過去からの客   作:紫 李鳥

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 厨房に戻ると、食事の続きをした。

 

「……でもどうして、行方が分からないの?益美さんは言ったわ。“朝食を食べて会社に行った”って。そして、“七時頃に帰るから、その時間に来て”って。高志は普段どおり会社に行っていたわけでしょう?だったら会社に問い合わせれば、出勤時間や退社時間がはっきりするじゃない」

 

「会社から帰ってから益美さんを発見して――」

 

「だったらどうして、警察に通報しなかったの?第一発見者は新聞配達員てあったわ」

 

「自分が疑われると思ったか……」

 

 行弘はそこで口ごもった。

 

 ……たぶん、“松田さんが殺したか”と続くのだろう。順子の中にまた霧が立ち込めた。

 

「高志は犯人じゃないわよっ!」

 

 高志に疑惑を抱いている行弘の心中が窺えた順子は、無性に腹が立って声を荒らげた。

 

「誰もそんなこと言ってないだろ」

 

「言わなくたって分かるわよ。私はあの人を信じてるから」

 

 箸を置くと、席を立った。

 

 ……何よ、“松田さんは犯人じゃないさ”なんて言っときながら、実際は疑ってるんじゃない。口ばっかりなんだから。……嘘つき。

 

 そんなふうに思った順子は布団に潜ると、(へそ)を曲げた子供のようにふて寝を決め込んだ。

 

 暫くすると、食事の片付けでもしているのか、皿がぶつかる音と蛇口を捻る音が聞こえた。

 

 ……声を掛けてきても無視しよう。意固地(いこじ)になっていた順子は、そんな子供のような考えを企んでいた。だが、厨房が静かになってもドアは開かなかった。予想に反して、階段を上がる足音がしていた。いさかいを避けるために客室で寝るようだ。言い過ぎたことを順子は悔やんだ。

 

 砂を噛むような味気ない中で、漠然とした疑惑だけが膨張し、寝付けぬままに時間ばかりが過ぎていた。つまり、腹を立てていたのは行弘にではなく、高志への疑惑を払拭できずにいる自分自身にだった。行弘に八つ当たりした自分の器の小ささを順子は恥じた。その根拠のない疑惑が、胸中にこびりついた汚泥のようで不快だった。

 

 仮に高志が殺したとして、動機は何?私が原因の口論?それとも全く違うこと?もし、高志が犯人だとしたら懲役何年?死刑になんかならないよね?……

 

 眠れぬままに、順子は悪い結果ばかりを考えていた。

 

 ……高志、今どこに居るの?ねっ、高志ーっ!

 

 

 結局、一睡もできず、ニュースの時間に合わせてテレビを点けた。

 

〔――家の前をうろついていた男女を見たという目撃情報から、この二人が事件に関わっていると見て、警察は捜査をしています〕

 

 えっ!……まさか私達のこと?

 

 あらぬ疑いをかけられて吃驚(びっくり)した順子は、慌てて布団から出ると、階段の下から、

 

「あなたーっ!」

 

 行弘を呼んだ。

 

「早く来てっ!大変!」

 

 大声を出した。すると、襖を開ける音と廊下を急ぎ足で来る音がした。

 

「どうした?」

 

 セーターを手にした行弘が早口で訊いた。

 

「ニュースで!早く下りてきて」

 

 順子はそこまで言うと、厨房に行った。

 

「どうしたんだ」

 

 カーディガンを着ると、椅子に座った。

 

「私達が疑われてるの」

 

 やかんを火にかけた。

 

「えっ!どう言うことだ?」

 

「死亡推定時刻に家の前をうろついていた男女が目撃され、その二人が事件に関わっていると警察は見ているってニュースで言ってたわ」

 

 急須に茶葉を入れた。

 

「マジかよ。……松田さんちに入ってるから、俺達の指紋がついてる可能性があるし、容疑者にされる条件が揃ってる。……まいったな」

 

 行弘がボサボサの頭を抱えた。

 

「私達が犯人にされちゃうのかしら……。ね、どうする?」

 

「どうもこうも、犯人じゃないんだから正々堂々としてればいいさ」

 

「警察が来るかな……」

 

 順子は臆病風に吹かれた。

 

「来たら、ありのままを話すさ」

 

「……そうだね」

 

 濡れ衣を着せられるかもしれないと、寒心(かんしん)を覚えた順子だったが、泰然自若(たいぜんじじゃく)と構えた頼もしい行弘に、すべてを委ねようと思った。

 

 

 

 そして、その日が来た。翌朝、食事の支度をしていると玄関のブザーが鳴った。瞬時に頭に浮かんだ訪問者は警察官だった。

 

 ……目撃情報だけでこんなに早く私達に漕ぎ着くなんて、さすが、日本の警察は優秀だわ。それにしてもこんな時間に来なくても、朝食を済ませた頃を見計らってよ。順子はそんなことを考えながら玄関に急いだ。

 

 だが、硝子戸越しに見えたのは制帽ではなく、黒いニット帽の後頭部だった。

 

 ……客の予約時間は午後だ。……誰だろう。

 

 突然、不安が募り、順子は暗い気持ちになった。

 

「……どなたですか?」

 

 恐る恐る出したその声がどれ程の音量だったかは定かではない。その声に顔を向けたのは、眼鏡の奥に暗い(ひとみ)を据えた高志だった。

 

「高志……」

 

 驚きのあまり、一瞬、気が動転したが、すぐに平静を取り戻すと急いで戸を開けた。ダウンジャケットの高志に安心すると、俯いている高志の顔を見詰め、思わず手を握った。もう一方には真新しい黒いボストンバッグを提げていた。

 

「さあ、入って」

 

 先刻まで手袋をしていたと思われる高志の温かい手を握った。

 

「……すまん」

 

 詫びる高志の幽かな声が、順子の胸を熱くした。私達を頼ってくれたことが順子は嬉しかった。

 

「あなたっ!早く来て」

 

 軽いボストンバッグを高志から受け取ると、行弘を呼んだ。

 

「ご飯食べたら、温泉に入ってゆっくりするといいわ」

 

「ああ。……順子」

 

「ん?」

 

「……松田さん」

 

 高志が何かを言おうとした瞬間、行弘の声がした。カーディガンに腕を通しながらやって来た行弘が目を丸くしていた。高志は行弘を一瞥すると頭を下げた。

 

「ね、上がって」

 

 順子はサンダルを脱ぐと、スリッパを揃えた。行弘は順子からボストンバッグを受け取ると食堂に入った。

 

「……お邪魔します」

 

 高志は遠慮がちに言うと、靴を脱いだ。

 

「どうぞ、暖まってください」

 

 石油ストーブを点けながら、行弘が高志を迎えた。

 

「まずはお茶を淹れるわね」

 

 順子は高志に笑顔を向けると、厨房に急いだ。


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