詫びの電話を寄越すかしら、益美さん」

 

 急須に茶葉を入れた。

 

「ま、あの性格じゃ期待しないほうがいい。こっちから訊いても、“あら、ごめんなさい。そんな約束してたかしら”ってとぼけられるのが関の山だ」

 

「……そうね。あ~、くつろぐ。やっぱり我が家が一番ね」

 

 順子が思いきり伸びをした。

 

「There's no place like home.(我が家に勝る所なし)か?」

 

「ううん。like じゃなくて、love。うふふ」

 

 高志が生きていたという安堵感が、順子にそんなジョークを口にさせた。

 

 お茶を淹れるとテレビを点けた。ニュースを聴きながら、米沢牛すき焼き弁当を食べている時だった。

 

〔新庄市の万場町の住宅で今朝5時ごろ、遺体で発見された蒲田益美さんの死亡推定時刻が判明しました――〕

 

 ……ますみ?

 

 順子は反射的にテレビの画面に顔を向けた。そこには、あの益美の顔があった。

 

〔昨日の夜の7時前後と見られ、連絡が取れないこの家の持ち主の男性を捜しています〕

 

「あなたっ!」

 

 順子が見開いた目を行弘に向けた。

 

「……あの益美さんが死んだ?……松田さんの行方が分からない?」

 

 行弘が独り言のように呟いた。

 

「昨日の七時って言ったら、私達が訪ねた時間よ」

 

「俺達が帰った直後に殺されたということか?」

 

 行弘は急いで食堂に行くと、溜まった新聞を広げた。

 

 

【――第一発見者は、新聞配達員で、少し開いていたドアを不審に思い、中をのぞくと、倒れたソファに被害者があおむけで死んでいたとのこと。死因は首を絞められたことによる窒息死。現在、行方が分からないこの家の持ち主を捜している】

 

 順子も他社の新聞を広げた。

 

【――被害者は元ホステスで、この家に住む男性と同居していた蒲田益美さん、26歳。警察は、連絡が取れないこの家の持ち主の男性を捜している】

 

 えっ!高志が犯人だと言うの?絶対違う!高志は人を殺したりしない。

 

 順子は心で叫んだ。突然、視界を遮る霧の山中に放置されたみたいな不安な気持ちになり、俄に食欲をなくした。

 

「心配するな。松田さんは犯人じゃないから」

 

 順子の気持ちを察したのか、行弘がベテラン刑事のように明言した、その言葉に順子の不安は僅かばかり薄れた。


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