第一王子は廃嫡を望む 作:逆しま茶
木刀がマグマで燃え尽きて負けになった剣術の授業を終え、教室に戻ったルークが見たのはどこか疲れた様子のセシリアで。
いつもならすぐ傍に寄ってくるフィリアの姿が見えないので、ひとまずセシリアに声をかけた。
「あれ、セッさん。フィリア見なかったか?」
「――――すみません、ルーさん。ちょっと色々あって……」
色々ってなんだろうか。
気になるので目で促すと、セシリアは困った顔で目を逸した。
(……ど、どうしよう! まさかリュミちゃんがルーク様大好きだったなんて言えない…っ!? ――――こ、こうなったらいつものテンションで押し切るしか!?)
セシリアはちょっと考え込む仕草の後、かつてないテンションの高さで言った。
「実は空前絶後の事態が起こったんだよ! ―――リュミちゃんが一日千秋で一喜一憂してたんだけど、フィーちゃんが良薬苦口で五里霧中なの!」
「お、おう?」
なんかリュミエールがずっと悩んだり気にしてたことに関してフィリアに忠告して、そのせいでフィリアが落ち込んだか悩んだりしているという意味だろうか。
「そっか。じゃあ平気だな」
「えっ」
いや、なんで驚く。
何故か目をまんまるに見開いているセシリアを半目で見据えると、セシリアは軽く咳払いしてから言った。
「ぇへん。―――その、意味伝わったの!? というか、いいの!?」
「いいも何も。自分で『良薬口に苦し』って言っただろ。リュミエールはまぁ、真面目だから言っても正論だけだろうし」
な、とティナに目を向けるとティナは何故か呆れた顔で首を横に振った。
「……主、いつもイルミリス公爵令嬢は苦手って」
「ん? ああ、いや婚約相手として『無い』って話な。だってアイツに頼んだら絶対『貴族としての自覚が足りない』って怒られるし。そもそもイルミリス公爵令嬢と婚約したらそれこそ本気で王位が見えるぞ」
と、いつから聞いていたのか、背後からカイルが無駄に突っかかってきた。
「おいルークお前俺が『惚れ薬もイルミリス公爵令嬢なら乗ってた』って言ったら『絶対嫌だ』って言っただろうが!」
「嫌に決まってるだろ。あのリュミエールが惚れ薬を使うとか絶対碌でもない案件だし。もし違う相手の惚れ薬でって話なら凍って終わる」
あの余裕で孤高であることが公爵令嬢のあるべき姿だと体現しているようなリュミエールが惚れ薬……引っかかったら王に相応しくないとか言って殺しに来そうな気がする。もし他の奴に仕組まれただけだとしても、あの『氷獄』を突破できるのはそれこそフィリアくらいじゃなかろうか。
と、ティナが恐る恐る手を上げて言った。
「……あの、主。それ、イルミリス公爵令嬢と婚約破棄すれば廃嫡されるのでは…?」
「…………………ん?」
まあ確かに、あのイルミリス公爵家に喧嘩を吹っかければ責任を取って廃嫡されるのが筋だろう。だが、ちょっと想像してみてほしい。
――――――――――――――――――――――――――――
もし仮にリュミエールに婚約を申し込んだとして。それを素直に受け取ってくれるほど公爵家の令嬢は安くないだろう。
『ちょっと俺と婚約してくれないか』
『………惰弱なことね。王に相応しくないと、己の力で証明するのでは無かったのかしら?』
その目には、己の期待を裏切った者への冷徹なまでの侮蔑があり。
『恥を承知でお頼み申す!』
『笑止! 私と婚約したければそれに値する男であると証明してみせなさい!』
怒りのあまり周囲を凍らせる、リュミエールのブリザードのような魔力に負けじと叫ぶがその心まで届く様子もなく。
『すぐ破棄してくれていいんだけど』
『死ぬがよい』
瞬間冷凍ビーム。
ルークは しんでしまった!
