過去からの客   作:紫 李鳥

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 二人はいい気分になっていた。

 

「ご結婚は?」

 

「……いや、独身です。若い頃に別れて、それ以来一人です。今流行(はや)りのバツイチってヤツです」

 

 高志は適当に脚色をした。

 

「じゃ、よほど忘れられない人だったんですね」

 

「ま、いいじゃないですか。旅先では別人になりたいものですよ」

 

 ボロが出るのを恐れた高志は、その話題にピリオドを打った。

 

「……なるほど。なかなかのロマンチストですね」

 

「いやぁ、ただの物好きですよ」

 

「お仕事は?」

 

「……脚本を書いてます」

 

 呑んだ勢いで、若い頃の夢の一つを口にしていた。

 

「脚本家ですか?だから、ロマンチストなんですね」

 

「そんなことはないでしょうが……。小さな劇団の脚本を書いています」

 

「いいなぁ、夢があって」

 

「それだけじゃ食べていけないから、小説にも挑戦して、出版社に持って行ったら、自費出版をお勧めしますって、(てい)よく断られまして。自費出版できるくらいなら、わざわざ出版社に持って行かないですよ。ハハハ……」

 

 高志は調子に乗っていた。

 

「ハハハ……。そうですよね。直接、印刷会社に持って行きますよね」

 

「その前に校正をしないと。ハハハ……」

 

「ハハハ……。あ、校正か。そうですよね、誤字脱字があると読みづらいですもんね」

 

「印刷する前に見付けると思いますけどね。ハハハ……」

 

「ハハハ……。ですよね。誤字脱字に気付かないで印刷したら読者からクレームが来ますもんね」

 

「その前に、本屋が店に置かないですよ。ハハハ……」

 

「あ、そうか。そりゃそうですよね。ハハハ……」

 

 酒で気分を良くした二人は、ボケとツッコミのように息を合わせていた。

 

 

 ――睡魔に襲われて間もなく、ドアの開く音がした。行弘だと思い、目を閉じたままでいると、アルコールの匂いと共にべとついた唇が重なってきた。

 

「う……」

 

 拒むように胸を押すと、顔を背けた。短い沈黙の後にドアを閉める音がした。相手の正体を明らかにしたくなかった順子は、目を閉じたままでいた。

 

 ……もしかして、高志かもしれない。そう思わせたのは、指先に触れた着衣の感触だった。行弘はカーディガンを着ていた。だが、指先に触れたのは、丹前のような生地だった。当時の高志のキスがどんなだったかは覚えていない。ましてや二人とも同じ酒を呑んでいる。順子には明確な判断ができなかった。

 

 

 翌朝、目を覚ますと行弘の姿がなかった。布団も昨夜敷いたままの状態だった。高志の部屋で寝ているのだろうと思い、客の食事の支度をした。

 

 

 重そうに頭を抱えた行弘が二階から下りてきたのは、客が帰った後だった。

 

「誰んちに泊まったの?」

 

 味噌汁を温め直しながら顔を向けた。

 

「増田さんち。いやぁ、呑んだな。最後は一升瓶抱えてコップ酒だよ。あ~、頭(いて)え」

 

「大声出したりして、お客さんに迷惑かけなかった?」

 

「大丈夫だよ、部屋離れてるから」

 

「ご飯食べる?」

 

「要らねぇ。味噌汁だけでいいよ」

 

 行弘は不味(まず)そうに吸っていた煙草を揉み消すと、順子が手にしたトマトジュースを飲み干した。

 

「お早うございます」

 

 がらがら声で高志が下りてきた。順子は高志から目を逸らすと、冷蔵庫から麦茶を出した。

 

「お早うございます。いや、(おそ)ようございますかな」

 

「アハハハ……」

 

 行弘のジョークに高志が笑った。

 

昨夜(ゆうべ)の続きですか?」

 

「いや、昨夜はすいませんでした。遅くまでお付き合いさせて」

 

 味噌汁を啜りながら行弘が頭を下げた。

 

「いえ。楽しかったですよ」

 

「……どうぞ」

 

「あ、恐れ入ります」

 

 高志は、順子が盆に載せた麦茶を手にした。

 

「お食事は?」

 

「あ、じゃ、いただきます」

 

 コップに口を当てた高志が見た。順子は目を逸らすと、

 

「では、食堂のほうでお待ちください」

 

 そう言って流しに立った。

 

「俺も食堂行こ」

 

 椀を持ったままの行弘が、腰巾着(こしぎんちゃく)のように高志の後をついて行った。意気投合した二人の笑い声を聞きながら、順子は複雑な気持ちだった。

 

 

 味噌汁を食べ終えた行弘は湯浴(ゆあ)みに行った。

 

「ったく。呑まないって約束したじゃない」

 

 行弘が居ないのをいいことに、順子が愚痴(ぐち)った。

 

「仕方ないだろ、勧められたんだから」

 

「ったく、意志が弱いんだから」

 

「……」

 

「余計なこと言わなかった?」

 

「……たぶん。な?俺と別れてからどうした?付き合ってた男とはうまくいったのか?」

 

 茶碗を持ったままの高志が上目で見た。

 

「何よ、そんな遠い昔の話。すぐに別れたわ」

 

「……お前は浮気っぽかったからな」

 

「ほら、またお前って言ったわよ、もう。おかわりは?」

 

「もう、いい」

 

「じゃ、お茶()れるわね」

 

 茶葉の入った急須にポットを傾けた。

 

「……順子」

 

「ん?」

 

「……話があって来た」

 

 深刻な顔を向けた。

 

「何?話って」

 

「覚悟をして来たんだ。女房と別れる。だから――」

 

 その瞬間(とき)、咳払いと共にスリッパの音がした。順子は咄嗟(とっさ)に腰を上げると、茶碗を重ねた。

 

「あ~、いい湯だった」

 

 行弘がわざとらしい声を出した。

 

「増田さんもどうですか?ひとっ風呂浴びては」

 

「じゃ、そうしますか」

 

 高志は湯呑みを置くと腰を上げた。短い静寂(せいじゃく)の中に、遠ざかる高志のスリッパの音が消えた。途端、行弘が順子の腕を掴んだ。

 

「痛っ」

 

 行弘は無言で順子の腕を引っ張ると、部屋に連れ込み、敷きっぱなしの布団に押し倒した。

 

「何よ、どうしたの?」

 

 目を丸くした。行弘は返事もせずに服を脱ぐと、順子に重なった。そして、唇で順子の口を塞ぐと、スカートの中を(まさぐ)った。――


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