まあ、婚約破棄とか死ぬほど失礼なのにあの公爵令嬢であることに誇りを持っているリュミエールにそんなことを頼んだら『お前なんて王妃に相応しくない』と宣言するようなものであり、矜持を踏みにじるようなものだ。
俺も誰かの都合で『王様やって』と言われても応じたくないように、リュミエールだってそんな理由で婚約と破棄なんてしたくないだろう。なにせ、彼女は公爵令嬢とは究極的に最高の血統を努力によって研磨する者だとよく言っているし。その点、どう考えても俺なんて挟まずに実力で弟、レオンと婚約してみせるのがリュミエールだろう。
本当は、公爵令嬢としてのプライドが高くなくて、廃嫡の理由に共感して協力してくれる人がいれば良かったんだが。
ほぼほぼフィリアは条件を満たしているんだが…。
フィリアの場合、公爵令嬢に興味がなさすぎて代わりにこちらが提供できる王妃の地位とレオンとの結婚も喜ぶ気がしない。ので、フィリアの気が変わらない限り無理だ。
「無いな……」
―――――――――――――――――――――――――
セシリアは思った。
あれ、ルーさん……ルーク様がリュミちゃんに婚約申し込んだら―――。
『ちょっと婚約してくれないか』
『――――…そ、れは、私が、その、しゅ、好きということでしょうか?』
クールに装いつつも、待ち望んでいた展開が急に訪れたためどうしても我慢しきれず耳元を真っ赤にしたリュミちゃん。けれど、そこにルーさんの容赦の無い一撃!
『いや、悪いんだがちょっと廃嫡されたいから婚約破棄に協力してほしいなって』
『…………………はき?』
お前も別に俺のこと好きじゃないし、いいよね。
そんな感じでルーさんに言われたリュミちゃんは今までの行いというか想いが全く通じていなかったことに遂に気づいてしまい―――。
『そう、俺も廃嫡されてお前も王妃になれてハッピー。レッツ廃嫡』
『――――――ふ、ぎゅ……うにゃああああ! うぇぇええええん!』
いや、リュミちゃんがどう怒るのかわからないけれど。なんとなく号泣するんじゃないかと思ってしまったけど、それ多分私が振られた場合かなぁ……。
「な、無いですね……」
よくない。こんな展開よくない。
リュミちゃんの心が死んでしまう……。
――――――――――――――――――――――
「無いな」
「無いですね」
うんうん、と二人して頷きあうルークとセシリア。
と、噂をすればというべきか。ちょうど教室に戻ってきたリュミエールと目があったルークは気さくに話しかけた。
「なんかフィリアと話してたんだって? リュミエールならそんなに心配してないけど、事情がアレだからなるべく優しくやってくれ」
「………私は、公爵令嬢として相応しい助言をしたまでよ。あの子も公爵令嬢なのだから、受けた特権に相応しい矜持を持たなくてはね?」
さもなんでもないことのように言うリュミエールだが、彼女の場合は自分にも他人にも厳しいところがありそうで。
……特権、受けてたかなぁ…。
フィリアの生活環境と、やつれた公爵の顔を思い出すとどうにもそんな感じはしない。が、勝手に言ってもいいことではない。
しかし言って問題ない範囲ならば。
それでもリュミエールが特に反応を変えないのなら、さりげなくフォローに回ったほうがいいかもしれない。
「でもなぁ……アイツ、病気のせいで寒い部屋に一人ぼっちで……」
「……え」
あれ、なんか意外と驚いてる?
珍しく目を見開いたリュミエールは、ちょっとだけ意外なもので。
「本を捲るだけでも苦労していて……」
本が燃えないように。
まあそのへんは嘘じゃなければいいかな、とルークは思った。
「本を捲くるだけで…!?」
本を捲れないほど病弱だったの!?
リュミエールの中で、豪華な部屋でちやほやされて無垢に育ったフィリアのイメージが変わる。満足な自己研鑽もできず、魘されている姿、やっと手に入れた友人(ルーク)に相応しくないと突き放されて涙目になっている姿がフラッシュバックする。
なお、実際は元気な代わりにもっと苦しい環境なのだが。
「迷惑をかけないように、って言いながら寂しそうにしててな……」
「――――…………ちょっと急用ができました。失礼いたしますわ」
急に優雅に180度回転して、足早に去っていくリュミエール。
ルークはそれを見てぽつりと呟いた。
「……あいつも、弱者には優しいあたり本物だよなぁ」
―――――――――――――――――――――――――――
―――――どうしよう、どうしよう、どうしよう!
全ては己の実力で掴み取るもの。
血筋とは才能であり、あらゆる才能は磨き上げねば意味がないものであり、それを怠る愚か者は貴族には相応しくない。
――――が、それを磨く機会すら与えられなかったなら?
それを怠惰だとあざ笑うことがどれほど傲慢であるか。
まあ実際、彼女では王妃になるのは現実的に考えて無理なのだが。それを直視するには彼女はまだきっと無垢すぎて。
いや早いか遅いかだけの違いのような……?
むしろ早いほうが傷は浅いかも?
悩んだ末に、ミリアの部屋に駆け込んだリュミエールはベッドに寝転んで本を読むミリアの肩を掴んで揺さぶった。
「ミリア! 聞いて頂戴ミリア!」
「………なに。読書中なんだけど」
本気で鬱陶しそうなミリアにめげることなく、リュミエールは言った。
「……私、ちょっとフィリアさんに辛く当たりすぎたかしら」
「うん」
空気が凍った。
容赦のなさすぎる指摘に、もうちょっとだけオブラートに包んでくれてもいいんじゃないかと思いかけたリュミエールは、それも自分がやったことだと受け止め胸を張った。
「――――私が間違っていたかもしれない。もう一度、オブラートに包んで言ってくるわ」
「……それ、追い打ちかしら?」
ピタリ、とリュミエールの動きが止まる。
ギギギ、と油の足りないネジのように振り返ったリュミエールは、心底不思議そうに言った。
「……間違いを認めて訂正するのに?」
「――――人の心が無い。殿下に振られたあともう一度『ごめん好きじゃないだけで別に嫌いじゃない』って言われたと思って」
「カハッ」
ふらふらと、ベッドに倒れ込みそうになるリュミエールだが無駄に劇的というか。そんなところまで公爵令嬢らしさを(辛うじて)失わないあたりに感心するような呆れるような微妙な気持ちになったミリアは、ゆっくり顔を上げたリュミエールを見下ろした。
「……どうするべきかしら。公爵令嬢的には発言を訂正するのが最大の謝罪なのだけれど」
「公爵令嬢から離れたら?」
「わかった。考えてみるわ」
考え始めてほんの数秒で頷いたリュミエールは言った。
「――――いい子いい子してあげる?」
「それ自分がして欲しいんでしょ」
スッ、とリュミエールの耳が赤くなる。
あ、これ図星ね。とミリアは思ったがどこかの公爵令嬢と違って慈悲は持ち合わせているので何も言わないでおいてあげることにした。が、リュミエールは謎のドヤ顔で言い返してきた。
「馬鹿ね。それは私がしてあげる方よ!」
「あ、してあげたかったの」
「…………」
語るに落ちた。
よろよろ、と逆によくその動きができるなという器用な倒れ方をしたリュミエールにミリアは言った。
「結局、何が問題ってフィリアさんにチャンスが無いことでしょ」
「………そうね、現実的に考えて無理」
なら、解決法は簡単だ。
「じゃあ、貴女がチャンスがあるくらいまで鍛えてあげれば?」
「―――――嫌よ!? あの子、唯一私の敵になり得るのよ!? あの人なら必ず、自分の力で王の座をもぎ取るわ。その時、王妃に相応しい血統と教養を持つのは私……容姿だって頑張って磨いてるの! 必死なの!」
どちらかというと、もうちょっとコミュニケーションを頑張った方がいいんじゃないだろうか。ミリアはそう思ったが、この姿の方がウケるのか幻滅されるかは判断が難しいところだ。何分、いつも高嶺の花を気取っているわけで。
「でも、あの子もルーク王子以外欲しくなさそうだし」
「…………駄目! 別のにして別のに! いーやーなの!」
駄々っ子のように、というか駄々っ子そのもので無駄に大きな胸を揺らしてバタバタ暴れるリュミエールにミリアは小さく呟いた。
「公爵令嬢」
「……嫌よ。私のものを譲る気なんて無いわ」
ならもう、答えは一つしかない。
「なら、これ以上余計なことをしないこと」
「…………」
リュミエールも本当は分かっている。
恋敵になり得ると思ったから、正論で潰しにいった。それで潰れなければ正々堂々と勝つと決めた。それ自体は決して間違いではない。実際、フィリアはこのままではルークといつか離れることになるのは変わらない。
だからリュミエールはたっぷり数十秒以上悩み抜いた末に、叫んだ。
「……分かったわよ! 正々堂々勝ってみせましょう――――相手の全力を引き出した上で!」